フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛

春咲さゆ

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第三章 一番星の光

第29話 踏み出す覚悟

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 ーー『俺と、一緒に働かないか?』

 あれから1週間経った今でも脳裏にこびりついて離れないその言葉を思い浮かべながら、私はベッドに倒れ込んだ。

「疲れた」
 思わず声に出してしまうくらい、これまで以上に疲れた1週間だった。

 京介によるしょうもない噂話。
 ​​周囲の関心は当初ほど露骨ではなくなったとはいえ、会社の居心地は確実に悪くなった。

 関わる人の些細な仕草や声にまで神経をつかうようになってしまって、以前よりずっと息苦しいし。
 本音を言えば、今すぐにでも逃げ出してしまいたい私にとって、柊真さんの言葉はあまりにも甘くて、思わず飛びついてしまいそうになるほどの誘惑だった。

 だけどそのあとの柊真さんの揺れる瞳から、彼の固まりきっていない本心がうかがえた。

 きっと、優しさの延長で、思ってもいないことまで口にしてしまったのだ。

 そう考えることにすれば、不思議と期待する気持ちは落ち着いた。

 そして私は、私は冷静なふりをして、彼の申し出を断ることに成功したのだ。

 断った。
 ちゃんと、理性的に。

 よくやった、と自分を褒めたくなる一方で、胸の奥には、まだ大きく揺れるものが残っている。

 意味なんてないんだよ。
 期待しちゃだめ。
 ちゃんと断ったじゃない。

 そんな風に自分に言い聞かせる日々がずっと続いているのに、気持ちは前に進んでくれない。

 少し気を抜けば、彼に縋りそうになる自分を振り切るように、スマートフォンを手に取った。

 一人では、だめだ。

 画面に春菜の連絡先を表示させ、少しだけ息を整える。

「春菜?今大丈夫?」

 <おー!ちょうどお風呂出たところだよ!どうしたの!>

 電話口から聞こえた明るい声に、張りつめていたものが一気に緩んだ。

「いや、実は相談があって……」

 リビングから自分の部屋に移動して後ろ手に扉を閉める。

 <えーまさか、あの男の話?>

 勘の良い春菜に、肩をすくめながら、私は柊真さんの名前を出した。

「……でね。柊真さんが、一緒に働かないかって」

 要所要所をかいつまんで、春菜に伝えると、反応が途切れ嫌な沈黙が流れる。

 <茉莉は、どう思ってんの?>

 小さなため息とともに尋ねられた私の気持ち。

「正直嬉しい、し、そんな夢みたいなことある?って思った自分もいた……」

 沈黙が怖くて、私はそのままもう一人の自分の考えを続ける。

「でも、京介のことがあったばかりで、もう誰かに依存するような生き方は怖い気持ちもあって」

 <……あーね>

 呆れ半分、心配半分の声色で相槌を打った春菜は、言葉を選んでいるようだった。

 <実は、あの日はさ、飲んでたし、状況もちゃんと分からないまま、完全否定しちゃったしさ、ちょっと悪かったなと思ってたの>

 春菜は、落ち着いた声色でゆっくりと話し始めた。

 <だから結局さ、それって茉莉が信じられるか、信じられないかの問題だと思うんだよ。そこが分かるのは、茉莉だけなんだと思う>

 予想とは反対に、全否定してくれなかった春菜に驚く。

 そして同時に、私は春菜の強い言葉で、背中を押してほしかったんだということにも気付いた瞬間だった。

「そうだよね……」
 小さく声を落とした私。

 自分の中で答えは出ていたんだ。
 でもそれを選ぶ一歩が足りなかっただけなんだ。

 気付いた気持ちに、自嘲するような乾いた笑いが続けて出る。

 <もし彼を選ぶつもりなら、不安に思ってることは、全部ちゃんと解決してからにしな>

 そう続けた春菜は、私の声を、悩んでいると捉えたようだった。

 <気持ちは向いてるのに踏み込めないってことはさ、何か引っかかってるんでしょ。彼に>

 その通りなのだ。
 確かめることの怖い私は、柊真さんから離れる一択を選ぶ覚悟が欲しいだけだった。

「……うん、ありがとう春菜」

 自分の気持ちが分かっただけで十分の収穫だった。

 私は一度息を吐いてから、はっきりと春菜に伝えた。

「決めた!動き出すことにする。明日家決めに行くよ」

 明るい声に、春菜は驚いているようだった。

「え……そっちなんだ?」

 それはそれで不安そうな春菜の声に、私は「あはは」と明るく笑う。

 今度こそ前に進める。
 そう思った瞬間だった。

「茉莉」

 トントンとノックされると同時に、廊下から低い声が聞こえた。
 心臓が跳ねて、思わず耳からスマホを外して胸の上に抱きしめる。

「あ、はい。すみません電話中で……!」

 声を上げると、柊真さんは控えめに扉を開いた。

 見えた表情は、どこか影を持ち合わせていて、私は目を見開く。

 どこかから、話を聞いていただろうか……。

 嫌な鼓動が胸を覆い尽くす中、彼は小さく呟いた。

「ごめん」
 そう言って、彼は私の隣にしゃがみ込み、スマートフォンを握りしめている私の手に、大きな手を重ねた。

「少しでいい。時間をくれないか」

 その声は、いつもの穏やかさより、ほんの少しだけ余裕がないように聞こえて。

 私は何も言えないまま、電話口の向こうで微かに聞こえる春菜の声を聞いていた。


_/_/_/_/_/_/


第29話、読んでいただきありがとうございます_(⑉• •⑉_)
気に入っていただけたら、お気に入りやエールをいただけますと励みになります!

次回もぜひよろしくお願いいたします。
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