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2章(1)
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春がすぎ、梅雨の季節になっても将太は弁当屋みずもとへ通い詰めていた。
2か月も通えば日替わり弁当のメニューを制覇できるかと思いきや、そうでもない。副菜などは前に食べたことがあるものが混じってきたものの、メインのおかずは同じ食材でも何通りもの味つけがあるようで、一度として同じものを食べていない。将太もよく自炊をし、レパートリーには自信がある方ではあったが、彩鳥は将太の比ではない。
そして2か月の間に変わったことといえば、弁当屋へ通う機動隊員が増えたことだろうか。
最初は将太一人で通っていたのだが、将太の勧めで弁当屋へ行き、そのまま常連になる人が増えた。今では何人かと連れ立って行くのが当たり前で、将太はその都度、彩鳥に話しかけたい気持ちをぐっとこらえて、客の一人に徹していた。
この日も将太はビニール傘を差し、弁当屋を目指して歩いていた。運がいいことに今日は一人である。みんな雨の中の訓練で疲れきり、将太に弁当屋までのおつかいを頼んだのだ。
通い慣れた道を進み、傘を閉じて2階のバルコニーに押しつぶされそうな弁当屋の入口をくぐる。軽やかなベルの音を聞きつけ、すぐに彩鳥が厨房から顔を出した。
「いらっしゃいませ。今日は一人ですか?」
彩鳥は今日も、ショートボブの黒髪を後ろでちょこんと結んでまとめている。梅雨時期になり化粧を変えたのか、目尻で跳ねた黒いアイラインが猫目の彼女によく似合っていた。心なしかリップの色も変えたように見え、桜の花びらのように薄くピンクに色づいている。
将太はまじまじと彩鳥の顔を眺めてしまったことに気づき、慌てて視線をそらした。彩鳥はそんな将太の様子を見ても、にこにこと微笑むだけでなにも言わない。
「こんな雨だから、先輩たちのおつかいです。日替わり弁当5つお願いします」
「ご飯の量はどうします? 警察官はたくさん食べる人が多いから、みんな大盛りでいいのかな?」
「はい、全部大盛りで……って、え?」
将太は一瞬、自分の耳を疑った。彩鳥は今、将太や先輩たちのことを警察官だと決めつけなかったか? 将太も、一緒に弁当屋へ来る同期や先輩も、自分たちのことを警察官だとは明かしていない。別に言ったところで、なにも得をしないからだ。それどころか、警察官だと分かった途端、変に絡んでくる人間もなかにはいる。親しい人以外には職業を明かさないのが、処世術というものだ。
将太は腹の底を探るように、彩鳥を見た。彩鳥がいつ、自分たちのことを警察官だと知ったのか。ばれて困るようなことではないが、情報源は知っておきたいというのが本心だ。あそこの弁当屋は警察官がよく出入りしている、なんて噂が立ったら彩鳥も困るだろう。
将太は緊張で乾ききった唇を湿らせてから、口を開いた。
「どうして俺のこと、警察官だって知ってるんですか?」
思いのほか強い口調になってしまい、彩鳥を委縮させはしないかと心配したが、杞憂だったようだ。彩鳥は意味ありげに、にこりと微笑んでいる。そして将太の足元に目を落とした。
「そのサンダル、機動隊の寮のものでしょう? ね、加藤将太くん」
「名前まで!」と驚きかけた将太だったが、なんのことはない。自分のサンダルを見下ろして、どっと肩の力が抜けた。
たしかに将太は寮内で履いているサンダルで、そのまま外へ出てきている。寮ではみんな同じサンダルを履いているため、自分のものが分からなくならないように、かかとの部分にフルネームで名前を書いている。彩鳥はきっとそれを見て言ったのだ。
しかし、このサンダルが寮のものであることは一般人はそうそう知らないはずである。再度、疑念にとらわれた将太に、彩鳥はいたずらを思いついた子どものように、ひそやかに笑った。
「夫が、機動隊に所属していたことがあるんですよ」
「夫が……」
なるほどな、と思う反面で、将太を別のショックが襲う。この人、既婚者だったのか。
2か月も通えば日替わり弁当のメニューを制覇できるかと思いきや、そうでもない。副菜などは前に食べたことがあるものが混じってきたものの、メインのおかずは同じ食材でも何通りもの味つけがあるようで、一度として同じものを食べていない。将太もよく自炊をし、レパートリーには自信がある方ではあったが、彩鳥は将太の比ではない。
そして2か月の間に変わったことといえば、弁当屋へ通う機動隊員が増えたことだろうか。
最初は将太一人で通っていたのだが、将太の勧めで弁当屋へ行き、そのまま常連になる人が増えた。今では何人かと連れ立って行くのが当たり前で、将太はその都度、彩鳥に話しかけたい気持ちをぐっとこらえて、客の一人に徹していた。
この日も将太はビニール傘を差し、弁当屋を目指して歩いていた。運がいいことに今日は一人である。みんな雨の中の訓練で疲れきり、将太に弁当屋までのおつかいを頼んだのだ。
通い慣れた道を進み、傘を閉じて2階のバルコニーに押しつぶされそうな弁当屋の入口をくぐる。軽やかなベルの音を聞きつけ、すぐに彩鳥が厨房から顔を出した。
「いらっしゃいませ。今日は一人ですか?」
彩鳥は今日も、ショートボブの黒髪を後ろでちょこんと結んでまとめている。梅雨時期になり化粧を変えたのか、目尻で跳ねた黒いアイラインが猫目の彼女によく似合っていた。心なしかリップの色も変えたように見え、桜の花びらのように薄くピンクに色づいている。
将太はまじまじと彩鳥の顔を眺めてしまったことに気づき、慌てて視線をそらした。彩鳥はそんな将太の様子を見ても、にこにこと微笑むだけでなにも言わない。
「こんな雨だから、先輩たちのおつかいです。日替わり弁当5つお願いします」
「ご飯の量はどうします? 警察官はたくさん食べる人が多いから、みんな大盛りでいいのかな?」
「はい、全部大盛りで……って、え?」
将太は一瞬、自分の耳を疑った。彩鳥は今、将太や先輩たちのことを警察官だと決めつけなかったか? 将太も、一緒に弁当屋へ来る同期や先輩も、自分たちのことを警察官だとは明かしていない。別に言ったところで、なにも得をしないからだ。それどころか、警察官だと分かった途端、変に絡んでくる人間もなかにはいる。親しい人以外には職業を明かさないのが、処世術というものだ。
将太は腹の底を探るように、彩鳥を見た。彩鳥がいつ、自分たちのことを警察官だと知ったのか。ばれて困るようなことではないが、情報源は知っておきたいというのが本心だ。あそこの弁当屋は警察官がよく出入りしている、なんて噂が立ったら彩鳥も困るだろう。
将太は緊張で乾ききった唇を湿らせてから、口を開いた。
「どうして俺のこと、警察官だって知ってるんですか?」
思いのほか強い口調になってしまい、彩鳥を委縮させはしないかと心配したが、杞憂だったようだ。彩鳥は意味ありげに、にこりと微笑んでいる。そして将太の足元に目を落とした。
「そのサンダル、機動隊の寮のものでしょう? ね、加藤将太くん」
「名前まで!」と驚きかけた将太だったが、なんのことはない。自分のサンダルを見下ろして、どっと肩の力が抜けた。
たしかに将太は寮内で履いているサンダルで、そのまま外へ出てきている。寮ではみんな同じサンダルを履いているため、自分のものが分からなくならないように、かかとの部分にフルネームで名前を書いている。彩鳥はきっとそれを見て言ったのだ。
しかし、このサンダルが寮のものであることは一般人はそうそう知らないはずである。再度、疑念にとらわれた将太に、彩鳥はいたずらを思いついた子どものように、ひそやかに笑った。
「夫が、機動隊に所属していたことがあるんですよ」
「夫が……」
なるほどな、と思う反面で、将太を別のショックが襲う。この人、既婚者だったのか。
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