16 / 49
3章(5)
しおりを挟む
将太は勝手に、家族のぬくもりがある部屋を想像していたのだが、実際はかなり殺風景な部屋だった。リビングにはセミダブルのベッドと、小さなサイドテーブル、白いローテーブルのみが置かれ、テレビやソファといったたぐいの家具はない。ラグやカーペットといったものも敷かれておらず、エアコンの風で冷えたフローリングが足裏にぴたりと張りついてくる。
リビングの隣にもうひとつ部屋があるようだが、そこは襖でぴったりと閉じられていた。おそらく和室だろうが、襖を開けてまで確認するほど野暮ではない。
リビングからキッチンの様子も見える。いずれオープンキッチンの部屋に住みたいと思っている将太にとって、憧れの間取りでもある。しかしダイニングテーブルはなく、彩鳥はリビングにぽつんと置かれたローテーブルで食事を取っているようだ。旦那と二人で座って食事をするには少し狭いような気もするが、一緒に食べる時間もないほど仕事が忙しいのだろうか?
「ああ、いるじゃん。くっついてるわ」
先にキッチンへ入っていた菱目が、果敢にもホイホイの中を覗き込んで言う。女性はみな、虫が苦手だと勝手に思い込んでいたが、そうでもないらしい。菱目は慣れた手つきでゴミ箱付近を漁り、ちゃっかりレジ袋まで確保している。将太の出番はなく、菱目はあっさりと虫を駆除してしまった。
「なんかまだ生きてるっぽいんだよね、こいつ」
菱目がホイホイを密封したレジ袋を掲げながら言う。いくら虫が怖くないとはいえ、生きてるものを持ち帰りたい人間はそうそういない。密封されていても、あんなに虫を怖がっている彩鳥の部屋へ置いていくのも気が引ける。
将太はいよいよ自分の出番がやってきたことを悟り、手を差し出した。寮の外に備えつけられた大型のゴミ箱に捨ててしまえばいいだろう。菱目に持って帰らせるのも好ましくない。
菱目からレジ袋を受け取り、キッチンを出る。案外、早く決着がついた。菱目は残党を探しているのか、冷蔵庫の隙間などを覗いていたようだが、すぐに将太に追いついてきた。彩鳥もこれで、安心して眠れるだろう。
部屋の外で待っている彩鳥を呼ぼうとリビングのドアに手をかけた時、菱目がふいに低い声で言った。
「ねぇ、なんか変な臭いがしない?」
そう言われて、将太もすんすんと匂ってみる。たしかに菱目の言う通り、わずかに食べ物が腐ったような、真夏に生ゴミを放置した時のような臭いがする。
「キッチンのゴミとかじゃないんですか?」
最近は蒸し暑い日が続いているし、蓋つきのゴミ箱でも臭うことくらいあるだろう。しかし菱目は将太の問いかけに納得いっていないように首を振る。
「キッチンじゃなくて、こっちの方からするんだよね」
菱目は将太を追い越し、リビングの奥、ぴたりと襖が閉じられた場所を指差す。閉じられてはいるが、隙間から臭気がもれ出してくるように錯覚する。将太は自分も知らぬ間に、緊張からごくりと息を飲んだ。
菱目が襖の取っ手に手をかける。
「ま、待って! さすがに水本さんに聞いてからの方が……」
「ちょっと確認するだけよ。ここにも虫がいたら困るでしょ?」
男ひとりで家に行くのはまずいと呼び出した時は不機嫌だった菱目だが、実は将太以上に彩鳥に対して親身になっている感じもある。そう思っているのは将太だけで、菱目本人は好奇心に従って動いているだけかもしれないが。
将太はリビングのドアを開け、いちおう彩鳥に声をかけたが、返事はなかった。返事はなくとも声をかけたという免罪符を得て、将太もぴたりと閉じられた襖に向き合う。
菱目がぐっと力を込めて襖を引き開けると、むわっとした熱気と、熱気に混じってすえた臭いが鼻をついた。
襖を開け放ち、リビングの明かりでなんとか中の様子を窺おうと試みる。将太の予想通り、そこはなんの変哲もない和室だった。6畳ほどの大きさで、畳の上に茣蓙が敷かれている。右側の壁へくっつけるようにそれほど大きくもない箪笥が置かれていた。箪笥の他に、家具らしきものはない。
しかし、臭いのもとをたどっていくと、箪笥の上に目が留まった。どうやら簡易的な仏壇として使用しているらしい。位牌と、骨壺と、それから若い男性の写真が飾ってあった。おそらく、遺影だろう。位牌の文字は和室が暗いせいでよく見えなかったが、しっかり見るために手に取るのは気が引けた。
臭いを発していたのは、遺影の前に置かれた食事だった。一汁三菜しっかり揃った献立で、供える意味で置いてあるのだろうが、この暑さですっかり腐ってしまっていた。
将太の前に立って、薄闇に目を凝らしていた菱目が「あっ」と声を上げる。
「この遺影の人、警察の制服じゃない……?」
将太も、菱目の肩越しに目を凝らす。無地の青い背景に、髪を短く刈り込んだ姿の男性。胸から上だけの写真ではあったが、たしかにその服はよく見慣れた警察官の制服だった。白いワイシャツに、しっかりブレザーまで着込んでいる。男性はまっすぐ前を向いて、口を引き結んでいる。証明写真かなにかのようだが、目鼻立ちは整っており、もう少し髪を伸ばせばモデル顔負けのイケメンになるだろうと予感させた。
将太はそこで、ふと気づく。警察官が、制服姿で写真を撮る機会など限られている。
「警察手帳の写真ね……」
菱目も気づいたようだ。おしゃれなどそっちのけのように髪を刈り込んで短くしているのも、警察学校を出たばかりの時の写真だからだ。将太の警察手帳の写真も、顔の出来はともかく髪型や服装はまったく同じだ。
遺影の男性は、よっぽど若くして亡くなったことになる。しかもここは彩鳥の部屋だ。この男性と、彩鳥の関係は?
考えに耽る将太の耳に、菱目の短い悲鳴が聞こえた。一拍遅れて、振り返る。リビングの逆光の中、黒と紫の長髪が揺らめいた。
「あれ、警察官が勝手に家捜しかい?」
リビングの隣にもうひとつ部屋があるようだが、そこは襖でぴったりと閉じられていた。おそらく和室だろうが、襖を開けてまで確認するほど野暮ではない。
リビングからキッチンの様子も見える。いずれオープンキッチンの部屋に住みたいと思っている将太にとって、憧れの間取りでもある。しかしダイニングテーブルはなく、彩鳥はリビングにぽつんと置かれたローテーブルで食事を取っているようだ。旦那と二人で座って食事をするには少し狭いような気もするが、一緒に食べる時間もないほど仕事が忙しいのだろうか?
「ああ、いるじゃん。くっついてるわ」
先にキッチンへ入っていた菱目が、果敢にもホイホイの中を覗き込んで言う。女性はみな、虫が苦手だと勝手に思い込んでいたが、そうでもないらしい。菱目は慣れた手つきでゴミ箱付近を漁り、ちゃっかりレジ袋まで確保している。将太の出番はなく、菱目はあっさりと虫を駆除してしまった。
「なんかまだ生きてるっぽいんだよね、こいつ」
菱目がホイホイを密封したレジ袋を掲げながら言う。いくら虫が怖くないとはいえ、生きてるものを持ち帰りたい人間はそうそういない。密封されていても、あんなに虫を怖がっている彩鳥の部屋へ置いていくのも気が引ける。
将太はいよいよ自分の出番がやってきたことを悟り、手を差し出した。寮の外に備えつけられた大型のゴミ箱に捨ててしまえばいいだろう。菱目に持って帰らせるのも好ましくない。
菱目からレジ袋を受け取り、キッチンを出る。案外、早く決着がついた。菱目は残党を探しているのか、冷蔵庫の隙間などを覗いていたようだが、すぐに将太に追いついてきた。彩鳥もこれで、安心して眠れるだろう。
部屋の外で待っている彩鳥を呼ぼうとリビングのドアに手をかけた時、菱目がふいに低い声で言った。
「ねぇ、なんか変な臭いがしない?」
そう言われて、将太もすんすんと匂ってみる。たしかに菱目の言う通り、わずかに食べ物が腐ったような、真夏に生ゴミを放置した時のような臭いがする。
「キッチンのゴミとかじゃないんですか?」
最近は蒸し暑い日が続いているし、蓋つきのゴミ箱でも臭うことくらいあるだろう。しかし菱目は将太の問いかけに納得いっていないように首を振る。
「キッチンじゃなくて、こっちの方からするんだよね」
菱目は将太を追い越し、リビングの奥、ぴたりと襖が閉じられた場所を指差す。閉じられてはいるが、隙間から臭気がもれ出してくるように錯覚する。将太は自分も知らぬ間に、緊張からごくりと息を飲んだ。
菱目が襖の取っ手に手をかける。
「ま、待って! さすがに水本さんに聞いてからの方が……」
「ちょっと確認するだけよ。ここにも虫がいたら困るでしょ?」
男ひとりで家に行くのはまずいと呼び出した時は不機嫌だった菱目だが、実は将太以上に彩鳥に対して親身になっている感じもある。そう思っているのは将太だけで、菱目本人は好奇心に従って動いているだけかもしれないが。
将太はリビングのドアを開け、いちおう彩鳥に声をかけたが、返事はなかった。返事はなくとも声をかけたという免罪符を得て、将太もぴたりと閉じられた襖に向き合う。
菱目がぐっと力を込めて襖を引き開けると、むわっとした熱気と、熱気に混じってすえた臭いが鼻をついた。
襖を開け放ち、リビングの明かりでなんとか中の様子を窺おうと試みる。将太の予想通り、そこはなんの変哲もない和室だった。6畳ほどの大きさで、畳の上に茣蓙が敷かれている。右側の壁へくっつけるようにそれほど大きくもない箪笥が置かれていた。箪笥の他に、家具らしきものはない。
しかし、臭いのもとをたどっていくと、箪笥の上に目が留まった。どうやら簡易的な仏壇として使用しているらしい。位牌と、骨壺と、それから若い男性の写真が飾ってあった。おそらく、遺影だろう。位牌の文字は和室が暗いせいでよく見えなかったが、しっかり見るために手に取るのは気が引けた。
臭いを発していたのは、遺影の前に置かれた食事だった。一汁三菜しっかり揃った献立で、供える意味で置いてあるのだろうが、この暑さですっかり腐ってしまっていた。
将太の前に立って、薄闇に目を凝らしていた菱目が「あっ」と声を上げる。
「この遺影の人、警察の制服じゃない……?」
将太も、菱目の肩越しに目を凝らす。無地の青い背景に、髪を短く刈り込んだ姿の男性。胸から上だけの写真ではあったが、たしかにその服はよく見慣れた警察官の制服だった。白いワイシャツに、しっかりブレザーまで着込んでいる。男性はまっすぐ前を向いて、口を引き結んでいる。証明写真かなにかのようだが、目鼻立ちは整っており、もう少し髪を伸ばせばモデル顔負けのイケメンになるだろうと予感させた。
将太はそこで、ふと気づく。警察官が、制服姿で写真を撮る機会など限られている。
「警察手帳の写真ね……」
菱目も気づいたようだ。おしゃれなどそっちのけのように髪を刈り込んで短くしているのも、警察学校を出たばかりの時の写真だからだ。将太の警察手帳の写真も、顔の出来はともかく髪型や服装はまったく同じだ。
遺影の男性は、よっぽど若くして亡くなったことになる。しかもここは彩鳥の部屋だ。この男性と、彩鳥の関係は?
考えに耽る将太の耳に、菱目の短い悲鳴が聞こえた。一拍遅れて、振り返る。リビングの逆光の中、黒と紫の長髪が揺らめいた。
「あれ、警察官が勝手に家捜しかい?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる