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第3章 リークハルト侯爵家の秘密

第11話

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 グレイの寝室は広い空間がありながらもなぜか殺風景だった。
 部屋の端に置かれたベッドは、夫婦用のベッドが二つくっついたような大きさで、一人で寝るにはあまりに大きい。

 フリージアが持って来てもらった花瓶に花を活けている間、グレイはじっと黙り込んでいた。
 ただじっと見守るような視線に振り返れば、優しく笑みを返してくれるものの、どこか硬いものがあった。

 フリージアの手から花がなくなるのを待って、グレイはソファから立ち上がった。
 そうして部屋中のカーテンを閉めて回ると、グレイは何もない部屋の中央に立った。

「少し離れていて」

 言われて、ベッドの方へとよけると、グレイははっとしたように「あと、後ろを向いててくれる?」と言い足した。

「は、はい」

 グレイに背を向ければ、ぱさりと服を脱ぐ音がした。
 戸惑うフリージアの背後では何も変わった物音はしなかった。
 だが突如、グルルル……と低い唸り声が聞こえて、フリージアは思わず振り向いた。

 そこにいたのは、真っ赤な竜だった。
 鋭い金色の爪があり、大きな口には牙が並び、背には黒い翼。
 ぎょろりとした金色の瞳には黒い瞳孔が縦長に伸びている。

「竜……だったのですね」

 だが、竜と聞いて想像するよりも大きくはない。
 ちょうどベッド二つ分ほど。この寝室に置かれたベッドより一回り小さいくらいだ。

 フリージアがそっと近寄ると、グレイはびくりとしたように一歩下がる。
 それでも歩みを止めないフリージアに、グレイは来るなというように緩く首を振った。

「近づいてはいけませんか?」

 竜の首が頷く。

「触れたいのです。いけませんか?」

 リッカの尻尾に触れたいと思ったときのような、好奇心ではない。
 ただ、グレイがどこか怯えているような気がしたから。
 じっと足を止めて待つと、グレイは首を振るのをやめて、じっとフリージアを見た。
 再び足を進める。
 グレイは下がらなかった。

 そっとそっと近づけば、竜の吐息がフリージアに触れた。
 あたたかくて、くすぐったい。
 思わず笑みをもらしたフリージアに、竜のグレイが戸惑ったような気がした。

 そっと手を伸ばせば、グレイが鋭い牙を遠ざけるように顎を逸らす。
 代わりに喉元にやさしく触れれば、皮膚は堅く、少しざらついていた。

 大切にしすぎて近づけないということもあると言っていたブライアンの言葉を思い出す。
 きっとグレイはこの鋭い牙や爪がフリージアを傷つけてしまうと恐れていたのだろう。

 ふと目に入った腹は白く、柔らかそうに見えた。顎の下をくぐるようにして歩み寄り、優しく手で触れれば張りのある硬さで、手触りは毛のない馬のようだった。
 そっと触れるように抱きつけば、暖かくて、なんだか心がじんわりとした。
 このような大きな姿なのにおかしいかもしれない。だがそれがグレイだからだろうか。フリージアは、確かに落ち着くのを感じていた。

「あまり……あまり近づくと危ない」

 低い声がグルグルと響く。
 確かにグレイの声だけれど、グレイの声ではない。

「この低い声も、おそろしいだろう? 僕は他のみんなとは違う。僕だけは明らかに異形なんだ」

「私が怖がると思って、姿を見せるのをためらわれていたのですか?」

「僕は他のみんなよりも魔物の血が濃いんだ。竜は長命だと言っただろう? だからそれほど代を重ねていない。それに、魔王と聖なる乙女の子孫は何度か再び竜との子を産んでいるから」

 ユウは既に血が薄く、コウモリの姿には変われないと言っていた。
 だがグレイは竜に血が近いから、このように完全な竜の姿に変われるのだろう。
 それでもその姿が伝承に残る記録ほど大きくはないのは、混血の影響と言えそうだ。

「こんな姿では、フリージアを傷つけてしまう。僕の体は戦うための体だから。魔王として魔物を統率して、本能のままに争っていた体だから」

「でもご先祖様は聖なる乙女の話を聞いて、戦うのをやめたのでしょう?」

「うん……。聖なる乙女が嘘をついていないことがわかったから、人を信用してもいいと思ったんだ。そして魔王の興味が聖なる乙女にうつったから、争うのがどうでもよくなったんだ」

「それは魔王にも理性があったということで、力をコントロールできるということではありませんか」

「こんな爪と牙じゃ、フリージアに近寄ることもできないんだよ」

「グレイ様は先程から私を傷つけないようにしてくれています。私はそんな簡単に傷つきませんし、グレイ様も私を傷つけたりしません」

「だけど……!」

「私はグレイ様が好きです。どんなお姿でも、グレイ様はグレイ様です。だから恐ろしくなんてありません」

 今日のフリージアは、どんな言葉もすらすらと口にしてしまう。
 だが思いの丈をこめて告げればはっとした顔になるものの、グレイはすぐに苦しそうに顔を歪める。
 喉の奥で低くグルルと唸り、グレイは小さく口を開いた。

「僕はずっと、フリージアを早くたすけなくちゃって、そのことで頭がいっぱいだった。閉じ込められてるなんて許せない、僕が幸せにしてみせる。そう思ってた。だけど、フリージアが嫁いできてくれて、ほっとして我に返ったんだよ」

 言葉を止め、グレイは苦しさを吐き出すように、低く唸りながら告げた。

「僕たちの子供も、こうして竜の姿になるかもしれないんだ。生まれてきた赤ん坊が、真っ赤な皮膚に、ぎょろりとした目をしているかもしれないんだよ」

「ええ。かわいいと思います」

 こくりと頷いて答えたフリージアに驚いたように息を止め、それからグレイはわずかに首を振った。

「……そんなの、実際に見たらショックを受けるよ」

「私とグレイ様の子です。どんな姿でもかまいません」

 すぐさまそう返したものの、グレイがまるでそういう人を見てきたかのように確信に満ちた言い方をしたのが気にかかった。
 それからフリージアは、はっとした。
 グレイにはトラウマがあるとブライアンが言っていたことを思い出したのだ。

「もしかして、お義母様は亡くなったとお父様から聞いていましたが」

 訊ねたフリージアに、グレイがそっと頷いた。

「なぜ魔王と聖なる乙女の子孫が度々竜と結ばれたのか。それはこの姿があまりに異形すぎて、恐ろしすぎて、人間も他の魔物も受け入れられないからだよ。母もそうだった」

 息をのみ、フリージアはぎゅっと力をこめてグレイの体を抱き締めた。
 背中でグレイの手が迷っているのがわかる。
 けれど鋭い爪をもつ手はどこにもいかず、力なくうなだれた。

「何も知らずに嫁いできた普通の人だった。父も、使用人たちも魔物の姿はうまく隠していたし、僕が人の姿で生まれてきたのも幸いだった。だけど三歳になったある日、怒って癇癪をおこした僕は突然、竜の姿に変わってしまったんだ。それを見た母は、ショックで寝込み、気付いたら家からいなくなっていた」
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