伯爵令嬢は身代わりに婚約者を奪われた、はずでした

佐崎咲

文字の大きさ
39 / 53
第4章 来客

第7話

しおりを挟む
 赤い竜は頭上を行き過ぎてしまうことなく、フリージアたちのいる場所へと真っ直ぐに首を向けていた。
 見上げるフリージアの目に、その竜の背から何かが飛び降りたのが見える。
 はっとして声を上げる間もなくそれはズドンッとジェームズの前に降り立ち、そのまま地を蹴るようにして頭から突っ込んでいった。

「リッカ?!」

 太い手足は灰色の毛に覆われ、その先には鋭い爪が光る。
 リッカは土煙を上げながらジェームズへと突進し、爪を振りかぶった。
 ジェームズは驚いたようにリッカを目で追いながらも、ひょいっと難なくそれをかわした。

「おおっと! 危ないなあ、今本気で殺る気だったね? おもに私の半身たる存在を」

「そのように邪魔な物が付いていなければこれ以上フリージア様に愚かなことをなさらないかと思いまして」

 冷たく低い声で一息に言いながら、ひょいと身をかわしたジェームズに重い蹴りを放つ。

「いやいやいやいや物騒だね。揃いも揃って殺意がむき出しとは。リークハルト侯爵家はいつのまにこんな物騒になったのかな?」

 迫りくるリッカを踊るようにかわすジェームズはどこか楽しげだ。

「あなたが私の主人に手を出そうとなさるからですよ」

 言葉は丁寧だが、いつものリッカとは違ってその声には怒気を孕んでいる。
 その後ろに、ぶわりと土煙をあげて赤い竜が舞い降りるや否や、激しく牙を剥いた。

「グレイ様!」

 駆け寄ったフリージアに、グレイがわずかに牙を収める。

「フリージア、無事? 待ってね、今すぐ僕も――」

 言いかけたグレイをリッカが素早く遮る。

「駄目ですよ裸人が増えます。グレイ様はそのままフリージア様を守っていてください」

 言われてグレイがはっとする。
 人の姿に戻れば、ジェームズ同様裸だ。
 確かにこの場にこれ以上裸の男を増やしたくはない。しかも裸の男と裸の男が戦うなど、何事なのかわからない。

「あ、いえ、あの! リッカもグレイ様も待って! 私は無事です、まだ何もされてはいません!」

 フリージアが氷が溶けたように声を上げたが、リッカが止まる気配はなく、グレイもそれを止めようとはしない。

「まだ……だろう?」

「手遅れになる前に処置をしておかねばなりません」

 主従に揃って低く言われれば、ジェームズは楽しそうに腹から笑った。

「処置! ははははは! 君は冷静に怖いことを言うなあ、面白い、いいぞいいぞ」

「ジェームズ様?! わざと怒らせるようなことを仰らないでください!」
 
「そういうつもりではない。私に向かってくる者など、もう何十年……、いや、何百年といなかったものだからな、言葉通り楽しいのだよ。青年はまだしも、獣人の君は私が怖くないのかね」

「上等。この身一つでフリージア様を守れるのであればかまいません。私の主人夫妻を邪魔立てする者は何人なんぴとたりとも許しはしません」

「そうか、そうか。それはいいな」

 いよいよ楽しげに笑みを増したジェームズに、リッカの眉が極限まで寄せられたのが見えた。

「なあ、君が私の元に来ないか?」

「お断りします」

「ははははは!! 返答まで主人と同じか」

 笑うと、ジェームズはパシリとリッカの腕を止めた。鋭い爪がジェームズのこめかみギリギリの所で震えている。

「くっ……!」

 リッカが悔しげに呻いたその時、フリージアの背後から一陣の風が吹き抜けるように何者かが飛び出して行った。
 ジェームズに向かって鋭く重い拳を放ったのは、ライカンスロープに姿を変えたブライアンだった。
 それを軽く避けたジェームズは、リッカを捕らえた腕をくるりと回し、背後に回る。

「うっ……!?」

 羽交い絞めにされ、首に腕を回されたリッカは、ギッと背後のジェームズを睨みつける。

「紳士がするには些か卑怯な手ですね」

 ブライアンの声も、いつものように飄々としながらも怒気を孕んでいた。

「この状況を見れば、卑怯なのは君たちの方だと思うがね。まあ、私に争う意思はない。そろそろ落ち着きたまえ」

「それならばリッカを放せ」

 グルルル……と唸るグレイに、ジェームズは肩をすくめてみせた。

「それは彼女に言ってくれたまえ。手を離せばまた同じことの繰り返しになるだけなのだから」

 うかがうように睨む目を向けながら、グレイが静かにリッカに命じた。

「リッカ。ひとまず抑えろ」

「……承知いたしました」

 悔しそうにリッカが小さく答える。
 リッカの手から力が抜けたのを確認すると、ジェームズがやれやれというようにその手を離す。

 リッカはすぐさまジェームズから飛び退き、距離を取った。

「まったく、君たちはあとからあとからどこから湧いてくるものやら。一体何故この場所がわかったのかね?」

「絆です」

 きっぱりと答えたのはリッカだった。
 フリージアははっとした。
 追いかけてきてくれたのだと思ったが、この夜の闇の中、黒い竜の姿は早々に溶け込んでしまったはずだ。
 きっと、フリージアの心の声が聞こえたのだ。それを頼りに、ここまで駆け付けてくれたのだ。

「そうか……。つくづく君たちが羨ましいよ」

 ジェームズがぽつりと呟いた。

 その声を聞くと、フリージアはたまらなくなった。
 だから意を決して声をあげた。

「あの……! グレイ様、ジェームズ様。もう一度落ち着いてお話をしませんか? 聞いていただきたい話があるのです」
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~

狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない! 隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。 わたし、もう王妃やめる! 政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。 離婚できないなら人間をやめるわ! 王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。 これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ! フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。 よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。 「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」 やめてえ!そんなところ撫でないで~! 夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――

忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。 そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。 もちろん返済する目処もない。 「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」 フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。 嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。 「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」 そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。 厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。 それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。 「お幸せですか?」 アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。 世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。 古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。 ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。 ※小説家になろう様にも投稿させていただいております。

死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?

神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。 (私って一体何なの) 朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。 そして―― 「ここにいたのか」 目の前には記憶より若い伴侶の姿。 (……もしかして巻き戻った?) 今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!! だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。 学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。 そして居るはずのない人物がもう一人。 ……帝国の第二王子殿下? 彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。 一体何が起こっているの!?

東雲の空を行け ~皇妃候補から外れた公爵令嬢の再生~

くる ひなた
恋愛
「あなたは皇妃となり、国母となるのよ」  幼い頃からそう母に言い聞かされて育ったロートリアス公爵家の令嬢ソフィリアは、自分こそが同い年の皇帝ルドヴィークの妻になるのだと信じて疑わなかった。父は長く皇帝家に仕える忠臣中の忠臣。皇帝の母の覚えもめでたく、彼女は名実ともに皇妃最有力候補だったのだ。  ところがその驕りによって、とある少女に対して暴挙に及んだことを理由に、ソフィリアは皇妃候補から外れることになる。  それから八年。母が敷いた軌道から外れて人生を見つめ直したソフィリアは、豪奢なドレスから質素な文官の制服に着替え、皇妃ではなく補佐官として皇帝ルドヴィークの側にいた。  上司と部下として、友人として、さらには密かな思いを互いに抱き始めた頃、隣国から退っ引きならない事情を抱えた公爵令嬢がやってくる。 「ルドヴィーク様、私と結婚してくださいませ」  彼女が執拗にルドヴィークに求婚し始めたことで、ソフィリアも彼との関係に変化を強いられることになっていく…… 『蔦王』より八年後を舞台に、元悪役令嬢ソフィリアと、皇帝家の三男坊である皇帝ルドヴィークの恋の行方を描きます。

何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のアンジュは、子供の頃から大好きだった幼馴染のデイビッドに5度目の婚約を申し込むものの、断られてしまう。さすがに5度目という事もあり、父親からも諦める様言われてしまった。 自分でも分かっている、もう潮時なのだと。そんな中父親から、留学の話を持ち掛けられた。環境を変えれば、気持ちも落ち着くのではないかと。 彼のいない場所に行けば、彼を忘れられるかもしれない。でも、王都から出た事のない自分が、誰も知らない異国でうまくやっていけるのか…そんな不安から、返事をする事が出来なかった。 そんな中、侯爵令嬢のラミネスから、自分とデイビッドは愛し合っている。彼が騎士団長になる事が決まった暁には、自分と婚約をする事が決まっていると聞かされたのだ。 大きなショックを受けたアンジュは、ついに留学をする事を決意。専属メイドのカリアを連れ、1人留学の先のミラージュ王国に向かったのだが…

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?

氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。 しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。 夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。 小説家なろうにも投稿中

処理中です...