鍛えすぎて婚約破棄された結果、氷の公爵閣下の妻になったけど実は溺愛されているようです

佐崎咲

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番外編.好きと好きの間 (第四章冒頭~雨の日の気づきに至るまでのティファーナの奮闘記録)

2.宵に開かれる扉

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 愛とか恋とかよくわからない。
 でもそんなことを言っているままではいられない。

 スーザンには「理詰めで考えず、もっと素直にご自分の思いを感じてみては?」と言われたけれど、具体的にどうしたらいいかがわからない。
 考えずに感じるままに……と中庭で木々を見つめてみても、うららかな日差しを浴びながら、ただ時が過ぎていくだけ。
 そうして中庭で無になる私を見かねたのか、声をかけてくれたのは侍女のユミナ。

「行き詰まっていらっしゃるようですね。それなら気分を変えて、旦那様と晩酌などされてみてはいかがです? お酒の力で自然と素直になれるかもしれませんよ」

 全部バレている。
 スーザンが鋭いのだと思っていたけれど、どうやらこの邸の使用人たちには私の悩みなど筒抜けのようだ。
 ロッドにも、あの日からなんだか生ぬるく見守るような目を向けられているし。
 恥ずかしすぎて穴があったら入りたいけれど、閉じこもっていても事態は打開できない。
 諦めて開き直った私は、ユミナに縋ることにした。

「確かに……。でも、お酒に頼るというのもどうなのかしら」
「お酒は女の武器ですよ。酔ったふりをしてしなだれかかれば、一発です」
「いやいやいやいや、そうじゃないの。そういうことじゃないのよ!」
「冗談ですよ。奥様にそんな器用なことができるとも思っていません」

 わりと辛辣。

「お酒を飲むと、自然と思っていることが言葉になって出てくることがありますから。ご自分でも気がついていない本心に気がつくきっかけになるかもしれませんよ」

 うーん。確かに。
 父はお酒を飲むと普段とは正反対のことを口にすることがあるけれど、まったく考えてもいないことが出て来るとも思いにくい。
 酔ってしまっては戦えないから、あまりお酒を口にしたことはないのだけれど、やってみる価値はあるのかもしれない。

「よし。飲みすぎなければいいだけだものね。今夜クレウス様を誘ってみるわ。ありがとう、ユミナ」
「いえ、まあ、まさかまだくっついていなかったとは意外過ぎましたけれどね」
「え」

 固まる私に、ユミナはにっこりと笑んで「では私はこれで」と一礼してつかつかと歩み去ってしまった。

     ◇

 クレウス様が帰ってくるのをそわそわと待ち、早速「食後にお酒でも一緒にいかがですか」と声をかけてみた。

「酒か。それもいいな。付き合いで酒を口にすることはあったが、あまり飲んだことはない。不意を狙われやすくなるからな」
「私もです! 酔っていては戦う時に不利ですからね」

 こんなところで同意できるのは、互いに稀有な存在だと思う。正反対のような私達だからこそ、共通点が嬉しくなる。

「そんなわけでシリス、今夜はよろしくね!」
「はいはい、よろしくやっちゃって~」

 シリスは気のない返事だったけれど、仕事はちゃんとしてくれるとわかっている。前は何が何でも自分のことは自分で守らねばと思っていたけれど、こういう風に誰かに頼るのもまた心地よいものだと知った。

「互いに普段はしないことをしてみるというのも、またよいな」

 クレウス様とグラスを交わし、そう笑い合う。
 私たちはずっと一人で戦っていたけれど、寄り添い、味方を増やし、安心して過ごせる場所を手にしたんだなと実感する。
 そうして、酔いつぶれてもそのまま眠れるようにと寝室のソファで二人お酒を酌み交わし始めたのだけれど。

「ティファーナ。かわいい」

 とろんとした目で微笑みながらの破壊力。
 とんでもなくお酒に弱かった。クレウス様が。

「ありがとう……ございます」

 私は酒豪だった。全然酔わない。いつもの返ししかできない。クレウス様もかっこいいですよ! とか言えたらよかったのに。
 これ、本当にお酒が入っているのだろうか。
 一向に自分の隠れた本心なんて出てくる気配がない。クレウス様とは違って。

「ティファーナ。触れたい。ダメ?」
「ダメです!!」
「じゃあ膝の上に座って?」
「もっとダメです!! 何故?!」
「触れさせてくれないなら、ティファーナから来てくれたらいいかと思って」

 おいで? とクレウス様が両腕を広げる。
 いやいやいやいや、行かない。行かないって!
 誰だこれは。氷の公爵閣下は溶け切ってただのシロップになったのか。
 完全に酔っている。私もその域にいけていたらよかったのに完全に正気だから耐えがたい。

「じゃあわかった。隣に座るのは?」

 うう……。それは別に、駄目じゃない。でもこの流れで「いいですよ」とは言いにくい。
 言葉に迷っている間、クレウス様はじっと私を見ている。
 子猫か。構ってほしい子猫か。

 嫌とも言えず、そのどこかねだるような視線にも耐えられず。
 私は無言のまま、そっとクレウス様の隣に座った。
 あの時はできなかったけれど、相手は酔っ払いだ。どうにでもなれと思い切ることができた。達成感。

 クレウス様は何も言わず、ソファの背もたれに頬杖をついた格好で隣にちんまりと座った私に顔を向ける。
 二方から囲まれているようで落ち着かない。しかも思ったよりも近い。

 しかしクレウス様は何故か満足げだった。ただひたすら笑みを浮かべてじっと見ている。
 目の前で見つめられるより、隣の方が視線が気にならないと思ったのに、とんでもなかった。
 距離が近くなった分だけ、隣にいても視界に入ってきてしまうし、私の右腕が隣に座ったクレウス様の体温を感じていて。

 完全に失敗だ。
 酔って私が素直になるはずだったのに、素直になったのはクレウス様の方だった。

 策士策に溺れる。
 そんな言葉が頭に浮かんで、このまま失敗で終わってなるものかと奮起した。
 せっかくだから普段は聞けないことを聞いてみよう。

「クレウス様は、私のどこを好きになってくださったんですか?」

 いつもなら絶対に聞けない。そう考えると、私も十分酔っているのかもしれない。
 クレウス様は目を細めるように私を見て、笑んだ。

「全部」

 そんな無邪気に言われても。
 具体的には? と聞こうとしてやめたのに、クレウス様の答えは続いた。

「具体的には、まっすぐなところ、諦めないところ、あと」
「心を読まないで!」
「発想が時々斜め上なところ、何でもすぐに行動に移すところ、当たり前の日々を活き活きと生きているところ、それから」

 全然止まらない。しかも褒められているのかどうか怪しい言葉が多分に混ざっている。

「理不尽に対して徹底的に抗おうとするところ。転んでもただでは起きないところ」

 不意にそんな言葉と共にアイスブルーの瞳に真っ直ぐに見つめられて、私は驚きに言葉を失くした。
 それは私が幼い頃から固く心に誓っていること。
 あの時、私はそんなことまで話したんだろうか。クレウス様はそんなことまで覚えてくれていたんだろうか。もう何年も前のことなのに。 
 試すみたいに、私は次の質問を口にした。

「では、いつからそのように思ってくださっていたのですか?」

 その問いには初めて首を傾げられた。

「わからない」

 そんな言葉ですら甘く聞こえて、どうにも困る。

「始まりは幼い恋だったのかもしれない。だが気づけばいつも目でティファーナを探していた。何か仕掛けられても堂々とした振る舞いを貫く姿を美しいと思った。気づけば好きになっていた。誰にも渡したくないと思うようになっていた」
「そ、そうだったんですね。わかりました、ありがとうございました」

 あまりの恥ずかしさに後悔して打ち切ろうとしたけれど、クレウス様は止まらなかった。

「ティファーナは私に生きる勇気をくれた。力をくれた。あの出会いは私にとっては一生忘れることのできない思い出だ。ティファーナはあまりにもあっさりと忘れてしまったようだが、それでもよかった。どうせ近づいてはいけないのだから、その方がよいとも思った」

 そうして私を見つめるアイスブルーは凪いだ海のようで。
 それなのにその奥には何かを求める色がある気がして。
 何か言いたいのに、そんな瞳で見つめられたら冷静に考えられない。

「思い出すのが遅くてごめんなさい。……拗ねてるんですか?」
「どう思う?」
「シラフですか?」
「どうだろうな?」

 クレウス様が妖しく笑う。色気が半端ない。

「お……、お水を飲みましょう。とにかく冷やしましょう」

 水をなみなみと注ぐ傍らで、クレウス様は少しだけ目を伏せた。

「遠かったその頃に比べれば、今は傍にいるのだからそれで十分だと思っていた。だが傍にいるほど、ティファーナの心まで欲しくなってしまった」

 そうして再び顔を上げたクレウス様のその瞳は熱を帯びていて。じっと見つめられると動けなくなった。

「ティファーナの全てが欲しい」

 どこにも触れられてはいないのに、体中が熱くて。まばたきもせずに見つめられると胸が苦しくて。何故だか頭がクラクラとする。

 だめだ、と思った。
 このままでは。
 私は――

 私は、勢いよくソファから立ち上がった。

「クレウス様! もう寝ましょう」
「そうだな」

 あっさりした頷きにほっとしたのは束の間、気づけば立ち上がったクレウス様に手を取られていた。

 しまった。『解散』がない。
 夫婦だから。寝室も同じ。ベッドも同じだ。

 逃げようと思ったのにむしろ自らを追い込んだような気がする。

「いやあのええと」

 たじろぐ私に、クレウス様が緩く笑った。

「心配せずともよい。嫌がることはしないと約束しただろう。たとえ酔っていたとしても、押し倒したりはしない。今はまだ」

 だから何故いつも未来はそうじゃないみたいに言うのだろうか。ほっとしたところに倍速で恥ずかしくなるのでやめてほしい。

「手を繋いで歩くのは? だめか?」

 甘え上手か!

「だめ、じゃ、ないです」

 ふっと柔らかく笑むクレウス様に、全身の力が抜けそうになる。
 この人は自分が凶器を持っていると知っているのだろうか。
 知っててやっているとしたら、とんでもない小悪魔だと思う。

「わっ」

 わたわたと焦れば、まさかのこんなときによろけてしまった。
 クレウス様の大きな胸が、私を受け止めてくれる。

「抱きしめるのは?」
「――全部答えさせるの、意地悪です」

 吐息が笑って、優しく背中に腕が回された。

「ティファーナは温かいな」

 それはあなたがそんなに優しく私を抱きしめるから。

「いい匂いがする」

 首元に顔を埋められた。冷たい鼻の感触が、すり、と首元に触れる。
 瞬間、私は弾かれたようにがばりと体を離した。
 首から熱が拡がっていく。顔から火が噴き出そうだ。

「酔いました! 限界です! もう寝ます!」

 私は残りの距離をすたすたと一人歩き、すぐさまベッドに潜った。いつものように。窓際の、一番端に。

「おやすみ、ティファーナ」

 わかっている。私がすぐに逃げられるように、そっと触れるように抱きしめていたのは。いつも距離をはかってくれているのは。
 クレウス様は優しい。
 こんなはっきりしない態度の私のことまで気遣って、思いやってくれて。
 その優しさに、胸が苦しくなる。

 背中で、クレウス様がぎしりとベッドに乗った気配がした。いつものように、ベッドの反対の端に体を横たえたのがわかる。
 私達の間には距離がある。それはクレウス様が私に用意してくれた、猶予。
 早くそこを飛び越えていけたらいいのに。
 勇気が欲しい。初めてそう思った。

 こんなの絶対眠れるわけがない、と思ったのに、タフな私は今日も気づけばうとうととしていたらしい。

「メアリー、ティファーナを頼む。私は夜風に当たってくる」
「かしこまりました」

 そんなクレウス様のはっきりとした声を聞いた気がした。
 まっすぐに歩いて部屋を出て行った背中を見た気もした。

 酔っていたの? 酔っていなかったの? どこまでがクレウス様の本心?
 わからなかった。
 自分の気持ちにも、結局まだ答えは出せていないまま。

 でも。
 私とクレウス様の間にある今の距離をもどかしいと思うその気持ちについて考えてみれば、新しく扉は開けるのかもしれない。
 ただ残念なことに、その日私がまともに考えられたのはそこまでだった。

 初めてしっかりと飲んだお酒は、私にも確かに酔いをもたらしていた。
 だって、熱い頬がいつまでも冷めなかったから。
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