空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

文字の大きさ
4 / 102
第3章 旅の始まり

第4話 獣人戦士と街道の罠

しおりを挟む
 リィナと旅をすることに決めた翌朝、俺は彼女の村の入り口にいた。

 村は森の奥深くにあり、エルフ特有の自然との調和を重んじた造りになっている。木造の家々が木漏れ日の中に点在し、まるで森と一体化しているようだ。家の屋根には苔が生え、壁には蔦が這い、人工物でありながら自然の一部として息づいている。空気は清浄で、薬草と花の香りが複雑に混ざり合って鼻をくすぐる。深呼吸すると、肺の奥まで清らかな空気が行き渡る感覚がある。

 ――果物もきっと豊富だろう。

 そんなことを考えながら村を見回していると、リィナが家から荷物を抱えて出てきた。背中にはいつもの大きな籠、腰には短弓と小さな矢筒がぶら下がっている。籠の中には薬草や調合道具、そして旅に必要な様々な物資が整然と詰め込まれていた。どうやら旅支度は万端らしい。彼女の手際の良さと準備の完璧さに、エルフ薬師としての経験の豊富さが窺える。

「まずは街道沿いの商業都市《リューネ》を目指すわ。薬草を売って旅の資金を作るの」

 リィナは地図を広げながら説明してくれる。この村からリューネまでは徒歩で三日程度の道のりらしい。街道は比較的安全だが、魔物や盗賊が出ることもあるとのことだ。

「街には果物市場もあるか?」
「あるわよ。リューネは交易の要所だから、各地の名産品が集まるの」
「よし、やる気出た」

 その瞬間、俺の中で旅への意欲が最高潮に達した。未知の果物への期待に胸が躍る。もちろん、人助けという建前もあるが、本音は新しい果物への興味が大部分を占めている。まあ、この動機は彼女のためにも一応隠しておくことにした。
 ただ、旅の前にもう一人仲間が加わるらしい。

「昨日あなたが助けた獣人の子の父親。彼、元は街道警備隊の戦士なの。腕は確かだし、あなたを守るには最適よ」
「……護衛っていうより、俺を運ぶ係じゃないか?」

 確かに、鷲の体では長距離移動に限界がある。特に悪天候の時は飛行が困難になるし、夜間は視界が利かない。地上での移動手段は必要だろう。

「それもあるわ」

 リィナは苦笑いを浮かべながら答える。正直で良い。

 やがて、村の外れから大柄な影が現れた。昨日の獣人だ。朝日を浴びて、その巨体がより一層際立って見える。毛並みは濃い灰色で、筋骨隆々とした体躯は歴戦の戦士であることを物語っている。背は二メートル近くあり、肩幅は俺が翼を広げたほど広い。背中には大きな戦斧を背負い、腰には短剣をさしている。

「おう、医者鳥!」

 相変わらずの豪快な声で俺を呼ぶ。

「その呼び名やめろ」
「息子を助けてくれた礼だ。旅の間、お前をしっかり守ってやる。俺の名はバルグだ。よろしくな」

 バルグは胸を張って自己紹介する。その表情には感謝と信頼の色が濃く表れていた。

「頼りにしてる、バルグ。……俺は空から偵察して、必要なら薬の指示を出す」
「戦わねえのか?」
「嘴でつつくぐらいはできる」
「……まあ、いいか」

 バルグは少し拍子抜けしたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻った。
 こうして三人――いや、二人と一羽の旅が始まった。

 村を出て街道へ向かう道は、最初は森の中の小径だった。木々の間を縫うように進む獣道のような細い道で、両側を高い樹木に囲まれている。鳥のさえずりと葉擦れの音だけが聞こえる静寂の世界だ。俺は時折、気になる果実を見つけては下降して確認したが、ほとんどが昨日食べたものと同種だった。

 街道へ出ると、森の静けさとは打って変わって、開けた道が続く。石畳で整備された幅の広い道路で、両側には街灯代わりの魔法石が等間隔で設置されている。馬車や行商人、兵士、旅人の姿も見える。文明の利器と人々の活気に満ちた、生きた道だった。

 俺は高度を上げ、上空から周囲を警戒する。鷲の視力は人間とは比較にならないほど鋭く、遥か遠くの小さな動きまで捉えることができる。視界が広く取れるので、怪しい影や道の異常にすぐ気づく。この俯瞰視点こそが、俺たちパーティーの最大の武器だろう。

 バルグとリィナは地上を歩きながら、周囲の状況を確認している。バルグは戦士らしく常に警戒を怠らず、リィナは薬師らしく道端の薬草に目を向けている。三者三様の視点で旅路を見守る、なかなかバランスの取れたパーティーだ。

 昼近くになった頃、俺は前方に異変を発見した。道端に横倒しになっている馬車があり、積み荷が散乱している。

「バルグ、前方五百メートル。馬車が横倒しになってる。誰かいるかも」

 俺の声に、バルグとリィナが足を速める。近づくにつれて状況が明確になった。車輪が片方完全に折れており、馬は既にいない。逃げたのか、それとも盗まれたのか。

 馬車の陰には血を流した商人らしき中年男性が倒れていた。意識はあるが、額から血を流し、左腕を不自然に抱えている。

「大丈夫ですか?」

 リィナが声をかける。

「あ、ああ……魔物に襲われて……馬が逃げてしまって……」

 男性の声は弱々しく、明らかに衰弱している。

「触らせろ」

 俺は男性の肩に嘴を軽く触れる。瞬間、診断結果が脳内に流れ込んだ。脈拍数上昇、血圧低下、脳震盪の兆候、左上腕骨の亀裂骨折、そして出血性ショックの一歩手前。早急な処置が必要だ。

「動かすな。脳震盪を起こしてる。バルグ、あの木の枝を適当な長さに折って支柱を作れ。リィナ、道端のあの黄色い花を二本――止血効果がある」

 俺の指示に、二人が迅速に動く。バルグは器用に木の枝を折って添え木を作り、リィナは指定した薬草を素早く摘んで応急薬を調合し始める。さすがに経験豊富なコンビだ。

 俺は上空から周囲を監視する。魔物が襲ったということは、まだ近くにいる可能性が高い。案の定、道路脇の茂みが不自然に揺れているのを発見した。

「バルグ! 右の茂み、三つ! こっちに向かってくる!」

 俺の警告と同時に、茂みから飛び出したのは牙を剥いた狼型の魔物。体長は一メートルほどで、毛色は暗い灰色。目は赤く光り、明らかに飢えている。三匹が連携を取って襲いかかってくる。

「任せろ!」

 バルグが一歩前に出て、背中の大きな戦斧を構える。さっきまでの穏やかな表情から一転、歴戦の戦士の顔になった。鋭い一撃で先頭の一匹を地面に沈める。斧の威力は凄まじく、一撃必殺だった。

 リィナも素早く弓を引き、残り二匹の足を正確に射抜いた。エルフの弓技は伊達ではない。動きを止められた魔物を、バルグが続けて始末する。

 俺はただ上空から「もう一匹、左後方から回り込んでくる!」「右の死角に潜んでる!」と叫ぶだけだ。直接的な攻撃はできないが、俯瞰視点での指示は仲間の反応速度を大きく向上させる。情報戦における司令塔の役割だ。

 戦闘は短時間で終わった。三匹の魔物はすべて倒され、新たな襲撃者の気配もない。バルグとリィナの息も荒くなく、さほど苦戦はしなかったようだ。

 商人は応急処置の甲斐あって意識もはっきりし、命は取り留めた。顔色も徐々に戻ってきている。

「ありがとうございます……命の恩人だ」

 商人は涙を流しながら感謝を述べ、お礼として荷物の中から乾燥果物の小袋を取り出してくれた。

「医者鳥、これは礼だ」
「だからその呼び名やめ……おっ、これ甘いな」

 干した果物を一口頬張ると、濃縮された甘みが口の中に広がる。生の果実とはまた違う、深い味わいがある。これはこれで美味い。

「ちょっと!」

 リィナが呆れた声を上げたが、果物を頬張る俺を止める者はいなかった。医療行為の後の果物は格別だ。

 商人は街道警備隊の巡回に救助され、俺たちは再び《リューネ》への道のりを続けた。初回の共同作業としては、なかなか上手くいったのではないだろうか。

 こうして俺たちは街《リューネ》へ向けて再び歩き出した。まだ始まったばかりだが、このメンバーならきっとやっていける――果物を欠かさなければ。

 夕日が街道を赤く染める中、俺たちの最初の冒険は順調な滑り出しを見せていた。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

薬漬けレーサーの異世界学園生活〜無能被験体として捨てられたが、神族に拾われたことで、ダークヒーローとしてナンバーワン走者に君臨します〜

仁徳
ファンタジー
少年はとある研究室で実験動物にされていた。毎日薬漬けの日々を送っていたある日、薬を投与し続けても、魔法もユニークスキルも発動できない落ちこぼれの烙印を押され、魔の森に捨てられる。 森の中で魔物が現れ、少年は死を覚悟したその時、1人の女性に助けられた。 その後、女性により隠された力を引き出された少年は、シャカールと名付けられ、魔走学園の唯一の人間魔競走者として生活をすることになる。 これは、薬漬けだった主人公が、走者として成り上がり、ざまぁやスローライフをしながら有名になって、世界最強になって行く物語 今ここに、新しい異世界レースものが開幕する!スピード感のあるレースに刮目せよ! 競馬やレース、ウマ娘などが好きな方は、絶対に楽しめる内容になっているかと思います。レース系に興味がない方でも、異世界なので、ファンタジー要素のあるレースになっていますので、楽しめる内容になっています。 まずは1話だけでも良いので試し読みをしていただけると幸いです。

異世界に移住することになったので、異世界のルールについて学ぶことになりました!

心太黒蜜きな粉味
ファンタジー
※完結しました。感想をいただけると、今後の励みになります。よろしくお願いします。 これは、今まで暮らしていた世界とはかなり異なる世界に移住することになった僕の話である。 ようやく再就職できた会社をクビになった僕は、不気味な影に取り憑かれ、異世界へと運ばれる。 気がつくと、空を飛んで、口から火を吐いていた! これは?ドラゴン? 僕はドラゴンだったのか?! 自分がドラゴンの先祖返りであると知った僕は、超絶美少女の王様に「もうヒトではないからな!異世界に移住するしかない!」と告げられる。 しかも、この世界では衣食住が保障されていて、お金や結婚、戦争も無いというのだ。なんて良い世界なんだ!と思ったのに、大いなる呪いがあるって? この世界のちょっと特殊なルールを学びながら、僕は呪いを解くため7つの国を巡ることになる。 ※派手なバトルやグロい表現はありません。 ※25話から1話2000文字程度で基本毎日更新しています。 ※なろうでも公開しています。

[完結]異世界転生したら幼女になったが 速攻で村を追い出された件について ~そしていずれ最強になる幼女~

k33
ファンタジー
初めての小説です..! ある日 主人公 マサヤがトラックに引かれ幼女で異世界転生するのだが その先には 転生者は嫌われていると知る そして別の転生者と出会い この世界はゲームの世界と知る そして、そこから 魔法専門学校に入り Aまで目指すが 果たして上がれるのか!? そして 魔王城には立ち寄った者は一人もいないと別の転生者は言うが 果たして マサヤは 魔王城に入り 魔王を倒し無事に日本に帰れるのか!?

【幸せスキル】は蜜の味 ハイハイしてたらレベルアップ

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕の名前はアーリー 不慮な事故で死んでしまった僕は転生することになりました 今度は幸せになってほしいという事でチートな能力を神様から授った まさかの転生という事でチートを駆使して暮らしていきたいと思います ーーーー 間違い召喚3巻発売記念として投稿いたします アーリーは間違い召喚と同じ時期に生まれた作品です 読んでいただけると嬉しいです 23話で一時終了となります

オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~

鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。 そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。 そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。  「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」 オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く! ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。 いざ……はじまり、はじまり……。 ※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。

異世界遺跡巡り ~ロマンを求めて異世界冒険~

小狸日
ファンタジー
交通事故に巻き込まれて、異世界に転移した拓(タク)と浩司(コウジ) そこは、剣と魔法の世界だった。 2千年以上昔の勇者の物語、そこに出てくる勇者の遺産。 新しい世界で遺跡探検と異世界料理を楽しもうと思っていたのだが・・・ 気に入らない異世界の常識に小さな喧嘩を売ることにした。

知識スキルで異世界らいふ

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~

きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。 前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。

処理中です...