空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第3章 旅の始まり

第6話 市場の影と甘い罠

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 《リューネ》の市場は、昼を過ぎても賑わいが衰える気配がなかった。

 しかし、いつもの活気ある喧騒とは違う、どこか不安げな空気が漂っている。客たちの会話にも緊張感が混じり、時折ひそひそとした声が聞こえてくる。

「……さっき倒れたのもあの店の品を食べた後だって」

「いや、別の店でも同じ症状が出てるらしい」

「市場全体が危ないんじゃないか?」

 食中毒の噂は既に市場全体に広がり始めており、商人たちの表情も次第に暗くなっていた。このままでは風評被害で市場全体が大打撃を受けることになる。

 衛兵隊長の依頼を受けた俺たちは、効率的に調査を進めるため三方向に分かれて動き出した。リィナは患者の経過観察と症状の詳細な聞き取り、バルグは周囲の商人や客への聞き込み、そして俺は市場全体を上空から俯瞰しつつ、怪しい商品や店舗を鑑定していく。

 高度二十メートルほどを旋回しながら店の並びを観察すると、人の流れや行列の有無、売り場の異変が一目で分かる。鷲の視力は人間のそれとは比較にならないほど鋭く、地上の細かな変化まで捉えることができる。商人の表情、客の動き、商品の陳列状況まで、すべてが手に取るように見える。

 その中で、一角だけ客足が極端に減っている果物通りがあった。他の店舗が客でごった返しているのに対し、そのエリアだけは人影がまばらだ。露店の一つでは店主がやたらと通りかかる客に声をかけているが、ほとんどの人が素通りしていく。そして何より気になったのは、台の上に並んだ果物が妙に光沢を放っていて、他の店の商品と比べて不自然に見えたことだ。

 一気に降下してその露店の台に止まる。

「いらっしゃ……おっと、しゃべる鳥様じゃないですか!」

 店主は慌てたようににこやかに迎えるが、その笑顔はどこか固く、目が泳いでいる。中年の男性で、やや小太りな体型。服装は商人らしく清潔だが、額に汗を浮かべている。

「この紫色の果物、何て名前だ?」

 俺は台の上で最も怪しく見える、深い紫色をした果実を指差す。表面に異様な光沢があり、他の果物とは明らかに違う雰囲気を放っている。

「"ムーンベリー"でございます。栄養満点、滋養強壮、精がつきますよ。今なら特価で……」

 店主の説明は早口で、明らかに焦っている様子だった。

「触っていいか」

「ええ、もちろん! どうぞ、どうぞ」

 店主は慌てて果実を差し出すが、その手がわずかに震えているのを俺は見逃さなかった。

 嘴を軽く触れた瞬間、糖度や栄養価の通常情報と共に、警告的な情報が脳内に流れ込んできた。微量のアルカロイド系毒素が検出される。本来なら加熱処理をすれば消える程度の毒性だが、この果実は保存状態が極めて悪い。発酵が進んでおり、毒性が通常の三倍近くまで濃縮されている。生で食べれば確実に胃腸に強い刺激を与え、嘔吐や下痢、場合によっては意識障害まで引き起こす可能性がある。

「……これ、生で食べさせたら完全にアウトだぞ」

「え? いやいや、そんなはずは……うちの商品は全部安全で……」

「はずは、じゃない。患者の症状と完全に一致する。しかも保存状態が最悪だ。故意に毒性を高めたとしか思えない」

 店主の額に大粒の汗が浮かび、その視線が一瞬、通りの奥へと向くのを俺は見逃さなかった。明らかに何かを隠している。

 ちょうどその時、バルグが大股で戻ってきた。その表情は厳しく、重要な情報を掴んだような雰囲気だった。

「おい、ここの果物を食べたって客が二人いたぞ。どちらもさっき倒れたって言ってる」

「やっぱりか」

 さらにリィナも息を切らして駆け寄ってくる。

「患者からの聞き取りでも、この店のムーンベリーを食べたって証言が複数あったわ。症状の発現時期も食べた時間とぴったり一致してる」

 証拠は完璧に揃った。……むしろ、揃いすぎているくらいだ。あまりにも簡単に原因店が浮かび上がりすぎている。まるで誰かが意図的に証拠を残したかのように。

「おい店主、これはどういうことだ。説明してもらおうか」

 バルグが威圧的に店主に迫る。その巨体と鋭い眼光に、店主は完全に萎縮してしまった。

「ち、違うんです! 私は悪くない! 商品は仕入れたまま売っただけで……あの人を渡してきたのは……」

 店主が言いかけたその時、再び通りの奥をちらりと見た。俺がその方向に視線を向けた瞬間、フードを深く被った人影が市場の雑踏に紛れ、足早に去っていくのが見えた。その動きは明らかに逃走を意図したもので、こちらの様子を伺っていたのは間違いない。

「バルグ!」

「任せろ!」

 バルグが地面を蹴って追いかけ、俺は翼を広げて上空から追尾する。地上での追跡には限界があるが、空からなら絶対に見失うことはない。

 フードの人物は市場の迷路のような通路を縫って進み、人込みに紛れながら巧妙に逃走しようとしている。だが俺の俯瞰視点からは、その動きは手に取るように見える。やがてその人影は市場の外に出て、細い裏路地へ飛び込んだ。

 裏路地は入り組んでおり、曲がり角が多い。普通の追跡なら確実に見失うルートだが、空の俺には全部丸見えだ。建物の配置、路地の分岐、全てが立体的に把握できる。

「右に二回曲がって、次は左だ!」

「了解!」

 バルグの足音が石畳に響く。息は荒いが、まだまだ余力がありそうだ。さすがは元街道警備隊の戦士だ。

 だがその影は、路地裏の奥で突然姿を消した。まるで地面に飲み込まれたかのように。

 俺が急降下して着地してみると、そこには古びた石造りの建物の脇に、地下へ続く木製の扉が半開きになっている。扉は重厚な作りで、相当古いもののようだ。錆びた鉄の装飾が施されており、普通の民家のものではない。

 中からは果物の甘い香りとは全く別の、どこか薬草のような……いや、化学薬品に近い刺激的な臭いが漂ってきた。鼻をつく独特の匂いで、明らかに人工的な薬品を調合している臭いだ。

「間違いないな」

 俺は低く呟く。――この事件、単なる食中毒事故じゃない。誰かが意図的に市場を混乱させ、恐らく何らかの利益を得ようとしている。

 リィナも遅れて到着し、三人が地下への入り口の前に集まった。暗い階段が奥へと続いており、その先からは時折、作業をしているような音が聞こえてくる。

 地下の闇に続く階段を前に、バルグが戦斧を握り直し、リィナが弓に手をかける。緊張が三人の間に張り詰める。

「行くわよ」

「ああ」

 こうして俺たちは、果物市場で起きた食中毒事件の真相を求め、未知の危険が待つ地下の闇へと足を踏み入れた――。

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