空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第4章 トラブル

第7話 地下に潜む影の工房

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 地下への木製扉は、古びている割に妙に頑丈だった。

 表面は長年の風雨で色褪せ、所々にひび割れが走っているが、扉自体は分厚いオーク材で作られている。蝶番には青い錆が浮いているものの、扉の構造は非常にしっかりしており、内側から金属の補強材で念入りに強化されているようだ。この扉だけでも、ただの隠れ家ではないことが窺える。

 俺は鉤爪で軽く押し開け、地下へ続く階段を覗き込む。石造りの階段は急勾配で、両脇の壁には松明が一定間隔で掛けられていた。松明の炎が壁に踊る影を作り、不気味な雰囲気を醸し出している。地下から上がってくる空気は湿り気を帯び、先ほどから漂っていた薬品臭がさらに濃くなる。鼻を刺すような刺激的な匂いに、化学薬品特有の人工的な香りが混じっている。

「……思ったよりも整ってるな。ただの地下室っていうより、本格的な作業場だ」
「盗賊の隠れ家にしては設備が整いすぎてるわね。お金をかけて作ってる」

 リィナが眉をひそめる。エルフの鋭い嗅覚は人間以上に敏感で、この複雑な化学薬品の匂いは彼女にとってかなり強烈らしい。鼻を押さえながらも、薬師としての職業的興味も感じているようだ。

「行くぞ」

 バルグが戦斧を構えて先頭に立つ。俺はその頭上三メートルほどの位置を飛行しながら階段を降りていく。俺が先に降りると戦闘時に仲間の動きを妨げる可能性があるので、上空から監視・指示する形が最適だ。

 石の階段は全部で二十段ほど。足音が地下に響くが、下からの反応はない。まるで待ち構えているかのような静寂が不気味だった。

 階段を降り切ると、そこは予想以上に天井の高い地下室だった。高さは四メートル以上あり、石造りの柱が天井を支えている。部屋の中央には大きな作業台があり、その上には大小様々な瓶や蒸留器具、計量器、乾燥中の植物が所狭しと並んでいる。まるで本格的な錬金術師の工房のような光景だ。

 奥の壁際には大きな木樽がいくつも積まれ、甘い果物の香りと薬草の匂い、そして鼻をつく薬品臭が複雑に入り混じって独特の雰囲気を作り出している。樽の中身は恐らく、果実や薬草を発酵・熟成させるためのものだろう。

 そして壁際にある乾燥棚には、紫色の果実――ムーンベリーが大量に並んでいた。だが、その色は市場で見たものよりもはるかに濃く、まるで毒々しい深紫色をしている。表面にはどこか異様な艶があり、明らかに自然な状態ではない。

「……全部、毒性が人工的に高められてる」

 俺は棚の果実に嘴を軽く触れる。鑑定の結果は予想通り、いや予想以上に悪質だった。保存方法も完全に意図的で、高温多湿の環境に長期間置くことで果実の成分を変質させ、本来は無害な成分を毒素に変化させている。さらに、何らかの薬品も添加されているようだ。

 その時、部屋の奥の暗がりから衣擦れの音がした。誰かがそこに潜んでいたのだ。

「誰だ! 出てこい!」

 バルグが戦斧を構えて声を張り上げると、暗闇からゆっくりとフードを脱いだ男が姿を現した。三十代半ばほどの年齢で、痩せ型だが筋肉質な体格。目つきは鋭く、知性的だが冷酷な印象を与える。黒いローブの胸元には見慣れない紋章が金糸で刺繍されており、何らかの組織に属していることが窺える。

「ほう……噂のしゃべる鷲か。こんな地下の奥まで嗅ぎつけるとは、なかなか優秀だな」

 声は低く、どこか嘲るような響きがある。しかし同時に、俺たちの能力を認めているような口調でもあった。

「お前がこの毒果物を市場に流したのか?」
「毒? 随分と乱暴な言い方だな」

 男は薄く笑う。

「これは"調整"だ。私の独自開発した特別なエキスを適量加えれば、滋養強壮どころか、戦場で兵士を三日三晩動かし続けられる究極の活力剤が完成する」

 男は作業台の瓶を手に取りながら続ける。

「だが、素人が量を誤れば……そうだな、ただの食中毒で済む。むしろ軽い方だ」
「ふざけるな! 患者は苦しんでるんだぞ! 命に関わるかもしれないんだ!」

 リィナが声を荒げると、男は肩をすくめた。

「商業都市の市場など、所詮は金と欲の渦巻く場所だ。多少の犠牲は新しい薬の開発にはつきものだろう。科学の進歩には実験が必要だ」
「犠牲で済ませる気か……!」

 バルグが怒りで一歩踏み出すと、男は指を鳴らした。パチンという乾いた音が地下室に響く。

 すると、奥の扉から三人の屈強な男が現れ、手には短剣や棍棒を握っている。みな筋骨隆々としており、明らかに戦闘に慣れた雰囲気だ。雇われた護衛か、それとも組織の構成員か。

「やれ」

 男の冷たい一言と共に、戦闘が始まった。

 次の瞬間、バルグが雄叫びを上げて戦斧を振り下ろし、最前列の男を弾き飛ばす。相手は咄嗟に短剣で受けようとしたが、バルグの怪力の前では紙同然だった。男は壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。

 リィナは素早く弓を引き、二番目の男の太腿に矢を突き立てて動きを封じた。エルフの弓技は正確で、相手を殺さずに無力化する技術に長けている。

 残る一人が俺の方に向かって棍棒を振り上げてきたが、俺は瞬時に上空に跳び上がり、天井近くから「バルグ、右だ! 死角から来るぞ!」と声を飛ばす。

 バルグは俺の指示に従って振り向きざまに横薙ぎの一撃を叩き込み、三人目の敵も床に沈めた。戦闘時間はわずか三十秒ほど。圧倒的な力の差だった。

「戦えないって言ってた割に、まるで戦場指揮官みたいな動きしてるじゃない」

 リィナが息を整えながら言う。

「戦わないだけで、戦況把握と指示は得意なんだよ。医者は観察と判断が仕事だからな」

 残った男――黒衣の調合師は、棚の樽を蹴倒して液体をこぼし、混乱に乗じて逃げようとした。だが、その瞬間、俺は空中から急降下し、彼の肩に飛び降りて嘴で首筋を軽く突いた。

 わずかに皮膚を破っただけだが、相手は驚きで動きを止める。

「動くな。お前の血液、今ので成分が全部わかった。……お前、自分の調合品も実験台として試してるな?」

 男の顔色が一瞬で変わる。図星だったようだ。

 俺は淡々と診断結果を告げた。

「そのせいで肝臓が深刻なダメージを受けてる。腎機能も低下してる。このまま続ければ、あと二ヶ月もすれば黄疸が出て動けなくなるぞ。最終的には多臓器不全で死ぬ」

 長い沈黙が地下室を支配した。

 やがて男は膝をつき、観念したように乾いた笑いを漏らした。

「……医者ってのは、本当に厄介な存在だな。自分の体の状態まで見抜かれるとは思わなかった」

 衛兵隊に引き渡された後、隊長は深く頭を下げてくれた。市場の混乱はすぐに収まり、問題のムーンベリーはすべて回収・破棄された。商人たちも安堵の表情を浮かべ、市場には再び活気が戻った。

 依頼は無事解決したが、俺の中には妙な引っかかりが残った。あの黒衣の男の胸に刺繍されていた紋章……どこかで見た覚えがある。そして彼の言葉からすると、これは単独犯の仕業ではなく、何らかの組織的な活動の一環のような気がした。

「……また会うことになるかもしれんな」

 そう呟くと、リィナが安心したような笑顔で言った。

「事件も解決したし、果物市場、もう心置きなく行っていいわよ」

 市場に戻ると、先ほどまでの緊張が嘘のように、甘い果物の香りに包まれた平和な光景が広がっていた。

 俺は改めて思う。この世界は、救うべき命と味わうべき果物で溢れている。そして恐らく、まだまだ多くの冒険が俺たちを待っているのだろう――。

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