空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第4章 トラブル

第13話 波間の牙

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 海面を激しく切り裂く音とともに、複数の黒い影が《セイレーン号》に向かって一直線に迫ってくる。

 それらの姿は、まるで巨大なサメと獰猛なウツボを人工的に掛け合わせたような異形の怪物だった。全身を覆う黒い鱗は海水を弾いて不気味に光り、まるで鋼鉄のような硬質感を放っている。背びれの先端は鋭利な刃物のように研ぎ澄まされ、太陽光を反射してきらめいていた。そして最も恐ろしいのは、その口の奥に並ぶ二重の牙列だ。内側と外側に鋭く尖った牙がびっしりと生え揃い、一噛みで人間の腕どころか胴体でさえ簡単に引きちぎることができるだろう。血走った赤い目は明らかに理性を失っており、ただ破壊と殺戮のみを求めているようだった。

「バルグ! 前方に二体が来るぞ!」

 俺が上空から警告を飛ばす。

「任せろ!」

 バルグは重い戦斧を力強く肩に担ぎ、船首へと駆け上がった。その足音が甲板に響く間もなく、最初の海魔が水柱を上げながら船べりを勢いよく乗り越えようと飛び出してくる。

 バルグの戦斧が空気を切り裂く重い音を立てながら振り下ろされ、海魔の鋭い背びれを根元から一撃で完全に断ち切った。断面からは黒ずんだ血が噴き出し、海水と混ざって甲板を真っ赤に染める。海魔は絶叫のような声を上げて海中へと落ちていった。

「こっちにも来たわ!」

 船の後方からリィナの緊張した声が響く。別の海魔が船尾から迫り、鞭のような長い尾を振り回して舵を叩き壊そうとしていた。舵が破壊されれば船の操縦が不可能になり、座礁は免れない。

 俺は翼を畳んで空中から急降下し、その太い尾に鋭い嘴を力いっぱい突き立てる。硬い鱗が邪魔をして深く刺さらないが、急所を正確に狙って何度も連続で突けば、さすがの海魔でも動きを鈍らせることはできる。

 リィナはその隙を逃さず、弓に矢をつがえて狙いを定める。放たれた矢は見事に海魔の片目を射抜いた。怪物は人間の悲鳴とは思えないほど甲高い声を上げ、苦悶しながら海中へと沈んでいく。

「ダリオ! このまま速度を落とすな! 一気に振り切るんだ!」

「分かってる! あいつらを完全に撒くには、この暗礁帯を一気に抜けるしかねぇ!」

 ダリオは汗を流しながら舵を握り、船の速度を最大まで上げる。帆が風を受けて膨らみ、船体が海面を滑るように進む。

 しかし、残った海魔たちはそれを許さない。残り三体の怪物が示し合わせたように同時に船の進路を塞ぐように横一列に並び、巨大な波を立てながら一斉に襲いかかってきた。連携の取れた攻撃で、明らかに知能を持っている。

 俺は高度を大きく上げ、海面全体を俯瞰して状況を把握する。鷲の優れた視力で海流の動きを読み取ると、右前方に小さな潮の逆流を発見した。そこは大きな岩礁の間を縫うように通る狭い水路になっている。海魔たちの大型の体では物理的に入り込めないルートだ――!

「右に四十五度舵を切れ! あの狭い水路に突っ込むんだ!」

「了解だ!」

 《セイレーン号》は急激に旋回し、白い波頭を勢いよく巻き上げながら岩礁の間へ勢いよく飛び込む。船体の両側を削るように鋭い岩が迫り、少しでも舵を誤れば即座に船底に大穴が開いて沈没する危険な距離だ。まさに綱渡りの航海技術が要求される瞬間だった。

 海魔たちは体が大きすぎて狭い水路に追ってくることができないようで、水路の入口付近で悔しそうに旋回しながら背びれを海面に出し、やがて諦めたように視界から消えていった。

「ふぅ……なんとか助かったな」

 バルグが血の付いた斧を肩に担ぎ直し、安堵の表情で深く息を吐く。額には緊張の汗が浮いている。

「いや、まだ完全に終わっちゃいない」

 俺は視線を前方の海域に向ける。危険な暗礁帯を抜けた先の開けた海域で、黒羽同盟の帆船が再び姿を現した。追跡によって距離は確実に縮まっている。もう数百メートルの距離まで接近していた。

 しかし、奴らもこちらを完全に撒いて逃げ切るつもりらしい。船尾から不気味な黒い煙を上げ始め、何らかの複雑な魔術装置を動かし始めたようだ。甲板で数人の人影が忙しく動き回っているのが見える。

 その瞬間、これまで安定していた潮の流れが急激に変化した。

 海水が不自然に渦を巻き始め、《セイレーン号》の船体が意に反して横方向に強く引かれる。これは明らかに自然な潮流ではない――海底で大規模な爆発を起こしたか、それとも巨大な海の魔物を人工的に呼び出したのか……。

「このままだと渦の中心に巻き込まれるぞ!」

 ダリオが血相を変えて叫ぶ。

「舵をいっぱいに左に切れ! 全力で渦から脱出するんだ!」

 ダリオが必死に舵を操り、船員としての全技術を駆使して船を制御しようとするが、船は見えない巨大な力によって渦の中心へと容赦なく引き寄せられていく。海面が盛り上がり、まるで海そのものが生きているかのように蠢いている。

 その巨大な渦の奥底から、ゆっくりと何か想像を絶するほど巨大な影が浮かび上がってきた――。

 海水が不気味に泡立ち、まるで地獄の底から何かが這い上がってくるような恐怖感が船全体を包み込む。この海域に潜んでいた、おそらく黒羽同盟が最後の切り札として用意していた究極の海の魔物が、ついにその姿を現そうとしていた。

「みんな、しっかり掴まれ! これまでとは桁違いの相手が来るぞ!」

 俺の警告が海風に響く中、渦の中心から巨大な触手のような影がゆらりと立ち上がり、《セイレーン号》を見下ろすように聳え立った――。
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