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第6章 ヴァルメリア
第26話 ヴァルメリアへの道程と束の間の平穏
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カローネの港での激戦から三日が経った。
俺たちは港で最低限の補給を済ませ、次なる目的地――内陸最大級の交易都市《ヴァルメリア》を目指して出発した。この決断は容易ではなかったが、刺青の男が残した金属片の紋章と、これまでの黒羽同盟の行動パターンを分析すれば、避けて通れない道だった。
ヴァルメリアは広大な平原の中心部に位置し、この大陸の全ての地方から延びる交易路が星状に交差する重要な要衝だ。港からの新鮮な海産物、山地からの貴重な鉱物、肥沃な平原からの豊富な農作物が一堂に集まる。つまり、この地域全体の経済活動の中枢と言っても過言ではない。そんな戦略的に重要な場所に、巨大犯罪組織である黒羽同盟が目をつけないはずがない。
そして何より、例の刺青の男が意図的に残していった金属片には、この都市の公式紋章が明確に刻まれていた。俺たちがここに向かわざるを得ない理由は、もはや山のように積み重なっている。
◆
潮風の香りが漂う港町を後にすると、海の塩気を含んだ空気が徐々に遠ざかり、代わりに内陸特有の湿った草の匂いと、太陽に温められた乾いた土埃の香りが鼻をくすぐるようになった。季節の移り変わりと共に、景色も海岸部から内陸部へと確実に変化している。
俺は翼を大きく広げて心地よい上空を滑空し、下を歩く仲間二人の様子を見下ろした。
バルグは相変わらず重い荷物を片手で軽々と担ぎながら、鼻歌を口ずさんでいる。歴戦の戦士らしからぬ軽快さだが、あの圧倒的な筋力があればこそ可能な芸当だろう。戦闘では恐ろしい破壊力を発揮する彼だが、平時のこうした姿は意外にも親しみやすい。
リィナは腰の薬草袋を軽やかに揺らしながら歩き、道端に自生している野草を見つけては立ち止まってせっせと摘み取っている。薬師として常に素材を集める習慣が身についており、こういう地道で継続的な活動が、戦場で俺たちの命を何度も救ってきた。
俺はというと――
(……深刻な甘味不足だ)
激しい戦いの緊張が完全に解けた瞬間、胃袋が強烈な主張を始めていた。港で手に入れた貴重な保存果実は、気がつけば既に全部食べ尽くしてしまっている。戦闘中は生存本能が優先されて気にならなかったが、今は脳内の思考の半分以上が「糖分」という単語で占められていると言っても過言ではない。
◆
そう思った矢先、まるで運命に導かれるかのように、道端に小さな行商の露店が見えた。
古びた木箱に山盛りになった琥珀色の飴玉が、陽光を受けて宝石のように美しく輝いている。甘い香りが風に乗ってここまで届き、しかも表示を見ると果汁入りの高級品らしい。見ているだけで唾液が分泌される。
……次の瞬間、気がつけば俺は翼を全開に広げ、音速に近い勢いで露店へ着地していた。自分でも驚くほどの反射的な行動だった。
「いらっしゃ……おお!? お、お客さん、鷲!? しかも財布持ってる!?」
行商の親父が目を丸くして驚いている。
「持ってる(リィナの)」
数秒遅れて息を切らしながら追いついたリィナが、呆れ果てた表情で額に手を当ててため息をつく。
「……また勝手に人の財布を使おうとしてないでしょうね」
「いや、これは正当な治療行為の一環だ。糖分補給は重要な医療行為であり、決して私欲に基づく行動では――」
「その言い訳、この前も港の果物屋で全く同じこと聞いたわ」
最終的に、「一袋だけよ」という条件付きで購入許可が下りた。俺は嘴で飴の袋を器用にくわえ、勝利の証として羽ばたきを一発。
◆
再び街道を進む途中、バルグが妙に真顔になってぼそっと言った。
「なぁ……お前が甘味に釣られる性質、もし敵にバレたら相当やばくないか?」
「……確かに、ありえるな」
脳裏に浮かぶ恐ろしい光景――戦場の真ん中に山盛りの新鮮な果物が戦略的に置かれ、理性を失って無意識に飛び込んでいく自分の姿。
「いや、それは……その……流石にそこまでは……」
横からリィナが氷のように冷ややかな目を向ける。
「じゃあ今度から、目の前に美味しそうな果物を置かれても絶対に我慢する訓練をしましょうね」
「そんな人権を無視した拷問があるか!」
軽口を叩きながらも、俺たちは黙々と歩き続けた。道は徐々に平坦な平原から起伏のある丘陵地帯へと変化し、やがて遠くの地平線に巨大な石壁が見えてきた。
◆
その道中、小川を渡る際に予期しない事件が起きた。
川辺で喉の渇きを癒そうと水を飲んでいた旅人が、石に足を滑らせて勢いよく川に落ちた。落ちた拍子に背負っていた大きな荷物が流され、川下の危険な早瀬へ向かって流されていく。
俺は即座に翼を広げて飛び立ち、流される荷物を空中から鋭い爪で掴み上げる。予想以上に重いが、まだ何とか持ち上げられる重量だった。安全な岸辺まで運んで旅人に渡すと、彼は涙目になって深々と頭を下げた。
「本当に助かりました! 命の恩人です! これ、少ないですがお礼に……」
差し出された包みを開くと、中から出てきたのは――色とりどりのドライフルーツの豪華な詰め合わせ。
俺は思わずリィナを振り返った。
「……これは正当な治療行為の一環だ」
「はいはい、今度はちゃんと正当性があるわね」
バルグは愉快そうに笑いながら、「お前の食欲がたまに人助けに役立つのが不思議だな」と俺の背中を軽く叩いてきた。
◆
夕日が西の空を赤く染め始めた頃、ついにヴァルメリアの壮大な全貌が視界に現れた。
高さ十数メートルの堅固な城壁が夕陽を受けて黄金色に輝き、その内側には整然と区画整理された石造りの美しい街並みが整然と覗いている。街道には各地からやってきた商人や旅人が長い列をなし、様々な地方の特産物を積んだ荷車が次々と重厚な門をくぐっていく。まさに交易都市の活気に満ちた光景だった。
しかし、その一見活気ある光景の裏側に、経験豊富な俺たちには微かな違和感が感じられた。門の周辺には通常よりもはるかに多い数の武装兵士が立ち、出入りする人々の荷物検査が異常なほど厳格で時間をかけて行われている。空気に漂う緊張感は、カローネ港で感じたものと全く同じ種類の不穏なものだった。
「……やっぱり、既に黒羽同盟の暗い影が深く入り込んでるな」
俺の不安な呟きに、バルグとリィナも深刻な表情で黙ってうなずく。
甘味で一時的に油断していた舌の奥に、再び鉄のような苦い味が広がった。ここから先は、港での戦いとは比べものにならない規模の、より危険で複雑な戦いになるかもしれない――。
俺たちは港で最低限の補給を済ませ、次なる目的地――内陸最大級の交易都市《ヴァルメリア》を目指して出発した。この決断は容易ではなかったが、刺青の男が残した金属片の紋章と、これまでの黒羽同盟の行動パターンを分析すれば、避けて通れない道だった。
ヴァルメリアは広大な平原の中心部に位置し、この大陸の全ての地方から延びる交易路が星状に交差する重要な要衝だ。港からの新鮮な海産物、山地からの貴重な鉱物、肥沃な平原からの豊富な農作物が一堂に集まる。つまり、この地域全体の経済活動の中枢と言っても過言ではない。そんな戦略的に重要な場所に、巨大犯罪組織である黒羽同盟が目をつけないはずがない。
そして何より、例の刺青の男が意図的に残していった金属片には、この都市の公式紋章が明確に刻まれていた。俺たちがここに向かわざるを得ない理由は、もはや山のように積み重なっている。
◆
潮風の香りが漂う港町を後にすると、海の塩気を含んだ空気が徐々に遠ざかり、代わりに内陸特有の湿った草の匂いと、太陽に温められた乾いた土埃の香りが鼻をくすぐるようになった。季節の移り変わりと共に、景色も海岸部から内陸部へと確実に変化している。
俺は翼を大きく広げて心地よい上空を滑空し、下を歩く仲間二人の様子を見下ろした。
バルグは相変わらず重い荷物を片手で軽々と担ぎながら、鼻歌を口ずさんでいる。歴戦の戦士らしからぬ軽快さだが、あの圧倒的な筋力があればこそ可能な芸当だろう。戦闘では恐ろしい破壊力を発揮する彼だが、平時のこうした姿は意外にも親しみやすい。
リィナは腰の薬草袋を軽やかに揺らしながら歩き、道端に自生している野草を見つけては立ち止まってせっせと摘み取っている。薬師として常に素材を集める習慣が身についており、こういう地道で継続的な活動が、戦場で俺たちの命を何度も救ってきた。
俺はというと――
(……深刻な甘味不足だ)
激しい戦いの緊張が完全に解けた瞬間、胃袋が強烈な主張を始めていた。港で手に入れた貴重な保存果実は、気がつけば既に全部食べ尽くしてしまっている。戦闘中は生存本能が優先されて気にならなかったが、今は脳内の思考の半分以上が「糖分」という単語で占められていると言っても過言ではない。
◆
そう思った矢先、まるで運命に導かれるかのように、道端に小さな行商の露店が見えた。
古びた木箱に山盛りになった琥珀色の飴玉が、陽光を受けて宝石のように美しく輝いている。甘い香りが風に乗ってここまで届き、しかも表示を見ると果汁入りの高級品らしい。見ているだけで唾液が分泌される。
……次の瞬間、気がつけば俺は翼を全開に広げ、音速に近い勢いで露店へ着地していた。自分でも驚くほどの反射的な行動だった。
「いらっしゃ……おお!? お、お客さん、鷲!? しかも財布持ってる!?」
行商の親父が目を丸くして驚いている。
「持ってる(リィナの)」
数秒遅れて息を切らしながら追いついたリィナが、呆れ果てた表情で額に手を当ててため息をつく。
「……また勝手に人の財布を使おうとしてないでしょうね」
「いや、これは正当な治療行為の一環だ。糖分補給は重要な医療行為であり、決して私欲に基づく行動では――」
「その言い訳、この前も港の果物屋で全く同じこと聞いたわ」
最終的に、「一袋だけよ」という条件付きで購入許可が下りた。俺は嘴で飴の袋を器用にくわえ、勝利の証として羽ばたきを一発。
◆
再び街道を進む途中、バルグが妙に真顔になってぼそっと言った。
「なぁ……お前が甘味に釣られる性質、もし敵にバレたら相当やばくないか?」
「……確かに、ありえるな」
脳裏に浮かぶ恐ろしい光景――戦場の真ん中に山盛りの新鮮な果物が戦略的に置かれ、理性を失って無意識に飛び込んでいく自分の姿。
「いや、それは……その……流石にそこまでは……」
横からリィナが氷のように冷ややかな目を向ける。
「じゃあ今度から、目の前に美味しそうな果物を置かれても絶対に我慢する訓練をしましょうね」
「そんな人権を無視した拷問があるか!」
軽口を叩きながらも、俺たちは黙々と歩き続けた。道は徐々に平坦な平原から起伏のある丘陵地帯へと変化し、やがて遠くの地平線に巨大な石壁が見えてきた。
◆
その道中、小川を渡る際に予期しない事件が起きた。
川辺で喉の渇きを癒そうと水を飲んでいた旅人が、石に足を滑らせて勢いよく川に落ちた。落ちた拍子に背負っていた大きな荷物が流され、川下の危険な早瀬へ向かって流されていく。
俺は即座に翼を広げて飛び立ち、流される荷物を空中から鋭い爪で掴み上げる。予想以上に重いが、まだ何とか持ち上げられる重量だった。安全な岸辺まで運んで旅人に渡すと、彼は涙目になって深々と頭を下げた。
「本当に助かりました! 命の恩人です! これ、少ないですがお礼に……」
差し出された包みを開くと、中から出てきたのは――色とりどりのドライフルーツの豪華な詰め合わせ。
俺は思わずリィナを振り返った。
「……これは正当な治療行為の一環だ」
「はいはい、今度はちゃんと正当性があるわね」
バルグは愉快そうに笑いながら、「お前の食欲がたまに人助けに役立つのが不思議だな」と俺の背中を軽く叩いてきた。
◆
夕日が西の空を赤く染め始めた頃、ついにヴァルメリアの壮大な全貌が視界に現れた。
高さ十数メートルの堅固な城壁が夕陽を受けて黄金色に輝き、その内側には整然と区画整理された石造りの美しい街並みが整然と覗いている。街道には各地からやってきた商人や旅人が長い列をなし、様々な地方の特産物を積んだ荷車が次々と重厚な門をくぐっていく。まさに交易都市の活気に満ちた光景だった。
しかし、その一見活気ある光景の裏側に、経験豊富な俺たちには微かな違和感が感じられた。門の周辺には通常よりもはるかに多い数の武装兵士が立ち、出入りする人々の荷物検査が異常なほど厳格で時間をかけて行われている。空気に漂う緊張感は、カローネ港で感じたものと全く同じ種類の不穏なものだった。
「……やっぱり、既に黒羽同盟の暗い影が深く入り込んでるな」
俺の不安な呟きに、バルグとリィナも深刻な表情で黙ってうなずく。
甘味で一時的に油断していた舌の奥に、再び鉄のような苦い味が広がった。ここから先は、港での戦いとは比べものにならない規模の、より危険で複雑な戦いになるかもしれない――。
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