空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第6章 ヴァルメリア

第28話 北塔の影、闇夜の追跡

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 夜――ヴァルメリアの街は昼間とは完全に別の顔を見せていた。

 日中の活気ある喧騒は嘘のように静まり返り、大通りの灯りは必要最小限に控えめになり、狭い裏路地には油断ならない濃い影が重苦しく沈んでいる。石造りの建物の間を縫って吹く夜風は冷たく、どこからか夜行性の鳥の鳴き声が不気味に響いてくる。昼間の商業都市の活気とは対照的に、夜のヴァルメリアには緊張感と危険の匂いが漂っていた。

 二人は目立たない黒い外套で全身を包み、城壁北側にそびえる古い監視塔へと慎重に向かった。日没後にだけ現れるという黒羽同盟の旗――その謎めいた意味を突き止め、組織の活動実態を掴むためだ。

「警備の巡回は三人一組で編成されていて、五分ごとに規則正しく交代してる」

 バルグが長時間の観察で得た情報を、聞こえないほど低い声で共有する。歴戦の戦士らしく、敵の行動パターンを正確に把握していた。

「市場の裏通りから大きく回り込めば、警備の死角になる場所があるわ」

 リィナは事前に入手した詳細な地図を指で示しながら、最適な侵入ルートを提案する。薬師としての慎重さが、こうした作戦でも発揮されている。

 俺は翼を軽く広げ、上空からの監視と全体統制を担当する。人の背丈をはるかに超える高い建物が密集しているこの街では、屋根の影から影へと縫うように飛べば、そう簡単には発見されることはない。鷲の夜目の良さが最大限に活かせる環境だった。



 北塔は確かに古びているが、基礎構造は予想以上に頑丈だった。長年の風雨にさらされた石壁の隙間には緑の苔が厚く生え、所々に古い蔦が複雑に絡まっている。昼間に見れば単なる歴史的建造物に過ぎないが、夜闇の中では不気味な威圧感を放っていた。

 その屋上には、情報通り黒羽同盟の旗がゆらりと風に翻っている。月明かりを背景に、黒い羽の紋章が不吉に浮かび上がる光景は、まるで悪夢のようだった。

 塔の重厚な入口は二人の武装した衛兵が厳重に警戒していた。表情は硬く、目の動きに一切の無駄がない。明らかに訓練された職業軍人で、普通に正面突破するのは現実的ではない。

「どうする?」

 俺が屋根の上から翼で合図を送ると、バルグが自信に満ちた表情で口の端を上げた。

「俺が正面で少し派手に騒ぎを起こしてやる。お前は上空から侵入しろ」

 ……こういう時のバルグは本当に頼もしい。単純だが効果的な陽動作戦だ。



 計画通り、バルグが石畳をわざと音高く踏み鳴らしながら、堂々と塔の前に現れた。

「おい、そこで何をしている! ここは夜間通行止めだ!」

 と警備の衛兵が警告の声を上げる。

 その瞬間を狙って、俺は翼を体に密着させて一気に急降下し、塔の中腹にある人目につかない小窓から内部へと音もなく滑り込んだ。

 塔の内部はほの暗く、長年使われていない建物特有のかび臭い空気が淀んで漂っている。古い木材の軋む音と、どこかから滴る水音が不気味に響く。

 石の階段を足音を殺して静かに上りながら耳を澄ますと、二階から小声での会話が聞こえてきた。

「……今夜の積み出し作業は予定より遅れる。市場側の連中がまだ全員集まってない」
「早くしろ。上からの指示は以前より厳しくなってるんだ」

 階下の薄暗い空間には大きな木箱がいくつも規則正しく積まれており、その表面には見覚えのある刻印――黒羽同盟の毒物流通用マークがはっきりと刻まれていた。

 リィナが予定通り後から合流し、薬師としての専門知識を活かして木箱の中身をそっと確認する。

「やっぱり……粉末毒。それも相当高濃度の危険なやつよ」

 眉をひそめながら、証拠として小瓶に少量だけサンプルを慎重に採取した。



 だが、油断は禁物だった。

 突然、背後で古い床板が不吉に軋む音がした。まるで誰かが慎重に足音を忍ばせているような音だった。

「誰だ――!」

 振り返ると、全身を黒い布で覆った細身の男が、鋭い短剣を構えて無音で立っていた。普通の衛兵ではない。その身のこなしと気配を完全に消す技術からして、黒羽同盟の専門的な潜入工作員に違いない。

 俺は翼を大きく広げて威嚇し、鋭い嘴で相手の武器を正確に弾き飛ばす。

 男はひらりと軽やかに後退し、すぐに腰の別の短剣を素早く抜いて戦闘態勢を取り直す。動きは確かに速いが、正面からの一対一ならバルグほどの脅威ではない――と思った矢先。

「バルグ、後ろから来るぞ!」

 階段側からもう一人の黒装束が音もなく飛び出してきた。二人同時の連携攻撃――さすがは組織的に訓練された暗殺者集団だ。

 バルグが重い戦斧で一人を力強く牽制し、俺がもう一人を空中からの機動力で押さえ込む。短時間だが激しい格闘の末、二人とも床に倒れて意識を失った。



「こいつら、間違いなく夜ごと物資を運び出してる連中だな」

 バルグが気絶した男たちを縄で縛り上げながら、その腰袋を詳しく探ると、そこから市場裏の倉庫の重厚な鍵が出てきた。

 つまり、この塔は単なる一時保管場所で、毒物は市場裏の秘密拠点を経由して組織的に都市外へ運ばれている――そういう巧妙な流通構図だ。

「……市場の裏倉庫を一気に押さえれば、毒物の流通ルートを完全に止められるかもしれない」

 リィナが冷静に戦略的分析を行う。

 だが、まさにその時――塔の外から低く響く角笛の音が夜空を震わせた。敵が異常事態を察知し、増援を呼んだ緊急合図だ。

「撤収だ。今は敵の拠点位置を掴んだだけで十分な成果だ」

 俺たちは影のように静かに塔を離れ、月明かりの下を縫って、次の決定的な行動を練るため宿へと足音を殺して戻った。今夜の潜入で得た情報は、黒羽同盟の組織を壊滅させる重要な鍵となるはずだった。

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