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第6章 ヴァルメリア
第37話 坑道の影を駆ける
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垂れ下がったロープを握り、リィナが軽やかに降下する。
彼女の動きは猫のように滑らかで、足音一つ立てずに地面に着地した。弓の技術だけでなく、身体能力も一流の証拠だ。彼女は着地するとすぐに弓を引き絞り、俺を囲む黒装束たちへ毒矢を放った。一本、二本――矢は音もなく敵の腕や足に突き刺さり、即座に動きを奪っていく。
敵の一人が膝を付き、続いて別の男が武器を取り落とす。リィナの毒は確実に効果を発揮し、戦闘不能にしていく。しかし、殺すのではなく無力化に留めているのは、さすが薬師の配慮だった。
「遅れてごめん。おやつに釣られたおかげで、入り口が見つかったわ」
「……笑えない冗談だな」
俺は苦笑いを浮かべながら答えた。確かに結果オーライだが、もう少し慎重になるべきだったかもしれない。
続いてバルグがロープを握って降下――いや、落下に近い勢いだった。彼の巨体がロープにぶら下がる光景は、どこか滑稽でもある。着地の衝撃で地面が揺れ、近くの松明が倒れ火花が散る。石造りの坑道に彼の重量が響き、まるで小さな地震のようだった。
戦斧を振るうたび、坑道の壁に打ち付けられる金属音がこだまする。バルグの豪快な戦闘スタイルは、狭い地下空間でも威力を発揮していた。残った敵たちは彼の迫力に圧倒され、戦意を失っているようだった。
数分後、坑道入口付近の敵は全員沈黙した。
しかし、安心するのは早かった。奥から響く足音と低い金属音が、次の戦いがすぐそこにあることを告げていた。車輪の音か、それとも武器を引きずる音か――いずれにせよ、まだ多くの敵が待ち構えていることは間違いない。
◆
坑道の奥へ進むにつれ、空気は重く湿り、鉱山特有の冷気が肌を刺した。
地下深くに来ると、外気との温度差が顕著になる。湿度も高く、衣服が肌に張り付くような不快感がある。壁面にはところどころ新しい木材で補強された跡があり、明らかに最近使われている。古い鉱山の構造を利用しつつ、必要な部分だけを修復している。隠れ家としては理想的な立地だ。
松明の明かりが壁面を照らすと、採掘当時の工具が錆びついたまま放置されているのが見える。つるはしやシャベル、運搬用の手押し車――すべてが時の流れを物語っている。しかし、その間に新しい道具や補給品が置かれているのも確認できた。
やがて、前方の闇の中から声が響いた。
「やはり来たか――翼の騎士」
その声は記憶にある。炎の揺らめきの中から現れたのは、あの女剣士だった。眼帯の下の片目が鋭く光り、銀髪が松明の明かりに照らされて金色に輝いている。その背後には十数人の黒装束が扇状に布陣している。数的には圧倒的に不利だが、俺たちも手強い相手だということを敵も理解しているはずだ。
「ここから先は通せない。必要な物は、もう我々のものだ」
彼女の声には絶対的な自信が込められていた。何か切り札を持っているのか、それとも純粋に戦力に自信があるのか。いずれにせよ、簡単には通してくれそうにない。
彼女は剣を抜き、同時に坑道の壁に仕掛けられた鎖を引いた。ガシャン、と重い音が響き、天井から鉄格子が落ち、通路が三つに分断される。まるで牢獄のような仕掛けだ。さらに、側壁の穴から黒い煙が噴き出し始めた――息をすると喉が焼けるような刺激臭。
「毒ガスだ!」
リィナが即座に布で口と鼻を覆う。薬師としての経験から、この手の危険物質には敏感だ。俺は翼で風を起こし、ガスを押し戻すが、視界は悪化する一方だった。狭い坑道では、翼による風の効果も限定的だ。
目が痛み、鼻の奥がひりひりする。呼吸するたびに胸が苦しくなり、このままでは戦闘どころではなくなってしまう。
◆
混乱の中、女剣士は背後の部下に何かを合図した。
彼らが押していたのは、車輪付きの大型木箱――いや、よく見ると、その内部は金属製の装置で覆われていた。複雑な配管と圧力計、そして複数の投入口が見える。ただの運搬用の箱ではない。これは何かの機械装置だ。
リィナが一目見て青ざめる。
「あれ……移動式の毒物製造装置よ。液体や粉末を現場で混合して、即座に毒を作れる……!」
俺は愕然とした。つまり、黒羽同盟は毒物を運ぶのではなく、"毒を作る工場"ごと運び出していたのだ。港封鎖や火災は、そのための目くらましに過ぎなかった。これがあれば、どこででも大量の毒を製造できる。街の水源でも、食料倉庫でも、人が集まる場所ならどこでも大量殺戮が可能になってしまう。
「なんて恐ろしいものを……」
バルグも装置の意味を理解し、顔を青ざめさせている。これは単なる武器ではない。街全体を人質に取れる究極の脅迫材料だ。
◆
格子の隙間から突き出される槍をかわしつつ、俺は翼で鎖を切り、通路の封鎖を解除した。
翼の羽根は鋼鉄のように硬く、鎖程度なら容易く切断できる。鉄格子が音を立てて崩れ落ち、通路が再び開通した。その瞬間、バルグが怒号と共に突進――敵を左右に弾き飛ばし、装置に迫る。
彼の突進力は凄まじく、黒装束たちは次々と壁に叩きつけられていく。戦斧を振り回すたびに、敵の武器が砕け散る音が響く。装置まで、あと数メートル――
しかし、女剣士はバルグの戦斧を紙一重でかわし、剣の切っ先でロープを切った。そのロープは何かの仕掛けに繋がっていたようで、切れた瞬間に坑道の奥で爆発音が響いた。
地面が激しく揺れ、天井から土砂が降り注ぐ。壁が崩れ始め、坑道全体が崩落の危機に瀕している。
「ここで死ぬか、命惜しさに毒を持ち出す私を見送るか――選べ」
挑発的な笑みを浮かべたまま、女剣士は装置と共に後方の坑道へ消えていく。部下たちも慌てて装置を押し、別の出口へ向かっているようだ。崩落は加速し、岩と土が次々と通路を塞いでいく。
「くそっ……またやられた!」
俺は悔しさに歯ぎしりするが、今は撤退するしかない。このまま坑道に留まれば、俺たち全員が生き埋めになってしまう。
◆
「全員、退避!」
俺たちは生き延びることを優先し、撤退を開始した。
天井から落ちてくる岩を避けながら、来た道を急いで戻る。背後では装置の金属音が遠ざかり、やがてそれも崩落の轟音にかき消された。女剣士たちは別の出口から脱出したようで、その音も聞こえなくなった。
リィナが俺の翼に掴まり、バルグは必死に走る。坑道の壁が左右から迫ってくるような錯覚を覚えながら、俺たちは出口を目指した。
外に出た時には、坑道入口は完全に瓦礫で塞がれていた。
巨大な岩が入り口を完全に封鎖し、もはや中に入ることは不可能だった。夜風を吸い込みながら、バルグが悔しげに拳を握る。清浄な外気が肺に入ると、毒ガスの影響で荒れた喉が少し楽になった。
「奴ら、また一歩先を行きやがった……」
「でも、装置の存在は突き止めた。次は必ず奪う」
リィナの言葉に、俺も頷く。敗北は悔しいが、貴重な情報は得られた。移動式毒物製造装置――これこそが黒羽同盟の切り札だったのだ。
俺は夜空を見上げた。
月は雲間に隠れ、黒羽のような影が闇を滑っていくように見えた――まるで、敵の笑い声が風に混じっているかのように。星も雲に隠れ、夜は深く静寂に包まれている。しかし、その静寂の中に不吉な予感が漂っていた。
「これで終わりじゃない。むしろ、本当の戦いはこれからだ」
俺はそうつぶやき、仲間たちと共に街への帰路についた。黒羽同盟との戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。移動式の装置があれば、彼らはどこにでも現れ、どこででも毒を製造できる。次の一手を考えなければならない。
街の明かりが遠くに見える中、俺たちは重い足取りで歩き続けた。今夜の敗北を次の勝利に繋げるために、新たな戦略を練る必要があった。
彼女の動きは猫のように滑らかで、足音一つ立てずに地面に着地した。弓の技術だけでなく、身体能力も一流の証拠だ。彼女は着地するとすぐに弓を引き絞り、俺を囲む黒装束たちへ毒矢を放った。一本、二本――矢は音もなく敵の腕や足に突き刺さり、即座に動きを奪っていく。
敵の一人が膝を付き、続いて別の男が武器を取り落とす。リィナの毒は確実に効果を発揮し、戦闘不能にしていく。しかし、殺すのではなく無力化に留めているのは、さすが薬師の配慮だった。
「遅れてごめん。おやつに釣られたおかげで、入り口が見つかったわ」
「……笑えない冗談だな」
俺は苦笑いを浮かべながら答えた。確かに結果オーライだが、もう少し慎重になるべきだったかもしれない。
続いてバルグがロープを握って降下――いや、落下に近い勢いだった。彼の巨体がロープにぶら下がる光景は、どこか滑稽でもある。着地の衝撃で地面が揺れ、近くの松明が倒れ火花が散る。石造りの坑道に彼の重量が響き、まるで小さな地震のようだった。
戦斧を振るうたび、坑道の壁に打ち付けられる金属音がこだまする。バルグの豪快な戦闘スタイルは、狭い地下空間でも威力を発揮していた。残った敵たちは彼の迫力に圧倒され、戦意を失っているようだった。
数分後、坑道入口付近の敵は全員沈黙した。
しかし、安心するのは早かった。奥から響く足音と低い金属音が、次の戦いがすぐそこにあることを告げていた。車輪の音か、それとも武器を引きずる音か――いずれにせよ、まだ多くの敵が待ち構えていることは間違いない。
◆
坑道の奥へ進むにつれ、空気は重く湿り、鉱山特有の冷気が肌を刺した。
地下深くに来ると、外気との温度差が顕著になる。湿度も高く、衣服が肌に張り付くような不快感がある。壁面にはところどころ新しい木材で補強された跡があり、明らかに最近使われている。古い鉱山の構造を利用しつつ、必要な部分だけを修復している。隠れ家としては理想的な立地だ。
松明の明かりが壁面を照らすと、採掘当時の工具が錆びついたまま放置されているのが見える。つるはしやシャベル、運搬用の手押し車――すべてが時の流れを物語っている。しかし、その間に新しい道具や補給品が置かれているのも確認できた。
やがて、前方の闇の中から声が響いた。
「やはり来たか――翼の騎士」
その声は記憶にある。炎の揺らめきの中から現れたのは、あの女剣士だった。眼帯の下の片目が鋭く光り、銀髪が松明の明かりに照らされて金色に輝いている。その背後には十数人の黒装束が扇状に布陣している。数的には圧倒的に不利だが、俺たちも手強い相手だということを敵も理解しているはずだ。
「ここから先は通せない。必要な物は、もう我々のものだ」
彼女の声には絶対的な自信が込められていた。何か切り札を持っているのか、それとも純粋に戦力に自信があるのか。いずれにせよ、簡単には通してくれそうにない。
彼女は剣を抜き、同時に坑道の壁に仕掛けられた鎖を引いた。ガシャン、と重い音が響き、天井から鉄格子が落ち、通路が三つに分断される。まるで牢獄のような仕掛けだ。さらに、側壁の穴から黒い煙が噴き出し始めた――息をすると喉が焼けるような刺激臭。
「毒ガスだ!」
リィナが即座に布で口と鼻を覆う。薬師としての経験から、この手の危険物質には敏感だ。俺は翼で風を起こし、ガスを押し戻すが、視界は悪化する一方だった。狭い坑道では、翼による風の効果も限定的だ。
目が痛み、鼻の奥がひりひりする。呼吸するたびに胸が苦しくなり、このままでは戦闘どころではなくなってしまう。
◆
混乱の中、女剣士は背後の部下に何かを合図した。
彼らが押していたのは、車輪付きの大型木箱――いや、よく見ると、その内部は金属製の装置で覆われていた。複雑な配管と圧力計、そして複数の投入口が見える。ただの運搬用の箱ではない。これは何かの機械装置だ。
リィナが一目見て青ざめる。
「あれ……移動式の毒物製造装置よ。液体や粉末を現場で混合して、即座に毒を作れる……!」
俺は愕然とした。つまり、黒羽同盟は毒物を運ぶのではなく、"毒を作る工場"ごと運び出していたのだ。港封鎖や火災は、そのための目くらましに過ぎなかった。これがあれば、どこででも大量の毒を製造できる。街の水源でも、食料倉庫でも、人が集まる場所ならどこでも大量殺戮が可能になってしまう。
「なんて恐ろしいものを……」
バルグも装置の意味を理解し、顔を青ざめさせている。これは単なる武器ではない。街全体を人質に取れる究極の脅迫材料だ。
◆
格子の隙間から突き出される槍をかわしつつ、俺は翼で鎖を切り、通路の封鎖を解除した。
翼の羽根は鋼鉄のように硬く、鎖程度なら容易く切断できる。鉄格子が音を立てて崩れ落ち、通路が再び開通した。その瞬間、バルグが怒号と共に突進――敵を左右に弾き飛ばし、装置に迫る。
彼の突進力は凄まじく、黒装束たちは次々と壁に叩きつけられていく。戦斧を振り回すたびに、敵の武器が砕け散る音が響く。装置まで、あと数メートル――
しかし、女剣士はバルグの戦斧を紙一重でかわし、剣の切っ先でロープを切った。そのロープは何かの仕掛けに繋がっていたようで、切れた瞬間に坑道の奥で爆発音が響いた。
地面が激しく揺れ、天井から土砂が降り注ぐ。壁が崩れ始め、坑道全体が崩落の危機に瀕している。
「ここで死ぬか、命惜しさに毒を持ち出す私を見送るか――選べ」
挑発的な笑みを浮かべたまま、女剣士は装置と共に後方の坑道へ消えていく。部下たちも慌てて装置を押し、別の出口へ向かっているようだ。崩落は加速し、岩と土が次々と通路を塞いでいく。
「くそっ……またやられた!」
俺は悔しさに歯ぎしりするが、今は撤退するしかない。このまま坑道に留まれば、俺たち全員が生き埋めになってしまう。
◆
「全員、退避!」
俺たちは生き延びることを優先し、撤退を開始した。
天井から落ちてくる岩を避けながら、来た道を急いで戻る。背後では装置の金属音が遠ざかり、やがてそれも崩落の轟音にかき消された。女剣士たちは別の出口から脱出したようで、その音も聞こえなくなった。
リィナが俺の翼に掴まり、バルグは必死に走る。坑道の壁が左右から迫ってくるような錯覚を覚えながら、俺たちは出口を目指した。
外に出た時には、坑道入口は完全に瓦礫で塞がれていた。
巨大な岩が入り口を完全に封鎖し、もはや中に入ることは不可能だった。夜風を吸い込みながら、バルグが悔しげに拳を握る。清浄な外気が肺に入ると、毒ガスの影響で荒れた喉が少し楽になった。
「奴ら、また一歩先を行きやがった……」
「でも、装置の存在は突き止めた。次は必ず奪う」
リィナの言葉に、俺も頷く。敗北は悔しいが、貴重な情報は得られた。移動式毒物製造装置――これこそが黒羽同盟の切り札だったのだ。
俺は夜空を見上げた。
月は雲間に隠れ、黒羽のような影が闇を滑っていくように見えた――まるで、敵の笑い声が風に混じっているかのように。星も雲に隠れ、夜は深く静寂に包まれている。しかし、その静寂の中に不吉な予感が漂っていた。
「これで終わりじゃない。むしろ、本当の戦いはこれからだ」
俺はそうつぶやき、仲間たちと共に街への帰路についた。黒羽同盟との戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。移動式の装置があれば、彼らはどこにでも現れ、どこででも毒を製造できる。次の一手を考えなければならない。
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