空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第6章 ヴァルメリア

第38話 影流(かげなが)る裏水路

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 坑道を脱出してから三日。

 俺たちは港湾管理局の一室を借り、昼夜を問わず情報収集を続けていた。机の上には地図と報告書が散乱し、空になったインクの瓶が転がっている。窓の外では港封鎖が続いており、商船の船主たちが衛兵に抗議する声が時折聞こえてきた。だが、その厳重な封鎖にも関わらず、黒羽同盟の活動が完全に止まった様子はない。

 黒羽同盟の動きは一見沈黙しているようで、裏では活発に動いている。港封鎖が続く中でも、彼らは港を使わず物資や人員を移動させるルートを確保しているはずだった。毒物製造装置のような重要な物資を、簡単に諦めるような組織ではない。必ずどこかで活動を継続しているはずだ。

 部屋の隅では、リィナが押収したカリュム蒸留液の分析を続けている。彼女の表情は真剣そのもので、わずかな手がかりも見逃すまいと集中していた。バルグは地図に向かい、黒羽同盟が使いそうなルートを赤いインクで印をつけている。

 その糸口が、意外なところから舞い込んだ。

 港の荷役労働者のひとりが、「夜中に河口近くで黒装束の連中が大きな荷を船に積み替えていた」と衛兵隊に報告したのだ。彼は夜釣りの帰りにたまたまその光景を目撃したという。普段なら酔っ払いの戯言として片付けられるところだが、現在の状況では貴重な情報だった。

 彼の話によれば、その船は港に入らず、沿岸沿いを逆流するように川へと入っていったという。船は小型で、櫓の音も極力抑えているようだった。明らかに人目を避けて移動している船だ。

 俺たちは地図を広げ、そのルートを追った。

 川は港の北東に流れ込み、そこから上流へ向かう途中に、廃村と化した集落がある。かつては漁業で栄えた村だったが、十年ほど前に洪水で壊滅し、住民は皆街へ移住してしまった。今では廃屋が点在するだけの場所だ。そこから先は、人の手が長らく入っていない"裏水路"と呼ばれる支流へと分岐していた。

「裏水路……表の航路監視を避けるなら、確かに格好の抜け道だ」

 バルグが腕を組んでうなずく。彼の戦略眼は確かで、敵の思考を読むのが得意だ。

「問題は、あそこは浅瀬と岩場が多いってこと。普通の船じゃ通れない」

 リィナが地図上の印を指しながら指摘する。裏水路は名前の通り、表の航路では使えない危険な水路だ。水深が浅く、隠れた岩も多い。地元の漁師でも避けて通る場所だった。

「だからこそ、軽くて早い小舟を使ってるんだろうな」

 俺はくちばしの奥で舌打ちした。裏水路は曲がりくねって木々に覆われ、上空からでも発見が難しい。密生した柳の枝が水面を覆い、まるで緑のトンネルのような場所もある。だが、飛べる俺なら、月明かりさえあれば追える。鷲の目は夜でも鋭く、わずかな動きも見逃さない。

 「今夜は満月に近い。追跡には最適だ」

 リィナが窓の外を見上げながら言った。確かに、雲の切れ間から覗く月は明るく、夜間飛行には十分な明かりを提供してくれるだろう。



 作戦は単純だった。

 俺が夜間飛行で船団を追跡し、進路と到着予定地を地上の二人に伝える。リィナとバルグは裏水路の出口付近に先回りし、装置ごと押収する。単純だが効果的な挟み撃ち作戦だ。敵が水路から出てきた瞬間を狙い撃ちする。

 地図を確認すると、裏水路の出口は三ヶ所ある。本流との合流地点、古い水車小屋の近く、そして廃村の船着き場だ。どこから出てくるかは分からないが、俺が上空から監視していれば見逃すことはない。

 日没、俺は港の監視塔の上から翼を広げた。

 高い塔の上は風が強く、翼が自然と広がる。潮風に混じって、湿った川の匂いが鼻をくすぐる。遠くの水平線には雲が立ち込め、月はその合間から覗き始めていた。夜の帳が静かに降り始め、街の明かりが一つずつ灯っていく。

「行くぞ。夜目には自信がある」

 そう言って俺は闇へ飛び立った。

 翼を大きく広げて上昇気流に乗ると、眼下に港全体が広がる。封鎖中の港は普段より静かで、巡回船の明かりだけが規則正しく動いている。俺は港を離れ、川の流れに沿って北東へ向かった。

 川沿いを低空で滑空する。

 水面は黒い絹のように静まり返っており、時折小魚が跳ねる波紋が月光を反射する。川岸には柳の木が並び、その枝が水面に垂れ下がっている。夜の川は昼間とは全く違う表情を見せ、神秘的でもあり、どこか不気味でもあった。

 やがて、前方の闇に小さな灯りが三つ、ゆらゆらと漂っているのを見つけた。

 ――いた。

 それは船首に覆いを掛けた小舟の列で、漕ぎ手は全員黒装束。櫓の音を抑え、ほとんど水音を立てず進んでいる。訓練された動きで、明らかに密航に慣れている。中央の舟は明らかに重そうで、船底が水面すれすれだ。間違いなく例の装置が積まれている。

 俺は高度を上げ、雲の影を利用して距離を保った。敵に気づかれないよう、慎重に追跡を続ける。船団は予想通り裏水路へと進路を取り、柳の枝の下を縫うように進んでいく。

 俺は距離を保ちつつ、合図用の小さな光石を翼の下から落とした。

 これは地上の二人に位置を知らせる暗号だ。光石は特殊な鉱物で、衝撃を与えると短時間だけ青く光る。石は河岸の闇に落ち、ほとんど音も光も出ないが、受信役のリィナなら必ず気づく。彼女の観察眼は鋭く、わずかな光でも見逃さない。

 船団は順調に裏水路を進んでいる。俺の計算では、出口まであと十分程度だろう。リィナとバルグが待ち伏せの準備を整える時間は十分にある。



 だが、敵も抜け目はなかった。

 最後尾の舟の一人が空を仰ぎ、何かを叫ぶ。恐らく俺の影を月明かりで発見したのだろう。次の瞬間、数本の矢が闇を裂き、俺の翼をかすめた。矢は正確で、明らかに夜間戦闘に慣れた射手の仕業だ。

「ちっ、バレたか!」

 矢は毒を塗っているのか、羽根の先がじんと痺れる。カリュム蒸留液を応用した毒かもしれない。俺は急降下で川面すれすれまで下がり、木々の影を縫うように飛ぶ。枝葉が翼に当たり、視界も制限される。しかし、これで敵の矢からは逃れることができる。

 敵は進路を変え、速度を上げた。船団はバラバラになり、それぞれが異なる方向へ散っていく。しかし、重い装置を積んだ中央の船は速度が出ない。裏水路の出口まであとわずか――そこで、地上部隊との迎撃が始まる。

 俺は暗闇の先に、リィナとバルグの影を確認した。

 月明かりの下、リィナは弓を構え、バルグは斧を肩に担いでいる。二人とも待ち伏せの態勢は完璧だ。水路の出口は狭く、船が一隻ずつしか通れない。絶好の迎撃ポイントだった。

 裏水路の水音が次第に大きくなり、敵船団は出口へと突き進む。装置を積んだ船が最初に姿を現すはずだ。俺は上空から支援攻撃の準備を整えた。

 次の瞬間、夜の静寂を切り裂く弦の音が響いた――

 リィナの矢が闇を飛び、船の漕ぎ手に命中する。毒矢の効果で、男はすぐに櫓を手放し船底に倒れ込んだ。しかし、船には他にも乗員がいる。バルグが川岸から跳躍し、船に飛び移った。

「装置を渡してもらうぞ!」

 彼の戦斧が月光を反射し、敵に威圧感を与える。しかし、黒装束たちも簡単には諦めない。短剣を抜いて応戦し、船上で激しい戦闘が始まった。

 俺も急降下で船に向かう。爪で敵の武器を叩き落とし、翼で視界を遮る。狭い船上では、俺の機動力が大きな優位となった。

 しかし、戦闘の最中、装置に異変が起きた。何かのスイッチが入ったのか、機械から蒸気が噴出し始める。毒ガスの匂いが漂い、俺たちは慌てて距離を取った。

 敵の最後の抵抗が始まろうとしていた。
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