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第6章 ヴァルメリア
第41話 北門疾走
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北門へ向かう街道は、朝靄に包まれていた。
東の空が淡く白み始め、石畳には夜露が光っている。朝の静寂の中で、街道沿いの家々からは煙突から白い煙が立ち上り、日常が始まろうとしていた。市場の準備をする商人たちの声や、馬の嘶きが遠くから聞こえてくる。だが、そんな静かな情景を切り裂くように、土煙を上げて荷馬車が全速力で駆けていた。
俺は上空からそれを確認する。
高度を保ちながら馬車を追跡していると、その詳細がよく見える。馬は二頭立て、黒羽同盟の標準的な輸送用車両。普通の商人の馬車とは明らかに造りが違い、軍用車両に近い頑丈さを持っている。幌布で覆われた荷台は低く、重そうな木箱が隙間なく積まれているのが影からでも分かる。恐らく――毒物の原料。
御者席には覆面の男が二人。
片方が手綱を操り、もう片方が弩を構えて後方を警戒している。完全に戦闘を想定した布陣だ。普通の商人なら護衛は一人で十分だが、彼らは明らかに追跡されることを前提に行動している。それだけ重要な荷を運んでいるということだろう。
馬車の速度は異常に速く、普通の荷車では考えられないペースで街道を駆け抜けている。恐らく馬も軍馬級の良い血統で、長距離を高速で走れるよう訓練されているのだろう。
◆
「リィナ、馬を狙え!」
地上を走る二人に合図を送ると、リィナが即座に弓を引き絞った。
彼女の弓技は確実で、移動する標的でも的確に命中させることができる。風向きや馬車の揺れを計算に入れ、狙いを定める。鋭い風切り音と共に放たれた矢は、狙い違わず馬車の車輪付近へ。だが――
カンッ、と金属音。
外側に鉄板が仕込まれているらしく、矢は弾かれた。矢先が鉄板に当たって火花を散らし、無力化されてしまう。黒羽同盟、用意周到すぎる。馬車の重要部分は全て装甲で保護されており、通常の攻撃では破壊できないようになっている。
「くそっ、完全に戦闘仕様じゃない」
リィナが舌打ちする。薬師である彼女の戦闘技術は確かだが、相手も対策を講じている。単純な攻撃では突破できない相手だった。
「じゃあ正面から止める!」
バルグが吠えるや否や、街道脇の木柵をぶち破ってショートカット。
彼の巨体は破壊力そのもので、木の柵など紙切れ同然に吹き飛ばしていく。大地を蹴るその巨体は、まるで弾丸のように馬車の進路へ割り込む。戦斧を構えた彼の威圧感は凄まじく、普通の相手なら恐怖で動きを止めるだろう。
だが、敵も慌てない。御者が鞭を振るい、馬はさらに速度を上げた。
黒装束の御者は冷静そのもので、バルグの突進を予測していたかのような反応を見せる。荷馬車はバルグの目前で横へ急旋回、街道を外れ、丘陵地帯へ逃げ込む。
丘陵地帯は起伏が激しく、追跡が困難な地形だ。木々も密生しており、上空からの視界も制限される。敵は地形を熟知しており、最初から丘陵地帯への逃走を計画していたのかもしれない。
◆
俺は高度を下げ、進路を上から塞ぐように滑空。
翼を広げて馬車の前方に回り込み、威嚇するように低空飛行を繰り返す。馬は空からの攻撃者に怯え、嘶き声を上げて速度を落とそうとした。しかし、御者の手綱さばきが巧みで、馬を完全にコントロールしている。
翼の影に気付いた弩兵が矢を放つが、バンクでかわし、逆に翼の風圧で視界を奪う。
弩の矢は俺の翼を掠めて飛んでいく。射撃の腕は確かだが、移動する空中目標を狙うのは困難だ。俺は翼を大きく羽ばたかせ、強い風圧を下に送る。土埃が舞い上がり、敵の視界を遮った。
「荷台を開けろ!」
爪で幌布を引き裂くと、中から茶色の麻袋が山積みで現れる。
幌布は頑丈な帆布製で、普通の爪では破れないはずだが、俺の爪は鋼鉄並みの硬度を持っている。一気に引き裂くと、荷台の中身が露わになった。その一部が破れ、青灰色の粉末が漏れていた。……嫌な色だ。鼻腔を刺す刺激臭――確定だ、毒の原料だ。
粉末は風に舞い上がり、薄く周囲に拡散している。吸い込まないよう注意しながら、俺は荷台の全体を確認した。麻袋の数は二十を超え、相当な量の原料が積まれている。
「やっぱりな!」
その瞬間、御者が何か叫び、荷台の奥から別の黒装束が姿を現す。
荷台に隠れていた護衛だろう。手にしているのは火薬玉――小さな球体だが、爆発すれば周囲を火の海にする威力がある。しかも、毒の粉末と混合すれば、毒霧が一気に拡散する危険性もあった。
◆
「下がれ!」
俺は翼で粉末を後方に吹き飛ばしつつ急上昇。
火薬玉が爆発すれば、毒の粉末も一緒に巻き上げられる。それを避けるため、風向きを計算して粉末を安全な方向に飛ばす。直後、火薬玉が荷台後部で爆ぜ、後方の街道を火と煙で覆う。バルグとリィナの追撃を遅らせるつもりだ。
爆風で周囲の木々が揺れ、鳥たちが驚いて飛び立っていく。炎は乾燥した草木に燃え移りそうになったが、朝露の湿度で大火事には至らない。しかし、煙幕効果は十分で、地上からの追跡は困難になった。
「逃がすか!」
俺は再び急降下し、御者席の覆面男の肩を爪で掴む。
覆面の男は予想以上に軽く、簡単に持ち上がった。しかし、必死に抵抗し、短剣で俺の足を狙ってくる。危険を感じて、そのまま馬車の横へ引きずり下ろすと、御者席は一瞬で混乱に陥る。手綱が緩み、馬の速度が乱れる。
馬車はバランスを崩し、左右に大きく揺れ始めた。荷台の麻袋が滑り、重心が不安定になっている。
そこへ、丘陵の影からバルグが飛び出した。
「止まれェッ!」
巨斧が馬車の前方へ叩きつけられ、土煙と共に車輪が軸ごと粉砕される。
バルグの戦斧は一撃で車輪を破壊し、馬車の機能を完全に停止させた。荷馬車は派手に横転し、積荷が散乱した。麻袋が地面に転がり、中身の粉末があちこちに飛び散っている。
馬は驚いて嘶き、手綱から外れて逃げ出そうとしたが、リィナが巧みに捕まえて落ち着かせた。
◆
だが、敵は諦めなかった。
生き残った黒装束たちが、麻袋に火薬玉を押し込み始める。自分たちの荷を爆破してでも証拠を消すつもりだ。毒の原料が敵の手に渡らないなら、破壊してしまおうという最後の抵抗だった。
「させるか!」
リィナが素早く弓を構え、火薬玉を持つ手を次々と射抜いていく。
彼女の射撃は正確無比で、手首や手の甲を狙って火薬玉を落とさせる。致命傷は避けつつ、確実に戦闘不能にする技術は見事だった。悲鳴を上げて袋を落とす敵――だが、一つだけ間に合わない。
最後の黒装束が火薬玉に火を点け、麻袋の中に投げ込もうとしている。
「任せろ!」
俺は翼で突風を起こし、火薬玉を遠くの空地へ吹き飛ばした。
翼を大きく羽ばたかせ、局所的な竜巻のような風を起こす。火薬玉は点火したまま宙に舞い、安全な場所まで運ばれた。爆発音と煙が丘の向こうに消え、原料は無事だ。
火薬玉は空地で爆発し、土と草を巻き上げたが、周囲に被害はない。毒の原料も無事で、証拠隠滅は阻止できた。
息を整えながら、俺たちは散らばった袋を回収し始めた。
麻袋は重く、一袋で大人一人がやっと持てる重量がある。中身の粉末は細かく、風に飛ばされやすいため、慎重に扱う必要があった。リィナが薬師としての知識を活かし、安全な回収方法を指示してくれる。
これで少なくとも、北門経由のルートは潰せたはずだ――だが、胸の奥のざわつきは消えない。
黒羽同盟の作戦は、こんな単純な一本のルートだけじゃない。これはきっと、ほんの序章にすぎない。
俺は回収作業をしながら、不安を感じていた。今回の荷車は、全体の計画の一部に過ぎないのではないか。黒羽同盟なら、必ず複数のルートを用意しているはずだ。
朝霧が晴れ始め、丘陵地帯の向こうに街の姿が見えてくる。平和な朝の風景だが、その下で何が起きているのか分からない。俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだった。
東の空が淡く白み始め、石畳には夜露が光っている。朝の静寂の中で、街道沿いの家々からは煙突から白い煙が立ち上り、日常が始まろうとしていた。市場の準備をする商人たちの声や、馬の嘶きが遠くから聞こえてくる。だが、そんな静かな情景を切り裂くように、土煙を上げて荷馬車が全速力で駆けていた。
俺は上空からそれを確認する。
高度を保ちながら馬車を追跡していると、その詳細がよく見える。馬は二頭立て、黒羽同盟の標準的な輸送用車両。普通の商人の馬車とは明らかに造りが違い、軍用車両に近い頑丈さを持っている。幌布で覆われた荷台は低く、重そうな木箱が隙間なく積まれているのが影からでも分かる。恐らく――毒物の原料。
御者席には覆面の男が二人。
片方が手綱を操り、もう片方が弩を構えて後方を警戒している。完全に戦闘を想定した布陣だ。普通の商人なら護衛は一人で十分だが、彼らは明らかに追跡されることを前提に行動している。それだけ重要な荷を運んでいるということだろう。
馬車の速度は異常に速く、普通の荷車では考えられないペースで街道を駆け抜けている。恐らく馬も軍馬級の良い血統で、長距離を高速で走れるよう訓練されているのだろう。
◆
「リィナ、馬を狙え!」
地上を走る二人に合図を送ると、リィナが即座に弓を引き絞った。
彼女の弓技は確実で、移動する標的でも的確に命中させることができる。風向きや馬車の揺れを計算に入れ、狙いを定める。鋭い風切り音と共に放たれた矢は、狙い違わず馬車の車輪付近へ。だが――
カンッ、と金属音。
外側に鉄板が仕込まれているらしく、矢は弾かれた。矢先が鉄板に当たって火花を散らし、無力化されてしまう。黒羽同盟、用意周到すぎる。馬車の重要部分は全て装甲で保護されており、通常の攻撃では破壊できないようになっている。
「くそっ、完全に戦闘仕様じゃない」
リィナが舌打ちする。薬師である彼女の戦闘技術は確かだが、相手も対策を講じている。単純な攻撃では突破できない相手だった。
「じゃあ正面から止める!」
バルグが吠えるや否や、街道脇の木柵をぶち破ってショートカット。
彼の巨体は破壊力そのもので、木の柵など紙切れ同然に吹き飛ばしていく。大地を蹴るその巨体は、まるで弾丸のように馬車の進路へ割り込む。戦斧を構えた彼の威圧感は凄まじく、普通の相手なら恐怖で動きを止めるだろう。
だが、敵も慌てない。御者が鞭を振るい、馬はさらに速度を上げた。
黒装束の御者は冷静そのもので、バルグの突進を予測していたかのような反応を見せる。荷馬車はバルグの目前で横へ急旋回、街道を外れ、丘陵地帯へ逃げ込む。
丘陵地帯は起伏が激しく、追跡が困難な地形だ。木々も密生しており、上空からの視界も制限される。敵は地形を熟知しており、最初から丘陵地帯への逃走を計画していたのかもしれない。
◆
俺は高度を下げ、進路を上から塞ぐように滑空。
翼を広げて馬車の前方に回り込み、威嚇するように低空飛行を繰り返す。馬は空からの攻撃者に怯え、嘶き声を上げて速度を落とそうとした。しかし、御者の手綱さばきが巧みで、馬を完全にコントロールしている。
翼の影に気付いた弩兵が矢を放つが、バンクでかわし、逆に翼の風圧で視界を奪う。
弩の矢は俺の翼を掠めて飛んでいく。射撃の腕は確かだが、移動する空中目標を狙うのは困難だ。俺は翼を大きく羽ばたかせ、強い風圧を下に送る。土埃が舞い上がり、敵の視界を遮った。
「荷台を開けろ!」
爪で幌布を引き裂くと、中から茶色の麻袋が山積みで現れる。
幌布は頑丈な帆布製で、普通の爪では破れないはずだが、俺の爪は鋼鉄並みの硬度を持っている。一気に引き裂くと、荷台の中身が露わになった。その一部が破れ、青灰色の粉末が漏れていた。……嫌な色だ。鼻腔を刺す刺激臭――確定だ、毒の原料だ。
粉末は風に舞い上がり、薄く周囲に拡散している。吸い込まないよう注意しながら、俺は荷台の全体を確認した。麻袋の数は二十を超え、相当な量の原料が積まれている。
「やっぱりな!」
その瞬間、御者が何か叫び、荷台の奥から別の黒装束が姿を現す。
荷台に隠れていた護衛だろう。手にしているのは火薬玉――小さな球体だが、爆発すれば周囲を火の海にする威力がある。しかも、毒の粉末と混合すれば、毒霧が一気に拡散する危険性もあった。
◆
「下がれ!」
俺は翼で粉末を後方に吹き飛ばしつつ急上昇。
火薬玉が爆発すれば、毒の粉末も一緒に巻き上げられる。それを避けるため、風向きを計算して粉末を安全な方向に飛ばす。直後、火薬玉が荷台後部で爆ぜ、後方の街道を火と煙で覆う。バルグとリィナの追撃を遅らせるつもりだ。
爆風で周囲の木々が揺れ、鳥たちが驚いて飛び立っていく。炎は乾燥した草木に燃え移りそうになったが、朝露の湿度で大火事には至らない。しかし、煙幕効果は十分で、地上からの追跡は困難になった。
「逃がすか!」
俺は再び急降下し、御者席の覆面男の肩を爪で掴む。
覆面の男は予想以上に軽く、簡単に持ち上がった。しかし、必死に抵抗し、短剣で俺の足を狙ってくる。危険を感じて、そのまま馬車の横へ引きずり下ろすと、御者席は一瞬で混乱に陥る。手綱が緩み、馬の速度が乱れる。
馬車はバランスを崩し、左右に大きく揺れ始めた。荷台の麻袋が滑り、重心が不安定になっている。
そこへ、丘陵の影からバルグが飛び出した。
「止まれェッ!」
巨斧が馬車の前方へ叩きつけられ、土煙と共に車輪が軸ごと粉砕される。
バルグの戦斧は一撃で車輪を破壊し、馬車の機能を完全に停止させた。荷馬車は派手に横転し、積荷が散乱した。麻袋が地面に転がり、中身の粉末があちこちに飛び散っている。
馬は驚いて嘶き、手綱から外れて逃げ出そうとしたが、リィナが巧みに捕まえて落ち着かせた。
◆
だが、敵は諦めなかった。
生き残った黒装束たちが、麻袋に火薬玉を押し込み始める。自分たちの荷を爆破してでも証拠を消すつもりだ。毒の原料が敵の手に渡らないなら、破壊してしまおうという最後の抵抗だった。
「させるか!」
リィナが素早く弓を構え、火薬玉を持つ手を次々と射抜いていく。
彼女の射撃は正確無比で、手首や手の甲を狙って火薬玉を落とさせる。致命傷は避けつつ、確実に戦闘不能にする技術は見事だった。悲鳴を上げて袋を落とす敵――だが、一つだけ間に合わない。
最後の黒装束が火薬玉に火を点け、麻袋の中に投げ込もうとしている。
「任せろ!」
俺は翼で突風を起こし、火薬玉を遠くの空地へ吹き飛ばした。
翼を大きく羽ばたかせ、局所的な竜巻のような風を起こす。火薬玉は点火したまま宙に舞い、安全な場所まで運ばれた。爆発音と煙が丘の向こうに消え、原料は無事だ。
火薬玉は空地で爆発し、土と草を巻き上げたが、周囲に被害はない。毒の原料も無事で、証拠隠滅は阻止できた。
息を整えながら、俺たちは散らばった袋を回収し始めた。
麻袋は重く、一袋で大人一人がやっと持てる重量がある。中身の粉末は細かく、風に飛ばされやすいため、慎重に扱う必要があった。リィナが薬師としての知識を活かし、安全な回収方法を指示してくれる。
これで少なくとも、北門経由のルートは潰せたはずだ――だが、胸の奥のざわつきは消えない。
黒羽同盟の作戦は、こんな単純な一本のルートだけじゃない。これはきっと、ほんの序章にすぎない。
俺は回収作業をしながら、不安を感じていた。今回の荷車は、全体の計画の一部に過ぎないのではないか。黒羽同盟なら、必ず複数のルートを用意しているはずだ。
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