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第6章 ヴァルメリア
第42話 灰色の粉と赤い印
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丘陵地帯での戦闘は終わったが、朝の冷たい空気の中で俺たちの動きは止まらなかった。
戦闘の余韻はまだ身体に残っており、筋肉が軽く痙攣している。朝霧が徐々に晴れていく中で、散乱した麻袋の回収作業が続いている。横転した馬車の残骸が朝日に照らされ、破壊の痕跡を鮮明に浮かび上がらせていた。
回収した麻袋は十六袋。どれも青灰色の粉末が詰まっており、リィナが言うには「毒の前駆体」だという。単体では即効性はないが、精製すれば致死性の高いガスになるらしい。
麻袋は一つ一つが重く、大人の男性が一人で運ぶのがやっとの重量だった。中身は細かい粉末で、風に舞い上がりやすく、取り扱いには細心の注意が必要だ。袋の表面には商人の印のような偽装が施されているが、よく見ると不自然な点がいくつもある。
「これだけの量……一都市どころじゃないわ」
リィナの表情は険しい。
彼女の指は粉末を軽くつまんで色や匂いを確かめ、毒物の特性を頭の中で整理している。薬師としての豊富な知識が、この粉末の危険性を正確に把握させているようだ。微量を舌の先で味見し、すぐに水で口をすすぐ。
「匂いからして、カリュム蒸留液の濃縮版ね。これを適切な触媒と混合すれば、街一つを全滅させることも可能よ」
俺とバルグは敵を縛り上げていたが、そのうちの一人がポケットから何かを取り出そうとした。
黒装束の男は意識を取り戻しており、こっそりと隠し持っていた何かを処分しようとしているようだった。手の動きが不自然で、明らかに重要な物を隠し持っている。
「動くな」
バルグが腕を押さえつけ、取り上げたのは小さな革袋だった。
革袋は上質な革で作られており、防水加工が施されている。中身を守るための精巧な作りで、重要な書類を運ぶためのものだと分かる。中には折り畳まれた羊皮紙――そこには簡素な地図と、赤い鳥の形をした印が押されていた。
「……これは?」
広げた瞬間、俺は見覚えがあると直感した。
赤い鳥の印――それは黒羽同盟の中でも特殊工作部隊が使う識別印だ。以前、港湾地区で遭遇した刺青の男が持っていた物と同じだ。普通の構成員ではなく、特別な任務を担う部隊の証拠だった。
地図は手描きで、かなり詳細に描かれている。道路や川の位置、地形の起伏まで正確に記録されており、現地をよく知る者が作成したものだと分かる。そこには北方の山岳地帯が描かれ、山の麓に小さな村の記号があった。
リィナが覗き込み、即座に場所を特定する。
「ここ……ミルダ峠の手前にある鉱山村よ。今は廃坑になってるけど、昔は鉱石の精製所があったはず」
彼女の地理知識は広範囲に及んでおり、薬草採取のために各地を旅した経験が活かされている。ミルダ峠は港町から北に半日の距離で、険しい山道を通らなければたどり着けない場所だ。
廃坑。精製所。
嫌な予感が背中を走った。毒物の精製には、広い施設と熱源が必要だ。廃坑なら隠れ蓑には最適だし、昔の設備が残っていれば流用できる。鉱石の精製技術は、化学物質の処理にも応用が利く。
「まさか……廃坑の精製施設を使って毒を製造するつもりか」
バルグも地図を見ながら、その可能性を口にした。確かに、廃坑なら人目につかないし、必要な設備も揃っている。黒羽同盟が目をつけるのも当然だろう。
◆
「行くのか?」
バルグの問いに、俺は短く頷いた。
この荷馬車は北門経由のルートを潰しただけだ。だが、もし廃坑で精製が始まっているなら、時間との勝負になる。毒物製造が本格化する前に阻止しなければ、取り返しのつかないことになる。
敵の輸送網は多層的だ。今回の粉末も、おそらく全体のごく一部。地図に載っていない別ルートも存在する可能性は高い。しかし、手がかりがある以上、放置するわけにはいかない。
だが、まずはこの赤い印が指す場所を潰さなければならない。
ミルダ峠への道は険しく、徒歩では丸一日かかる。しかし、俺が飛べば数時間で到着できるはずだ。問題は、廃坑でどれだけの敵が待ち受けているかだ。
「……その前に」
リィナが手のひらをこちらに向け、眉をひそめた。
粉末を浴びた俺とバルグの服や羽毛に、微量の毒性が付着しているらしい。彼女の鋭い嗅覚が、危険な残留物を検知したのだろう。
彼女は持っていた薬草袋から乾燥葉を取り出し、即席の解毒蒸気を作ってくれた。
薬草を小さな金属製の容器に入れ、火打ち石で点火する。乾燥した葉が燃え上がり、特有の香りの蒸気が立ち上る。湿った温風が身体を包み、鼻腔の刺すような匂いが少し和らぐ。
「これで毒性は中和される。でも、今後はもっと注意して。毒の粉末は皮膚からも吸収されるのよ」
リィナの警告は的確で、俺たちの安全を第一に考えてくれている。薬師としての彼女の知識は、戦闘でも非戦闘時でも欠かせないものだった。
◆
敵の生き残りは港の衛兵隊に引き渡し、証拠品は封印して保管するよう依頼した。
黒装束の男たちは皆口が堅く、尋問に対してもほとんど口を開かない。しかし、地図という重要な証拠品は確保できた。これだけでも十分な成果だろう。
衛兵隊長は事態の深刻さを理解しており、最高レベルの警備で証拠品を保管すると約束してくれた。また、他の出入り口でも同様の警戒を強化するとのことだった。
だが、俺たちの足は止まらない。
港町の平和を守るためには、根本的な脅威を排除しなければならない。廃坑での毒物製造を阻止することが、今最も重要な任務だ。
「次の行き先は……廃坑だ」
俺は翼を広げ、東の空を見上げた。
朝日が完全に昇る前に、影はさらに深まろうとしている。ミルダ峠の方角には雲がかかっており、天候の変化も予想される。山岳地帯の天気は変わりやすく、飛行には注意が必要だろう。
昨夜の干し果物の甘さは、もう遠い過去のようだ。
平和な時間は束の間で、現実は容赦なく俺たちを新たな戦場へと送り出そうとしている。しかし、今度は事前に敵の居場所が分かっている。準備を整えて臨めば、勝算はあるはずだ。
「準備を整えて、すぐに出発しよう」
俺は仲間たちに声をかけ、廃坑への出発準備を始めた。装備の点検、食料と水の確保、そして何より、毒物対策の準備が必要だった。
リィナが薬草の調合を始め、バルグが武器の手入れをしている。俺も翼の状態を確認し、長距離飛行に備えた。次の戦いは、これまで以上に困難になるかもしれない。
しかし、仲間と共になら、どんな困難も乗り越えられる。昨夜の甘い時間が俺たちに与えてくれた絆は、新たな戦いへの力となるはずだった。
戦闘の余韻はまだ身体に残っており、筋肉が軽く痙攣している。朝霧が徐々に晴れていく中で、散乱した麻袋の回収作業が続いている。横転した馬車の残骸が朝日に照らされ、破壊の痕跡を鮮明に浮かび上がらせていた。
回収した麻袋は十六袋。どれも青灰色の粉末が詰まっており、リィナが言うには「毒の前駆体」だという。単体では即効性はないが、精製すれば致死性の高いガスになるらしい。
麻袋は一つ一つが重く、大人の男性が一人で運ぶのがやっとの重量だった。中身は細かい粉末で、風に舞い上がりやすく、取り扱いには細心の注意が必要だ。袋の表面には商人の印のような偽装が施されているが、よく見ると不自然な点がいくつもある。
「これだけの量……一都市どころじゃないわ」
リィナの表情は険しい。
彼女の指は粉末を軽くつまんで色や匂いを確かめ、毒物の特性を頭の中で整理している。薬師としての豊富な知識が、この粉末の危険性を正確に把握させているようだ。微量を舌の先で味見し、すぐに水で口をすすぐ。
「匂いからして、カリュム蒸留液の濃縮版ね。これを適切な触媒と混合すれば、街一つを全滅させることも可能よ」
俺とバルグは敵を縛り上げていたが、そのうちの一人がポケットから何かを取り出そうとした。
黒装束の男は意識を取り戻しており、こっそりと隠し持っていた何かを処分しようとしているようだった。手の動きが不自然で、明らかに重要な物を隠し持っている。
「動くな」
バルグが腕を押さえつけ、取り上げたのは小さな革袋だった。
革袋は上質な革で作られており、防水加工が施されている。中身を守るための精巧な作りで、重要な書類を運ぶためのものだと分かる。中には折り畳まれた羊皮紙――そこには簡素な地図と、赤い鳥の形をした印が押されていた。
「……これは?」
広げた瞬間、俺は見覚えがあると直感した。
赤い鳥の印――それは黒羽同盟の中でも特殊工作部隊が使う識別印だ。以前、港湾地区で遭遇した刺青の男が持っていた物と同じだ。普通の構成員ではなく、特別な任務を担う部隊の証拠だった。
地図は手描きで、かなり詳細に描かれている。道路や川の位置、地形の起伏まで正確に記録されており、現地をよく知る者が作成したものだと分かる。そこには北方の山岳地帯が描かれ、山の麓に小さな村の記号があった。
リィナが覗き込み、即座に場所を特定する。
「ここ……ミルダ峠の手前にある鉱山村よ。今は廃坑になってるけど、昔は鉱石の精製所があったはず」
彼女の地理知識は広範囲に及んでおり、薬草採取のために各地を旅した経験が活かされている。ミルダ峠は港町から北に半日の距離で、険しい山道を通らなければたどり着けない場所だ。
廃坑。精製所。
嫌な予感が背中を走った。毒物の精製には、広い施設と熱源が必要だ。廃坑なら隠れ蓑には最適だし、昔の設備が残っていれば流用できる。鉱石の精製技術は、化学物質の処理にも応用が利く。
「まさか……廃坑の精製施設を使って毒を製造するつもりか」
バルグも地図を見ながら、その可能性を口にした。確かに、廃坑なら人目につかないし、必要な設備も揃っている。黒羽同盟が目をつけるのも当然だろう。
◆
「行くのか?」
バルグの問いに、俺は短く頷いた。
この荷馬車は北門経由のルートを潰しただけだ。だが、もし廃坑で精製が始まっているなら、時間との勝負になる。毒物製造が本格化する前に阻止しなければ、取り返しのつかないことになる。
敵の輸送網は多層的だ。今回の粉末も、おそらく全体のごく一部。地図に載っていない別ルートも存在する可能性は高い。しかし、手がかりがある以上、放置するわけにはいかない。
だが、まずはこの赤い印が指す場所を潰さなければならない。
ミルダ峠への道は険しく、徒歩では丸一日かかる。しかし、俺が飛べば数時間で到着できるはずだ。問題は、廃坑でどれだけの敵が待ち受けているかだ。
「……その前に」
リィナが手のひらをこちらに向け、眉をひそめた。
粉末を浴びた俺とバルグの服や羽毛に、微量の毒性が付着しているらしい。彼女の鋭い嗅覚が、危険な残留物を検知したのだろう。
彼女は持っていた薬草袋から乾燥葉を取り出し、即席の解毒蒸気を作ってくれた。
薬草を小さな金属製の容器に入れ、火打ち石で点火する。乾燥した葉が燃え上がり、特有の香りの蒸気が立ち上る。湿った温風が身体を包み、鼻腔の刺すような匂いが少し和らぐ。
「これで毒性は中和される。でも、今後はもっと注意して。毒の粉末は皮膚からも吸収されるのよ」
リィナの警告は的確で、俺たちの安全を第一に考えてくれている。薬師としての彼女の知識は、戦闘でも非戦闘時でも欠かせないものだった。
◆
敵の生き残りは港の衛兵隊に引き渡し、証拠品は封印して保管するよう依頼した。
黒装束の男たちは皆口が堅く、尋問に対してもほとんど口を開かない。しかし、地図という重要な証拠品は確保できた。これだけでも十分な成果だろう。
衛兵隊長は事態の深刻さを理解しており、最高レベルの警備で証拠品を保管すると約束してくれた。また、他の出入り口でも同様の警戒を強化するとのことだった。
だが、俺たちの足は止まらない。
港町の平和を守るためには、根本的な脅威を排除しなければならない。廃坑での毒物製造を阻止することが、今最も重要な任務だ。
「次の行き先は……廃坑だ」
俺は翼を広げ、東の空を見上げた。
朝日が完全に昇る前に、影はさらに深まろうとしている。ミルダ峠の方角には雲がかかっており、天候の変化も予想される。山岳地帯の天気は変わりやすく、飛行には注意が必要だろう。
昨夜の干し果物の甘さは、もう遠い過去のようだ。
平和な時間は束の間で、現実は容赦なく俺たちを新たな戦場へと送り出そうとしている。しかし、今度は事前に敵の居場所が分かっている。準備を整えて臨めば、勝算はあるはずだ。
「準備を整えて、すぐに出発しよう」
俺は仲間たちに声をかけ、廃坑への出発準備を始めた。装備の点検、食料と水の確保、そして何より、毒物対策の準備が必要だった。
リィナが薬草の調合を始め、バルグが武器の手入れをしている。俺も翼の状態を確認し、長距離飛行に備えた。次の戦いは、これまで以上に困難になるかもしれない。
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