空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

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第7章

第55話 三方からの牙

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 夕陽が海に沈みかけ、空は赤と紫のグラデーションに染まっていた。

 美しい夕暮れの光景だが、その美しさとは対照的に、俺たちは最後の戦いに向かおうとしている。港町から吹く潮風が背中を押し、俺たちは小型の舟で静かに島へ近づく。

 舟は衛兵隊から借り受けたもので、音を立てずに進むよう特別に改造されている。櫂の音も最小限に抑え、敵の警戒網に気づかれないよう細心の注意を払った。

 途中で舟を止め、そこからは三方向に分かれた。

 島の外周で最終的な作戦確認を行い、それぞれの担当区域に向かう。俺は高度を取って上空からの陽動、リィナは洞窟潜入、バルグは排出口へ直行だ。

 各自が異なる目標を持ちながらも、連携して敵の対応能力を分散させる作戦だ。

「……合図はお前の派手な突っ込みでいいな?」

「任せろ。今回こそ墜落じゃなくて華麗な離脱を見せてやる」

「前フリがもう墜落前提に聞こえるんだけど」

 リィナの冷ややかな視線を背に、俺は翼を広げて風を掴んだ。

 確かに過去の実績を考えると説得力に欠けるかもしれないが、今回は違う。綿密な計画と十分な準備があるのだから、きっと成功するはずだ。



 高度を上げながら島を一望する。

 夕暮れの光が島全体を照らし、地形や建物の配置がよく見える。昼間の偵察で確認した通り、崖の上の工房は依然として白い蒸気を吐き出している。

 製造活動は止まっておらず、汚染物質の生産が続いている証拠だ。崖下の桟橋には小型船が数隻、すぐにでも出港できる状態だ。

 船の配置から判断すると、緊急時の脱出や増援の到着に備えているようだ。敵も万全の準備を整えている。

 俺はその真上から急降下――翼で巨大な風圧を生み、桟橋の敵をまとめて吹き飛ばした。

 突然の空襲に敵は混乱し、慌てて身を隠そうとするが間に合わない。「うおっ!?」

 複数の黒外套が海に落ち、慌てて泳ぐ。よし、まずは注目を集める。

 計画通りの開始だ。敵の注意を上空の俺に向けることで、リィナとバルグの侵入を容易にする。

 予想通り、崖上から弓兵と魔術師が一斉に俺を狙ってきた。

 矢が風を裂き、光弾が空を走る。攻撃の密度は高く、真正面から受ければ危険だ。だがこっちはわざと大きく旋回して敵を引きずり回す。

 時間を稼げば、その分リィナとバルグの動きが通る。陽動作戦の効果は上々で、敵の大部分が俺に気を取られている。



 崖の裏側、波が打ち寄せる洞窟入口。

 リィナは衛兵二人を伴い、慎重に岩陰を進む。

 夕暮れの薄明かりが洞窟入口を照らし、侵入には最適な環境だ。衛兵が波音に紛れて敵を背後から制圧し、彼女は奥へ奥へと進んでいく。

 洞窟の見張りは上空の騒ぎに気を取られており、リィナたちの接近に気づいていない。計画通りの展開だった。

 樽の山、その一つ一つに魔術刻印が光っている。

 製造された汚染物質が大量に保管されており、そのすべてに魔術的な処理が施されている。リィナは薬剤を混ぜた瓶を取り出し、刻印の活性を一つずつ封じていく。

 彼女の薬学知識と魔術への理解が、この作業を可能にしている。

「……全部止めるには時間が足りないわね」

 樽の数が予想以上に多く、すべてを処理するには時間が不足している。焦りを飲み込み、優先して完成品の樽から無力化を進めた。

 効率的な判断で、被害を最小限に抑える作戦だ。



 一方、排出口側ではバルグが全力疾走していた。

 崖下の波打ち際にある巨大な水車、その回転で汚染液を海へ吐き出している。継続的な汚染の元凶であり、これを破壊すれば港への被害を大幅に減らせる。

「こんなもん、男の仕事だろ!」

 戦斧がうなりを上げ、水車の軸を一撃でへし折る。

 バルグの怪力が遺憾なく発揮され、頑丈な水車の軸が一瞬で破壊される。ギシギシと悲鳴を上げた水車は、次の瞬間、潮流に飲まれて崩れ落ちた。

 破壊の音が島全体に響き、汚染液の排出が完全に停止した。

 同時に、上空からの敵の怒号が減っていく。

 俺が引きつけていた兵の一部が、バルグの破壊行為に気づいて向きを変えたらしい。陽動作戦にも限界があり、すべての敵を上空に引きつけ続けるのは困難だ。

「おっと、こっちに気づいたな……!」

 俺は急旋回し、その兵を再び上空から蹴散らす。

 可能な限り敵の注意を引きつけ、仲間たちの作業時間を確保する。これが俺の役割であり、責任だった。



 三方向の作戦は順調に進んでいた――少なくとも、その時までは。

 それぞれの担当区域で目標を達成しつつあり、敵の反応も予想の範囲内だった。しかし、戦場では予期せぬ事態が発生するものだ。

 崖上の工房から、見たことのない黒外套が姿を現した。

 これまでの敵とは明らかに格が違う存在で、その威圧感は離れた上空からでも感じ取れる。背丈はバルグに匹敵し、全身を重装甲で固めている。

 装備は他の黒装束とは一線を画しており、指揮官クラスか特殊部隊の隊長のような存在だろう。背負った槍は異様なまでに長く、刃先には黒い光が滲んでいた。

 その槍からは魔術的な力を感じる。ただの武器ではなく、魔法がかけられた特別な装備のようだ。

 周囲の兵が一斉に道を開け、その男がゆっくりとこちらを見上げる。

 他の兵士たちの反応から、この男が相当な実力者であることが分かる。恐らく黒羽同盟の精鋭部隊の隊長か、幹部クラスの戦士だろう。

 ……嫌な予感しかしない。

 これまでの敵とは明らかに格が違う相手の登場で、戦況が一変する可能性がある。俺の陽動作戦も、この男が相手では通用しないかもしれない。

 しかし、今更後には引けない。リィナとバルグの作業が完了するまで、何としても時間を稼がなければならない。

 俺は翼を大きく広げ、新たに現れた強敵との戦いに備えた。港町の平和を守るために、この戦いに勝利しなければならない。

 夕暮れの空に響く戦いの音が、決戦の激しさを物語っている。最後の戦いが、今まさに最高潮を迎えようとしていた。
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