空を翔ける鷲医者の異世界行診録

第7章

第58話 反撃の火種

　黒槍の狩人の槍が、視界いっぱいに迫る。

　槍の穂先が俺の瞳に映り、死が目前に迫っているのを感じる。この間合い、この軌道――避けるのは不可能に近い。

　通常の回避行動では絶対に間に合わない完璧な攻撃で、狩人の技術の高さを物語っている。

（なら、突っ込む！）

　絶体絶命の状況で、俺は常識を覆す選択をした。俺は翼をたたみ、あえて槍の穂先へ向かって急降下した。

　相手の攻撃に正面から向かうという、一見自殺行為のような行動だったが、これは計算された賭けだった。

　わずかに角度をずらし、刃と刃先の間を自分の翼で「滑らせる」ように抜ける。

　槍の軌道を利用して、まるでスライドするように身体をすり抜けさせる高等技術だ。羽根数枚が切り飛ばされ、頬をかすめた風が熱い。

　わずか数センチでも角度を間違えれば致命傷だったが、俺の判断は正しかった。

「……っ！」

　狩人の眉がわずかに動く。

　完全に仕留めたはずの攻撃を、獲物がすり抜けたことに一瞬の隙が生じた。これまで絶対的な自信を持っていた狩人にとって、予想外の展開だったのだろう。

　その一瞬の隙こそが、俺が狙っていたものだった。完璧な敵にも、必ず弱点は存在する。

◆

　洞窟内部。

　黒外套の増援が入り口を塞ぎ、リィナたちは袋小路に追い詰められつつあった。

　退路を断たれ、前方には暴発する汚染物質、側面には敵の攻撃という絶望的な状況だった。しかし、リィナは諦めていない。

「後退は不可能……なら！」

　リィナは足元の汚染液をあえて踏み、瓶を投げつけて強烈な煙を発生させる。

　危険を顧みず、化学反応を利用した緊急回避策を実行する。刺激臭と白煙で一時的に敵の視界を奪い、その間に樽の列へと走り込む。

　煙の中を駆け抜ける彼女の姿は、まるで戦場を舞う幻のようだった。

　煙越しに見える彼女の背は、小柄なのに揺るぎなく、そして速い。

「止められないなら、せめて暴発させて敵ごと吹き飛ばす」――その決意が動きに現れていた。

　薬師としての知識を活かし、汚染物質の連鎖反応を利用して敵を巻き込む作戦だった。危険極まりない方法だが、現状では最良の選択だろう。

◆

　崖下。

　バルグの足首を絡めていた鎖が、突然ガクンと緩んだ。

　予想外の展開に、バルグも敵も一瞬動きを止める。上から援護射撃をしていた一人が、何かに吹き飛ばされている。

　崖上の狙撃手が突然姿を消し、援護射撃が止まった。

「誰だ――」

　見上げると、海上すれすれに俺の風圧が走り、狙撃手の足場を崩していた。

　空戦の最中、わざと高度を落とし、バルグ側の敵の一部を巻き込んだのだ。黒槍の狩人との戦いで得た一瞬の隙を利用して、仲間への援護を実行した。

「助太刀とは珍しいな！」

「お前が落ちると絵面が悪い！」

　軽口を交わしながらも、二人の連携は完璧だった。鎖が外れ、バルグが再び自由に動ける。

　その目には獲物を前にした猛獣のような光が宿っていた。

　拘束から解放されたバルグの戦闘力は絶大で、形勢逆転の可能性が見えてきた。

◆

　三方面それぞれで、小さな隙と火種が生まれた。

　絶体絶命だった状況に、わずかな希望の光が差し込んでいる。この瞬間のために、俺はギリギリの飛行と回避を続けてきた。

　すべては計算された連携で、三人の特技を最大限に活かした戦術だった。

（今だ――全員、一気に動け！）

　心の中で仲間たちに呼びかけながら、俺は次の行動に移る。狩人との戦いもここからが正念場だ。

　夕闇に包まれる直前、海と空、岩場と洞窟で同時に反撃の動きが始まった。

　それぞれの戦場で反転攻勢が開始され、劣勢だった状況が一変しようとしている。勝負を決める最後の波が、ここから押し寄せてくる。

　リィナは汚染物質の暴発を利用して敵を一掃し、バルグは解放された戦闘力で鎖鎌使いたちを圧倒する。そして俺は、黒槍の狩人との最終決戦に臨む。

　すべての戦いが同時にクライマックスを迎え、港町の運命が決まろうとしていた。仲間との絆と、これまでの戦いで培った技術を総動員して、最後の勝利を掴む時が来た。

　空中で翼を広げ直し、俺は狩人への反撃を開始した。一瞬の隙を逃さず、今度は俺が攻撃の主導権を握る番だ。

　夕闇が深まる中、決戦の最終局面が始まろうとしていた。