空を翔ける鷲医者の異世界行診録

川原源明

文字の大きさ
62 / 102
第7章

第62話 夜明けへの道

しおりを挟む
 黒槍の狩人が、ゆっくりと槍を構え直した。

 最後の戦いを前に、狩人は完璧な戦闘態勢を整えている。月明かりを背に、その輪郭が鋭い影となって空間に刻まれる。重装甲に身を包んだ姿は、まさに死神の化身のようだった。

 夜風が二人の間を抜け、互いの匂いと熱を運んでいった。

 戦場の緊張感が極限まで高まり、空気すら重く感じられる。

 動かない――互いに、一歩も動かない。

 熟練した戦士同士の対峙で、先手を取ることの危険性を両者とも理解している。この距離、この空気、この呼吸の間合いで、先に動いた方が死ぬ。

 わずかな隙を見せれば、即座に致命的な攻撃を受けることになる。

 狩人の呼吸音は聞こえない。

 完璧な自制力で、生命活動すら最小限に抑えている。呼吸すらも隠し、殺意だけを漂わせている。

 その気配は、獣というより「無音の死」。

 これほど完璧な戦士と対峙するのは、俺にとっても初めての経験だった。

(こいつ……最初から最後まで、全く揺らがない)

 戦いの中で感情を揺さぶられることがない、真のプロフェッショナルだった。

 俺は翼をわずかに広げ、風を掴む。

 最後の力を振り絞るため、風の流れを感じ取り、最適な攻撃角度を探る。体力は限界に近く、足の麻痺も残っている。

 長時間の戦闘で蓄積したダメージが、動きを制限している。だが、もう後がない以上、残りの力をすべてこの瞬間に注ぎ込むしかない。

「……行くぞ」

 呟きと同時に、夜空が弾けた。

 決戦の火蓋が切って落とされ、生死を賭けた最後の戦いが始まった。



 狩人の初動は、見えなかった。

 これほど完璧なタイミングでの攻撃開始は、人間業とは思えない。見えるより先に、殺気が脳を刺した。

 本能的な危険察知が、身体を動かしていた。反射で左に飛ぶと、槍の穂先が耳の後ろをかすめ、皮膚が裂ける。

 わずか数ミリの差で、致命傷を回避できた。

 すぐさま逆方向に転じ、翼で狩人の足場を蹴り崩す。

 空中戦では機動力が武器になる。だが奴は空中に新たな足場を展開し、逆に高度を取った。

 魔術的な足場で、俺の優位性を無効化してくる。闇と霧が入り混じり、輪郭を追うことすら困難だ。

(高度を取らせると……上から刺し込んでくる!)

 高度を取られることの危険性を瞬時に判断し、俺は逆に急上昇してぶつかる選択を取る。

 回避ではなく、積極的な攻撃に転じる戦術だった。上昇気流を利用し、狩人の死角へ。

 槍が振り下ろされる瞬間、翼の先で柄をはたき、その軌道をわずかにずらす。

 精密な操作で、狩人の完璧な攻撃を無効化した。

 金属が弾ける高い音と共に、火花が散った。

 間合いはゼロ――狩人の視界いっぱいに俺が映る。

 この距離では、槍の優位性は失われる。近接戦では、俺にも勝算があった。



 そこからは、息も許さぬ近接戦。

 両者の技術が極限まで試される、死の舞踏だった。槍は最小限の振り幅で突きと払いを繰り返し、俺の翼と爪がその都度はじき返す。

 翼の骨に響く衝撃と金属音が、耳鳴りのように続く。

 激しい攻防で、身体への負担も限界に達している。

 狩人の動きには一切の無駄がない。

 長年の訓練で磨き上げられた、完璧な戦闘技術だった。一撃ごとに命を奪う意志がこもっており、たった一つのミスが死を意味する。

 その緊張感の中、俺は視線をわずかに狩人の右手へ誘導させた。

 心理戦を仕掛け、相手の行動を誘導する高等戦術だった。

(――誘いに乗れ)

 次の瞬間、狩人が右手での突きを選んだ。

 俺の誘導に応じて、狩人が予想通りの行動を取った。だが、それこそが罠だった。

 俺は槍の柄を翼で押さえ込み、同時に自分の体をひねって反対側から爪を突き込む。

 完璧なカウンター攻撃で、狩人の完璧な守りを突破した。狩人の左肩に爪が食い込み、装甲の継ぎ目を裂いた。

「……っ!」

 初めて、狩人が苦痛の息を漏らす。

 これまで完璧だった戦士に、初めて人間らしい反応が現れた。



 ここからは一気に畳みかける。

 相手の弱点を見つけた以上、容赦なく攻め立てる。肩を負傷したことで槍の可動域が狭まり、防御が遅れる。

 俺は翼の先で連撃を加え、さらに高度を奪っていく。

 空中戦での優位性を最大限に活用し、狩人を追い詰めていく。

 狩人の足場が夜空から消え、ついに海面が見え始めた。

 重装備のまま落ちれば助からない高さだ。追い詰められた狩人に、もはや逃げ場はない。

 最後の一撃――翼を畳み、急降下。

 全体重をかけた、渾身の攻撃だった。狩人は槍を逆手に構え、突き上げてくる。

 最後まで諦めずに反撃を試みる、戦士としての意地を見せている。

 だが、俺は刃の側面を翼で受け流し、その反動で爪を狩人の兜へと突き立てた。

 完璧な技術で、狩人の最後の抵抗を突破した。

 甲高い金属音と共に、兜が割れ、狩人の瞳が初めて驚きに揺れた。

 これまで絶対的な自信を持っていた戦士が、初めて敗北を受け入れる瞬間だった。

「終わりだ!」

 翼打ちで狩人を海へと叩き落とす。

 最後の一撃で、長い戦いに決着をつけた。黒い影が波間に消え、やがて泡すら残らなくなった。

 重装甲の狩人は、海の藻屑と消えていった。



 息を吐くと、肺が焼けるように痛い。

 長時間の激闘で、身体は完全に限界を超えている。体中が重く、翼も痺れている。

 それでも――終わった。

 ついに黒羽同盟の計画を阻止し、港町の平和を守ることができた。

 遠くで、バルグの勝鬨とリィナの安堵の声が聞こえる。

 仲間たちも無事に戦いを終え、全員が生き延びることができた。三人とも生き延びた。港町は、まだ守られている。

 住民たちの平和な日常が、今夜の戦いによって守られた。

 月光が静かに海面を照らし、戦場を銀色に染めていた。

 美しい夜景が、激しい戦いの後の静寂を演出している。血の匂いも、鉄の味も、今はただ夜風に溶けていく。

 戦いの痕跡すら、夜の海に呑み込まれていく。

(……夜明けが、見られるな)

 長い夜が終わり、新しい朝を迎えることができる。港町に平和な朝日が昇ることを、俺は心から願っていた。

 翼を広げて風を受けながら、俺は仲間たちの元へ向かった。戦いは終わったが、まだやるべきことが残っている。

 島の施設を完全に破壊し、二度と使用できないようにする必要があった。そして、港町に帰って住民たちに安全を伝えなければならない。

 しかし、今夜の勝利で、最も困難な戦いは終わった。黒羽同盟の野望は打ち砕かれ、港町に真の平和が戻ってくるのだ。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

薬漬けレーサーの異世界学園生活〜無能被験体として捨てられたが、神族に拾われたことで、ダークヒーローとしてナンバーワン走者に君臨します〜

仁徳
ファンタジー
少年はとある研究室で実験動物にされていた。毎日薬漬けの日々を送っていたある日、薬を投与し続けても、魔法もユニークスキルも発動できない落ちこぼれの烙印を押され、魔の森に捨てられる。 森の中で魔物が現れ、少年は死を覚悟したその時、1人の女性に助けられた。 その後、女性により隠された力を引き出された少年は、シャカールと名付けられ、魔走学園の唯一の人間魔競走者として生活をすることになる。 これは、薬漬けだった主人公が、走者として成り上がり、ざまぁやスローライフをしながら有名になって、世界最強になって行く物語 今ここに、新しい異世界レースものが開幕する!スピード感のあるレースに刮目せよ! 競馬やレース、ウマ娘などが好きな方は、絶対に楽しめる内容になっているかと思います。レース系に興味がない方でも、異世界なので、ファンタジー要素のあるレースになっていますので、楽しめる内容になっています。 まずは1話だけでも良いので試し読みをしていただけると幸いです。

異世界に移住することになったので、異世界のルールについて学ぶことになりました!

心太黒蜜きな粉味
ファンタジー
※完結しました。感想をいただけると、今後の励みになります。よろしくお願いします。 これは、今まで暮らしていた世界とはかなり異なる世界に移住することになった僕の話である。 ようやく再就職できた会社をクビになった僕は、不気味な影に取り憑かれ、異世界へと運ばれる。 気がつくと、空を飛んで、口から火を吐いていた! これは?ドラゴン? 僕はドラゴンだったのか?! 自分がドラゴンの先祖返りであると知った僕は、超絶美少女の王様に「もうヒトではないからな!異世界に移住するしかない!」と告げられる。 しかも、この世界では衣食住が保障されていて、お金や結婚、戦争も無いというのだ。なんて良い世界なんだ!と思ったのに、大いなる呪いがあるって? この世界のちょっと特殊なルールを学びながら、僕は呪いを解くため7つの国を巡ることになる。 ※派手なバトルやグロい表現はありません。 ※25話から1話2000文字程度で基本毎日更新しています。 ※なろうでも公開しています。

[完結]異世界転生したら幼女になったが 速攻で村を追い出された件について ~そしていずれ最強になる幼女~

k33
ファンタジー
初めての小説です..! ある日 主人公 マサヤがトラックに引かれ幼女で異世界転生するのだが その先には 転生者は嫌われていると知る そして別の転生者と出会い この世界はゲームの世界と知る そして、そこから 魔法専門学校に入り Aまで目指すが 果たして上がれるのか!? そして 魔王城には立ち寄った者は一人もいないと別の転生者は言うが 果たして マサヤは 魔王城に入り 魔王を倒し無事に日本に帰れるのか!?

【幸せスキル】は蜜の味 ハイハイしてたらレベルアップ

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕の名前はアーリー 不慮な事故で死んでしまった僕は転生することになりました 今度は幸せになってほしいという事でチートな能力を神様から授った まさかの転生という事でチートを駆使して暮らしていきたいと思います ーーーー 間違い召喚3巻発売記念として投稿いたします アーリーは間違い召喚と同じ時期に生まれた作品です 読んでいただけると嬉しいです 23話で一時終了となります

オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~

鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。 そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。 そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。  「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」 オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く! ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。 いざ……はじまり、はじまり……。 ※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。

異世界遺跡巡り ~ロマンを求めて異世界冒険~

小狸日
ファンタジー
交通事故に巻き込まれて、異世界に転移した拓(タク)と浩司(コウジ) そこは、剣と魔法の世界だった。 2千年以上昔の勇者の物語、そこに出てくる勇者の遺産。 新しい世界で遺跡探検と異世界料理を楽しもうと思っていたのだが・・・ 気に入らない異世界の常識に小さな喧嘩を売ることにした。

知識スキルで異世界らいふ

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~

きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。 前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。

処理中です...