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第7章
第75話 海上の狩り
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海原を切り裂く潮風が、耳の奥で唸っていた。白い波頭が次々と現れては消え、広大な海が地平線まで続いている。帆船は北方へ向かい、海流を利用して速度を上げている。白い帆が朝日を受けて膨らみ、船体は海面を滑るように進んでいた。
しかし、俺の翼の方が速い。風向きも追い風で、飛行条件は申し分ない。鳥類の機動力は、どんな船舶よりも優位に立てる。上空からの視点で相手の動きを把握し、最適なタイミングで攻撃を仕掛けることができる。
(逃げ切れると思うなよ……)
心の中で呟きながら、俺は獲物を狩る猛禽類の本能を呼び覚ます。元は人間だった俺だが、今やこの鷲の身体は完全に自分のものとなっている。翼の筋肉の動き、風の流れの読み方、全てが自然に身についていた。
船体まで残り百メートル。距離が縮まるにつれて、船の詳細が見えてくる。中型の商船のような外見だが、甲板の造りに軍船の要素が混じっているのが気になった。俺は高度を落とし、甲板を一望できる位置へ降下した。
そこで見えたのは――意外な光景だった。予想していた逃走の準備ではなく、むしろ何かの作業を続けている様子だ。
甲板の中央、例の荷運び人が片膝をつき、何やら黒い布で包まれた物を広げている。彼の動作は慎重で、まるで爆弾を扱うかのような細心さだった。布の下には金属製の筒があり、表面には複雑な機構が取り付けられている。
俺の特殊能力が瞬時に察知した――汚染液だ。しかも港で発見したものよりも濃度が高く、より危険な代物だった。そして何より恐ろしいことに、男は蓋を外しかけている。
「おい、それを海に捨てる気か!」
怒声と同時に急降下。海に汚染液を大量投棄されれば、この海域全体が死の海と化してしまう。海洋生物への影響は計り知れず、沿岸の全ての港町が危険にさらされるだろう。
だが、男は俺の接近に気づいていたのか、腰から短剣を抜き放ち、驚くほど素早く構えた。その動きはただの商人ではない。明らかに戦い慣れした兵士の動きだった。筋肉の付き方も、武器の扱いも、全てが軍事訓練を受けた者のものだ。
「近づくな……羽根野郎!」
吐き捨てるような罵声とともに、男は短剣で俺の翼を狙って突き上げてきた。刃が陽光を反射して光る。刺突の角度から、彼が鳥類の急所を熟知していることが分かった。これは偶然の遭遇ではない。最初から俺のような空からの追跡者を想定していたのだ。
ギリギリでかわし、逆に爪で彼の手首を打つ。鋭い爪が肉を裂く感触と、短剣が甲板に転がる金属音が響いた。しかし、相手も只者ではない。
次の瞬間、男は腰の袋から小型の十字弩(クロスボウ)を引き抜き、矢を放った。その速射性に驚く間もなく、矢が俺の頭部を狙って飛んでくる。反射的に身を翻すも、矢の先端から黒い粉が散り、鼻腔に入りそうになる。
嗅いだことのない臭いだったが、直感的に危険だと判断した。俺は即座に息を止め、翼で風を巻き起こして粉を吹き飛ばす。強力な突風で粉は海風に散らされ、男の顔にも吹き返された。
「くっ……」
男は後ずさりしながら、金属筒を海へ蹴り飛ばそうとした。その行動を阻止するため、俺は甲板を蹴り、低い姿勢で一気に距離を詰める。鷲の脚力を生かした地上での機動性も、人間相手には十分な武器となる。
◆
組み合った瞬間、男の力が意外なほど強いことに気づいた。見た目よりもずっと筋肉質で、格闘技の心得もあるようだ。片手で俺の肩を押さえ込み、もう片方の手で懐から小瓶を取り出す。
液体は鮮やかな緑色――汚染液の濃縮体だ。港で見たものよりもさらに濃い色をしており、瓶の中で微かに泡立っている。この近距離で破られれば、俺も無事では済まないだろう。
「依頼は……果たす……!」
男の目には狂信的な光が宿っていた。金で雇われた単純な工作員ではない。何かの信念に基づいて行動している危険な人物だ。
そう言って瓶の蓋に手をかけた瞬間、俺は彼の腕を捻り上げ、小瓶を海へ投げ捨てた。瓶は弧を描いて海面に落ち、波に呑まれて消えていく。一つの危険は回避できたが、男の抵抗はまだ終わらない。
だがその隙に、男は口の中から小さな金属片を取り出し、自ら噛み砕く。カリッという音と共に、彼の表情が苦痛に歪んだ。直後、苦悶の表情を浮かべて崩れ落ちた。
自害用の毒。口の中に仕込んでいた最後の手段だった。医者としての本能が「助けろ」と叫ぶが、彼の喉からはすでに呼吸の音が消えていた。瞳孔は拡散し、脈拍も停止している。
俺は歯噛みしながら状況を受け入れる。せっかく捕らえた重要参考人を失ってしまったが、今更悔やんでも仕方がない。それよりも、彼が残した手がかりを見つける方が重要だ。
俺は男の懐を慎重に探る。複数のポケットがあり、それぞれに異なる用途の道具が収められていた。毒薬、解毒剤、金貨、偽造文書。そして最後に、金属板のような物が一枚出てきた。
手に取ってみると、ずっしりとした重量感がある。材質は青銅のような金属で、表面には細かい細工が施されていた。刻印は、港で見つけた金属箱と同じ幾何学模様――複雑な幾何学図形が組み合わさった、見たことのない文様だ。
そして、その裏には座標のような数字が刻まれていた。経度と緯度を示す数値のようだが、この地域の地理に詳しくない俺には正確な場所は分からない。しかし、これが重要な手がかりであることは間違いない。
(これが……依頼人の拠点か)
金属板を光にかざしてみると、刻印の細部がより鮮明に見えた。単なる装飾ではなく、何らかの意味を持った記号である可能性が高い。黒羽同盟の組織図や階級制度を示しているのかもしれない。
◆
船は操舵手を失い、波間を漂い始めた。帆は風に揺られているが、舵を取る者がいないため方向を失っている。このまま放置すれば、やがて座礁するか沈没するだろう。
俺は金属板をしっかり握りしめ、港へ戻るために翼を広げる。この証拠品をリィナに見せ、座標の場所を特定する必要がある。座標の先にあるのが何であれ、そこには今回の病と汚染液の正体が眠っている。
飛び立つ前に、もう一度船内を確認した。他に手がかりになりそうな物はないか、見落としている証拠品はないか。しかし、男が徹底的に証拠隠滅を図っていたようで、これ以上の収穫は期待できそうにない。
(必ず暴き出す……黒羽同盟の巣を)
海面を照らす朝日が、金属板の刻印を鈍く光らせた。その光は、これから始まる本格的な戦いの前触れのようでもあった。今回の一件は序章に過ぎない。真の敵は、この座標の先に待っているのだ。
俺は翼を大きく羽ばたかせ、港町へ向けて飛び立った。海風が頬を撫で、鷲としての本能が帰巣への道筋を示してくれる。しかし心の中は、新たな戦いへの覚悟で満たされていた。
リィナが待つ港町では、患者たちの容態がさらに悪化しているかもしれない。一刻も早く戻り、治療法の確立と敵の拠点攻略の準備を進めなければならない。この金属板が、全ての謎を解く鍵となることを祈りながら。
しかし、俺の翼の方が速い。風向きも追い風で、飛行条件は申し分ない。鳥類の機動力は、どんな船舶よりも優位に立てる。上空からの視点で相手の動きを把握し、最適なタイミングで攻撃を仕掛けることができる。
(逃げ切れると思うなよ……)
心の中で呟きながら、俺は獲物を狩る猛禽類の本能を呼び覚ます。元は人間だった俺だが、今やこの鷲の身体は完全に自分のものとなっている。翼の筋肉の動き、風の流れの読み方、全てが自然に身についていた。
船体まで残り百メートル。距離が縮まるにつれて、船の詳細が見えてくる。中型の商船のような外見だが、甲板の造りに軍船の要素が混じっているのが気になった。俺は高度を落とし、甲板を一望できる位置へ降下した。
そこで見えたのは――意外な光景だった。予想していた逃走の準備ではなく、むしろ何かの作業を続けている様子だ。
甲板の中央、例の荷運び人が片膝をつき、何やら黒い布で包まれた物を広げている。彼の動作は慎重で、まるで爆弾を扱うかのような細心さだった。布の下には金属製の筒があり、表面には複雑な機構が取り付けられている。
俺の特殊能力が瞬時に察知した――汚染液だ。しかも港で発見したものよりも濃度が高く、より危険な代物だった。そして何より恐ろしいことに、男は蓋を外しかけている。
「おい、それを海に捨てる気か!」
怒声と同時に急降下。海に汚染液を大量投棄されれば、この海域全体が死の海と化してしまう。海洋生物への影響は計り知れず、沿岸の全ての港町が危険にさらされるだろう。
だが、男は俺の接近に気づいていたのか、腰から短剣を抜き放ち、驚くほど素早く構えた。その動きはただの商人ではない。明らかに戦い慣れした兵士の動きだった。筋肉の付き方も、武器の扱いも、全てが軍事訓練を受けた者のものだ。
「近づくな……羽根野郎!」
吐き捨てるような罵声とともに、男は短剣で俺の翼を狙って突き上げてきた。刃が陽光を反射して光る。刺突の角度から、彼が鳥類の急所を熟知していることが分かった。これは偶然の遭遇ではない。最初から俺のような空からの追跡者を想定していたのだ。
ギリギリでかわし、逆に爪で彼の手首を打つ。鋭い爪が肉を裂く感触と、短剣が甲板に転がる金属音が響いた。しかし、相手も只者ではない。
次の瞬間、男は腰の袋から小型の十字弩(クロスボウ)を引き抜き、矢を放った。その速射性に驚く間もなく、矢が俺の頭部を狙って飛んでくる。反射的に身を翻すも、矢の先端から黒い粉が散り、鼻腔に入りそうになる。
嗅いだことのない臭いだったが、直感的に危険だと判断した。俺は即座に息を止め、翼で風を巻き起こして粉を吹き飛ばす。強力な突風で粉は海風に散らされ、男の顔にも吹き返された。
「くっ……」
男は後ずさりしながら、金属筒を海へ蹴り飛ばそうとした。その行動を阻止するため、俺は甲板を蹴り、低い姿勢で一気に距離を詰める。鷲の脚力を生かした地上での機動性も、人間相手には十分な武器となる。
◆
組み合った瞬間、男の力が意外なほど強いことに気づいた。見た目よりもずっと筋肉質で、格闘技の心得もあるようだ。片手で俺の肩を押さえ込み、もう片方の手で懐から小瓶を取り出す。
液体は鮮やかな緑色――汚染液の濃縮体だ。港で見たものよりもさらに濃い色をしており、瓶の中で微かに泡立っている。この近距離で破られれば、俺も無事では済まないだろう。
「依頼は……果たす……!」
男の目には狂信的な光が宿っていた。金で雇われた単純な工作員ではない。何かの信念に基づいて行動している危険な人物だ。
そう言って瓶の蓋に手をかけた瞬間、俺は彼の腕を捻り上げ、小瓶を海へ投げ捨てた。瓶は弧を描いて海面に落ち、波に呑まれて消えていく。一つの危険は回避できたが、男の抵抗はまだ終わらない。
だがその隙に、男は口の中から小さな金属片を取り出し、自ら噛み砕く。カリッという音と共に、彼の表情が苦痛に歪んだ。直後、苦悶の表情を浮かべて崩れ落ちた。
自害用の毒。口の中に仕込んでいた最後の手段だった。医者としての本能が「助けろ」と叫ぶが、彼の喉からはすでに呼吸の音が消えていた。瞳孔は拡散し、脈拍も停止している。
俺は歯噛みしながら状況を受け入れる。せっかく捕らえた重要参考人を失ってしまったが、今更悔やんでも仕方がない。それよりも、彼が残した手がかりを見つける方が重要だ。
俺は男の懐を慎重に探る。複数のポケットがあり、それぞれに異なる用途の道具が収められていた。毒薬、解毒剤、金貨、偽造文書。そして最後に、金属板のような物が一枚出てきた。
手に取ってみると、ずっしりとした重量感がある。材質は青銅のような金属で、表面には細かい細工が施されていた。刻印は、港で見つけた金属箱と同じ幾何学模様――複雑な幾何学図形が組み合わさった、見たことのない文様だ。
そして、その裏には座標のような数字が刻まれていた。経度と緯度を示す数値のようだが、この地域の地理に詳しくない俺には正確な場所は分からない。しかし、これが重要な手がかりであることは間違いない。
(これが……依頼人の拠点か)
金属板を光にかざしてみると、刻印の細部がより鮮明に見えた。単なる装飾ではなく、何らかの意味を持った記号である可能性が高い。黒羽同盟の組織図や階級制度を示しているのかもしれない。
◆
船は操舵手を失い、波間を漂い始めた。帆は風に揺られているが、舵を取る者がいないため方向を失っている。このまま放置すれば、やがて座礁するか沈没するだろう。
俺は金属板をしっかり握りしめ、港へ戻るために翼を広げる。この証拠品をリィナに見せ、座標の場所を特定する必要がある。座標の先にあるのが何であれ、そこには今回の病と汚染液の正体が眠っている。
飛び立つ前に、もう一度船内を確認した。他に手がかりになりそうな物はないか、見落としている証拠品はないか。しかし、男が徹底的に証拠隠滅を図っていたようで、これ以上の収穫は期待できそうにない。
(必ず暴き出す……黒羽同盟の巣を)
海面を照らす朝日が、金属板の刻印を鈍く光らせた。その光は、これから始まる本格的な戦いの前触れのようでもあった。今回の一件は序章に過ぎない。真の敵は、この座標の先に待っているのだ。
俺は翼を大きく羽ばたかせ、港町へ向けて飛び立った。海風が頬を撫で、鷲としての本能が帰巣への道筋を示してくれる。しかし心の中は、新たな戦いへの覚悟で満たされていた。
リィナが待つ港町では、患者たちの容態がさらに悪化しているかもしれない。一刻も早く戻り、治療法の確立と敵の拠点攻略の準備を進めなければならない。この金属板が、全ての謎を解く鍵となることを祈りながら。
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