49 / 90
第3章 心に棲む者と審問の楔
第48話 夢現の恋ばなし
しおりを挟む
白い靄。ひんやりと冷たい空気が頬を撫でる。そんな静かな空気の中、藍良は真白と向かい合っていた。ここ最近、日課になった彼女との会話が、藍良のひそやかな楽しみとなっていた。
「千景ね、激辛好きだったの!ビックリでしょ?」
「へえ」
藍良の声は弾んでいた。千景が家に居候を始めてからおよそ二カ月。彼の暮らしぶりや好みも大分わかってきた。先日、辛口のドライカレーを作ったのだが、余程口に合ったのか、千景は三杯もおかわりした。そして「辛いものが好き」と打ち明けてくれたのだ。「おいしい、おいしい~」と繰り返しながら嬉しそうにドライカレーを頬張る千景を思い出して、藍良は自然と笑みがこぼれる。
「……今度は別の辛い料理作ってみようかな。千景が喜びそうなの……何がいいかなあ」
そんな独り言のような呟きに、真白がふっと微笑んだ。
「な、何?」
「随分楽しそうだなと思って」
途端に藍良の頬が赤く染まる。話し過ぎた。というのも、咲の前では惚気ていると思われるのが恥ずかしくて、千景の話は敢えて避けていたのだ。その反動なのか、藍良はここ数日、真白に千景の話ばかりしていた。
「ごめん、わたしばっかり話しちゃって」
「全然。激辛料理か……麻婆豆腐は?喜ぶんじゃないかな」
「いいね!麻婆豆腐か~!作ったことないから、レシピ調べなきゃ」
へへへっと笑う藍良。その笑顔を見ながら、真白の声色が僅かに落ち着く。
「……そのあと、千景に変わった様子は?」
「え?」
「藍良のことを……疑っているような素振りはないか?」
「うーん……」
藍良は小さく息を飲み、上を見ながら目を閉じた。ここ数日の千景の態度を一つひとつ思い返す。だが、胸にひっかかるような出来事はなかった。
「前に一度聞かれたけど、そのあとは特にないかな。それより兼翔だね、怪しんでるのは」
藍良の表情が曇る。もうひとりの死神審問官──橘兼翔は、ユエの一件以来、あからさまに藍良を監視するような素振りを見せていた。昨日の昼休み、藍良は千景、咲と一緒に屋上で昼食を食べていたのだが、その様子を影からこっそり見つめていたのだ。とはいえ、屋上に身を隠す場所はないから、監視しているのはバレバレなのだが。
さらに、放課後に咲と体育館裏で話していたときも、兼翔はどこで拾ったのか、右手に大きな木の枝を持ち、それで自分の姿を隠しながら藍良を見ていた。当然ながら、枝の隙間から兼翔の姿は丸見えで、気付くなり藍良は思わず吹き出してしまった。
兼翔とは正直、あまり言葉を交わしたことはない。無表情でぶっきらぼうで、話しかけても会話が続かないのだ。だが、その不器用さが逆に彼の行動の滑稽さを目立たせていて、ここ最近藍良の中では奇妙な親しみが生まれていた。その話を真白にすると、彼女は肩を震わせて小さく笑った。
「なかなか面白い奴だな。コソコソせずに直接聞いてくればいいものを。審問官なのに、思いのほか馬鹿なのか。そういう意味では安心だ」
容赦ない真白のひと言に、藍良はまた吹き出した。
「とはいえ、念のため気をつけろよ」
「兼翔?大丈夫、大丈夫。何か聞かれたときの答えは、頭の中でシチュエーション済みだから」
「それもそうだが、ああいうタイプはこっちの予想の斜め上をいくかもしれない。行動がエスカレートしたらすぐに知らせろ」
「エスカレート?」
二人の間に、一瞬の沈黙。
藍良は少し考えたあと、首を傾げながら呟いた。
「たとえば……?」
真白は腕を組み、淡々とした声で言う。
「……夜、コンビニに行った帰り道……電柱の影から、目を血走らせ、呼吸荒く、じいいっと見つめてくる……とか」
…………。
…………怖ッ!!
「完全にストーカーじゃん!」
「だから言ってる。行動がエスカレートすることがあれば、すぐに言え。まあ、そんなことになったら、わたしの前に間違いなく千景がブチキレるだろうけど」
……ありそう。
藍良は顔を引きつらせながら、心の中で呟いた。その瞬間、白い靄がゆっくりと薄れ、夢の世界がほどけ始める。朝が来るのだ。藍良はそう察すると、名残惜しげにため息を落とした。
「あーあ。もう朝かあ。もっと話したいのに」
すると、真白は柔らかく微笑んだ。
「また夜に。学校、頑張れ」
真白の言葉が、靄の中でそっと響く。藍良は小さく頷き、指先をひらりと振った。世界がゆっくりと遠ざかる。意識が薄まったかと思った次の瞬間、藍良は瞼を瞬かせた。見慣れた天井。布団の温もり。そして、現実の音が一気に押し寄せる。
──ピピピピピッ!
いつもの目覚まし時計が、この日も変わらず元気よく鳴り響いていた。
「千景ね、激辛好きだったの!ビックリでしょ?」
「へえ」
藍良の声は弾んでいた。千景が家に居候を始めてからおよそ二カ月。彼の暮らしぶりや好みも大分わかってきた。先日、辛口のドライカレーを作ったのだが、余程口に合ったのか、千景は三杯もおかわりした。そして「辛いものが好き」と打ち明けてくれたのだ。「おいしい、おいしい~」と繰り返しながら嬉しそうにドライカレーを頬張る千景を思い出して、藍良は自然と笑みがこぼれる。
「……今度は別の辛い料理作ってみようかな。千景が喜びそうなの……何がいいかなあ」
そんな独り言のような呟きに、真白がふっと微笑んだ。
「な、何?」
「随分楽しそうだなと思って」
途端に藍良の頬が赤く染まる。話し過ぎた。というのも、咲の前では惚気ていると思われるのが恥ずかしくて、千景の話は敢えて避けていたのだ。その反動なのか、藍良はここ数日、真白に千景の話ばかりしていた。
「ごめん、わたしばっかり話しちゃって」
「全然。激辛料理か……麻婆豆腐は?喜ぶんじゃないかな」
「いいね!麻婆豆腐か~!作ったことないから、レシピ調べなきゃ」
へへへっと笑う藍良。その笑顔を見ながら、真白の声色が僅かに落ち着く。
「……そのあと、千景に変わった様子は?」
「え?」
「藍良のことを……疑っているような素振りはないか?」
「うーん……」
藍良は小さく息を飲み、上を見ながら目を閉じた。ここ数日の千景の態度を一つひとつ思い返す。だが、胸にひっかかるような出来事はなかった。
「前に一度聞かれたけど、そのあとは特にないかな。それより兼翔だね、怪しんでるのは」
藍良の表情が曇る。もうひとりの死神審問官──橘兼翔は、ユエの一件以来、あからさまに藍良を監視するような素振りを見せていた。昨日の昼休み、藍良は千景、咲と一緒に屋上で昼食を食べていたのだが、その様子を影からこっそり見つめていたのだ。とはいえ、屋上に身を隠す場所はないから、監視しているのはバレバレなのだが。
さらに、放課後に咲と体育館裏で話していたときも、兼翔はどこで拾ったのか、右手に大きな木の枝を持ち、それで自分の姿を隠しながら藍良を見ていた。当然ながら、枝の隙間から兼翔の姿は丸見えで、気付くなり藍良は思わず吹き出してしまった。
兼翔とは正直、あまり言葉を交わしたことはない。無表情でぶっきらぼうで、話しかけても会話が続かないのだ。だが、その不器用さが逆に彼の行動の滑稽さを目立たせていて、ここ最近藍良の中では奇妙な親しみが生まれていた。その話を真白にすると、彼女は肩を震わせて小さく笑った。
「なかなか面白い奴だな。コソコソせずに直接聞いてくればいいものを。審問官なのに、思いのほか馬鹿なのか。そういう意味では安心だ」
容赦ない真白のひと言に、藍良はまた吹き出した。
「とはいえ、念のため気をつけろよ」
「兼翔?大丈夫、大丈夫。何か聞かれたときの答えは、頭の中でシチュエーション済みだから」
「それもそうだが、ああいうタイプはこっちの予想の斜め上をいくかもしれない。行動がエスカレートしたらすぐに知らせろ」
「エスカレート?」
二人の間に、一瞬の沈黙。
藍良は少し考えたあと、首を傾げながら呟いた。
「たとえば……?」
真白は腕を組み、淡々とした声で言う。
「……夜、コンビニに行った帰り道……電柱の影から、目を血走らせ、呼吸荒く、じいいっと見つめてくる……とか」
…………。
…………怖ッ!!
「完全にストーカーじゃん!」
「だから言ってる。行動がエスカレートすることがあれば、すぐに言え。まあ、そんなことになったら、わたしの前に間違いなく千景がブチキレるだろうけど」
……ありそう。
藍良は顔を引きつらせながら、心の中で呟いた。その瞬間、白い靄がゆっくりと薄れ、夢の世界がほどけ始める。朝が来るのだ。藍良はそう察すると、名残惜しげにため息を落とした。
「あーあ。もう朝かあ。もっと話したいのに」
すると、真白は柔らかく微笑んだ。
「また夜に。学校、頑張れ」
真白の言葉が、靄の中でそっと響く。藍良は小さく頷き、指先をひらりと振った。世界がゆっくりと遠ざかる。意識が薄まったかと思った次の瞬間、藍良は瞼を瞬かせた。見慣れた天井。布団の温もり。そして、現実の音が一気に押し寄せる。
──ピピピピピッ!
いつもの目覚まし時計が、この日も変わらず元気よく鳴り響いていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜
桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。
上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。
「私も……私も交配したい」
太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる