虚映ノ鏡は真を映さず ─神気宿す少女と、月詠む死神審問官─

あさとゆう

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最終章 運命の死神審問会

第80話 審護に立つ死神

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 朝。藍良はベッドの中で目を覚ました。布団の中でモゾモゾと身体を動かすと、首元にかすかな違和感を覚える。手を伸ばすと、にゅるりとした感触が指先に伝わった。

 タマオだ。

 首に巻きついたまま、静かに目を閉じるタマオ。スヤスヤとした寝顔を見て、藍良は小さく笑った。

 起こさないように気をつけながら、うーんと背伸びをして、藍良はそっとベッドから抜け出した。机に置いていたお弁当箱を手に取り、パカッと蓋を開け、サンドイッチをぱくりとひと口。藍良はひと息つくと、唇をきゅっと噛みしめた。今日は運命の特別最高審問。気を引き締めなければ……。すると、

「ふおおお……藍良ぁぁ~」

 タマオがむにゃむにゃと目を覚まし、藍良を見つめた。藍良は「おはよう」と言いながら、そっと鱗を撫でる。

「藍良、わしも、わしも食べるう~~」

 タマオはそう言うと、サンドイッチを見て舌をペロペロと覗かせた。藍良はサンドイッチから卵の具だけを取り分けて、てのひらに乗せる。タマオは身を伸ばし、ペロリと平らげた。

「ウマい、ウマい」
「良かったね、タマオ」

 そうしてささやかな朝食を終え、身支度を整えた。そのタイミングで、控えめなノック音が響く。扉を開けると、そこには蘭丸。品良く頭を下げると、穏やかに告げる。

「……よく眠れましたか?水無瀬さん」

 藍良は一瞬だけ間を置いてから、にっこりと微笑んだ。

「おかげさまで」

 すると、蘭丸は何も言わず、ちらりと藍良の首元へ視線を落とした。そこにはマフラーと化したタマオが巻きついていたわけだが、蘭丸は特に何を言うでもなく、静かにきびすを返した。どうやら、「ついてこい」と言いたいらしい。

 蘭丸の背中を見ながら、藍良は胸にあった小さな疑念がはっきりとした形となるのを感じていた。

 ひとつ目は、彼の態度。
 藍良を審問するにしては、穏やか過ぎる。余裕ぶった話し方には多少の引っかかりを覚えたものの、そこに悪意はまったく感じられなかった。

 ふたつ目は、藍良が自分を審護する死神の派閥を選んだとき。
 彼は自らが所属する幽光派を勧めつつも、藍良がその名を口にした途端、一転して険しい表情を向けた。まるで本心では「幽光派は選ぶな」と言っているように思えたのだ。

 そしてみっつ目。やたらと藍良を気にかけていること。
 差し入れをするよう兼翔に伝えたのも、タマオに「傍にいてあげてください」と頼んだのも、千景に「藍良の審護をする死神を探してくれ」と託したのも、すべて蘭丸。

 普通、敵対する立場の死神が、ここまでするだろうか。

 今もそうだ。首元に巻きつくタマオに気付いているのに、咎めるようなことはしなかった。

 幽光派の彼が、ここまで藍良に肩入れする理由。
 真意はわからないが、少なくとも敵ではない。藍良にはそう思えてならなかった。

「ねえ、蘭丸。昨日はありがとう、いろいろと」

 蘭丸は一瞬足を止める。だが、次の瞬間には前を向き、何事もなかったかのように歩き出した。

「何のことですか」

 静かに落ちる淡々とした声。藍良は小さく息を吐きながら、再びその背中を追いかける。やはり、彼の態度は矛盾だらけ。何か意味があるのだろうか?

 とはいえ、今はそれを考えている場合ではない。この特別最高審問を、どうにかして乗り越えなければ。藍良は小走りで蘭丸の横へ付くと、こう問いかけた。

「あのさ、わたしの審護をする死神って決まったの?」

 蘭丸はようやく、ほんの少しだけ口元を緩める。

「来ればわかりますよ」

 やがて、藍良たちは、無機質な扉の前で立ち止まった。蘭丸が扉に触れると、重々しく開かれ、奥からエレベーターのような箱が姿を現す。促されるまま乗り込むと、ガタンという音とともに下降し、地下へと向かっていった。

 扉が開いた瞬間、藍良は息を呑んだ。

 目の前に広がっていたのは、広大な空間だった。床は硬質な大理石で、磨き上げられた表面が壁や天井の光を美しく反射している。

 入口の両脇には、三メートルほどの大きさの二体の銅像。
 高貴な衣を纏った二人の男が、右手に本を携え、左手の人差し指を真っ直ぐ前へ突き出している。

「……これ、誰?」
「歴代の最高審問官、白隠様と幽光様の銅像です」

 藍良は、思わず目を丸くした。死神審問会の二大派閥、白隠派と幽光派。それは、かつての最高審問官の名から、付けられたものだったのか。

「こちらです」

 蘭丸は、再び歩き出した。カツ、カツ、と澄んだ足音が、広い空間に規則正しく響く。進むにつれ、周囲には蘭丸と同じ黒装束の人影が続々と現れた。いや、人ではなく、正確には死神たちだ。

 彼らは藍良をちらりと見ては、ひそひそと小声を交わす。好奇の視線、値踏みするような視線。そのすべてが、容赦なく胸に刺さる。異様な空気を払しょくするように、藍良は首に巻きついたタマオにそっと触れ、唇を噛んで歩き続けた。

 やがて、藍良と蘭丸は重厚な扉の前へと辿り着いた。蘭丸は真鍮しんちゅうの取っ手に手を掛け、扉を引き開ける。

 高い天井。同じく磨き上げられた大理石。重厚で荘厳だ。空気はぴんと張りつめ、場に満ちる緊張感が、嫌でも伝わってくる。向かって右と左には、大きな机がそれぞれ配置されていた。まるで、法廷の検察官席と弁護人席のようだ。

 中央にぽつんと置かれた一脚の席。それはまさしく、被告人のための場所のように思えた。そして、そのさらに奥。ひときわ高い位置に据えられた椅子を見た瞬間、藍良は直感した。

 ――あそこに座るのは、きっと幻道さんだ。

 役割で言えば、裁判長。この場のすべてを裁く存在だ。

 蘭丸は、再び歩を進めるが、すぐに足を止め、振り返った。藍良が呆然と、その場に立ち尽くしていたからだ。

 一気に押し寄せる緊張に、藍良の足はかすかに震えていた。そんな藍良に、蘭丸は誰にも聞こえないほどの声でささやいた。

「ご心配には及びません。あなたは、決してひとりではありませんよ。傍には神蛇様。そして、あそこにあなたの審護を務める審問官が控えています」

 そう言って、向かって右側の席を指し示した。そして、席を見つめるなり、思わず両手で口を覆う。

 そこには、こちらに背を向ける形で、ひとりの男が立っていた。黒装束に包まれた体躯たいく。短く整えられた髪は薄茶色で、その色合いが不思議と映える。やがて、気配を察したのか、男はゆっくりと振り返った。

 鋭い眼光。感情を読み取らせない、固い表情。
 見間違えるはずがない。
 そこにいたのは、あの兼翔だったのだ。

「……け、け、け……兼翔!!??」

 驚きのあまり声が裏返り、藍良は反射的に駆け出した。だが、審護席へと続く通路に小さな段差があることに気づかず、ドテッと転ぶ。

「あいたたた……」
「あ、藍良!大丈夫かの」

 タマオの声に、藍良ははにかむように笑って頷く。立ち上がろうとした、そのときだった。

 目の前に、スッと差し出される手。それは大きく骨ばっていて、とても頼もしく思えた。

「世話が焼けるな。立てるか」

 藍良が兼翔の手を握ると、兼翔がグッと引き上げた。藍良はそのまま、矢継ぎ早に声をかける。

「まさか、兼翔が来てくれるなんて思わなかった!」
「あ?」
「だって、あんた……」

 ――わたしのこと、疑ってると思ってたから。

 藍良は、続きの言葉を喉の奥に飲み込んだ。せっかく審護に来てくれたのに、口にするのは失礼だと思ったのだ。すると、兼翔が小さく笑う。

「阿保が。こんなとき、あいつが頼るのはこの俺しかいない」

 その目は、今までに見たこともないほど力強かった。藍良は知っている。兼翔は一見、千景とは犬猿の仲。けれど同時に、誰よりも彼を理解している存在だということを。

 そのときだった。

 タマオと兼翔が、何かの気配を察したかのように、入口へと視線を向ける。藍良も、つられてそちらを見ると、そこには蘭丸の姿。そしてその脇に、ひとりの女性が静かに佇んでいた。

 ――花倉真澄。

 整った顔立ち、艶のある黒髪、黒縁の眼鏡。それは、かつて目にした、あの彼女そのものだった。

 花倉は蘭丸に促されるまま、ゆっくりと階段を降りていく。
 そして藍良たちの真正面――蘭丸と並ぶ形で審護席へと腰を下ろした。

 その瞬間、黒装束の死神たちが次々と入廷してきた。どうやらこの特別最高審問は、大勢の死神が見守る中で行われるらしい。

 やがて、百を優に超える死神が席に着く。そして最後に、ひときわ威厳を放つ死神が、静かに姿を現した。

 首元から手首、足首までを覆う黒装束。胸元には、銀色の月の紋章が施され、きらりと光を放っている。白髪ではあるが、年の頃は四十代ほど。口元には穏やかな微笑みを携えてはいるものの、眼光は鋭く、兼翔と同じように表情から感情は読み取れない。

 ――この死神だ。

 藍良は直感した。この死神こそが審問官たちを束ねる存在――幻道なのだと。

 幻道は階段を下りると、少し高い位置に設えられた自身の席へと腰を下ろす。
 そして、一同を見渡し、こう告げた。

「只今より、特別最高審問の開廷を宣言する」

 その言葉を合図に、審問官たちが一斉に頭を下げた。藍良も慌ててそれに倣う。目を泳がせながら顔を上げたそのとき、隣から兼翔の声が届いた。

「いよいよだ。千景と笑って会うためにも、しっかり気張れよ、水無瀬」

 藍良は小さく頷くと、拳をぎゅっと握りしめた。
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