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越方 しおん(エツカタ シオン)
5:苛立ちと動揺
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六月二十日。十六歳の誕生日を迎えた日の夕方。
週の半ばを学校で過ごした帰り道、ひとつの違和感が頭の中をグルグル巡っていた。
真黒くんのトゲトゲしい態度が丸くなった? 第三者から見てみて、いかにも無理している感じが抜けたような。
例えば、落し物をして誰かが困っていたとする。すると彼はその人に持っていた場所など細かく整理させ見つけさせる。普通そんなことする?
でも今週に入って同じことが起きクラスメイトが彼を頼る。
「テスト近いし、勉強が忙しいから先生にお願いしてくれる?」
この言葉に誰もが驚き、いつものように自分の好感度のためなら捨て身にならないのかと拍子抜けしてしまった。何が彼をここまで変わらせたんだろう。
ま、関わらなくなった以上ずっとわからないままなんだろうけど。
…
……
六月二十五日。今日は職員会議のため午前放課の日。終業のチャイムと同時に、顔色の良くない沢村くんが廊下へ一目散に駆け出す。
ホームルーム終わりに帰り支度を始めて五分ほど経ったころ。
「おい! キザヨイと女が食堂でケンカしてるぞ!」
沢村くんはドアを勢いよく開け、戸惑いと興奮が入り混じったような表情で、教室にいる私たちに息を切らしながらも笑顔で報告する。
それを聞いたほとんどの生徒が食堂に向かい走り出す。滅多にない騒動を広めようと他のクラスにも知らせようとする者もいた。
特に意識はしていなかったが、真黒くんと沢村くんの後ろを歩く形となり、悪いと思いながらもこっそり経緯を聞く。
「三階の男トイレって和式だけだろ?だから洋式がある一階までダッシュで入ってさ」
「間に合ったのか?」
「間に合ったに決まってんだろ。もし間に合ってなかったら落ち込んでジャージに着替えてるとこだっつーの」
軽いジョークを挟む真黒くんに突っ込みつつ説明を続ける。ちなみに一階の洋式トイレは来客用のため生徒使用禁止となっている。
「スッキリしてトイレから出ると、食堂から男と女の話し声が聞こえてきてよ。俺の勘? 第六感が奮い立たせるもんでこっそり覗いてみたってわけ」
「意味わかんねーよ。つまりその相手がキザヨイか」
「そうそう。女の方はよく見えなかったけどな」
キザヨイは一部の女子から人気だし、女性問題もひとつやふたつあってもおかしくなさそう。
だけどなぜに食堂? その場所に関連する女性を私はひとり知っている。まさか、ね……
…
……
「今回の期末テストは負けられないの。次こそあいつを二位に転落させてやるんだから!」
『あいつ?』
「高校入学前のテストから今までどんな教科も一位でさー。しかも運動神経も抜群だし、顔だって女子がキャーキャー言うくらいのイケメンでね。だけど自分に対しての舌打ちも聞いたし相当の腹黒だよ。良い人を取り繕う感じがちょっと目に余るっていうか」
『……その腹黒の中にも理由があるかもよ?』
ゆりねえの含みのある言い方に、疑問を感じて思わず聞き返す。
「どういうこと?」
『なんでもない。勉強ファイト』
「う、うん。ありがとう。またね」
二日前のこの電話を最後に連絡がプツリと途絶えた。てっきりテストの邪魔にならないよう気を遣ってくれてるのだろうと思っていたが、毎日やり取りしていただけに不安が募る。
それが……これか。キザヨイとゆりねえが向かい合っている。やっぱりね。動揺より納得の方が勝っていた。
「お前、なにやってんだ!」
「あぁ、アカシくん。ちょうど良かった。あなたもここにいてくれる?」
真黒くんが割り込みゆりねえの肩を掴む。それに対して本人はあっけらかんとした返事。
何? ふたりは知り合いなの?
「さてと……」
ゆりねえは私の存在に気づいていない様子で、鞄から写真と書類を取り出し床にばら撒く。あぁ、こういう場面ドラマで観たことある。その物体をキザヨイは一心不乱にかき集める。
何かと思い一枚拾ってみてみると……真黒くんの写真?
正確にはカメラに目線を合わせていない盗撮したもの。登校、授業、校内集会、下校などなど。いつだかの学食でカレーを食べているのもあった。あぁ、シャッター音はうどんに向けられたものじゃなくて……
真黒くんだけではなく、沢村くんを始めとした美男美女と呼ばれる生徒ものもあり周囲を驚かせた。
他の教師が駆けつけたが、ただならぬ空気と邪魔があり思うように動けずにいるようだ。
「てめぇ……」
キザヨイを殴ろうと、前に出る真黒くんをゆりねえが制する。
「邪魔すんなよ! 殴らせろ!」
「いいから待ってて」
まるで獰猛な犬をしつける飼い主みたいだと脳裏を過ぎる。意外と自分って冷静なんだ。
ゆりねえはキザヨイの近くまで近寄り、狼狽える目を真っ直ぐ見つめた。
「十六夜さん、あなたはこの学校の生徒を盗撮しインターネットで写真を売っていた。間違っていませんか?」
「ち、違う! 俺じゃない!」
「証拠は警察に任せますが、この写真はあなたが受け持つ授業のはずです」
そう言い彼女が見せたのは、古文の授業を受けている真黒くんの写真だった。確かに担当科目は古文……
「違う……」
もう一枚別の書類を取り出すと、奴はそれを見るなり目を丸くし土下座した。
「それだけは……! どうかそれだけは……!」
一体何をしたんだろう?そう思考を巡らせている間に警察が到着しキザヨイは連行された。
その後ゆりねえ事情聴取されたが、今回の発見もあり厳重注意のみに終わったようだ。
又聞きによると、キザヨイは美容整形を受けていて、学生時代に顔が原因でいじめを経験し強いコンプレックスを持っていたらしい。
教員となり生徒と接しているうちに、美男美女を妬むようになり盗撮した写真やデータをネットで売っていた。
「お前らはその綺麗な顔があるんだから、ちょっと小遣いもらうくらい良いと思ってやった」
腹立たしい。意味がわからない。私怨で懐に入れようだなんて。
警察はインターネットに掲載された生徒の画像をしらみつぶしに削除しているという。被写体に大きな被害はなく、それだけは不幸中の幸いと言うべきか。それでも少数ながら被害届を出した家庭もあるとのこと。然るべき裁きを受け、己の罪と愚かさを反省してほしいと願うばかりである。
警察に献上した被写体のリストのコピーを見たとき、そこに載っていた私に対して、おもちゃにしてきた四人の名前がなかったことに不謹慎ながら優越感を感じてしまう。家族はもちろん今話してるゆりねえにだって言えないもんね。
そうそう、期末テストはやはりというか全ての科目で二位という結果で終わった。でも死ぬ気で挑んだから後悔していない。
…
……
七月七日の週末。頑張った褒美としてゆりねえがクレープをご馳走してくれた。自分の誕生日だっていうのに奢られてしまって申し訳なくなる。
また彼女のアパートにお邪魔したとき私から花のクチナシをプレゼントした。枯れないように、特殊な液体に浸け水分を抜いたプリザーブドという手法だ。
「わー、ありがとう! 大切にするね」
「名前の通り百合と迷ったんだけど、誕生花の中でそのクチナシがゆりねえに合ってる気がして」
「誕生日別に花が割り振られているなんて素敵だよね。嬉しいよ」
「どういたしまして」
「このあとに言うのも嫌なんだけどさ……」
花を抱えたまま苦い顔をしたゆりねえは重い口を開けた。
今回学校に迷惑をかけてしまったので、仕事を辞め七月中には実家に引っ越すことを。
しょんぼりする私を見て彼女はメールや電話でもやりとりできるからと励ましてくれた。そうだ、二度と会えないわけじゃない。
そして地元の名産品を送るのに住所を教えてほしいと言うので喜んでメモに書いた。
「ここのアパートを引き払って電車に乗るのが夏休みに入る前なの。見送りに来てくれたら嬉しいな」
「もちろん! むしろ断る理由がどこにあるの?」
「よかった。具体的な時間と場所はあとで教えるよ。それにしおんちゃんに会わせたい人がいるんだよね」
ゆりねえはそう言うとニヤリと笑った。荷造りを家族に手伝ってもらうとかかな? 特に深い意味を考えず首を縦に振った。
省エネ対策らしく28℃に設定されたエアコンの風が心地よい。涼しすぎるくらいなので外気はそれだけ暑いということ。
しんみりとした間をなくすため彼女に問いかける。
「ねぇ、クチナシの花言葉って知ってる?」
「ううん。教えて」
「『私はとても幸せです』。それと『喜びを運ぶ』。出会えてとても幸せだったよ」
「こちらこそ、本当にありがとう」
夏ももう本番だ。ゆりねえと夏休み中も一緒にいたかった。
部屋の中を満たす甘いのに切ないこの香りを私は一生忘れないだろう。
…
……
今年の最高気温を更新した七月中旬のある日。私は約束した場所、時間に主役を待っていた。
今度こそあんなバカップルみたいな仕打ちをされないようにと、外壁にピッタリと背中を付け入り込む隙間をなくす。これで完璧、どんと来やがれ。
そう考えているそばからゆりねえがこちらに向かって歩いてきた。最初にこっちから気がつけば驚くこともないから安心。
ホッと胸をなでおろし、再び彼女を見ると全力疾走で駆け寄って来る。
咄嗟に両手を前に突き出し『ストップ!』のジェスチャーをしても一向に勢いがおさまらない。
ついに目の前にやってきた。『ぶつかる!』と思ったその瞬間、壁に手を付け俗に言う壁ドンをしてきた。
これがイケメンだったら相手の女の子はときめくんだろうなぁ。……いや、いくらイケメンでも全力疾走は怖いか。
鬱陶しい。暑苦しい。そもそも私の身長の方が若干高いから全く様になってない。身を屈めると腕から脱出する。
「もうビックリするからやめて! それに全然待ってない!」
「ふふふ。『だーれだ?』対策に壁際にいたんだろうけど甘い甘い」
人差し指を横に振り『チッチッチッ』と動作をする。行動を見破られていたとは不覚。
「だとしても! 周りの人も見てるし心臓が止まるからホント勘弁してよ」
「はいはい。ゴメンゴメン」
全然反省していない様子に腹が立ちつつも、このやり取りが最後だと思うと胸がキュッ苦しくなる。
「お前、人を驚かさないと死ぬ病気なのか?」
ゆりねえが声のする方へ顔を向け歩み寄る。
「だってリアクション面白いんだもん。もう最高でさぁ」
「いい加減にしねぇとそのうち刺されるぞ」
「いいの! しおんちゃんはそんな子じゃないから」
「毎回その自信はなんなんだよ」
からかいの言葉が投げかけられるが頭に入ってこない。
私が棒立ちしているのに気づいたのかゆりねえは彼を紹介する。できれば関わりたくなかった男……
「しおんちゃん、同じクラスだから知ってるよね? 悪魔……じゃなかった。真黒燈くん!」
「おい、悪魔はやめろ、ビビり」
「そっちこそビビりって呼ばないで!」
……ウソでしょ?
週の半ばを学校で過ごした帰り道、ひとつの違和感が頭の中をグルグル巡っていた。
真黒くんのトゲトゲしい態度が丸くなった? 第三者から見てみて、いかにも無理している感じが抜けたような。
例えば、落し物をして誰かが困っていたとする。すると彼はその人に持っていた場所など細かく整理させ見つけさせる。普通そんなことする?
でも今週に入って同じことが起きクラスメイトが彼を頼る。
「テスト近いし、勉強が忙しいから先生にお願いしてくれる?」
この言葉に誰もが驚き、いつものように自分の好感度のためなら捨て身にならないのかと拍子抜けしてしまった。何が彼をここまで変わらせたんだろう。
ま、関わらなくなった以上ずっとわからないままなんだろうけど。
…
……
六月二十五日。今日は職員会議のため午前放課の日。終業のチャイムと同時に、顔色の良くない沢村くんが廊下へ一目散に駆け出す。
ホームルーム終わりに帰り支度を始めて五分ほど経ったころ。
「おい! キザヨイと女が食堂でケンカしてるぞ!」
沢村くんはドアを勢いよく開け、戸惑いと興奮が入り混じったような表情で、教室にいる私たちに息を切らしながらも笑顔で報告する。
それを聞いたほとんどの生徒が食堂に向かい走り出す。滅多にない騒動を広めようと他のクラスにも知らせようとする者もいた。
特に意識はしていなかったが、真黒くんと沢村くんの後ろを歩く形となり、悪いと思いながらもこっそり経緯を聞く。
「三階の男トイレって和式だけだろ?だから洋式がある一階までダッシュで入ってさ」
「間に合ったのか?」
「間に合ったに決まってんだろ。もし間に合ってなかったら落ち込んでジャージに着替えてるとこだっつーの」
軽いジョークを挟む真黒くんに突っ込みつつ説明を続ける。ちなみに一階の洋式トイレは来客用のため生徒使用禁止となっている。
「スッキリしてトイレから出ると、食堂から男と女の話し声が聞こえてきてよ。俺の勘? 第六感が奮い立たせるもんでこっそり覗いてみたってわけ」
「意味わかんねーよ。つまりその相手がキザヨイか」
「そうそう。女の方はよく見えなかったけどな」
キザヨイは一部の女子から人気だし、女性問題もひとつやふたつあってもおかしくなさそう。
だけどなぜに食堂? その場所に関連する女性を私はひとり知っている。まさか、ね……
…
……
「今回の期末テストは負けられないの。次こそあいつを二位に転落させてやるんだから!」
『あいつ?』
「高校入学前のテストから今までどんな教科も一位でさー。しかも運動神経も抜群だし、顔だって女子がキャーキャー言うくらいのイケメンでね。だけど自分に対しての舌打ちも聞いたし相当の腹黒だよ。良い人を取り繕う感じがちょっと目に余るっていうか」
『……その腹黒の中にも理由があるかもよ?』
ゆりねえの含みのある言い方に、疑問を感じて思わず聞き返す。
「どういうこと?」
『なんでもない。勉強ファイト』
「う、うん。ありがとう。またね」
二日前のこの電話を最後に連絡がプツリと途絶えた。てっきりテストの邪魔にならないよう気を遣ってくれてるのだろうと思っていたが、毎日やり取りしていただけに不安が募る。
それが……これか。キザヨイとゆりねえが向かい合っている。やっぱりね。動揺より納得の方が勝っていた。
「お前、なにやってんだ!」
「あぁ、アカシくん。ちょうど良かった。あなたもここにいてくれる?」
真黒くんが割り込みゆりねえの肩を掴む。それに対して本人はあっけらかんとした返事。
何? ふたりは知り合いなの?
「さてと……」
ゆりねえは私の存在に気づいていない様子で、鞄から写真と書類を取り出し床にばら撒く。あぁ、こういう場面ドラマで観たことある。その物体をキザヨイは一心不乱にかき集める。
何かと思い一枚拾ってみてみると……真黒くんの写真?
正確にはカメラに目線を合わせていない盗撮したもの。登校、授業、校内集会、下校などなど。いつだかの学食でカレーを食べているのもあった。あぁ、シャッター音はうどんに向けられたものじゃなくて……
真黒くんだけではなく、沢村くんを始めとした美男美女と呼ばれる生徒ものもあり周囲を驚かせた。
他の教師が駆けつけたが、ただならぬ空気と邪魔があり思うように動けずにいるようだ。
「てめぇ……」
キザヨイを殴ろうと、前に出る真黒くんをゆりねえが制する。
「邪魔すんなよ! 殴らせろ!」
「いいから待ってて」
まるで獰猛な犬をしつける飼い主みたいだと脳裏を過ぎる。意外と自分って冷静なんだ。
ゆりねえはキザヨイの近くまで近寄り、狼狽える目を真っ直ぐ見つめた。
「十六夜さん、あなたはこの学校の生徒を盗撮しインターネットで写真を売っていた。間違っていませんか?」
「ち、違う! 俺じゃない!」
「証拠は警察に任せますが、この写真はあなたが受け持つ授業のはずです」
そう言い彼女が見せたのは、古文の授業を受けている真黒くんの写真だった。確かに担当科目は古文……
「違う……」
もう一枚別の書類を取り出すと、奴はそれを見るなり目を丸くし土下座した。
「それだけは……! どうかそれだけは……!」
一体何をしたんだろう?そう思考を巡らせている間に警察が到着しキザヨイは連行された。
その後ゆりねえ事情聴取されたが、今回の発見もあり厳重注意のみに終わったようだ。
又聞きによると、キザヨイは美容整形を受けていて、学生時代に顔が原因でいじめを経験し強いコンプレックスを持っていたらしい。
教員となり生徒と接しているうちに、美男美女を妬むようになり盗撮した写真やデータをネットで売っていた。
「お前らはその綺麗な顔があるんだから、ちょっと小遣いもらうくらい良いと思ってやった」
腹立たしい。意味がわからない。私怨で懐に入れようだなんて。
警察はインターネットに掲載された生徒の画像をしらみつぶしに削除しているという。被写体に大きな被害はなく、それだけは不幸中の幸いと言うべきか。それでも少数ながら被害届を出した家庭もあるとのこと。然るべき裁きを受け、己の罪と愚かさを反省してほしいと願うばかりである。
警察に献上した被写体のリストのコピーを見たとき、そこに載っていた私に対して、おもちゃにしてきた四人の名前がなかったことに不謹慎ながら優越感を感じてしまう。家族はもちろん今話してるゆりねえにだって言えないもんね。
そうそう、期末テストはやはりというか全ての科目で二位という結果で終わった。でも死ぬ気で挑んだから後悔していない。
…
……
七月七日の週末。頑張った褒美としてゆりねえがクレープをご馳走してくれた。自分の誕生日だっていうのに奢られてしまって申し訳なくなる。
また彼女のアパートにお邪魔したとき私から花のクチナシをプレゼントした。枯れないように、特殊な液体に浸け水分を抜いたプリザーブドという手法だ。
「わー、ありがとう! 大切にするね」
「名前の通り百合と迷ったんだけど、誕生花の中でそのクチナシがゆりねえに合ってる気がして」
「誕生日別に花が割り振られているなんて素敵だよね。嬉しいよ」
「どういたしまして」
「このあとに言うのも嫌なんだけどさ……」
花を抱えたまま苦い顔をしたゆりねえは重い口を開けた。
今回学校に迷惑をかけてしまったので、仕事を辞め七月中には実家に引っ越すことを。
しょんぼりする私を見て彼女はメールや電話でもやりとりできるからと励ましてくれた。そうだ、二度と会えないわけじゃない。
そして地元の名産品を送るのに住所を教えてほしいと言うので喜んでメモに書いた。
「ここのアパートを引き払って電車に乗るのが夏休みに入る前なの。見送りに来てくれたら嬉しいな」
「もちろん! むしろ断る理由がどこにあるの?」
「よかった。具体的な時間と場所はあとで教えるよ。それにしおんちゃんに会わせたい人がいるんだよね」
ゆりねえはそう言うとニヤリと笑った。荷造りを家族に手伝ってもらうとかかな? 特に深い意味を考えず首を縦に振った。
省エネ対策らしく28℃に設定されたエアコンの風が心地よい。涼しすぎるくらいなので外気はそれだけ暑いということ。
しんみりとした間をなくすため彼女に問いかける。
「ねぇ、クチナシの花言葉って知ってる?」
「ううん。教えて」
「『私はとても幸せです』。それと『喜びを運ぶ』。出会えてとても幸せだったよ」
「こちらこそ、本当にありがとう」
夏ももう本番だ。ゆりねえと夏休み中も一緒にいたかった。
部屋の中を満たす甘いのに切ないこの香りを私は一生忘れないだろう。
…
……
今年の最高気温を更新した七月中旬のある日。私は約束した場所、時間に主役を待っていた。
今度こそあんなバカップルみたいな仕打ちをされないようにと、外壁にピッタリと背中を付け入り込む隙間をなくす。これで完璧、どんと来やがれ。
そう考えているそばからゆりねえがこちらに向かって歩いてきた。最初にこっちから気がつけば驚くこともないから安心。
ホッと胸をなでおろし、再び彼女を見ると全力疾走で駆け寄って来る。
咄嗟に両手を前に突き出し『ストップ!』のジェスチャーをしても一向に勢いがおさまらない。
ついに目の前にやってきた。『ぶつかる!』と思ったその瞬間、壁に手を付け俗に言う壁ドンをしてきた。
これがイケメンだったら相手の女の子はときめくんだろうなぁ。……いや、いくらイケメンでも全力疾走は怖いか。
鬱陶しい。暑苦しい。そもそも私の身長の方が若干高いから全く様になってない。身を屈めると腕から脱出する。
「もうビックリするからやめて! それに全然待ってない!」
「ふふふ。『だーれだ?』対策に壁際にいたんだろうけど甘い甘い」
人差し指を横に振り『チッチッチッ』と動作をする。行動を見破られていたとは不覚。
「だとしても! 周りの人も見てるし心臓が止まるからホント勘弁してよ」
「はいはい。ゴメンゴメン」
全然反省していない様子に腹が立ちつつも、このやり取りが最後だと思うと胸がキュッ苦しくなる。
「お前、人を驚かさないと死ぬ病気なのか?」
ゆりねえが声のする方へ顔を向け歩み寄る。
「だってリアクション面白いんだもん。もう最高でさぁ」
「いい加減にしねぇとそのうち刺されるぞ」
「いいの! しおんちゃんはそんな子じゃないから」
「毎回その自信はなんなんだよ」
からかいの言葉が投げかけられるが頭に入ってこない。
私が棒立ちしているのに気づいたのかゆりねえは彼を紹介する。できれば関わりたくなかった男……
「しおんちゃん、同じクラスだから知ってるよね? 悪魔……じゃなかった。真黒燈くん!」
「おい、悪魔はやめろ、ビビり」
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……ウソでしょ?
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