そとづら悪魔とビビりな天使〜本音を隠す者たち〜

エツハシフラク

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磯貝 文仁(イソガイ フミヒト)

1:高揚感と翻弄

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 足を踏み出すたびに濃紺のランドセルが左右に揺れる。腕を振り息を切らす。雨が顔を濡らし髪もへばりつく。
 途中自動車が路肩の水たまりに突っ込み水しぶきを浴びたが、学校を飛び出して十数秒でずぶ濡れになったのであまり気にならない。というより気にしていられない。

 夏独特の夕立を肌で感じながら、置き傘の存在を知らせてくれたクラスメイトに心の中で謝罪した。
 手で顔を拭いさらに走る。
 大通りの交差点で停止し、歩行者用の信号が青になるまで待つ。ゲームで遊んでいると一時間なんてあっという間なのに、この一分足らずの時間の方が長く感じてしまう。
 直立の男性から足を広げた男性、つまり赤から緑へLEDライトが切り替わると、コンクリートを右足で蹴り駆け出した。
 意味もなく横断歩道の白い部分だけを友だちと渡っていたことがよぎる。黒い部分は底なし沼!   とか言って。近所の人のクレームでやめるよう先生に注意されたっけ。でも低学年のころだったし今はそんな失態は繰り返さない。

 交差点に面した花屋が俺の家だ。なんでもひいじいちゃんの代から改装を重ね現在も商売を続けているとか。
 毎年母の日が近づくと近隣の小学校、幼稚園からカーネーションの注文で両親は忙しそうにしている。もちろん俺も花を母親に渡すわけだけど、自分の店に戻すみたいで変な感じがする。そんな母は『感謝の気持ちが嬉しい』と大事そうに花瓶へと生けた。
 母の日以外に花屋の需要なんてないんじゃないかと子どもなりに思っていたが、結婚式や葬式、入学式や卒業式などの式典の注文でそこそこ儲かっているらしい。
 パソコンが普及して、ネット販売も始めたというから便利なんだろうな。

 家の出入り口が別にあるが、玄関を濡らしたくしたくなかったので店から入る。

「ただいま!」
「おかえり。……もう、またびしょびしょになって」

 開け放たれた入り口に足を踏み入れると、色とりどりの花の匂いが鼻腔を刺激する。
 母は来客への対応を一時中断し、ラッピング用の作業台にあるフェイスタオルを一枚俺に渡した。

「はい」
「ありがとう!」

 タオルを広げ顔や頭の水分を拭き取る。ホームセンターでまとめ買いした安物だが、不快感をなくすには申し分なかった。

「ふみくん今何年生?」
「四年だよ」

 近所に住む顔なじみのおばちゃんが尋ねてくるので手のひらの親指を折り曲げ『四』の数字を作る。

「コラ、『四年生です』でしょ」
「良いのよぉ。赤ちゃんのときから知っているんだもの。それにしても大きくなった!」
「人の子の成長はねぇ。家ではしっちゃかめっちゃかで」
「あら、でもあっという間よ」

 おばちゃんトークに付き合ってると風邪を引きそうなので部屋へ上がることにした。

「家入るね」
「靴下脱いでシャワー浴びなさいよ。あとランドセルも拭いておいて」
「わかってるよ」

 小言を投げかける母親をかわし、住宅へと続く引き戸を開け、靴と一緒に自分の体温で生ぬるくなった靴下を脱ぎ脱衣所に直行する。
 びしょびしょになった洋服一式を洗濯物カゴに放り込む。『シャワーを浴びろ』と言われたけれど、バスタオルで身体を拭くだけにしよう。どうせ濡れるんだから問題ないし、全力疾走で帰ってきたのに、シャワーなんかで時間を取られたくないのだ。

 二階の自室に向かうと着替えと宿題を終わらせる。帰宅後すぐに取り掛かるのは一年の頃からの癖だ。ランドセルのフタのおかげで教科書やノートはほとんど濡れていない。
 用事を済ませると自室を出て左へ廊下を歩く。その突き当たりに趣味部屋がある。
 ドアを押し開き電気を点灯すると、本棚に陳列した何百ものマンガが視界に映る。これは元々父のもので『大事にするなら』と入室を許可してくれたのだ。ただ汚れ防止に他の部屋への持ち込みと飲食は禁止となっている。めんどくさいが仕方あるまい。

 いかにも大人向けのものはスルーし、王道少年マンガのコーナーを見る。手に取ったのは当時連載黄金期と呼ばれたころのスポーツマンガ。
 俺がやっている運動といえば体育の授業と昼休みのドッジボールくらいで特定のスポーツはまだ未経験だった。
 人並みにクラスで流行っているアニメやゲームを買ってもらって遊んでいたが、自分から率先して好きなことを見つけるのは初めてだと思う。


 一巻の最初のページを捲る。


 その瞬間から俺のバスケットボール人生は始まったんだ。



……


 ほとんどの生徒が受験だ塾だと項垂れる中三の二学期。俺は有頂天だった。

『男子バスケットボール部全国大会優勝』

 毎朝校舎の垂れ幕を見るたび誇らしくなる。バスケ部最後の思い出になって良かった。

「文仁くん、おはよ!」
「おはよ、清嶺地せいれいじさん」
「もう、いつになったらエルって呼んでくれるのよ」
「どうだろうね」

 思春期真っ盛りのこの時期に、異性が下の名前で呼び合っていたらからかわれるに決まっている。だから呼べないんだよ。
 わざとらしくむくれる彼女だが悔しいことにとてもよく似合っている。
 二つに束ねたツヤツヤと輝く肩まで伸ばされた黒髪。両親とも純日本人なのだが虹彩は青く、顔立ちもハッキリしていて肌は他の誰よりも白く透き通っていた。それでも病弱などのマイナスなイメージをもたれないのは、読者モデルをやっているからだと本人が言っていた。確かに消極的なモデルなんて見たことないな。

 廊下を歩いている途中で、彼女は立ち止まり俺の顔を覗き込む。俺の肩下くらいの身長なので自然に上目遣いの状態になっている。……天然ならすぐにやめた方がいいぞ。お前にその気がなくても勘違いさせてしまうから。三年で同じクラスになってからやけに話しかけてくれる。お前くらいかわいければ、バスケバカの俺なんかよりずっと良い男なんていくらでも寄ってくるだろうに。
 そんな俺の考えと裏腹に清嶺地は目をキラキラさせながら無邪気に口を開く。

「ねぇ、小耳に挟んだんだけどさ。文仁くんって若葉善越わかばよしごえのバスケ部から声かかったんだって?」
「うん。ずっと行きたかった高校だし全国大会頑張ったんだ」
「すごいよね!   オリンピック選手とかプロの人とかたくさんいたんでしょ?   憧れちゃう」

   ただありのままを話しただけなのに、彼女はオーバーリアクションと言ってもいいほど満面の笑みで喜んでいる。

「村井も無事に声かかったみたいだし、やっと肩の荷が下りたよ。あいつバスケ以外の勉強できねぇからさ」
「村井くんってバスケスクールの友だちだっけ?」
「友だちというかライバル?   なーんてな」
「いいなぁ。私もそこにしようかな」

   一瞬何を言っているのかわからなかった。思わず彼女に聞き返す。

「みんな近所の公立に行くって言ってるけど……清嶺地さん友だち多いんだからそっちに行けばいいのに」
「その場しのぎの友だちなんてどうでもいいのよ」

 彼女はそこで言葉を区切ると、水道へ腕を掴みながら俺を引き込んだ。廊下よりも生徒の目線が逸れてふたりだけの世界になったような錯覚に陥る。そのまま腕を引っ張りつつ背伸びをして耳元で囁く。

「私、文仁くんが好きだから一緒の高校に行きたいな」
「……え?」
「返事はいつでもいいよ。またね」

 硬直した俺を見た彼女はいたずらな笑みを浮かべ、教室へと向かうと何食わぬ顔で女友だちとあいさつをした。


 俺、今どんな顔しているんだ?
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