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19.彼女の日記
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茶番のようなランチタイムが終わり、側室候補は解散。僕が側室を迎えない意思をフェリシアに伝えることはできた。それでも、フェリシアはそっけないまま。何がいけなかったか、本当は分かっている。僕は酷く彼女を傷つけた。
フェリシアの寝室で共に眠れるのは約束により週に一回。何をする訳でもないのに、僕にとっては何よりも楽しみな癒しの時間だった。
繊細なのにしっかり者、物知りなのに謙虚。
誰もが諦めるような状況でも諦めない強くしなやかな女性。
そんな僕の特別な妻が、隣で添い寝してくれない日。
寂しい気持ちで眠りにつき、目を覚ますと信じられない光景が広がっていた。
「おはようございます、ジスラン王子殿下。昨夜は突然、私を所望されて驚きましたが、今はこうなるべき運命だったと思えています」
朝、起きると隣には、全裸で頬を染めた聖女パウラがいた。
「はあ? 何を言ってるんだお前は」
僕は正直何が起きたかわからなかった。
ベッドの上に裸の俺と聖女パウラ。
他の人間が見れば、誤解されてもおかしくない状況だ。
「はじめてのことで戸惑いましたが、私達はやはり運命だったのですね。ジスラン王子殿下が運命の方だと、この身に聖女の力が宿った時から母より伝えられてきました」
聖女パウラがそっとシーツをめくって、ベッドについた血痕を見せてきた。
勝ち誇ったように、僕によって昨晩自分は破瓜したのだと主張している。
「お前は、何なんだ。それは、家畜の血か?」
僕の言葉に一瞬血相を変えたパウラはシーツだけを体に巻き部屋の外へ飛び出した。
「待て、そのような姿で外に出られては誤解を招く」
明らかに僕は罠に嵌められようとしていた。
そして、罠によって大切なフェリシアを失いそうで怖かった。
慌てて礼服を着て部屋を出たら、多くの人だかりが出来ていた。その中にフェリシアがいる。フェリシアは僕を信じてくれているようだった。
「ジスラン王子殿下、色々、誤解があるようです。殿下は、昨晩、私を果てるまで愛してくれたことをお忘れですか?」
全裸にシーツを巻いたパウラは僕の部屋から血のついたシーツを持って来ながら僕と体の関係を持ったと主張する。
「また、それか、しつこいな。何の家畜の血だ?」
パウラのしつこさに呆れてしまった。
「まだ、新しい血ですね。朝方、ノリッジ公爵かお仲間に持ってきてもらった血ですか? 人間の血か確かめてみましょう」
フェリシアの言葉にノリッジ公爵の顔色が変わる。
そもそも、ここは僕の寝室の前で早朝彼がここにいる事自体が不自然。
フェリシアは突然は近くにいた騎士の剣を抜き、自分の指を切った。
「おい、フェリシア何している!」
僕は慌ててフェリシアの血の滴る人差し指を握った。
彼女は平然とした表情で血溜まりができるのを見ている。
「ジスラン、見てください。私の血と混じっても、この血は固まりません。これは、人間の血ではありません。馬の血でしょうか?」
「え、どう言うことだ? 人間の血だと固まるのか?」
馬の血とフェリシアの血は混ざっても固まってはいない。
僕も馬には乗るが、そこまで馬について詳しくなくて戸惑ってしまった。
僕の疑問を解決したのは、ドリアーヌ王妃の葬儀から伏せっていて会うのが久しぶりの弟だった。
フェリシアの作った血溜まりに、大量の血が落ちてくる。驚いて見上げると赤い礼服を着たグレイアムが剣の刃を握り血を流していた。
「兄上、私の血とフェリシア様の血を混ぜて、固まるか実験しましょう」
グレイアムの右手から血がドバドバ溢れ出して心配になるが、彼はフェリシアの意図を理解し協力しようとしてくれている。彼の手は痛みと恐怖で震えていたが、彼の瞳からトラウマを乗り越えようという強い意志を感じた。
「固まりましたね。人間の血同士だと固まるようです」
右手から血を流しながら、周囲を見渡すグレイアムに皆が驚愕し絶句している。
「聖女パウラ様、グレイアム王子の傷を治してください」
フェリシアは自分の傷の事など忘れて、グレイアムの手をギュッと握り締めパウラに懇願する。
「⋯⋯グレイアム王子殿下の傷を治したら、私は罪に問われませんか?」
僕はパウラの言葉に怒りで脳が沸騰し、思わず彼女を怒鳴りつけた。
「いいから早くグレイアムの傷を治せ! フェリシアの傷もだ」
聖女パウラは渋々とグレイアムとフェリシアの傷に手を翳す。眩い光と共に傷は跡形もなく消えた。神はどうして彼女のような醜悪な女に奇跡の力を与えたのか甚だ疑問だ。
「どこに行くのですか? ノリッジ公爵。貴方はこの件の容疑者ですよ」
「急用を思い出しただけですよ。フェリシア王子妃殿下は夫の浮気疑惑で気が立っているのですか? 私は、公爵です。聖女とはいえ平民である彼女とは何の関係もございません」
ノリッジ公爵とフェリシアは十秒程睨み合う。王子妃になってまだ三ヶ月なのに、フェリシアは公爵に劣らない威圧感を持っている。
「関係がない? それはどうでしょうか。娘と変わらない年頃の淫らな格好の女の肩に、平気で手を掛けていたノリッジ公爵には違和感しかありません。他の騎士たちは皆、聖女パウラの姿に目を逸らしてますよ」
唐突なフェリシアの言葉に周囲が顔を見合わせる。
「フェリシア王子妃殿下は何が言いたいのですか? 真偽不明のことで長年この王国に尽くして来た私を侮辱するのであれば、たとえジスラン王子の妃でも私は容赦しませんよ」
ノリッジ公爵の挑戦的な言葉を聞いて、フェリシアは僕の顔を見てきた。
おそらく確証はないがノリッジ公爵の罪を暴けるかもしれないネタを彼女は持っているのだろう。僕はフェリシアを信じ、彼女にノリッジ公爵の断罪を続けるよう目で合図した。すると、僕の可愛い妻はにっこりと微笑んだ。
「ノリッジ公爵は聖女パウラと男女の関係にあるから、彼女のそのような姿に抵抗を感じないのではありませんか?」
「何を根拠に! とんだ名誉毀損です」
激昂するノリッジ公爵に対して、フェリシアは余裕の表情を浮かべる。
「先程、聖女パウラがノリッジ公爵を恋人のように名前で呼んでましたよ。うっかりさんですね」
「その程度のことで私にあらぬ疑いをかけるのですか? 彼女は平民だから礼儀知らずなだけでしょう」
ノリッジ公爵は苛立つままに、フェリシアを怒鳴りつけている。僕の妻への無礼で彼を罰しようと口を開こうとしたその時だった。
フェリシアはまた僕の方を見て、「大丈夫」と口を動かす。僕は彼女を信頼して静観することにした。
「ノリッジ公爵が外交時に宿泊したホテルと、聖女パウラの聖女巡礼で宿泊したホテルがこの三年で六十九回も被っています。偶然と説明するには頻度が高過ぎます」
フェリシアの指摘にノリッジ公爵の顔色が変わった。
彼女は鋭い目線で公爵を見つめると言葉を続けた。
「聖女パウラとノリッジ公爵との子ならジスランの子と偽ることができるかもしれませんね。このような下品な手段を選ぶなんて、今、聖女パウラは妊娠中だったりしますか?」
プラチナブロンドに黄金の瞳を持つ聖女パウラ。黒髪に黒い瞳のブランクモン・ノリッジ。混ざり合う黒色と金色に吐き気がしてくる。
「托卵というやつですか? 人間でもそういうことをされる方がいるのですね。カッコウや鳥類の世界の話だと思ってました」
グレイアムがフェリシアに問いかけると、彼女は肩をすくめながら頷いた。
「ジスラン王子殿下、些か誤解があるようです」
ノリッジ公爵が冷や汗を垂らし、焦ったように弁明してくる。
「誤解? 疑いがある以上、容疑者として拘束させてもらうぞ」
僕の合図と共に、周囲の騎士たちがノリッジ公爵を拘束した。
「私は、聖女だし無罪放免ですよね。ジスラン王子殿下⋯⋯」
「聖女パウラも拘束しろ!」
騎士たちに拘束されると聖女パウラは逃れようと暴れ出した。
「私は妊婦よ! 乱暴はやめて」
完全に自白し出した彼女にノリッジ公爵が力無く項垂れる。
二人が連行されると、小走りでフェリシアが僕に近づいてきた。
僕は人目を憚らず彼女を抱きしめてしまう。
彼女の温もりも青く澄んだ瞳も、賢く度胸があるところも全てが愛おしい。
「ジスラン、私を信じてくれてありがとうございます」
「それは僕のセリフだ」
本当に頭がおかしくなるくらい僕は彼女が好きだ。
可愛くて聡明なのに、どこか大胆。
全く目が離せない。
「兄上、フェリシア様、長いことご心配おかけしました」
グレイアムの声を聞くなり、フェリシアは僕から離れた。
彼女の温もりが離れるだけで心にぽっかり穴が開いたようだ。
「グレイアム王子、私の不完全な証明を体当たりで解決するなんて驚きました。でも、もう無理はしないでください。貴方は私にとっても、この国にとっても大切な方です」
フェリシアがグレイアムの右手を握り頬擦りする。
一瞬、酷い嫉妬心に襲われ二人を引き剥がしたくなるが、グレイアムが泣きそうな顔をしているのに気がつき出来なかった。
「ジスラン、私はグレイアム王子と話があるので失礼します」
「えっ?」
フェリシアはグレイアムを連れて去っていってしまった。
僕も公務があるし、グレイアムは心優しいフェリシアに任せた方が良いと自分に言い聞かせ彼女を見送った。
建国祭も近く忙しい日々の中、朝からの事件。
僕はフェリシアに会いたくなるのを必死に我慢し、公務を続けた。
フェリシアは亡きドリアーヌ王妃の仕事まで請け負っているのだがら、僕よりも忙しいはずだ。従者の話では最近は真夜中過ぎまで執務室で仕事をしているという。
フェリシアは非常に能力が高く、彼女と関わった者は皆一目おくようになっている。
特に彼女が救った八人の騎士たちは彼女を女神のように崇めていた。確かにあの時のフェリシアは救世主。彼女がいなければ皆全滅していたと誰もが思っている。
想定外のテロ、湖を抜けた先での陰鬱とした森、誰もが明日が見えない中で王城に戻ることだけを考え最善を尽くした彼女。ただ美しいだけの女と見られていたフェリシアを見る目が日に日に特別なものになるのが分かった。彼女に惚れたのは僕だけではない。歴戦を潜り抜けた騎士たちをも心酔させる魅力が彼女にはあった。
アメリアが特別な女として畏怖にも似た尊敬を集めていたのに対し、フェリシアの存在は温かくて誰もが触れたくなる。
ギディオン国王までも今ではフェリシアを信頼し、ドリアーヌ王妃の国葬の準備まで任せていた。
明らかにオーバーワークなのに、頼まれると期待に応えようとするフェリシア。仕事をしている彼女は輝いていて、彼女に惚れない男など存在しないのではないかと嫉妬もした。ただ、健気に真摯に物事に向き合い時には無理をしてしまう彼女を見て、僕は初めて人を支えたいと強く感じた。
命を狙われるくらいなら王位継承権を放棄したいと何度も思った。しかし、フェリシアを妻にした今、絶対に王位を継承したいと願う。僕はフェリシアを王妃にしたい。『国民の母』とも称される王妃。慈悲深い優しさを持つ彼女は正に理想の王妃だ。
人並外れた能力と素晴らしい資質を持ったフェリシア。きっと彼女は歴史に残る伝説の王妃になる。頑張り過ぎる彼女を支えながら、彼女がいるべき場所へ導きたい。
女としてのフェリシアに恋をしたのに、今はそれだけではなく一人の人間として彼女の虜。
しかしながら、フェリシアが力を発揮する度に忍び寄る影を感じていた。
ブランクモン・ノリッジ公爵については尋問中だが、彼は娘のアメリアに比べれば脅威ではなかった。
本当に恐ろしいのは僕が九歳の時に婚約したアメリア・ノリッジ。優雅で完璧な貴族令嬢の仮面を被った人の心を持たない悪魔。アメリアは人を駒としか思っておらず、頭が切れ酷く残酷な女。僕はグレイアムの暗殺未遂の首謀者を彼女だと思っている。
僕自身、彼女の危険性に気付いたのは一年前の事だった。
それまでは僕自身も彼女の駒の一つになっている事に気づけず、優秀な妃になるだろう彼女を受け入れていた。
アメリアの妹レティシアは昔は劣等感を拗らせた皮肉屋だったのに、いつの間にか姉のマリオネットになっていた。余計な事を言わない虚な目をした不気味な操り人形。
今思うと、僕とドリアーヌ王妃を敵対関係にしていったのもアメリアの策略。そして、アメリアの目的は王妃になることではなく、このドートリッシュ王国を乗っ取ることだ。
優しいフェリシアとは違い、人の苦しみに快楽を感じるアメリア。
余計な心配を掛けまいと思っていたが、フェリシアに彼女の危険性を話しておく必要がある。
おそらくアメリアの次の一手は、失態を犯した父親から爵位を奪うこと。
フェリシアに近付き、彼女を甘言で惑わし洗脳しようとしてくるだろう。周囲を巻き込み嘘を並べ立て、彼女を陥れるかもしれない。
アメリアは息を吐くように嘘を吐く女。自分が一番でなければ気が済まない彼女が、聡明で美しく注目を集めるフェリシアを放っておくはずがない。
僕は午前中の仕事を片付けると、フェリシアをランチに誘おうと彼女の執務室に急いだ。
扉をノックしても中から返事がない。
「フェリシア?」
誰もいないフェリシアの執務室。
本棚に目をやると、一冊だけ見覚えのない古ぼけた紫色の背表紙の本がある。
この部屋はフェリシアに引き渡す前に、僕が彼女の為になるような本を揃えた。
「なんだ、この本は?」
手にとって開いてみると、それはフェリシアの書き溜めた日記だった。
フェリシアの寝室で共に眠れるのは約束により週に一回。何をする訳でもないのに、僕にとっては何よりも楽しみな癒しの時間だった。
繊細なのにしっかり者、物知りなのに謙虚。
誰もが諦めるような状況でも諦めない強くしなやかな女性。
そんな僕の特別な妻が、隣で添い寝してくれない日。
寂しい気持ちで眠りにつき、目を覚ますと信じられない光景が広がっていた。
「おはようございます、ジスラン王子殿下。昨夜は突然、私を所望されて驚きましたが、今はこうなるべき運命だったと思えています」
朝、起きると隣には、全裸で頬を染めた聖女パウラがいた。
「はあ? 何を言ってるんだお前は」
僕は正直何が起きたかわからなかった。
ベッドの上に裸の俺と聖女パウラ。
他の人間が見れば、誤解されてもおかしくない状況だ。
「はじめてのことで戸惑いましたが、私達はやはり運命だったのですね。ジスラン王子殿下が運命の方だと、この身に聖女の力が宿った時から母より伝えられてきました」
聖女パウラがそっとシーツをめくって、ベッドについた血痕を見せてきた。
勝ち誇ったように、僕によって昨晩自分は破瓜したのだと主張している。
「お前は、何なんだ。それは、家畜の血か?」
僕の言葉に一瞬血相を変えたパウラはシーツだけを体に巻き部屋の外へ飛び出した。
「待て、そのような姿で外に出られては誤解を招く」
明らかに僕は罠に嵌められようとしていた。
そして、罠によって大切なフェリシアを失いそうで怖かった。
慌てて礼服を着て部屋を出たら、多くの人だかりが出来ていた。その中にフェリシアがいる。フェリシアは僕を信じてくれているようだった。
「ジスラン王子殿下、色々、誤解があるようです。殿下は、昨晩、私を果てるまで愛してくれたことをお忘れですか?」
全裸にシーツを巻いたパウラは僕の部屋から血のついたシーツを持って来ながら僕と体の関係を持ったと主張する。
「また、それか、しつこいな。何の家畜の血だ?」
パウラのしつこさに呆れてしまった。
「まだ、新しい血ですね。朝方、ノリッジ公爵かお仲間に持ってきてもらった血ですか? 人間の血か確かめてみましょう」
フェリシアの言葉にノリッジ公爵の顔色が変わる。
そもそも、ここは僕の寝室の前で早朝彼がここにいる事自体が不自然。
フェリシアは突然は近くにいた騎士の剣を抜き、自分の指を切った。
「おい、フェリシア何している!」
僕は慌ててフェリシアの血の滴る人差し指を握った。
彼女は平然とした表情で血溜まりができるのを見ている。
「ジスラン、見てください。私の血と混じっても、この血は固まりません。これは、人間の血ではありません。馬の血でしょうか?」
「え、どう言うことだ? 人間の血だと固まるのか?」
馬の血とフェリシアの血は混ざっても固まってはいない。
僕も馬には乗るが、そこまで馬について詳しくなくて戸惑ってしまった。
僕の疑問を解決したのは、ドリアーヌ王妃の葬儀から伏せっていて会うのが久しぶりの弟だった。
フェリシアの作った血溜まりに、大量の血が落ちてくる。驚いて見上げると赤い礼服を着たグレイアムが剣の刃を握り血を流していた。
「兄上、私の血とフェリシア様の血を混ぜて、固まるか実験しましょう」
グレイアムの右手から血がドバドバ溢れ出して心配になるが、彼はフェリシアの意図を理解し協力しようとしてくれている。彼の手は痛みと恐怖で震えていたが、彼の瞳からトラウマを乗り越えようという強い意志を感じた。
「固まりましたね。人間の血同士だと固まるようです」
右手から血を流しながら、周囲を見渡すグレイアムに皆が驚愕し絶句している。
「聖女パウラ様、グレイアム王子の傷を治してください」
フェリシアは自分の傷の事など忘れて、グレイアムの手をギュッと握り締めパウラに懇願する。
「⋯⋯グレイアム王子殿下の傷を治したら、私は罪に問われませんか?」
僕はパウラの言葉に怒りで脳が沸騰し、思わず彼女を怒鳴りつけた。
「いいから早くグレイアムの傷を治せ! フェリシアの傷もだ」
聖女パウラは渋々とグレイアムとフェリシアの傷に手を翳す。眩い光と共に傷は跡形もなく消えた。神はどうして彼女のような醜悪な女に奇跡の力を与えたのか甚だ疑問だ。
「どこに行くのですか? ノリッジ公爵。貴方はこの件の容疑者ですよ」
「急用を思い出しただけですよ。フェリシア王子妃殿下は夫の浮気疑惑で気が立っているのですか? 私は、公爵です。聖女とはいえ平民である彼女とは何の関係もございません」
ノリッジ公爵とフェリシアは十秒程睨み合う。王子妃になってまだ三ヶ月なのに、フェリシアは公爵に劣らない威圧感を持っている。
「関係がない? それはどうでしょうか。娘と変わらない年頃の淫らな格好の女の肩に、平気で手を掛けていたノリッジ公爵には違和感しかありません。他の騎士たちは皆、聖女パウラの姿に目を逸らしてますよ」
唐突なフェリシアの言葉に周囲が顔を見合わせる。
「フェリシア王子妃殿下は何が言いたいのですか? 真偽不明のことで長年この王国に尽くして来た私を侮辱するのであれば、たとえジスラン王子の妃でも私は容赦しませんよ」
ノリッジ公爵の挑戦的な言葉を聞いて、フェリシアは僕の顔を見てきた。
おそらく確証はないがノリッジ公爵の罪を暴けるかもしれないネタを彼女は持っているのだろう。僕はフェリシアを信じ、彼女にノリッジ公爵の断罪を続けるよう目で合図した。すると、僕の可愛い妻はにっこりと微笑んだ。
「ノリッジ公爵は聖女パウラと男女の関係にあるから、彼女のそのような姿に抵抗を感じないのではありませんか?」
「何を根拠に! とんだ名誉毀損です」
激昂するノリッジ公爵に対して、フェリシアは余裕の表情を浮かべる。
「先程、聖女パウラがノリッジ公爵を恋人のように名前で呼んでましたよ。うっかりさんですね」
「その程度のことで私にあらぬ疑いをかけるのですか? 彼女は平民だから礼儀知らずなだけでしょう」
ノリッジ公爵は苛立つままに、フェリシアを怒鳴りつけている。僕の妻への無礼で彼を罰しようと口を開こうとしたその時だった。
フェリシアはまた僕の方を見て、「大丈夫」と口を動かす。僕は彼女を信頼して静観することにした。
「ノリッジ公爵が外交時に宿泊したホテルと、聖女パウラの聖女巡礼で宿泊したホテルがこの三年で六十九回も被っています。偶然と説明するには頻度が高過ぎます」
フェリシアの指摘にノリッジ公爵の顔色が変わった。
彼女は鋭い目線で公爵を見つめると言葉を続けた。
「聖女パウラとノリッジ公爵との子ならジスランの子と偽ることができるかもしれませんね。このような下品な手段を選ぶなんて、今、聖女パウラは妊娠中だったりしますか?」
プラチナブロンドに黄金の瞳を持つ聖女パウラ。黒髪に黒い瞳のブランクモン・ノリッジ。混ざり合う黒色と金色に吐き気がしてくる。
「托卵というやつですか? 人間でもそういうことをされる方がいるのですね。カッコウや鳥類の世界の話だと思ってました」
グレイアムがフェリシアに問いかけると、彼女は肩をすくめながら頷いた。
「ジスラン王子殿下、些か誤解があるようです」
ノリッジ公爵が冷や汗を垂らし、焦ったように弁明してくる。
「誤解? 疑いがある以上、容疑者として拘束させてもらうぞ」
僕の合図と共に、周囲の騎士たちがノリッジ公爵を拘束した。
「私は、聖女だし無罪放免ですよね。ジスラン王子殿下⋯⋯」
「聖女パウラも拘束しろ!」
騎士たちに拘束されると聖女パウラは逃れようと暴れ出した。
「私は妊婦よ! 乱暴はやめて」
完全に自白し出した彼女にノリッジ公爵が力無く項垂れる。
二人が連行されると、小走りでフェリシアが僕に近づいてきた。
僕は人目を憚らず彼女を抱きしめてしまう。
彼女の温もりも青く澄んだ瞳も、賢く度胸があるところも全てが愛おしい。
「ジスラン、私を信じてくれてありがとうございます」
「それは僕のセリフだ」
本当に頭がおかしくなるくらい僕は彼女が好きだ。
可愛くて聡明なのに、どこか大胆。
全く目が離せない。
「兄上、フェリシア様、長いことご心配おかけしました」
グレイアムの声を聞くなり、フェリシアは僕から離れた。
彼女の温もりが離れるだけで心にぽっかり穴が開いたようだ。
「グレイアム王子、私の不完全な証明を体当たりで解決するなんて驚きました。でも、もう無理はしないでください。貴方は私にとっても、この国にとっても大切な方です」
フェリシアがグレイアムの右手を握り頬擦りする。
一瞬、酷い嫉妬心に襲われ二人を引き剥がしたくなるが、グレイアムが泣きそうな顔をしているのに気がつき出来なかった。
「ジスラン、私はグレイアム王子と話があるので失礼します」
「えっ?」
フェリシアはグレイアムを連れて去っていってしまった。
僕も公務があるし、グレイアムは心優しいフェリシアに任せた方が良いと自分に言い聞かせ彼女を見送った。
建国祭も近く忙しい日々の中、朝からの事件。
僕はフェリシアに会いたくなるのを必死に我慢し、公務を続けた。
フェリシアは亡きドリアーヌ王妃の仕事まで請け負っているのだがら、僕よりも忙しいはずだ。従者の話では最近は真夜中過ぎまで執務室で仕事をしているという。
フェリシアは非常に能力が高く、彼女と関わった者は皆一目おくようになっている。
特に彼女が救った八人の騎士たちは彼女を女神のように崇めていた。確かにあの時のフェリシアは救世主。彼女がいなければ皆全滅していたと誰もが思っている。
想定外のテロ、湖を抜けた先での陰鬱とした森、誰もが明日が見えない中で王城に戻ることだけを考え最善を尽くした彼女。ただ美しいだけの女と見られていたフェリシアを見る目が日に日に特別なものになるのが分かった。彼女に惚れたのは僕だけではない。歴戦を潜り抜けた騎士たちをも心酔させる魅力が彼女にはあった。
アメリアが特別な女として畏怖にも似た尊敬を集めていたのに対し、フェリシアの存在は温かくて誰もが触れたくなる。
ギディオン国王までも今ではフェリシアを信頼し、ドリアーヌ王妃の国葬の準備まで任せていた。
明らかにオーバーワークなのに、頼まれると期待に応えようとするフェリシア。仕事をしている彼女は輝いていて、彼女に惚れない男など存在しないのではないかと嫉妬もした。ただ、健気に真摯に物事に向き合い時には無理をしてしまう彼女を見て、僕は初めて人を支えたいと強く感じた。
命を狙われるくらいなら王位継承権を放棄したいと何度も思った。しかし、フェリシアを妻にした今、絶対に王位を継承したいと願う。僕はフェリシアを王妃にしたい。『国民の母』とも称される王妃。慈悲深い優しさを持つ彼女は正に理想の王妃だ。
人並外れた能力と素晴らしい資質を持ったフェリシア。きっと彼女は歴史に残る伝説の王妃になる。頑張り過ぎる彼女を支えながら、彼女がいるべき場所へ導きたい。
女としてのフェリシアに恋をしたのに、今はそれだけではなく一人の人間として彼女の虜。
しかしながら、フェリシアが力を発揮する度に忍び寄る影を感じていた。
ブランクモン・ノリッジ公爵については尋問中だが、彼は娘のアメリアに比べれば脅威ではなかった。
本当に恐ろしいのは僕が九歳の時に婚約したアメリア・ノリッジ。優雅で完璧な貴族令嬢の仮面を被った人の心を持たない悪魔。アメリアは人を駒としか思っておらず、頭が切れ酷く残酷な女。僕はグレイアムの暗殺未遂の首謀者を彼女だと思っている。
僕自身、彼女の危険性に気付いたのは一年前の事だった。
それまでは僕自身も彼女の駒の一つになっている事に気づけず、優秀な妃になるだろう彼女を受け入れていた。
アメリアの妹レティシアは昔は劣等感を拗らせた皮肉屋だったのに、いつの間にか姉のマリオネットになっていた。余計な事を言わない虚な目をした不気味な操り人形。
今思うと、僕とドリアーヌ王妃を敵対関係にしていったのもアメリアの策略。そして、アメリアの目的は王妃になることではなく、このドートリッシュ王国を乗っ取ることだ。
優しいフェリシアとは違い、人の苦しみに快楽を感じるアメリア。
余計な心配を掛けまいと思っていたが、フェリシアに彼女の危険性を話しておく必要がある。
おそらくアメリアの次の一手は、失態を犯した父親から爵位を奪うこと。
フェリシアに近付き、彼女を甘言で惑わし洗脳しようとしてくるだろう。周囲を巻き込み嘘を並べ立て、彼女を陥れるかもしれない。
アメリアは息を吐くように嘘を吐く女。自分が一番でなければ気が済まない彼女が、聡明で美しく注目を集めるフェリシアを放っておくはずがない。
僕は午前中の仕事を片付けると、フェリシアをランチに誘おうと彼女の執務室に急いだ。
扉をノックしても中から返事がない。
「フェリシア?」
誰もいないフェリシアの執務室。
本棚に目をやると、一冊だけ見覚えのない古ぼけた紫色の背表紙の本がある。
この部屋はフェリシアに引き渡す前に、僕が彼女の為になるような本を揃えた。
「なんだ、この本は?」
手にとって開いてみると、それはフェリシアの書き溜めた日記だった。
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※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
円満離婚に持ち込むはずが。~『冷酷皇帝の最愛妃』
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※小説家になろう様でも掲載しています
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