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~召喚編~

VS (バーサス)

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「...ニンゲン...ミーツケタ...」
「「!?!!」」
  目の前の光景に、俺たちは凍りついた。
  緑色の肌にでっぷりと肥った腹。体長は3m程だろうか、凶悪そうな顔にニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべている。
「なんだよ..あれ...」
「ゴブ...リン..?」
  その姿は、俺たちの記憶の中のゴブリンそのものだった。
  「クヒヒヒヒヒヒヒ...」
  ゴブリンは気味の悪い笑い声を上げ、ニタリと気持ちの悪い笑みを浮かべながら俺たちに近づいて来る。
「これ..ヤバくないか..?」 
「ヤバくないわけないでしょ...逃げなきゃ...!」
  薫はそう言って立ち上がろうとするが、驚いた表情で自分の下半身を見つめる。
「どうした。早く逃げるぞ!」
「駄目...腰が抜けて...」
  薫は立ち上がろうとしているが、すぐに地面にへたり込む。恐怖で腰が抜けてしまったようだ。
  そうしている間にも、ゴブリンは腰に付けられていた剣を抜き、俺たちとの距離を縮める。
「ニンゲン...ゴチソウ...」
  そう言いながら、剣を大きく振りかぶる。
  これは不味い。
「ウォォォォオ!」
「きゃっ!」
  俺は己の勘に従い、薫を抱き抱えて真横に跳躍した。
  そのコンマ数秒後、俺たちのいた場所に剣がめり込み、地面には大きな亀裂が走った。
  (ヤバイヤバイヤバイヤバイ!...あれを喰らったら終わりだ!)
  逃げろ、逃げられないなら殺れ、と本能が激しく警鐘けいしょうを鳴らす。
  だが俺には奴を倒すことほどの力はない。
  なんとかしたいのにどうする事も出来ない。その無力感から俺は拳をかたく握りしめる。
「いっ...樹...」
  その声に俺はハッとして自分の胸元を見る。
  そこには抱き抱えられ、戸惑い、怯えながらこっちを見る薫の姿があった。
「!!!ッ...」

  ごめんね...と呟き、薫は俺に寄りかかったまま目を閉じる。薫の身体は大きく切り裂かれており、そこから温かい血が流れる。流れる血の量に比例して薫の身体の力が抜けていく。呼吸が止まり、身体が崩れ落ちる...

  その光景が、一瞬頭をよぎる。
  ほんの一瞬、だがそのイメージが、薫が死んでしまう未来が、すぐそこで口を開けて待っている気がした。
  それだけは何としても避けなければ。
「グギギ...」
  幸いな事に奴は剣が地面にめり込んで抜けないようだ。
  暫くこっちには来ないだろうが、近づけば確実にやられる。
  通り抜けるのは不可能だが、薫に作戦を伝えるくらいの時間はあるはずだ。
  やるなら、今しかない。俺の覚悟が決まった。
「...樹.....?」
  俺の雰囲気が変わった事が解ったのだろうか。
  薫が不思議そうな顔をして俺を見つめる。
「俺が囮になる。お前はその隙に逃げろ」
「!!!」
  その言葉に薫が絶句する。
「それじゃ樹が...」
「出来るだけ時間を稼ぐ。だけどあんまり持ちそうにない。早く行け」
「...嫌...それじゃ...それじゃ樹が死んじゃうよ!」
  その言葉に、俺は無理やり笑みを作り応える。
「大丈夫。俺は死なない。頃合いを見計らって逃げるから、任せてくれ」
  本当はそんなことなんか出来ないことくらい解っている。
  スピードは遅いが、奴にはパーワーとスタミナがある。初めの方は撹乱かくらんさせることができるだろうが、それもいつまでできるか正直怪しい。
  俺が生き残る確率は限りなくゼロに近いだろう。だが、薫を殺すよりはるかにマシだった。
「嫌...」
「!!??...」
「樹、いま嘘ついてる!本当は逃げられないことくらい分かってるんでしょ?」
「.........」
「なんで?なんでそんなこと言うの?なんで樹がそんなことしなくちゃ「じゃあ他に方法があんのかよ!」
「!!?!」
  薫の言葉に被らせるように怒鳴り、薫を黙らせる。
「このままじゃ俺たち二人共確実に殺される。お前をかばったままあいつの相手は出来ないんだよ!足手まといはさっさと逃げてくれ!」
「!?」
  薫が言葉を失う。
  普段の俺たちなら、あるいは今の俺だけなら、こいつから逃げ出すことは容易にできるだろう。
  しかし奴が入り口を塞いでいる以上、腰を抜かした薫は通り抜けられない。
  我ながら酷い言い方だ。だが、いまさらどう思われるかなんて俺には関係ない。
  恨まれてもいい、軽蔑されてもいい、それでも薫には生きて欲しい、ただそれだけなのだ。
「....嫌...」
「薫...」
「嫌!嫌ったら嫌ッ!」
  だが、薫は俺を離そうとはせず、逆に俺のシャツをさらに強くつかんだ。
  その姿に、せっかく決めた覚悟がわずかに揺らぐ。
「...もう....これしかないんだ...」
  そう言って俺は、折れかけた決意を無理やり立て直す。
  俺だって死にたくはない。まだまだやりたいこともあるし、この異世界に薫ひとりを残していくことも心が痛む。
  でも、薫を死なせることだけは何があっても許せない。
「グ...ガガガガ...」
  ついに地面に刺さった奴の剣が抜けた。
  あいつが再び近づいてくる。もう時間がない。
「??...」
  俺は最後に、薫を強く抱きしめる。
「ごめんな...」
「え..?」
  そう言って薫が力を緩めた隙に、無理やり薫を引き離した。
「ニンゲン...クウ..」
「よぉ...まずは俺が相手だ..」
  そして無謀にも、巨大なゴブリンの前に丸腰で立ちはだかった。


  俺はゴブリンの前に立ち、奴を注意深く観察する。
  手には剣を片手、腰にもさらにもう一本ぶら下げている。
  圧倒的に不利な状況、常人なら尻尾を巻いて逃げ出すだろう。
  だけど俺は逃げない。いや、逃げるわけにはいかない。
  背後には薫が、かけがえのない親友がいるから...
「ギギギギギ...」
  奴は俺を舐めきっている。
  剣道をやった事がない俺でも解るほど、奴の構えは隙だらけだった。
  最初の一撃で急所を攻撃しないと殺られる。なんとかあの剣を奪うしかない。
「グォォォォアァァァ!」
  極限状態の中で、俺の感覚はどんどん研ぎ澄まされていく。外界と遮断されていくように、周囲の音が耳に入らなくなる。
  慌てるな。集中しろ...
  1つの変化も見逃さない、とばかりに俺は奴を凝視する。
  ゴブリンの動きが、少しずつ、ほんの少しずつながらも緩やかになっていくように感じた。
  「...フッッ!!」
  ゴブリンの剣が振り下ろされる瞬間、俺は思いっきり前に飛び出し、そのままゴブリンの背後へと走り抜ける。
  剣が頭上数センチを通り過ぎ、剣圧で髪が浮き上がる。剣に触れた髪が数本ちぎれ飛んだが、なんとか当たらずに済んだ。
  剣が地面に叩きつけらた時の風圧も利用し、奴の腰に着けられた剣を奪い去る。
  手にかかる凶器の重み。それを振り切るかのように、俺は凶器の柄を握り返す。
  そして勢いよく抜刀し、切っ先をゴブリンに向けた。
「....オ...?」
  ゴブリンは何が起こったのか理解できず、俺を見失い、前を見たまま動きを止める。
「...はぁぁぁぁああッ!」
  この機を逃すわけにはいかない。俺は背後からゴブリンに斬りかかる。
「やぁぁぁあっっ!」
  そしてゴブリンの脇腹を、横一文字に斬り裂いた。
  肉が切れ、骨に剣が当たった鈍い感触が這い上がる。
  それがなんとも気持ちが悪く、こんな状況ですらも吐き気を覚えた。
「グォォォォォォォ!」
  突如身体を襲った痛みに、ゴブリンは思わず叫び声を上げ自分の身体に傷を付けた相手である俺を恐ろしい形相で睨む。
「コロス...コロス...コロスゥゥゥ!」
  どうやら俺には、つかまったら食られるより叩き潰される運命が待っているようだ。
  だったら尚更死ぬわけにはいかない。
「グォォォォアァァァ!」
  奴は雄叫びを上げ、体格に似合わぬ速度で突進して来た。
「..フゥ....」
  俺は動きを止め、見よう見まねの抜刀術の構えをする。
  抜刀術とは本来、刀を素早く鞘走りさせることで剣速を上げる居合斬りの奥義だ。
  鞘のない剣と見よう見まねの構えで、抜刀術が出来るなんて端から思っていない。ようはモチベーションの問題だ。
  攻撃は二段階...一撃目であいつの剣を流して、二撃目でそのまま腕を削ぎ落とす。イメージは剣をぶつけるんじゃなくて軌道を変える感じ。
  ゴブリンの剣の刃が、恐ろしいスピードで近づいてくる。しかし、極限状態の俺にはその動きすらコマ送りのように見えた。
「ハァァァァァァアアッッ!」
  一撃目、剣がぶつかり合う瞬間、剣を横滑りさせ、あいつの剣を受け流す。
  「いっ...つぅぅぅ...」
  受け流したはずなのに、伝わる衝撃で剣を落としそうになる。
  どうにかそれを堪えると、その動きで奴には致命的な隙と死角が生まれた。
  二撃目、その勢いを利用して、そのまま叩き斬る!
  一撃目の攻撃を受け流した勢いのまま、勢いを殺せずに振り下ろされてくる奴の腕に思いっきり剣を叩きつけた。
  俺の剣が奴の腕の皮膚を斬り裂く。その下にある靭帯を切断する感覚が俺に伝わる。
「グァァァァアア!」
「...ッッ硬ぇ...」
  そして次に届いたのは鉄骨を殴りつけた様な衝撃だった。
「グァァァァァ!」
  ゴブリンは、自分が傷つけられる事なんて考えていなかったようだ。痛みで動揺し、俺から注意が外れている。
  奴が見せた一瞬の隙。
「はぁぁぁぁぁぁぁああっ!」
  それを無駄には出来ない。俺は、痛みで悶えている奴に再び襲いかかった。
  奴の腹を斬り裂き、勢いそのままアキレス腱を切断する。飛んでくる反撃を紙一重でかわしながら、剣を振り続ける。俺の攻撃のたびにゴブリンが紅い鮮血を撒き散らす。
  斬る!避ける、斬る!避ける
  俺はそれをひたすら繰り返した。
「はぁっはぁっはぁっ......」
  恐怖で足が震え、呼吸が荒くなる。
  剣を振るたびに、肉を斬る感覚が手の中に広がる。
  いつしか俺は理性を失っていた。
  その感覚を紛らわすかのように、自分の理性を捨て去るかのように、俺は更に剣を振り回す。
  だが戦闘は殺し合いだ。
  理性的に相手の弱点を見極め、計画的に剣を振る者と、感情に任せて無計画に剣を振る者とでは力の差は歴然だ。
  もし両者が理性を失っていた場合は、それまでの経験から来る勘が頼りとなる。
  理性を失った時に頼れるのは、己の経験だけなのだ。
  しかし俺には、剣を振った経験なんてない。
  ゆっくりと、だが着実に俺の自滅は近づいていた。
「グォォォォアァァァァア!!!」
  突如、奴が握る剣が紅く濁った光を帯びる。
  俺がその動きに気付いたのは、奴の剣が振り下ろされた瞬間だった。
「!!?」
  俺の動きが一瞬止まる。
  それは致命的な隙。
  雄叫びと共に光を帯びた剣が、ありえない速度で俺に迫っていくる。
「ッッヤベッ!」
  間に合わない。咄嗟とっさにそう判断し、思いっきり後ろに跳躍する。
  バキン、と俺の握っていた剣が、ガラスでも割るかのように簡単に砕かれる。
「がぁっ..!」
  そして無防備となった俺の身体を刃が襲い、右肩から左腰にかけての肉を容赦なくえぐり取る。
  鮮血が飛び散り、俺の意識が一瞬落ちる。
「...がふっ...」
  そしてほんの数秒で覚醒した。
「うッッ...」
  その瞬間、凄まじい激痛が俺を襲った。
  そのあまりの激痛に、俺の意識は再び飛びかける。
「はぁ...はぁ...はぁ...」
  口の中に血の味が広がる。
  息も苦しい。どうやら、肺もやられているみたいだ。
  俺は、死ぬのか...?
  不意にそんなことを考える。
  薫の声は聞こえない。多分上手く隙を見て逃げたのだろう。その事に俺は取り敢えず安堵あんどする。
  最後まであいつを守ってやれなかった。目に浮かんだのは、満面の笑みを浮かべる薫の姿。
「ゴ...メン...な...」
  そして俺の意識は薄れていった。


「...き..樹!...樹ってば!」
「...!?...?」
  大量出血によってほとんどなにも聞こえなくなった耳に、その声だけがはっきりと届いた。
  この世界に来るまで幾度いくどとなく聞き、これから先も暫くは聞き続けるはずであった声。
  聞き間違えるはずがなかった。
  閉じようとするまぶたに必死に抗い、薄っすらと目を開ける。
「ねぇ...お願い..目を開けて!私を...私を独りにしないで...」
  そこには大切な、命をかけて守るとこの世界に来てから誓った幼馴染が、大粒の涙を流しながら俺の身体を抱き起こしていた。
  どうしてここに?とは思わなかった。
  俺も、同じ状況になったなら、絶対に薫と同じ選択肢を選んでいただろうから。
  奴はすぐに俺を殺しにくる。その時俺は殺されるだろう。
  おそらく此処にいる薫も一緒に。
  だけど俺にはもう何も出来ない。
  あるのはただ、薫を守れなかった悔しさだけだ。
  力が、俺にもっと力があれば...なんでもいい...どうなってもいい...力を...俺に..力を...
  限界に近づく中、俺は必死にそう願った。
  だがその想いに反して、感覚がなくなり、意識が遠ざかってゆく。
『力が...力が欲しいの...?』
「??!?」
  意識が闇へと落ちる間際、突然頭の中に誰かの声が響いた。
『欲しいの...?』
  今度はもっとはっきりと。
  (力が...力が欲しいッ!俺に、大切な人を守れるだけの力を!)
  藁にもすがる思いで、俺は声に応える。
『それで、君にどんなことが起こっても?』
  声が、まるで俺を試すかのようにささやく。
  (俺は、俺はどうなってもいい!だから、だから力をくれ!)
『!!!』
  その問いに俺は即答する。
  もともと死ぬ覚悟でゴブリンに挑んだのだ。薫を守れるならば、悪魔にだって魂を売る。
  今更自分の身体のことなんてどうでもよかった。
  ただ薫を守りたい。その心に従うままに俺は謎の声に力を求めた。
『...クスッ...』
  声が、一瞬笑ったような気がした。
『君の覚悟、確かに受け取ったよ。やっぱり、君は私の思った通りの人だね。いいよ、私の力を貸してあげる。あの子を、助けてあげてね...』
  その瞬間、荒れ狂うエネルギーが俺の身体の中へ流れ込み、身体中に行き渡っていく。
  時間が逆行するかのように身体の感覚が戻ってくる。力が溢れ出し、傷の痛みが消える...
「くっ...」
  身体も動かせるようになり、感覚的には怪我を負う前と全く変わらなくなった。
  目を開けてすぐに飛び込んできたのは、俺たちに振り下ろされる剣だった。
「くっ...はぁぁぁぁッッ!」
  俺は飛び起き、咄嗟に自分の拳をゴブリンの剣にぶち当てた。
  剣に拳がめり込み、骨とぶつかった。
  普通なら確実に腕がちぎれる。だが俺には、なぜかそうならない自信があった。
  そしてそれは期待を裏切らなかった。
  俺の拳は剣に斬り裂かれるのではなく、逆にゴブリンの剣を弾き返した。
「!!???」
  いくら自信があったからと言っても、こんな現実離れした事が起こり、自分のしたことにまだ理解が追いつかない。
  自分の拳を呆然と見つめていると、再び先ほどの声が頭の中に響く。
『大丈夫...今の君なら、あいつを倒せるよ...
さぁ、剣を取って。時間がない』
  言われるままに剣を取り、切っ先をゴブリンへ向ける。
『心を落ち着かせて...身体の中の力を剣に込めるんだ...』
  その声に従い、俺は意識を集中する。
  剣の刃を上に、峰を下にして顔の真横に構える。
  峰に手のひらを添え、重心を落とし、そのまま体重を少し前にかける。
「...ふぅ~~~.....」
  そして目を閉じ、イメージする。身体の中に溢れる力を、暴れ狂う力を、勢いそのまま剣にまとわせる。
「!!!??」
  突如俺が構える剣が、先ほどのゴブリンと同じく光を帯びる。しかし、ゴブリンの剣のような紅く濁った光ではない。
  微かに青く不純物の全くない、純粋で、それでいて強力な光。
  その光が剣全体を覆い、溢れた光が細かな粒子となって放射されている。
  とても、美しかった。
『さぁ、その剣をあいつに向けて。そのままあいつに打ち出して...』
  俺は、まるで弓を引くかのように剣を少し後ろに引き、頭に響く声と共にその力を纏った剣をゴブリンに向けて突き出した。
『この技の名前は...』
「『ルミナス・インペレード!』」

  世界が、白銀に染まった

  剣を纏っていたエネルギーが一斉に解放される。
  全てを飲み込む青と白の光が辺り一帯を包み、圧縮されたエネルギーがゴブリンへと向かう。
  そして音も無くゴブリンの腹を貫通、消滅させた。
  これで終わった...
「...ウゥッッ!」
  その直後、さっきの比ではない痛みが俺を襲った。
  その痛みは、俺の意識を今度こそ完全に闇へと突き落とした。
  そして俺は、そのまま地面へ倒れ込んだ。



「樹!」
  その様子を見て、薫は樹に駆け寄り、その怪我の状態に愕然がくぜんとする。
  右肩から左腰にかけてが、今の今まで身体を動かせたのが不思議なほど深くバッサリと切られており、ところどころに白い骨らしきものが顔を出している。
  その傷口からは今も絶え間無く血が流れ出しており、ど素人の薫でも一目で重症だとわかった。
  既にかなりの量の血を流している様で、樹の顔は青白く、呼吸も浅くなっている。
  このままでは死ぬ。
  それは誰が見ても一目瞭然だった。
「えっと、えっと...まずは...まずは止血...」
  保健の授業で習った止血法を行なおうとするが、頭が真っ白になり何も思い出せない。
  何とか持っていた包帯だけでも巻こうとするが、手がまるで他人の手のように扱い辛く、震えて上手く巻くことができない。
「なんで...お願い、言うこと聞いて...」
  上手く動かない手を無理やり動かし、なんとか樹に包帯を巻く。
「それじゃ駄目だ。貸してみろ」
「!??」
  すると突然背後から声が聞こえ、薫の右手が誰かに掴まれた。
  振り返ると、1人の女性がいつの間にか薫の後ろに立っていた。
「あ...は、はい」
  言われた通り、薫は彼女に包帯を手渡す。
「助かる。だがその前にこれだ」
  そう言って、彼女はバッグの中から透明な液体の入った小瓶を取り出した。
  そしてその栓を抜き、中の液体を樹の傷口に全て垂らした。
  すると樹の身体についた傷が、まるでビデオの巻き戻しを見ているかのようにみるみると治っていく。
  さらにその数秒後、樹の傷は綺麗になくなっていた。
「これは...!?」
「ハイポーションだ。こんな物を使うような怪我をすることはないと思っていたのだが...持っていて正解だったな」
  そう言って彼女は立ち上がった。
「少し先に私の家がある。まずはこいつを運ぶぞ。私の荷物を持ってくれ」
「は、はい」
  樹を背負った女性に連れられ、薫は再び森の中を歩き始めた。



「...成る程な。だからあんな所にゴブリンが倒れていたのか...」
「はい...」
  それなりに広いログハウスの1室。
  薫は助けてもらった女性と共に、ベッドに横たわる樹の側に椅子を持って来て腰掛けていた。
「だが、イツキはよくあのゴブリンを倒せたものだな。あれは並の冒険者がパーティーを組んでも倒せん相手だぞ。カオルといったな?お前たちはどこで魔法を学んだんだ?」
「ま、魔法ですか...?」
  そんなもの習った事など一度もない。
  そもそも、薫たちの世界では魔法なんて存在しないのだから。
  その旨を伝えると、彼女はとても驚き急いで部屋の外へと出て行った。
  その数分後...
「すまんすまん。待たせたな」
「い、いえ...」
  暫くして戻って来た彼女の手には、おびただしい数の羊皮紙が握られていた。
  そのあまりの慌て様に、薫は若干ながら引いてしまう。
「まずは確認する。お前たちは魔法を知らない。そしてこの世界の者ではない。足元に魔方陣が出現したのは解ったが、どうやってここに来たのか詳しくは解らない。間違ってはおらんな?」
「はい...」
「だがその状態でイツキはゴブリンを倒した」
「そうです」
「......」
  彼女は暫く頭を抱えながら、パラパラと持って来た羊皮紙をめくる。
「あ、あのー...」
「ん?」
  その姿に圧倒されながらも、薫は言うべきことを言おうと口を開いた。
「今更なんですけど、樹を助けてくださってどうもありがとうございました」
  そして、地面に頭が付くくらい深くお辞儀をする。
「礼には及ばんよ。君は、優しい子だな」
  そう言って彼女はまるで自分の子供を見るような目で自分を見つめる。
「自己紹介を忘れていた。私はミレーナ。魔導士をやっている」
  そう自己紹介したミレーナは、樹と薫を交互に見て、衝撃の事実を突きつけた。
「カオルよ、お前とイツキは恐らく召喚魔法でこの世界にやって来たと考えてまず間違いないだろう」
「しょ、召喚魔法?」
「ああ、そして恐らくお前たちを召喚した者の一派がお前たちを捜している。このままだとお前たちが見つかるのは時間の問題だな」
「!!?!」
  薫はその言葉に絶句する。
「なぜ...なんでですか?」
「うむ。実はな...」
  主語も何もかもが省かれた問い。だが、ミレーナにはちゃんと伝わったようだ。
「召喚魔法で呼ばれた者は大方何かしらの力を持っている。その力を利用するため、と言うのが大体の理由だな。捕まればろくな未来は待っておらん」
「そういう事ですか...」
  ミレーナは懇切丁寧に、だが容赦なく真実を突きつけた。
  その言葉に薫は衝撃を受けるが、納得した顔でうなづく。大体の予想はついていたからだ。
「まあ、詳しくはイツキが目覚めてからだ。今私が何を言ったところで頭には入ってこんだろうからな」
「はい。ありがとうございます」
「解ったら寝た方がいい。部屋を用意してあげよう」
「ありがとうございます...ですが、あの...」
「どうした?」
「ここで、暫くでいいので樹の看病をしていてもいいですか?」
  その頼みにミレーナは笑って応える。
「もちろんいいとも。だが、無理しない程度にな」
「はい!ありがとうございます!」
「その方が夫も早く目を覚ますだろう」
「なっ...!私たちはそんなんじゃ...」
「ふふふ。おやすみ」
  聞く耳を持たないミレーナは、意味深な笑みを浮かべながら扉の向こうへと姿を消した。
「..夫...か..」
  真っ赤な顔で暫く扉を見つめたまま固まっていたが、ふと我に返って樹の方へと向き直る。
「樹...」

  まだ、まだ自分の気持ちも伝えてない
  それに、1度怒らなきゃ気が済まない
  だから、だから...

  お願い、早く目を覚まして...


~次回予告~
突然のゴブリンとの遭遇。絶体絶命の状況下、謎の声の少女と共にゴブリンを倒した樹だが、深傷を負い、樹も意識を失なってしまう。ミレーナと名乗る魔導師と薫に看病されて眠る間、樹は不思議な精神世界に迷い込んでいたのであった。

次回、異世界幻想曲、召喚編、「起」
「魔導師ミレーナ」

今ここに、謎が生まれる。

次回の更新は、5月15日午後9時の予定です。
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