鬼上司は間抜けな私がお好きです

碧井夢夏

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第一章

その夢は

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 肌の感触が、生々しく残るような感覚がする。
 抱き合っていたのか、ただ身体を寄せ合っていたのだろうか。

「やめてください……」

 小さな抵抗が耳をかすめた。彼女は今だけ自分のものになっている。
 うたかたの時間。これは身勝手な夢に違いない。

「好きだ」

 そう言って後ろから彼女を抱きしめる。華奢な身体を壊さないように、そっと顎を引き寄せて口づけた。
 唇の触れ合った場所から、自分と彼女の境界線が曖昧になって行くような心地がする。
 混ざりあって溶け合えたら、この世で一番幸せな生き物になれるかもしれない。

「花森……」
「いやです、東御さんを男の人だって認めるのは怖い……」

 吐息が首筋を撫でる。こんなに距離が近いのはいつぶりだろう。

「最初からずっと男だった。花森を女として見ていたんだ」
「やめてください、困ります……」

 困ると言った割に、彼女は抵抗もせずにしがみついている。
 今だけでいい。都合のいい夢ならば、自分のものになるのだから。


  *

 夢をみた。
 目が覚めると、生々しい感覚が身体中に残っているような気がする。

 どうして、あんな……。

 花森はその夢の一部始終を思い出して赤面した。熱い頬を冷まそうと両手を当てる。

 いやいやいやいや、待って待って待って……。

 夢の中で、抱き合って……その後……。

「こ、こういう夢って……なんで見ちゃうんだろう……」

 ベッドで呟いて愕然とする。
 更に困ったことに、夢に出てきた東御のビジュアルが良すぎた。
 花森は思い出すと赤面してしまう。こういう時、見た目が良いというのはずる過ぎやしないだろうか。

 別に、良いもの見ちゃったとか思ってないし、ただの夢だし、と花森は雑念を振り払うのに必死だ。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁーーなんで、なんでそんな顔にそんなスタイル……」

 これから東御と仕事をするというのに、なんという夢を見てしまったのか。
 花森は頭を抱えていた。


  *

 花森沙穂、配属37日目ーー。

 東御八雲は出張先のホテルで罪悪感に苛まれていた。
 ベッド脇に腰掛けて一人で反省会を開いている。

 酒を煽って勢いで寝てしまったのが間違いだったのかもしれない。よりによって、花森との情事を夢に見てしまうとは。

 夢だとしても幸せを味わえたのだからよかった、などと喜ぶことはできない。

 シャワーを浴びようと立ち上がった。熱めの湯を浴びて目を覚ませば、都合のいい幻は頭から消えるかもしれない。

 服を脱ぎ捨ててバスルームに入る。
 ユニットバスの小さなスペースで、シャワーカーテンに水滴が当たりバチバチと音を立てた。

 あんな夢をみてしまうくらい焦がれている証拠なのだろう。
 頭の中が覗かれなくて助かった。今日は仕事中にあの別人のような花森を思い出してしまうかもしれない。

 昨日の夜、何度も諦めようと思ったはずだった。
 部下を好きになる上司など、あってはならない。
 自分が未熟だったばかりに花森を怯えさせてしまった。

 妄想で満足して現実を見ないのは愚かな人間のすることだ。
 花森は、あんなことを望んではいない。夢の中で勝手に彼女を都合のいい存在に作り替え、欲求を満たしても本物は手に入らない。

 自分にできることは、花森の仕事がうまくいくように上司として支えてやることくらいだ。


  *

 花森は部屋で着替えを始めた。
 すると、隣の部屋からシャワーの音が聞こえてくる。

 ああ、朝にシャワー浴びるんだ、となんとなく思った途端に昨晩の夢がフラッシュバックした。
 なぜ東御の裸体が頭に浮かぶような夢を見てしまったのか。

「最悪」

 自分に幻滅しそうだ。好きではないはずの上司を思い出しながら、心音はいつもよりペースの速いドラムを打つ。
 シャワーの音が聞こえるからいけないんだ、と生活音のせいにしながら洗面の前に立った。

 顔を洗って基礎化粧品を顔に重ねていく。
 良く知る自分の顔を鏡で見ながら、どうして平凡な自分のことを東御のような男性が気にかけてくるのか……と疑問が湧いた。

 今までに出会ってこなかったタイプだったから、興味が沸いたのかもしれない。
 まさか社内恋愛に挑戦したくなった?
 反抗的な態度をとる部下をからかいたくなったのかも……。

 ブラウスを着るとメイクを始める。
 アイラインを引いてシャドウで陰影を作っていると、隣の部屋のシャワーが終わった音が聞こえた。

 もう少ししたら、朝食の誘いがあるだろうか。
 昨日は気まずい最後になってしまったし、せめて今日は普通に業務ができるようにしないと、と花森は気合を入れ直す。

 着替えたら連絡がくるかもしれないな、と何気なく思うと、そうか今の東御は裸なのかとまた夢の姿が脳内に浮かんでしまった。
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