鬼上司は間抜けな私がお好きです

碧井夢夏

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第一章

鬼上司、業務に勤しむ

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 断られても仕方ない、と思いながら東御は電話を掛けると、呼び出し中に隣の部屋から携帯電話の着信音が聞こえてくる。比較的すぐに花森は電話を取った。

「おはよう。モーニングに行こうと思うんだが、花森もどうだ?」
『はい、行きます』

 意外にあっさりと返事をくれる。嫌がられるかと思ったが、ちゃんと割り切ってくれているのだろうか。

「じゃあ、5分後に下のロビーで待ち合わせよう」
『はい』

 エレベーターに同乗するのはどこか気まずくて、下の階での待ち合わせを伝える。先に降りて待っているつもりだった。

 東御はワイシャツにジャケットを羽織らない格好で部屋を出ると、ほぼ同時に隣の部屋のドアが開いた。

「あっ……」

 花森も早めに出て待っていようと思ったのかもしれない。
 気まずい空気が流れたが、東御は「おはよう」と普段の調子で声をかけた。

「おはようございます」

 花森はブラウスに上着を羽織らずに出てきている。似たような格好だなと思うと東御はなんだか恥ずかしくなった。
 同じ時間を過ごしたわけではないのに、夢のせいで恋人だった時間があったかのようだ。

 一緒にエレベーターを待っている間も、なんとなく声を掛けづらかった。

 エレベーターが来てからも無言で乗り込んで無言で降りる。
 今までにないほど世間話が思いつかない。


 梅田駅から近くにある喫茶店。二人は、席に着くと店内を見回した。

「そんなに混んではいませんね」
「オープンしたばかりの時間だからな」

 花森にとってモーニングという文化は初めてだった。以前東御にビジネスランチと同じようにビジネスモーニングというのもあると教えられたが、その上司と一緒にモーニングに来ているのは一体なぜだろう。

「東御さんって、この辺に詳しんですか?」
「詳しくはないが、出張でたまに来る」
「なんか、都会なのにお値段手ごろな感じがしますね」
「そうだな。東京に比べれば値段は手ごろに感じるか」

 飲み物が付いてボリュームのあるサンドイッチとスープとサラダで700円。メニューを見ながら花森は嬉しそうにしている。
 都内でもこのくらいの金額でモーニングを出しているところはあるが、席が広くて清潔感のある店の雰囲気と食品のクオリティを考慮すると、やはりこちらの方が価格帯は低めなのかもしれない。

「じゃあ、このエッグベネディクトのセットで」
「ドリンクは何が良い?」
「グレープフルーツジュースにします」

 花森が迷いなく言ったので、東御は思わず頬が緩んだ。
 今日もかわいいな、と思って口が暴走しないように気を付ける。
 自由に触れられる夢の中の偽物より、触れられない本物の方が好きだ。

 手を挙げて店員を呼び、東御は注文を済ませる。
 出張とはいえ、朝からずっと彼女といられるのだから幸せな仕事なのだろう。

「同じ日本だが、関東と関西では仕事の仕方が違う。北海道や九州地区に関してはこの課は管轄外だが、関西支社と東北支社とは仕事をすることもあるだろう」
「そうなんですか」

 そんな話をしていると、東御の注文したモーニングプレートが到着する。スクランブルエッグにライ麦のパンとベーコン、サラダが乗った華やかなプレートだった。

「うわあ。朝からなんだかいい物食べてる気分になれそう」

 いい物食べている気分? 普段こいつは何を食べているんだ? 栄養は偏っていないだろうな? と東御は眉根を寄せた。栄養失調で花森が倒れるようなことがあってはならない。

 すると、ほどなくして花森が注文したエッグベネディクトがやってくる。
 控え目なサラダが脇に置かれ、ほうれん草とハムにチーズ、そしてポーチドエッグがイングリッシュマフィンの上に鎮座していた。

「すごい。おしゃれ!」

 その一声を聞いて、堪らず東御は吹き出す。
 堪えようとしていたために肩の震えが止まらない。

「なんですか、感じ悪い……」

 笑っている東御に対して、花森は機嫌を損ねたようだった。

「いや、素直な反応をするなと」

 そう言って笑う東御は、堪えた反動で目に涙がたまったらしい。眼鏡をはずして軽くそれを拭いながら、楽しそうにしていた。

 一方、花森はその行動の一部始終を見て驚く。眼鏡をはずすと、鼻の高さや思ったよりも彫りが深い顔をしているのがよく分かった。

「あの、東御さんってもしかして外国人の血とか入ってます?」
「ん? まあ、母親が日本人ではないな」

 髪と目こそ黒いものの、顔の造りは日本人らしくない。背が高いのもスタイルがいいことも、母親の影響なのかもしれないなどと思う。

 一体、どんな家庭環境で育ったのだろうか。
 花森は東御のことをほとんど知らない。

  *

 れいわ紡績の関西支社に着いたのは朝の9時。
 出張で前乗りしていたお陰で、花森はゆっくりとした朝を過ごすことができた。

 ここで初めて東御が「感謝しろ」と恩着せがましく言っていた理由が分かる。5時起きで到着していたらそれだけで体力が削られていたに違いない。

「おはようございます」

 東御が挨拶をすると、関西支社の営業部が「おはようございます」と全員で答える。花森はなんだか息の合った人たちだなとそれを見ていた。

「じゃ、着いて早々ですけど打ち合わせしましょか」
「はい。花森は右も左も分かりませんので、戦力だと思わないでいただければ」

 東御が笑顔で花森を戦力外通告する。小間使いくらいはできますよ、と花森は東御を睨んだが、戦力扱いされる方が首が締まるので反論はしない。

「うちのブースは今回会場真ん中のここです。恐らく立ち寄ってくれるのは元々の取引先が多いと思うんですけど、稀に新規事業を検討しているベンチャーの会社なんかも立ち寄りますんで、その時は僕ら関西チームに話を繋いでください」
「分かりました。営業活動に繋げてもらうのにもそれが一番良いでしょう」

 関西支社の営業部長と東御だけで着々と話が進んでいく。
 花森はただそれを横で聞いているだけで、特に何もできなかった。

「じゃあ、会場に向かいましょう。手持ちで荷物も持っていきたいのでタクシーを呼びます」

 社員5名が会場に向かう。既に現場に入っている社員も3名いるらしい。花森は人生初めての展示会に向かっているが、まだ何をやればいいのかよく分からないでいた。
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