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第八章 勇者襲来

鬼人流空手

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 黄龍は魔王軍の直前で速度を落として滞空すると、周囲の魔素を吸い込みながら大きく口を開いた。口腔では電光が眩く明滅している。
 龍の息吹ドラゴンブレスを阻止しようと魔王軍から無数の魔法や射撃が飛ぶ。ダークエルフの魔法戦士部隊や亜人の魔術師部隊、蜥蜴人リザードマン・ゴブリン射撃部隊、そして城壁からは対魔獣大型弩砲バリスタが雨あられと攻撃を加えてゆく。
 しかし、それらは黄龍まで到達する事が出来ないまま、その直前でむなしく爆炎の花を咲かせるばかりであった。黄龍の背中から特級魔術師オルガが展開した強力な『防御壁プロテクション』をどれひとつとして突破できなかったのだ。
 勇者特性のひとつである『魔力譲渡』は、基本的に身体が接触する程度の距離でなければ発動できない。だが『勇者の眷属』は勇者と特殊な魂の回線を構築する事で、どれだけ離れていても回線を通じて勇者の無限とも言える魔力を自由に引き出す事が可能である。
 オルガはこの魔力によって普段から『防御壁』を数十枚、発動待機状態で維持していた。さらに圧縮言語と『多重詠唱』の合わせ技により、その場でも瞬時に十数枚の『防御壁』を展開可能である。もはや国家規模の魔術師団すら超える防御魔法の前に、魔王軍の遠隔攻撃はことごとく阻まれてしまった。
 そしてついに、魔王軍の抵抗むなしく黄龍が電光の息吹ライトニングブレスを放つ。若いとはいえ頭胴長25メートル、全長50メートルに達する龍の息吹ブレスが直撃すれば、その恐るべき大電流によりほとんどの生物は瞬時に消し炭と化すであろう。
 しかしその瞬間、魔王軍からひとつの真っ赤な影が飛び出した。魔王七本槍のひとりである身長288センチの巨大なオーガ、参ノ槍“鉄拳ザ・ハンド”ディー=ソニアである。オーガ特有の赤い肌に、倒してきた相手の返り血で赤黒く染まった魔麻布の道着を身にまとい、まるで飛翔するかのごとき跳躍力で黄龍へ向かってゆく。
 ディー=ソニアは電光の息吹ライトニングブレスを受け止めるかの様に、大きく開いた両手を体の前でぐるりと回転させた。鬼人流回し受け・遠心。魔力を練り上げた闘気を周囲の魔素に作用させる事により、両腕の長さを遥かに超えた大きさの高速回転する防御壁を形成する技である。
 直撃すれば十数枚の『防御壁』を突破する威力の息吹ブレスを、『遠心』は高速回転する魔素の流れにより防御壁の外側へと逃がす事で完全に防ぎ切った。
 ディー=ソニアは、さらに空中で身をひるがえすと黄龍へ向かって加速する。これはナナシのような空間干渉能力ではなく、闘気の爆発的な噴出による推進であった。
 黄龍は、絶対の自信をもって放った息吹をたったひとりのオーガに防がれた事に驚愕し、ほんの一瞬動きが止まってしまう。そこへ飛び込んだディー=ソニアは、黄龍の眼前の空間を右肘と右膝で挟み打つ。鬼人流挟み打ち・大顎おおあぎと。虚空を打つかに見えたその肘と膝から瞬間的に闘気が伸びて、全頭高3メートルの黄龍の頭部へ上下から衝撃を与えた。
 羽生心影流『無影刃』のように魔力を利用した攻撃部位の形成技術は、様々な流派に存在している。鬼人流空手においては闘気による打撃の延長がこれに当たると言えよう。大型種族であるオーガをも遥かに超える巨大な魔獣がひしめくこの世界において、そうした技術が発達する事は必然であった。
 脳を揺らされ意識が飛んだ黄龍の頭頂に着地したディー=ソニアは、そのまま黄龍の頭に拳を打ち下ろす。鬼人流下段突き・破岩はがん。闘気により黄龍の魔法防御を砕き、拳に乗せた打撃力をそのまま黄龍頭部へと叩き込む。
 拳の直撃した龍鱗は粉々に砕け、黄龍はまるで巨大なハンマーで打ち据えられたかの様に落下してゆく。しかしディー=ソニアにとってこれは誤算であった。本来ならば体内まで衝撃力を浸透させ、直接脳を破壊する打撃が、龍鱗にそのエネルギーの大半を吸収されてしまったのだ。
 これはディー=ソニアの技が未熟だったというよりも、龍鱗の物理防御力の優秀さが勝ったと言うべきであろう。結果、龍鱗は砕けたものの黄龍の脳は守られた。とはいえその衝撃力は黄龍を墜落させるに十分なものであった。
 すかさずディー=ソニアは空中でいちど回転すると、地面に横たわる黄龍へ向かって蹴りを放つ。鬼人流飛び足刀・雷打らいだ。天空から迸るいかづちのごとき足刀が、一直線に黄龍の頭部を襲う。
 黄龍から飛び降りた勇者一行の中から、オルガが『防御壁プロテクション』を発動した。ディー=ソニアの攻撃の軌道上へ、瞬時に15枚の『防御壁』が等間隔に並んで展開する。
 龍の息吹ですら突破困難な枚数の『防御壁』を、ディー=ソニアは次々と蹴りを繰り出しながら破壊してゆく。鬼人流飛び足刀・雷打連撃。闘気の噴出によりさらに加速する蹴りが、ついに最後の『防御壁』を粉砕し黄龍の頭に迫る。
 しかし次の瞬間、ディー=ソニアの足刀は黄龍を逸れて大地へと突き刺さり、轟音と共に巨大なクレーターを形成していた。衝撃で跳ね上がる黄龍の頭頂では、春の女神の大司教であるエルフのラビが優雅に舞っている。『雷打』が当たる刹那、割って入ったラビがその軌道を受け流したのだ。
 常人ならば掠っただけでも致命傷となりかねない威力の蹴りを、無傷で捌ききったラビの技。これは舞踊神の信徒に伝えられる舞闘の技であった。
 元々は季節の女神の眷属神であった舞踊の姉弟神は、独立した信仰を集める様になってからも季節の女神とは関係が深い。そのため、季節の女神の信徒が同時に舞踊神を信仰する事は珍しくなかった。季節の祭事に、その季節の女神の信徒が奉納舞を捧げる様子は各地で風物詩となっている。
 そして春の女神の大司教であるラビもまた、舞踊神の司祭を兼ねるほどの信仰と、舞闘の技を身に着けていた。長命種であるラビの百年以上にわたる技の研鑽は、転生前も含めたディー=ソニアの修練に全く引けを取らない。実際、ほんの一合の交錯で両者は互いを強敵であると感じていた。
 全身を覆う網目のような服の上に扇情的な踊り子の衣装をまとったラビは、黄龍の頭からくるりと身をひるがえして飛び降りる。すかさずディー=ソニアが着地前のラビに向かって打撃を繰り出した。だが放たれる鋭い拳は、ひらひらと木の葉のように舞うラビを捉える事が出来ない。
 音速を超える銃弾すら軽々と打ち落とすディー=ソニアの動体視力と予測打撃を、ラビの読みと体術がわずかに上回っているのだ。
 ディー=ソニアは拳の引き際にラビの衣装をつかみ取る。しかしこれはラビの罠であった。強靭なスパイダーシルク製の衣装はラビの魔力で強化されており、ラビの体捌きによりディー=ソニアの拳に巻き付いてその腕を絡め取る。
 質量にすれば5倍を超える体格差があるオーガとエルフであっても、ラビの技はその関節を破壊する程の技量があった。絡め取った腕ごと自らの体を回転させるラビに、ディー=ソニアはその筋力で対抗する。
 転生者であるディー=ソニアは、前世において体格差による打撃力の差に悩まされ続けた。人種や男女の体格差は、徒手空拳の格闘技において覆し難いほどの壁となる。ましてやルールのある競技会ともなればなおさらであった。
 ディー=ソニアは転生時のステータス割り振りで、筋力と耐久力だけは神域である110にまで伸ばしていた。どうせ転生しようが空手を忘れられぬ身である。ポイントを惜しんでここを妥協しては、のちに必ず後悔すると直感したのだ。
 魔素が偏在し、魔法が実在するこの世界では、体格差は必ずしも決定的な戦力差とはならない。様々な魔法や魔力による身体強化によって身体能力の飛躍的な向上が可能であるため、特級冒険者レベルになれば体格差はもはや誤差の範疇となってくる。さらに武器の殺傷能力も相まって、大型種族ならば圧倒的に有利という事は無い。
 それでも、己の体ひとつで世界最強を目指すディー=ソニアにとって、神域に達する筋力は大きな武器であった。打撃を当てる、そして運動エネルギーを破壊すべき部位に届かせるのは確かに技である。しかし肝心の運動エネルギーが少なければ最終的には相手を倒す事が出来ないのだ。
 ディー=ソニアの練り上げられた闘気による身体強化と神域に達する筋力は、ラビの技を凌駕してその回転を止める。こうなってはもはや拘束されているのはラビの方であった。ディー=ソニアが腕を引くと同時に、逆側の正拳突きがラビの体に叩き込まれる。
 刹那、ラビは脱衣術により瞬時に衣装を脱ぎ捨て、拳の上を跳馬の技のように前転飛びでかわし、ディー=ソニアの背中側へと逃れた。もはや全身網タイツに申し訳程度の下着姿というあられもない格好である。
 ディー=ソニアは瞬間的に腰を落とすと、ラビに背中を密着させた。鬼人流体当たいあて・弾打だんだ。全身の筋肉を瞬間的に緊張させる事により、爆発的な衝撃を相手に叩き込む技である。
 密着する面積が大きい分、衝撃を逃がす事が難しいこの技を食らって、ラビは大きく吹き飛ばされた。魔力による身体強化を越えて内臓まで達する衝撃に、ラビはその場で激しく嘔吐する。完全に無防備となったラビに対して、しかしディー=ソニアの追撃は無かった。
 なぜならディー=ソニアもまた、技を放ったその場で膝をつき嘔吐していたのだ。『弾打』による攻撃に対し、ラビもまた筋肉の弛緩と緊張による攻撃を繰り出していた。体格差と空中姿勢による不利を、エルフならではの魔力による身体強化でごり押しして、ほとんど相打ちにまで持ち込んだのである。
 胃の内容物を吐き切った両者は、よろりと立ち上がると互いに睨みあう。そして戦場にひとときの膠着状態が訪れた。
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