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第八章 勇者襲来
暗殺者
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50メートル程離れて睨み合う魔王軍と勇者の陣営。勇者のすぐ後ろでは、ようやく意識を取り戻した黄龍が頭胴長25メートルの巨体を威嚇するように揺らしている。
やがて魔王軍の前面に展開するオーク重装歩兵団が中央から左右に割れ、そこから魔王ロックが側近を引き連れて現れた。それを見て、勇者側からはダミアンが数歩進み出る。
次の瞬間、魔王ロックの首筋へ革鎧に包まれた手が伸びた。それまで誰ひとりとして認識していなかった“音無”エロイーズ・エローが、魔王に背後から攻撃したのだ。エルフのようにエネルギーの流れが見える種族の目すら欺く、暗殺者としての恐るべき技能である。
エロイーズは右手でロックの口を塞ぐと、左手で逆手に持った短剣をロックの眼窩深くへと突き立てた。眼底の薄い骨を貫いた剣先でぐるりと脳をかき混ぜると、短剣をそのまま残して素早く空中に飛び上がる。それと同時に、深々と突き刺さった短剣の刀身が爆裂魔法により粉々に砕け散り、頭蓋内へと散らばった。
顔面の穴という穴から爆炎を吹き出しながら魔王ロックの頭が爆ぜる。一瞬の間をおいて宰相アビゲイルが悲鳴を上げた。あお向けに倒れたロックの元に座り込み、飛び散った脳を必死にかき集める。
「くそっ、刺客を潜り込ませるとはえげつないな、勇者よ!」
そう叫びながら陸軍大将グレースが空中のエロイーズに『魔力誘導弾』を放つ。さらに魔王軍からエロイーズに銃弾や魔法が放たれるものの、それらはオルガの『防御壁』によって全て防がれてしまった。エロイーズは50メートルを一足で飛び越えると、勇者と黄龍の陰にするりと隠れてしまう。
しかし、このエロイーズは巧妙な囮であった。飛び上がったのは呪符を使った分身のようなもので、実体ではない。本人は再び隠形の技能を使い、その場に留まっていたのだ。魔王の暗殺自体は成功したと確信していたが、『蘇生』を使える者がいないとも限らない。魔王の死体がどう扱われるか、推移を見届ける必要があった。
しかしエロイーズの確信は儚く崩れ去る。目の前で半狂乱になりながら飛び散った脳をかき集めていたダークエルフの指から、魔王の脳がどろりと溶けて流れ落ちたのだ。同時に、倒れていた魔王の体が鎧と服を残して溶け崩れる。溶けた肉汁はずるずると寄り集まると半球状に盛り上がり、プルプルと震えた次の瞬間、全裸の少女を形作った。
魔王の残骸から現れた黒髪の少女は、近くで直立しているオークの歩兵を指さし、ふにゃふにゃと怒りの声を上げる。
「んも~! いきなり殺されるとかき~てないんよ! ど~なってんの~!?」
指さされたオークは通常種であり、身長も2メートル弱程度しかない。すると見る間にその体が武装ごと溶け出し、中から魔王ロックがエルフ銀製の鎖帷子に純白のサーコートをまとった姿で現れた。
溶けだしたオークだった物は、これもひと塊になると赤髪のレジオナに変化する。赤髪のレジオナは、ぷりぷりと怒る黒髪のレジオナを見てけらけらと笑い声を上げた。
「うひゃひゃひゃ。まお~攻略最速TAきめられてやんの~! だっさ~!」
「なによ~! 私たちのだ~れも気付いてなかったでしょ~。あんなん無理ゲ~だってば~! クソゲ~! クソゲ~ですぅ~!」
全裸で言い争うレジオナたちをよそに、魔王ロックは放心状態で座り込むアビゲイルに歩み寄ると、その手を取って立ち上がらせる。やっと我に返ったアビゲイルは、みるみる涙をあふれさせると、両手でロックの胸をぽかぽかと叩いた。ロックはそんなアビゲイルの頭をそっと撫でる。
「ほえ~、あれが3千年もののポカポカですか~。アビーちんも中々やるねぇ~」
いつの間にかふたり並んでその様子を眺めていたレジオナたちが、そんな感想を言いながら全裸でうなずき合っていた。緊迫した状況からのほのぼのとした光景の落差に、周囲にも笑顔が広がってゆく。
しかしその場に潜伏を続けているエロイーズにとっては笑い事ではなかった。エロイーズは何度も魔王城に潜入し、魔王の癖や臭いまで完全に把握していた。来たるべき魔王暗殺に向けて、万にひとつでも影武者と間違わないためである。いま殺した魔王は、絶対に本人だったはずなのだ。側近のダークエルフの取り乱し様も、とても演技だったとは思えない。
これはひとえにレジオナの擬態がエロイーズの能力を上回った結果であった。レジオナの『擬態』はすでにレベル上限に達し、上位技能である『変身』となっている。さらに今回は外見だけでなく、ロックの遺伝情報をも使って肉体を構築しており、体臭やホルモンバランスまで完璧に再現していた。
レジオナの擬態によって手玉に取られた形のエロイーズであったが、暗殺に想定外の事態は付き物である。こんな事もあろうかとエロイーズは潜伏を続けたのだ。殺したと思ったのが影武者ならば、後から出てきた魔王こそ本物であろう。エロイーズは弛緩した場の雰囲気に乗じて再び魔王暗殺へと動き出す。
気配を遮断し、目に映っていても認識できない『不可視』の技能を使って魔王へと近づくエロイーズ。突如その右手からふにゃふにゃと声が上がった。
「う~ん、てったいしたと思わせてまだいんのはプロっぽいけどさ~、さすがにも~いっかいは舐めすぎなんじゃ~?」
ぎょっとして右手に視線を落とすエロイーズの目に、革籠手の上に形成された唇が見えた。エロイーズは左手に持った短剣で躊躇なく右手を肘から切断し、そのまま魔王軍に紛れて逃走する。おそらく魔王に擬態していたあのスライムが、口を塞いだ際に付着していたのだろう。
オーク重装歩兵の隙間から飛び出したエロイーズは、脱衣術によって走りながら全ての装備と衣服を脱ぎ捨て、結い上げた髪を根元から切り捨てた。片腕を失った状態での早業は特級冒険者の域を遥かに超えている。
スライムが付着してからの時間を考えると、装備がどこまで浸食されているか分からない。エロイーズはともかく装備をすべて破棄する事にした。素肌にまで取り付かれた感覚は無かったが、油断は出来ない。ダミアンと合流したら徹底的に洗浄する必要があるだろう。
逃げてくるエロイーズの意図を察し、オルガが『防御壁』を展開しつつ、脱ぎ捨てた装備へ『崩壊』を放った。金貨に換算すれば数万枚の価値がある装備と内部拡張袋の中身を、みすみす敵の陣営にくれてやるわけにはいかない。
魔王軍に残されたエロイーズの右手から、黒髪のレジオナがにゅるりと現れてきょろきょろと辺りを見回す。その頃には既に全裸になったエロイーズは勇者の元へとたどり着き、ラビから『再生』の奇蹟を施されていた。
エロイーズの右手を持った黒髪のレジオナは魔王の元へ歩いてゆく。するとそこではもうひとりの黒髪のレジオナがふにゃふにゃと魔王に詰め寄っていた。
「んも~、せんそ~にはかかわるな~とかいっといてさ~、こ~ゆ~ときだけ利用するのどうなんよ~?」
レジオナの抗議もロックはどこ吹く風といった様子である。
「言っておくが、まだ戦争は始まっていないからな。まあ勇者の言い分にもよるが」
「でたコレ! 汚い! さすが魔王汚い! と~るかそんな詭弁~!」
「通るか通らないか、ともあれ勇者の話を聞いてみんとな。この急襲にフレッチーリ王国の意思が絡んでいるなら、こちらにもそれ相応の出方というものがある」
「も~影武者はにどとやんないかんね~。アビーちん、そんな顔してもだめなんよ~」
レジオナの宣言に、懇願するような顔で見つめていたアビゲイルが盛大にため息をついた後、上目遣いでペロっと舌を出す。とてもさっきまで取り乱していた人物とは思えないが、これも影武者の存在を知らされていなかった事へのちょっとした意趣返しかも知れない。
「で、でた~! 3千年もののてへぺろ~! ほんっと~にエルフは歳をとる程バカになるんだから~」
レジオナの言葉に、涙の跡も生々しいアビゲイルはつんと顔を反らす。
「ふん、ロック様とコソコソ影武者の打ち合わせをしていた貴女に言われたくありません。そもそもどうやって細かい傷跡や筋肉のつき方を調べたのか後で徹底的に聞かせてもらいますからね」
「ヤバい! 全身型取りやってたのバレたらころされそう~!」
赤髪のレジオナの確信的な自爆に、何を言ってるんだこいつはと完全にアホを見る目を向ける黒髪のレジオナたち。数千兆もいる中から馬鹿ばっかり集まった個体なのかもしれない。アビゲイルに説教される時は絶対に連座させてやると心に誓う黒髪のレジオナたちであった。
やがて魔王軍の前面に展開するオーク重装歩兵団が中央から左右に割れ、そこから魔王ロックが側近を引き連れて現れた。それを見て、勇者側からはダミアンが数歩進み出る。
次の瞬間、魔王ロックの首筋へ革鎧に包まれた手が伸びた。それまで誰ひとりとして認識していなかった“音無”エロイーズ・エローが、魔王に背後から攻撃したのだ。エルフのようにエネルギーの流れが見える種族の目すら欺く、暗殺者としての恐るべき技能である。
エロイーズは右手でロックの口を塞ぐと、左手で逆手に持った短剣をロックの眼窩深くへと突き立てた。眼底の薄い骨を貫いた剣先でぐるりと脳をかき混ぜると、短剣をそのまま残して素早く空中に飛び上がる。それと同時に、深々と突き刺さった短剣の刀身が爆裂魔法により粉々に砕け散り、頭蓋内へと散らばった。
顔面の穴という穴から爆炎を吹き出しながら魔王ロックの頭が爆ぜる。一瞬の間をおいて宰相アビゲイルが悲鳴を上げた。あお向けに倒れたロックの元に座り込み、飛び散った脳を必死にかき集める。
「くそっ、刺客を潜り込ませるとはえげつないな、勇者よ!」
そう叫びながら陸軍大将グレースが空中のエロイーズに『魔力誘導弾』を放つ。さらに魔王軍からエロイーズに銃弾や魔法が放たれるものの、それらはオルガの『防御壁』によって全て防がれてしまった。エロイーズは50メートルを一足で飛び越えると、勇者と黄龍の陰にするりと隠れてしまう。
しかし、このエロイーズは巧妙な囮であった。飛び上がったのは呪符を使った分身のようなもので、実体ではない。本人は再び隠形の技能を使い、その場に留まっていたのだ。魔王の暗殺自体は成功したと確信していたが、『蘇生』を使える者がいないとも限らない。魔王の死体がどう扱われるか、推移を見届ける必要があった。
しかしエロイーズの確信は儚く崩れ去る。目の前で半狂乱になりながら飛び散った脳をかき集めていたダークエルフの指から、魔王の脳がどろりと溶けて流れ落ちたのだ。同時に、倒れていた魔王の体が鎧と服を残して溶け崩れる。溶けた肉汁はずるずると寄り集まると半球状に盛り上がり、プルプルと震えた次の瞬間、全裸の少女を形作った。
魔王の残骸から現れた黒髪の少女は、近くで直立しているオークの歩兵を指さし、ふにゃふにゃと怒りの声を上げる。
「んも~! いきなり殺されるとかき~てないんよ! ど~なってんの~!?」
指さされたオークは通常種であり、身長も2メートル弱程度しかない。すると見る間にその体が武装ごと溶け出し、中から魔王ロックがエルフ銀製の鎖帷子に純白のサーコートをまとった姿で現れた。
溶けだしたオークだった物は、これもひと塊になると赤髪のレジオナに変化する。赤髪のレジオナは、ぷりぷりと怒る黒髪のレジオナを見てけらけらと笑い声を上げた。
「うひゃひゃひゃ。まお~攻略最速TAきめられてやんの~! だっさ~!」
「なによ~! 私たちのだ~れも気付いてなかったでしょ~。あんなん無理ゲ~だってば~! クソゲ~! クソゲ~ですぅ~!」
全裸で言い争うレジオナたちをよそに、魔王ロックは放心状態で座り込むアビゲイルに歩み寄ると、その手を取って立ち上がらせる。やっと我に返ったアビゲイルは、みるみる涙をあふれさせると、両手でロックの胸をぽかぽかと叩いた。ロックはそんなアビゲイルの頭をそっと撫でる。
「ほえ~、あれが3千年もののポカポカですか~。アビーちんも中々やるねぇ~」
いつの間にかふたり並んでその様子を眺めていたレジオナたちが、そんな感想を言いながら全裸でうなずき合っていた。緊迫した状況からのほのぼのとした光景の落差に、周囲にも笑顔が広がってゆく。
しかしその場に潜伏を続けているエロイーズにとっては笑い事ではなかった。エロイーズは何度も魔王城に潜入し、魔王の癖や臭いまで完全に把握していた。来たるべき魔王暗殺に向けて、万にひとつでも影武者と間違わないためである。いま殺した魔王は、絶対に本人だったはずなのだ。側近のダークエルフの取り乱し様も、とても演技だったとは思えない。
これはひとえにレジオナの擬態がエロイーズの能力を上回った結果であった。レジオナの『擬態』はすでにレベル上限に達し、上位技能である『変身』となっている。さらに今回は外見だけでなく、ロックの遺伝情報をも使って肉体を構築しており、体臭やホルモンバランスまで完璧に再現していた。
レジオナの擬態によって手玉に取られた形のエロイーズであったが、暗殺に想定外の事態は付き物である。こんな事もあろうかとエロイーズは潜伏を続けたのだ。殺したと思ったのが影武者ならば、後から出てきた魔王こそ本物であろう。エロイーズは弛緩した場の雰囲気に乗じて再び魔王暗殺へと動き出す。
気配を遮断し、目に映っていても認識できない『不可視』の技能を使って魔王へと近づくエロイーズ。突如その右手からふにゃふにゃと声が上がった。
「う~ん、てったいしたと思わせてまだいんのはプロっぽいけどさ~、さすがにも~いっかいは舐めすぎなんじゃ~?」
ぎょっとして右手に視線を落とすエロイーズの目に、革籠手の上に形成された唇が見えた。エロイーズは左手に持った短剣で躊躇なく右手を肘から切断し、そのまま魔王軍に紛れて逃走する。おそらく魔王に擬態していたあのスライムが、口を塞いだ際に付着していたのだろう。
オーク重装歩兵の隙間から飛び出したエロイーズは、脱衣術によって走りながら全ての装備と衣服を脱ぎ捨て、結い上げた髪を根元から切り捨てた。片腕を失った状態での早業は特級冒険者の域を遥かに超えている。
スライムが付着してからの時間を考えると、装備がどこまで浸食されているか分からない。エロイーズはともかく装備をすべて破棄する事にした。素肌にまで取り付かれた感覚は無かったが、油断は出来ない。ダミアンと合流したら徹底的に洗浄する必要があるだろう。
逃げてくるエロイーズの意図を察し、オルガが『防御壁』を展開しつつ、脱ぎ捨てた装備へ『崩壊』を放った。金貨に換算すれば数万枚の価値がある装備と内部拡張袋の中身を、みすみす敵の陣営にくれてやるわけにはいかない。
魔王軍に残されたエロイーズの右手から、黒髪のレジオナがにゅるりと現れてきょろきょろと辺りを見回す。その頃には既に全裸になったエロイーズは勇者の元へとたどり着き、ラビから『再生』の奇蹟を施されていた。
エロイーズの右手を持った黒髪のレジオナは魔王の元へ歩いてゆく。するとそこではもうひとりの黒髪のレジオナがふにゃふにゃと魔王に詰め寄っていた。
「んも~、せんそ~にはかかわるな~とかいっといてさ~、こ~ゆ~ときだけ利用するのどうなんよ~?」
レジオナの抗議もロックはどこ吹く風といった様子である。
「言っておくが、まだ戦争は始まっていないからな。まあ勇者の言い分にもよるが」
「でたコレ! 汚い! さすが魔王汚い! と~るかそんな詭弁~!」
「通るか通らないか、ともあれ勇者の話を聞いてみんとな。この急襲にフレッチーリ王国の意思が絡んでいるなら、こちらにもそれ相応の出方というものがある」
「も~影武者はにどとやんないかんね~。アビーちん、そんな顔してもだめなんよ~」
レジオナの宣言に、懇願するような顔で見つめていたアビゲイルが盛大にため息をついた後、上目遣いでペロっと舌を出す。とてもさっきまで取り乱していた人物とは思えないが、これも影武者の存在を知らされていなかった事へのちょっとした意趣返しかも知れない。
「で、でた~! 3千年もののてへぺろ~! ほんっと~にエルフは歳をとる程バカになるんだから~」
レジオナの言葉に、涙の跡も生々しいアビゲイルはつんと顔を反らす。
「ふん、ロック様とコソコソ影武者の打ち合わせをしていた貴女に言われたくありません。そもそもどうやって細かい傷跡や筋肉のつき方を調べたのか後で徹底的に聞かせてもらいますからね」
「ヤバい! 全身型取りやってたのバレたらころされそう~!」
赤髪のレジオナの確信的な自爆に、何を言ってるんだこいつはと完全にアホを見る目を向ける黒髪のレジオナたち。数千兆もいる中から馬鹿ばっかり集まった個体なのかもしれない。アビゲイルに説教される時は絶対に連座させてやると心に誓う黒髪のレジオナたちであった。
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