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第九章 嵐の前

宣戦布告

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「魔族の名など聞くも汚らわしいが……まあ良い、名乗る事を許す」
 シャルル13世の高圧的な態度に対し、双星の魔女ことジュリエットは流麗な西方共通語で答える。
「ルビオナ王国王太后、ジュリエット・レックス・エンドルーザーと申します。この度は、国王ロック・エドワード・ジュリエット・エンドルーザーの名代みょうだいとしてまかり越しました」
「王太后自ら使い走りとは、よほど人材不足と見える」
何分なにぶん新興国故、人手が足りませぬ。お恥ずかしい限りでございます」
「ふん、雑兵とは言えあれだけの兵を差し向けておいて抜け抜けと……」
「雑兵相手にしては過剰な兵力を集めておいでのご様子」
「獅子は兎を狩るにも全力を尽くすものよ。魔物ごときが虚勢を張って、何を強請ねだりに来たのやら」
「我が王からの親書はそちらに」
 ジュリエットが、玉座の壇下左側に立つ宰相リコールへと目線をやる。リコールがシャルル13世の顔をうかがうと、王は無言で頷いた。
 それを見て、情報官オベールがリコールへ親書を手渡す。リコールは王にも見えるよう封蝋を確認したのち(忌まわしき魔王軍の紋章であった!)、羊皮紙を広げた。重要な親書は羊皮紙に記すものという伝統にのっとっている事に、リコールは嫌な予感を覚える。
 はたして、その予感は現実のものとなった。リコールは親書の内容を目にして、思わず王へと振り向いてしまう。その顔は青ざめ、親書を持つ手はかすかにふるえている。その様子にシャルル13世は顔をしかめながら、今度は手を振り、読み上げをうながした。


「これは最後通牒である」
 読み上げられた序文に、謁見室の空気が変わった。リコールは再び王の意思を確かめるように振り向く。
「構わぬ、続けよ」
 シャルル13世の穏やかとすら思える声が、逆にリコールの背筋を凍らせた。しかしリコールも、この舐められたら殺す世界において、一国の宰相である。覚悟を決めたリコールは、威儀を正し朗々と続きを読み上げた。
 書簡の内容は以下のようなものである。
 ひとつ、フレッチーリ王国は3千年前の魔族領侵攻と虐殺を認め、ルビオナ王国に対し正式に謝罪する事。
 ひとつ、リュテス城近辺は元々魔族領である。よってフレッチーリ王国はリュテス城とその周囲半径100キロメートルをルビオナ王国へ割譲する事。
 ひとつ、フレッチーリ王国はリュテス城及びその周囲半径100キロメートル圏内より完全に撤兵する事。
 ひとつ、フレッチーリ王国は以上の要求を1週間以内に履行する事。
 そして、ついにリコールが決定的な1文を読み上げる。
「これら全ての要求が履行されない場合、期限の1週間をもって、ルビオナ王国はフレッチーリ王国に対し領土奪還を目的とした武力行使を開始する」


 謁見室が沈黙に包まれた。
 息をする事さえはばかられるようなその沈黙の中、シャルル13世が感情のこもらぬ声で告げる。
「斬り捨てよ」
 抜く手も見せず剣聖ゴーモンが刃を閃かせた。しかしその剣は、突如出現した岩小屋のごとき立方体に阻まれ、甲高い音を立てる。ゴーモンの腕を以てしても破壊出来ない、この岩で出来た立方体に、周囲の兵士からどよめきが上がった。
 ゴーモンの剣速は高速詠唱や詠唱破棄、あるいは発動待機等で対応出来るものではない。仮に発動が間に合ったとしても、生半可な防御魔法ではその斬撃を止められないだろう。その手応えから、ゴーモンはこの岩小屋の正体を察する。
「感触から言って、これは『絶対防御圏』インバイオラビリティに類する神聖干渉ですな。恐らく、連中はこのまま転移魔法で逃げる気でしょう」
 ゴーモンの推察通り、これは天照大神の神聖干渉『天岩戸あまのいわと』であった。そして『天岩戸』は魔族の3人だけを覆っている。残った各国大使が動じていない所を見るに、最初から打ち合わせ通りの行動なのだろう。
 ここに至り、フレッチーリの重鎮もルビオナ王国の真の狙いに気付く。何の事はない、魔族共は。形式が全てだったのだ。ただそれだけのために、各国使節を伴って、わざわざ敵地の真っただ中に乗り込んで来たのだ。
 けだもの共が人間様の真似事をして、対等な振る舞いをするなど言語道断である。宴の余興ならばともかく、国家の、正式な作法を、卑しき獣風情が、謁見の場で真似るなど、万死に値する。
 もはやフレッチーリ王国は完全に舐められた。このまま魔族共を取り逃がせば、周辺諸国からも侮られるだろう。今となっては残った各国使節を殺しても、いたずらに敵対感情を高めるだけであった。最悪の場合、魔族共に協力してフレッチーリを削り取る口実にされる可能性もありうる。
 何としても魔族共に一矢報いねばならなかった。シャルル13世は剣聖ゴーモンに命ずる。
「ゴーモンよ、魔族共を逃がすでない! 絶対にこの場で殺すのだ!」
 王の言葉に、控えていた近衛騎士たちも駆け寄って『天岩戸』へ槍を突き入れた。しかし槍が破損する程の刺突も、『天岩戸』を貫通する事は出来ない。
 かたや命じられたゴーモンは攻撃に参加せず、王に返答する。
「言ったでしょう、これは『絶対防御圏』インバイオラビリティみたいなもんだって。剣も魔法も効きゃあしませんよ。それと、お忘れかも知れませんが、私が請け負ったのは陛下の護衛であって魔族討伐じゃあないんですがね」
 飄々としたゴーモンの言葉に、オランド将軍が激昂した。
「おのれ、不敬であるぞ! いかに剣聖といえど限度があるわ! ええい腰抜けは下がっておれ!」
 しかし当のゴーモンはどこ吹く風といったていで、薄笑いを浮かべたままその場を動こうとしない。しかも言葉とは裏腹に、剣を上段に構えたまま『天岩戸』を凝視している。
「ほら、もう無理しなさんな。せっかくの武器を痛めるだけですぜ。そろそろ敵さんも転移が終わる頃でしょう」
 構えを崩さぬまま発せられるゴーモンの言葉に何かを察したか、シャルル13世が無言で右手を振った。それを見た近衛たちは、口々に魔族への悪態を吐きながら攻撃の手を止める。
 剣聖とまで呼ばれる程の実績を持つゴーモンは、実は『天岩戸』の存在を知っていた。そしてその特性が『絶対防御圏』インバイオラビリティに近いものの、内部からは外の様子が一切うかがえぬという事も。音は聞こえど、外の様子は岩戸を開いて隙間から覗き見るしかないのだ。
 剣聖の腕をもってすれば、隙間を通して致命傷を与える事も容易い。ゴーモンが構えを解かなかったのは、それを期待していた部分もある。しかし真の狙いは別の所にあった。
 神聖干渉は己の存在力そのものを神に捧げて奇蹟を賜る。そして、もし存在力を消費しきってしまえば、その者はこの世から消滅してしまう。ある意味神と一体になるとも解釈できなくはないが、そこまで達観できる者は稀である。つまり、神聖干渉を祈念する者は、無意識の内に
 転移魔法が発動し、もはや後は高位次元を経由して転移するばかりとなった瞬間。転移する存在が高位次元とこの世界の間で揺蕩うその刹那、『天岩戸』を祈念していた羽生心影流目録の王女マチルダは、
 神聖干渉が消え、転移が完了する、常人の目には捉えられぬその刹那をゴーモンの剣が切り裂く。その切っ先が床の寸前でぴたりと静止し、ややあって切断された何者かの右前腕が、鈍い音を立てて赤い絨毯の上に落ちた。
「やったか!」
 シャルル13世が興奮して立ち上がる。ゴーモンは落ちた右腕を拾い上げ、断面を見ながら言う。
「まあ手応えはありましたが、ちょっと綺麗に斬りすぎましたかね。こっちに落っこちたのはこれだけです。あの小娘の腕でしょう」
 マチルダはゴーモンの斬撃に反応して、帯剣していないにもかかわらず体が抜剣動作をしてしまった。そのため、ゴーモンの袈裟懸けに右腕が巻き込まれたのだ。ところが、ゴーモンの恐るべき技の冴えに、体の方は斬られた事さえ気付かずに転移した。ただ、振り抜いた腕だけは切断面が離れてしまい、謁見室へ取り残されてしまったのだ。
「私の剣に反応しただけでも大したもんですよ。生きていればひとかどの剣士になっていたでしょうな」
 過去形で語るゴーモンに、切り落とされた腕まで見せられては、フレッチーリの重鎮たちもその言葉を信じざるを得ない。双星の魔女を取り逃がした事は業腹だが、最低限の意趣返しは出来たとするべきか。
 その時、シャルル13世が残忍な笑みを浮かべた。
「まて、急ぎその腕を使い『蘇生』を行うのだ。人質にはならずとも、奴らの目の前で凌辱、拷問の限りを尽くしてやれば、多少はこちらの気も晴れようというものよ」
 この残虐さこそ、舐められたら殺す世界における王の資質であろう。相手の死が大前提ではあるものの、魔族共の蘇生よりも先んじれば、こちら側で身柄を確保する事が出来る。その後は存分に報いを受けさせてやればよい。シャルル13世の脳裏に、死を懇願し泣き叫ぶ王女の醜態が浮かぶ。
 王の言葉を受け、重鎮たちは慌ただしく準備を始める。その様子に、剣聖ゴーモンはため息を吐くと、謁見室を後にするのだった。
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