悪魔につけこまれたお姫様の話

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侍女と狼

5 「お茶はいかがです?」

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 就寝前の寝室の温度が、一段下がる。
 些細な物音すらない、完全な静寂は、ヴィネが現れる前触れだった。

「ご機嫌麗しゅう、シェリル様」

 黒衣の悪魔は、茶器の乗った銀盆を手にしながらも、優雅さを崩すことなく一礼した。

「おやすみ前のお飲み物をご用意いたしました」

 シェリルは眉を顰める。それは、エマの仕事なのだ。
 季節のハーブを組み合わせたお茶に、砂糖菓子を楽しみながら、彼女と他愛無い言葉を交わす穏やかなひとときに、無遠慮に入り込まれたくはない。
 サイドテーブルに茶器を並べ、ハーブティーを注いでいるヴィネに問う。

「エマはどうしたの」
「ええ、おっしゃるでしょうと思いました。こちらをどうぞ」

 ヴィネが差し出してみせた手のひらには、銀のペンダントが乗っていた。
 細い鎖は切れている。トップは華奢な円形の銀細工だ。
 シェリルには、見覚えがない。
 
 侍女のエマは、主人が身につけるものは全て把握している。
 しかし、シェリルはエマが服の下につけているものなど知らないのだ。どれほど大切にしていようとも。

「シェリル様。私ども悪魔の権能は、命あるものの感情によって強化されます。苦痛に恐怖、悲嘆に絶望、憎悪に畏怖。性の悦楽は死にも似て、より暗い情念は、より強い力となりますれば」

 ヴィネは、シェリルの紅の契約印が刻まれた左手をとる。
 銀のペンダントトップが重ねられた瞬間、シェリルは悲鳴を上げた。
 痛みが手を貫く。印が怪しく光を放つ。

「どうぞ、あの娘の献身をお受け取りくださいませ」

怖い怖い痛いやめてやめてやめてやめて死んじゃう嫌だ汚いやめてやめてやめて怖い噛まないで食べないで苦しい誰か助けてお父さん助けて嘘だ嘘だこんなの嘘だ嫌だ嫌だ嫌だやめてやめてやめてやめて苦しい痛い痛い痛いぃい!

 感情が直に流れ込んでくる。紛れもない、エマが味わった、信じていたものに身体と心を引き裂かれる、苦痛と恐怖。

「あああ! ヴィネ! やめて、やめさせて!」
「ええ」

 ヴィネはペンダントを取り上げた。
 獣に犯された娘と同調したシェリルの目からは、涙が溢れ出している。
 女王として気丈に振る舞ってみせようと、シェリルは所詮、傷ひとつつかぬよう真綿に包まれて育った姫君だ。精神の強度はけして高くない。

 頬を紅潮させ、薄いナイトドレス一枚で震えている姿に、ヴィネは大変満足した。

 瞬きの間に充分に力を注がれた印は、さらに深く、紅を濃くしている。

「清廉なる乙女の純潔を対価に、陛下の印は新たな力を得ております。御身をお守りするのみならず、もったいなくもお手をかざされたものの病は、たちどころに綺麗さっぱり快癒いたしますよ」
「ひどい、なんてことを……! お前が契約したのは私でしょう! なぜエマを傷つけたの!」

 ヴィネは軽く肩をすくめた。

「あれはよい僕ですね。国民の病にお心を痛める女王陛下を慮って、お力になれるならばなんでもしたいと望んでおりました。私めも、ともにお仕えするものとして、大いに共感するところでございましたので」

 怒りに言葉をなくすシェリルもまた、美しいとヴィネは思う。

「さて、シェリル様。お茶はいかがです?」
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