黒山羊と花の乙女

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5.冬の日のリファリール

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 窓の向こうは、柔らかな冬の陽に照らされてぼうっと白んで見える。
 正午はとうに過ぎて、患者も掃けていた。
 リファリールがふと手を止めて外を眺めていると、医者が言った。

「しばらく休憩に行ってていいよ。混んだら呼ぶから」
「ありがとうございます」

 冬になって日照時間が短くなってくると、日光が活力源であるリファリールは動きが鈍くなる。
 医者が気がついて、このごろは長めに休憩をとらせてくれるようになった。

 リファリールの休憩場所は、ギルドの前の日当たりのいいベンチだ。
 腰掛けると、じわりと全身に陽光の暖かさが沁みてきて、気持ちがよかった。
 羊の耳をぷるっと振って、リファリールは右の耳元を触る。今は花が落ちてしまって、結節があるだけだ。
 はやく蕾がついて、咲けばいいと思う。
 そうしたら、ユールを誘える。




 種をくれたあと、彼はいっそう親切になった。
 リファリールが箱いっぱいの包帯や薬を抱えて歩いていると、跳ねるように走ってきて、代わりに運んでくれた。

「リファちゃん、俺、ちゃんと責任とるから。黙って森に帰ったりしないでね」
「本当に気にしなくていいんですけど」
「気にさせて。俺の子でしょ」

 でも、その後リファリールに咲いた花は散り落ちてしまい、子供が宿ればできるはずの実にはならなかった。

 また種を貰えないか頼むと、引き受けてくれた。
 ベッドでする前に、彼は困ったような顔をして頼んできた。

「魔力流すのはやめて、優しくしてくれないかな。ちょっと時間かかるかもだけど」
「はい。じゃあ、どうしたらいいか、教えてください」

 今度はそっと触れて、口付けた。
 息を荒くして身体を震わせているのが気の毒だったが、この状態に関して治癒は逆効果らしいとは学んでいた。

 ユールの種は、生暖かくて、苦くて、少し甘くて、舌に、喉に、トロリと絡んだ。
 全部欲しくて舐めとっていると、頭を撫でられた。大きくて温かな手。気持ちがよかった。
 無理にしなかったためか、一度目と違って、彼はぐったりすることはなかった。
 お礼の花を食べてくれるのが、嬉しかった。

 しかし、そのときも花は実にならなかった。
 しょんぼりして報告すると、彼は言ってくれた。

「いいよ、いくらでも付き合うよ」

 彼に頼んでよかったと思った。




 リファリールの母、ルルーシアは教えてくれた。

――わたしたちは牙も爪もないでしょ。魔力も攻撃向きじゃない。長生きだけど、別に頑丈なわけじゃない。殺されれば死ぬ、弱い生き物なの。
――花は、わたしたちのただひとつの武器。とっても美味しいし、傷も疲れも癒える万能薬よ。これをあげれば、誰だってわたしたちが大好きになって、どんなお願いでも聞いてくれるようになる。
――でも、あげる相手はよく選びなさいね? 悪いやつに花を狙われて、わたしたちはすごく数が減って、隠れて暮らすようになったんだから。

 ルルーシアはずいぶん長く生きていて、色々なことを知っていた。リファリールに言葉を与え、様々な記憶を「共有」してくれた。

――あなたちょっとぼうっとしてて心配なのよね。でも、もうすぐ花も咲きそうだし、しっかりやりなさいよ。わたし、そろそろあの人のところにいきたいから。

 ルルーシアはそう言い残して、木になってしまった。
 しばらくの間、リファリールは未練がましくルルーシアに話しかけていたが、返事をしてくれることはなかった。
 多分、ルルーシアは耳がなくなっても聴こえていたし、思念を伝えることはできたと思う。
 それでも答えてくれなかったのは、きっと、リファリールの独り立ちを後押ししていたのだ。

 風と水の流れに誘われて、初めての花が咲いたとき、怖がりのリファリールの胸に、ぽっとちいさな光が宿った。

――わたしもう大人なんだ。
――だから、行かなくちゃ。
――種をもらって、実を結んで、新しい命を生まなくちゃ。ルルーシアがそうしてくれたように。

 「そうよ、そうよ」と言うように、ルルーシアの枝が、風に揺れていた。




 森では「ひと」は、稀にひとりふたり迷い込んでくるくらいで、それもルルーシアがすぐ追い払っていた。
 それが、街では信じられない数、集まっていた。
 しかも、街の中は石や板でできた道や壁で複雑に区切られていて、あっという間に方向がわからなくなった。
 夜なのにそこかしこの魔灯が眩くて、目が回った。
 獣族たちはほとんどがリファリールより大きかった。体温が高くて、鼓動は力強く、身のこなしも早い。
 人の流れに巻き込まれてくるくる舞い、しまいに岸に打ち上げられた落ち葉のように、道端にへたりこんで動けなくなった。
 助けを求められる知り合いは、だれもいなかった。

 リファリールが街にたどり着いたのはちょうど、年に一度の祭りの夜だった。人馴れしていないリファリールには不運な巡り合わせだったかもしれない。
 でも、そのおかげでユールに会えた。

 蜂蜜色の目をした、黒山羊族の男の人。
 リファリールを怖がらせないように、そばにしゃがみこんで、「困っているなら助けるよ」と言ってくれた。
 お礼を言っても、彼は「仕事しただけだよ」と言うばかりだったけれど。
 見知らぬひとを助けるのを仕事にしているなんて、やっぱり親切だと思った。
 彼に連れて行ってもらったギルドで働くようになってからも、気にしてよく声をかけてくれた。
 彼は、リファリールに対しては、傭兵同士とは違う、柔らかな言葉遣いで話した。
 それをからかわれてむくれているのを聞いたこともある。

「当たり前だろ、女の子相手なんだから。怖がらせたくねえんだよ」

 怖くないよ、と思った。
 いくら傷だらけの大きな身体でも、尖った立派な角が生えていても、魔力を持った強い脚をしていても。
 ユールが優しいのは、出会った時から知っていた。歩けないリファリールを抱き上げてくれたとき、晴れた日の草むらのような匂いに安心した。
 後でそれを言うと、彼は、「黒い毛皮は欲張りで、お日様をよく吸うんだよ」と照れたように笑っていた。

 彼が魔物と戦って、傷ついて帰ってきたときは、純粋に心配だったのだ。
 意識がはっきりしないまま、譫言で空腹を訴えるのに、思わず花を差し出していた。
 ルルーシアの言った通りだった。
 彼はみるみる回復した。
 その上、目覚めると、リファリールになんでも願いを言ってくれと口にした。
 自身でも、花の効き目に驚いた。

 リファリールは少し迷って、結局、種を頼んだ。
 前から、思っていたのだ。彼に似て優しい、山羊の角の子供と一緒なら、森に帰っても、もうさみしくない。
 本当に花の魔力が効いているなら、彼はきっと、この「お願い」を叶えてくれる……。




 日向ぼっこをしながら、リファリールは幸せな気持ちで空想する。
 次の花が咲いたら、種ではなくて、一緒にお出かけしてほしいと頼んでみるつもりだった。

 また、美味しいお水のお店に行って、おしゃべりをしてみたい。
 あのときは彼が、自分が誘ったのだからと、全部お金を払ってくれたけれど、リファリールだって働いていくらかはお金を持っているから、今度はご馳走してあげる。
 彼はとても美味しそうに食べるから、リファリールは見ているだけで楽しいのだ。

 それとも、街の中を一緒に散歩してもらうのもいい。
 リファリールは今でも街では方向がわからなくて、一人ではろくに出歩けず、部屋とギルドを往復して生活している。
 でも、街の生活に興味も湧いてきていた。色々な品物を売っている市場や商店、催し物をしている広場に公園。サーカスなんてものも来ているらしい。
 彼が案内してくれるなら、きっと安心して楽しめる。

 彼は子供のことを気にかけてくれている。
 そう、子供だけでなく、これからも彼が一緒にいてくれたら、どんなにいいだろう。

 ルルーシアは、リファリールを生み出す前、何人か気に入ったひとを、花をあげて捕まえて、一緒に暮らしていたことがあるらしい。

――獣族ってすぐに死んじゃうから、退屈しのぎだけどね。

 いくら花をあげても、決められた命の長さは変わらないそうだ。
 ユールが死んでしまったら寂しいだろうな、と思う。
 けれど、森に連れて行ってしまえば、彼の残りの命の時間は全部、リファリールのものだ。リファリールの森には魔物が寄らないから、戦うなんて危ないこともしないでいいし、彼は草食だから食べ物にも困らない。
 とてもいい考えな気がした。




 そのとき、黒山羊族の子供が、母親と手を繋いでトコトコ歩いてきた。
 まるでちいさいユールで、かわいらしかった。

 母親はリファリールの側に立ち止まって、ギルドの建物を見上げていた。
 なにか悩んでいるような、曇った顔だ。
 子供はじっとしていられずに、母親の手を引っ張ったり、その場でピョンピョン飛び跳ねたりしている。

 街でこれほど人が寄り集まって生活しているのは、助け合うためなのだとリファリールは理解していた。
 だから、困っているなら、助けなくてはいけない。

「なにかご用ですか?」

 母親は、落ち着かなそうな目でリファリールを見た。
 リファリールは安心させてあげようと、微笑みかける。

「わたし、ここでお仕事してます。リファリールといいます。お困りなら、お伺いします」

 リファリールに後押しされて、彼女は言った。

「あの、ユールって名前の、黒山羊の男の子……ここで働いてるって、聞いたのですけれど。いますでしょうか?」

 急に日が陰ったように、胸がひやりとした。

「あ……はい、います、けど……」

 子供を連れた黒山羊の彼女は、リファリールに頼んだ。

「ラーニャが会いにきたと、伝えてもらえませんか?」
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