黒山羊と花の乙女

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6.恋と、ずる

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 ラーニャと名乗った彼女も、連れている子供も、ユールと同じ牧神型の黒山羊族だった。
 リファリールは、曇った気持ちを隠して、二人をギルドの中に案内した。
 ちらほらと依頼人のいる受付ロビーに、小隊長の蛇族の姿を見つけた。

「スヴェラードさん」

 リファリールが声をかける後ろで、ラーニャが警戒した様子で子供を抱き上げた。
 スヴェラードは長い尾をするすると巻く。

「なに」
「ユールさんに会いたいって、お客さんが、あの、ラーニャさんって言うんですけど」

 スヴェラードはラーニャと子供にちらりと目をやると、

「待ってな」

 短く言って背を向けた。
 あまり待たないうちに、ユールがロビーに顔を出した。
 一番早く反応したのは、子供だった。

「とーちゃ!」

 もがくようにラーニャの腕から降りて、ユールに飛びついた。
 ユールを指差して、得意げな顔で母親を振り返った。

「とーちゃ」

 子供を抱き上げて、ユールはぽつりと言った。

「久しぶり」

 ラーニャを見れば、口元を覆って泣き出している。

「ユールくん、ごめんなさい。ずっと、会いにこようと思ってたんだけど、辛くて」
「いいよ。俺こそごめん。……よく似てんね」

 ラーニャは涙を流しながら、何度も頷いた。
 この場にいてはいけない気がして、リファリールは救護室に逃げ戻った。
 医者が怪訝な顔をした。

「どうしたの? 顔色よくないよ」
「なんでもないです……!」

 先ほどの光景をかき消すように、激しく首を横に振った。





 夕方、リファリールは、仕事を終えて訓練場に向かっていた。
 おそるおそるのぞいて、ユールの姿を探していると、スヴェラードが来た。

「なに」
「あの」

 言い淀んでいると、彼は察したようだった。

「ユールなら帰った。昼の客、兄貴の嫁さんと甥っ子だってよ」
「……そうですか。ごめんなさい、お邪魔しました」

 そう聞いても、小石が喉につかえているような感覚は消えなくて、しおれたまま帰った。






 ユールは次の日、救護室に顔を出した。
 医者は昼の休憩をとっていて、いなかった。

「どうしましたか?」
「昨日、俺のこと探してた?」

 リファリールはちいさく頷いたが、うまく言葉は出てこなかった。
 自分がなぜ落ち込んでいるのか、一晩考えてもよくわからなかった。

「リファちゃんが案内してくれたの、兄ちゃんの嫁さんと子供なんだ。久しぶりだったからさ、早めに帰らせてもらって、飯食いにいってて」

 スヴェラードから聞いたとおりの説明だ。
 リファリールは小声で訊いた。

「あのひと、どうして泣いてたの?」

 彼は少しためらってから、答えてくれた。

「あの子がラーニャさんの腹の中にいて、里に帰ってるときに、兄ちゃん死んだんだ。俺も色々あって連絡しなくって、あの子生まれてから初めて会った」

 ユールの表情が、昨日子供を抱き上げた時に重なった。眩しげで、嬉しそうなのに、どこか悲しそうな。

「ルクっていうんだ。今、山羊の男なら誰でも父ちゃんなんだってさ。かわいいけど、ラーニャさんからしたら、辛いよなあ。俺がほんとに父ちゃんだったらよかったんだけど」

 好きになって子供を作った相手が死んでしまったら、悲しい。
 子供がもういない相手を探していたら、切なくて、面影の似た弟がいたら、会わせてやりたくもなるだろう。
 ラーニャは、辛いことがあったひとなのだ。
 ユールだって、そうだ。

 労る言葉をかけてあげないといけないと思う。でも、胸の奥が暗く凝っていて、なにも出てこない。

「いきなりこんなこと話されても困るよな」

 ユールは曖昧に笑ってみせた。

「……あのさ、今度、どこか一緒に出かけない?」

 唐突に話題が変わって、リファリールは動揺した。
 彼は、まるでリファリールの機嫌をとるように、昨日の幸せな空想を手のひらに乗せて差し出していた。

「どこかって?」
「前の店行ってもいいし、新しいとこ探してもいいし。それか、買い物とか。休みの日も会えないかな」
「……なんでですか?」
「俺、リファちゃんともっと話したいし、知りたいから」

 花の魔力だと思った。
 そっくりそのまま、リファリールの望み通りだった。

「わたし、そういうのはいいです」

 とっさに出た言葉のとげとげしさに自分でも驚いて、慌てて続けた。

「あっ、あの、ごめんなさい。冬はお日様が弱いから、疲れるの。あんまり出かけたくないの」
「そっか。俺こそごめん、知らなくて」

 無理しないでね、と最後まで優しいまま出ていく彼の後ろ姿を、見送った。

 その夜、リファリールは一人で泣いた。
 泣くくらいなら断らなければよかったのに、自分が何をしているのか、よくわからなくなっていた。

 ラーニャと一緒にいるユールの姿が、頭を離れなかった。
 獣も虫も、同種と番う。
 街の人々を見ていても、子供を連れた家族はだいたい、同種か近縁種だ。
 姿が似ていて、食べ物や生活習慣が同じものを好むのは、自然なことだ。

 なのに樹花族は、獣たちが恋しあい、結びつき、次の世代を宿す営みに、花の魔力で割り込んで、大切な種を掠め取っている。

 その上、自分は、種だけでは飽き足らずに、ユールの心と命まで自分のものにしてしまおうとしていた。
 彼の親切につけこんで、花の魔力で恋を騙った。

 いつから?
 きっとはじめからだ。祭りの夜、ユールはリファリールの花を気にしていた。
 そのときもう、花は種をくれる雄を、蜜の香りで誘っていたのだろう。

――こんなのは、ずるだ。

 急に花が厭わしくなった。




 憎んだからだろうか。
 次の花は、なかなか咲く気配がなかった。
 リファリールがギルドの前のベンチで日を浴びていると、リスのネムが膝に登ってきた。

(よーう、リファちゃん! 邪魔するぜ)
「どうぞ」

 ネムはリファリールのエプロンのポケットに潜り込んで昼寝するのが好きだ。
 それに、リファリールは、ネムが声を張り上げなくても聞き取ってくれるから楽なのだという。

(あー、気持ちいい。特等席。街のオアシス)
「ネムさんってなんで喋れるの?」
(そりゃ、がんばってるからだ)

 がんばればできるものなのか。
 街は不思議だ。森でも喋るリスなんていなかった。

「……ユールさん、元気?」

 最近彼は救護室にこない。
 怪我をしていないなら、いいことなのだけど。

(さあねえ、あっちは寒いらしいけど、山羊なら大丈夫だろ)
「どういうこと?」
(聞いてない? 冬は北街道で雪大鬼(スノウオーガ)やら雪虫やらが増えるから、東や西から応援出すんだよ。一週間くらい前に、ディードを隊長にして、ユールもフロックも行ったぜ)
「そうなの」
(あいつ黙って行くとか、変な格好つけやがって。これだから素人童貞は)

 よくわからない言葉もあったが悪口のようなので、口封じをすることにした。
 もう片方のポケットからクルミを出して、ネムが占領しているポケットに差し入れた。

(リファちゃん最高!)

 ポケットの中でぐるりと寝返りをうって、ネムはクルミを齧り出した。

「いつ帰ってくるの」
(春。雪が溶けて応援がいらなくなったら、解散して戻ってくる)
「そう……」
(ま、そういうわけで、今はあいつにここから引っ張り出される心配もない)

 そんなこともあった。
 ユールがリファリールのポケットで寛ぐネムを見つけて「クルミでもドングリでも好きなもんやるから」と、連れていってしまったのだ。

「あれ、なんでだったの?」
(二人とも不器用だねえ)

 キキッと鳴いて、ネムはクルミの殻を外に放り出すと再び丸まってしまった。

「ネムさん、わたし、うまくできないことばっかりなの」
(冬は寝るに限るよ、リファちゃん。春になってあったかくなりゃ、上手くいく)
「そうかな……」

 身勝手に彼の全部を望んだりしない。
 ただ、怪我をしないで、無事に帰ってきてくれるように祈った。





 暖かな春の宵、リファリールの花が久しぶりに咲こうとしているとき、ユールは救護室に再び姿を現した。

 冬の間考えて、リファリールはもう、彼に種を頼むのはやめようと思っていたのだ。
 でも、治療を終えて、彼の視線に気づいた。
 彼の手が、封を切ろうとするように、綻びかけた蕾に触れた時。

「ユールさん、今晩、いいですか」

 リファリールは、花そのものになっていた。





 彼に触れて、種を貰った。
 これ以上は望まないから許してと、心の中で言い訳した。
 実ったら、何も言わずに、森に帰るから。

 しかし、リファリールが差し出した花を、彼は口にしなかった。
 次も、その次も。

 彼はリファリールのやり方に、気づいたのかもしれない。
 それとも、ルルーシアより弱いリファリールの花では、効かなくなってきたのか。
 厭わしくても、彼を繋ぎ止める手段をなくすようで、リファリールは次第に不安になった。




 その夜、ユールはリファリールから受け取った花を、薄く水を張った皿に放した。
 八重の花弁がいっそう開いて、蓮の花のようだった。

「花はもう、飽きちゃいましたか?」

 リファリールは髪を整えながら、訊いた。

「お礼、お金のほうがいいですか? わたし、少しだけですけど持ってます」

 ユールは眉間に皺を寄せた。

「リファちゃん、俺、そんなつもりでやってるんじゃないよ」

 今まで聞いたことのない、不機嫌そうな低い声だった。
 怒らせたと思った。

「……ごめんなさい」

 俯いたリファリールに、彼は近づいてきた。
 おしまいなのかもしれない。
 とうとう、彼の愛想も尽きて、付き合いきれないと、言い渡される。
 それならちゃんと、諦めなくてはいけない。

 でも、最後の言葉が怖くてぎゅっと目を瞑った。

「リファちゃん」

 そう呼びかけられるのが、好きだった。
 大事にしてもらえるのが嬉しかった。
 いつしか、温かいお日様の匂いのする身体に触れさせてもらうのに、夢中になっていた。

 その優しさは、本当はリファリールに向けられるはずのものではなかったとしても。

――ユールさん、わたし、ずるしてでも、あなたが欲しかったの。

 両肩に手を置かれて、リファリールは身体を強張らせる。
 口に柔らかいものが触れた。

 目を開けると、ユールの蜂蜜色の目がすぐ近くにあった。
 先だけ黒くて少し湿っている鼻が、リファリールのかすかな鼻にくっついていて。
 ユールは軽くリファリールの唇を食んで、顔を離した。

「……これ、なに?」
「キス。好きな相手にする挨拶」

 ユールは苦く笑って、説明してくれた。

「俺はリファちゃんが好きだからやってんの。だからお金はいらない。花は美味しいから好きだけど、でも、本当はお礼なんてなくていい」

 リファリールは呆然とユールを見つめ返す。
 好きだと言ってもらえて嬉しくて、同じくらい、悲しかった。
 鼻の奥がつんとして、覗き込んでくる彼の顔が、じわり、ぼやけていった。
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