黒山羊と花の乙女

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10.すももの色のワンピース①

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 水の日の昼、リファリールは街の中央広場にいた。噴水の近くで、涼やかな飛沫を眺めている。
 斜めにかけたポシェットの中には、これまで働いて貯めた、ピカピカの銀貨が数枚入っていた。

「りーちゃ!」

 跳ねるようにルクが走ってきた。
 その後ろを、ラーニャも追いかけてくる。
 飛びついてきたルクを受け止めきれずに数歩後ずさって、リファリールは笑った。

「ルクちゃん、ラーニャさん、こんにちは」
「こんにちは。ごめんね、待たせちゃった?」
「大丈夫です」
「すぐわかった?」
「はい。家から近いし、大きな噴水だから」
「よかったわ」

 ラーニャは柔和に目を細める。
 ルクは機嫌よさそうに抱きついたまま、腹のあたりに鼻をすりつけてきた。

 春から二、三度、ユールに誘われて、リファリールは二人に会っていた。
 初めてギルドを訪ねてきた時こそ沈んでいたラーニャだったが、気さくな明るい性格だった。
 ルクも、リファリールが気に入ったらしい。花を欲しがってユールに止められ、母親にもたしなめられて一応諦めたのか、匂いだけ嗅いでいる。
 二人の屈託のない態度に、リファリールの嫉妬めいた感情も薄らいでいた。

 今日は、リファリールが着るものを探すために、ユールが案内を頼んでくれていた。
 ラーニャの仕事の休みの水の日に合わせて、医者に臨時で休みをとらせてもらえないか聞くと、二つ返事で承知してくれた。

「じゃあ行こっか!」
「よろしくお願いします」

 ルクを間に、片手ずつ繋いで歩き出した。
 両手に花のルクは大喜びで飛び跳ねている。
 その姿に、リファリールはユールとの子供を空想していた。
 ユールはルクに会えばいつも肩車してやって、角を掴まれて操縦されても笑っている。
 ギルドで保護された迷子の相手もよくしている。
「下に双子の弟と妹いて、子守、俺の仕事だったんだよね」と言っていた。




 広場を中心に放射状に広がる道のうち、南東に伸びる通りは衣料品や小間物の店が軒を連ねている。

「下着から見ようね。わたしもお客さんに教えてもらったんだけど、お手頃だし品揃えいいのよ」

 ラーニャに勧められてまず入った店で、リファリールは、その頼りない小さな服を手に取って見つめていた。
 短いズボンのようなものは下に穿くとして、この布と紐が繋がったものはどうするのだろう?

「リファちゃん、お洋服白が多いから透けにくい色がいいわね。白か、肌の色に合わせて薄緑かな。こんなのどうかしら?」

 ラーニャは商品の籠から数組を選び出した。
 どれも淡い色で、リボンの飾りや小花の刺繍がついている。

「えっと、はい。きれいですね」
「うんうん、着てみよっか! すみませーん!」

 リファリールの手のひらほどの、紋白蝶の虫人がひらひら飛んできた。

「ご試着ですか?」
「この子の上のサイズ合わせ願いします」
「畏まりました。お嬢様、どうぞこちらへ」

 じたばたするルクをラーニャが押さえている間に、リファリールだけ奥のカーテンで仕切られた場所に案内された。

 蝶の虫人たちは数人がかりで、リファリールにそれを巻きつけ、位置を確認して、金属の留め具を縫い付けた。

「いかがでしょう?」
「なんか変な感じ……」

 リファリールは、胸の膨らみを支えるように包むそれに手を当ててみた。下に穿いたものはともかく、上は、布の中に芯が入っていていくぶん硬く、自分の身体が型にはめられて整形されているようだった。

「あっ、でも、違うの、初めてこういうの着るから……これでいいんですよね?」
「ええ、よろしいかと。ある程度はお直しもできますので、サイズが変わられましたらお持ちください」

 ほかの下着も同じように金具をつけてもらって、会計をした。銀貨を一枚渡すと、お釣りに数枚の銅貨をもらった。
 蝶たちは包んだ品物を店の出口まで運んで、三人を見送ってくれた。
 いつのまにか、応対してくれた蝶たち以外の店員も集まっていた。
 店長だという、艶のあるドレスを纏った黒揚羽がにこやかに挨拶した。

「樹花族の方がおいでくださるなんて、嬉しいですよ。蜜の香りだけでわたしたちにはご馳走です。どうぞ今後もご贔屓になさってください」
「ありがとうございます」
「やっぱりお花は虫人さんたちに人気なのね」

 ラーニャが感心する横で、ルクは鼻先に止まった蝶を見ようと寄り目をしていた。



 はじめての下着は少し窮屈だったが、服の下の見えないところもお洒落をしているのが嬉しかった。
 ちゃんとした女のひとになれたような気がしていた。

 次は服飾店だった。

「ハーイ、イラッシャイ!」

 豪華な触角を揺らして出迎えたのは蚕蛾の虫人だ。

「オヤマア、噂に聞いてたけど、本当に樹花族! 嬉しいネエ、もう会えないかと思ってたヨ」
「こんにちは。あの、誰か他の樹花族に会ったことがあるんですか?」
「ずいぶん前のワタシがネ。この街がずーっとちっちゃくて、壁なんかに囲まれていない村だったときは、普通にいたんだヨ。花祭りだってもともと、樹花族たちのお祭りだもノ」
「確かに花娘ってリファちゃんの真似みたいだわ。でも、蚕蛾さん、すごく長生きなのねえ」

 蚕蛾は多い腕を組んだ。

「山羊のお姉さん、ワタシの命は一年、次の冬まで。デモ、次のワタシはワタシの見たコト聞いたコトを覚えてる。その次のワタシも、次の次もネ。ワタシの名前はリンニール。そうやってずーっとコノお店をやってきたのサア」
「まあ、不思議!」

 ラーニャは驚いていたが、リファリールは納得していた。
 リファリールはいくつかの記憶をルルーシアから共有してもらっている。
 リンニールたちも、代々同じことをしているのだ。

「サアサア、お品の良さは保証するヨ! お姉さん方、どんなのをお探シ? 坊っちゃんのならコチラ」
「リファちゃんのお洋服探しだけど、ルクのも見ようかな。すぐちっちゃくなっちゃうのよね」

 ラーニャにシャツを当てられて、ルクは気をつけをして胸をはってみせた。

 リファリールはリンニールが魔法のように次々と広げる服に目移りしている。
 むらなく鮮やかに染色された布地、リボンにレースに細工ボタン、襟もポケットもひとつひとつ工夫されている。
 休憩時間、ベンチから街ゆくひとたちを眺めて、みんな服作りが上手だと羨ましく思っていたら、こんな店があったのだ。

「オススメ見繕う?」
「お願いします」
「ご予算お伺いしまショ」

 リファリールはポシェットの中を見せた。

「今、どの服もちいさいの。しばらく着替えられるくらいほしくて」
「ヨシヨシ、お任セ!」

 リンニールはシンプルなスカートとブラウスを中心に、普段着を数通り組み合わせてくれた。

「あら、いいわ! リファちゃんの雰囲気にあってる」

 ルクの服を選んだラーニャも、リファリールの手伝いに戻ってきた。

「でショでショ。あとはね、せっかくだから、お姉さんの好きなの選ぶといいヨ」
「そうね。リファちゃんどんなの好き? 色とか、形とか」

 リファリールは小声でラーニャに訊いた。

「ユールさん、何色が好き?」

 ラーニャは口元を緩めた。

「リファちゃんってばかわいいんだから! どうかなあ、ルク?」

 ルクはリンニールが作った服の小山を見ていたが、一枚、握りしめて引っ張り出した。

「すもも!」

 淡紅色の袖なしワンピースだった。
 ほどよく開いた襟ぐりに、膝丈のスカートがふわりと広がるのが少女らしい。

「リファちゃん、ちょっと着てみない?」

 リファリールは勧められるまま、あまり馴染みのない鮮やかな色の服を試着した。
 リンニールがウエストのリボンを形よく結ぶ。

「これすごく顔映りいいわ」
「お姉サン、このまま花祭りに出られるヨ」

 ラーニャが褒め、リンニールが請け負った。
 ルクがリファリールに抱きついて、「りーちゃ、すもも」とニコニコした。

「ほんとだ、すもも」

 リファリールは嬉しくなって答えた。熟れてうっすら染まったすももの色だった。





「マイドアリ! また来てネー!」

 ちいさくなった白のワンピースは他の買い物と一緒に包んでもらって、リファリールはすももの色のワンピースで店を出た。
 三人で中央広場に戻って、出店で果汁と水を買って休憩した。ルクはラーニャが持ってきていたリンゴをおやつに齧っている。
 初夏の日の光の下で、ラーニャは改めて言った。

「リファちゃん、それ本当に似合うわ」
「ありがとうございます。お洋服のお買い物って、楽しいですね」
「うんうん。リファちゃんの肌の色、珍しいけどなんでも合うわよ。葉っぱの色だもの、お花や果物の色ならいけるわ。色々着せたくなっちゃう!」
「かーちゃ」

 ルクがラーニャのスカートに顔を擦り付ける。

「眠い?」

 ラーニャが膝に抱き上げると、ルクは母親の胸に顔を埋めて安心したようだった。

「ルクくんお昼寝なら、帰りましょうか」
「うん。あ、でも、よかったらうち寄って。渡したいものあるの」

 東に伸びる大通りに入ってすぐの、酒場付きの宿屋が、ラーニャとルクの住まいだった。

「おかえり、ラーニャ」

 宿の主人の白山羊の老人が、エプロンで手を拭きながら迎えてくれた。

「ただいま! おじさん、この子ね、ユールくんの恋人よ」
「おや、こりゃまあ。かわいいねえ、まるきりお花の妖精じゃないか」
「でしょう?」

 ラーニャが自慢する後ろで、リファリールは恥じらって頭を下げた。

 ラーニャたちの部屋は屋根裏だった。
 ぐっすり眠ったルクをベッドに下ろして、ラーニャは窓を開けた。
 爽やかな風が吹き込んで、ラーニャの黒髪と遊んだ。
 窓枠に腰掛けて、彼女はリファリールを手招きした。

「これ知ってる?」

 手にした小瓶から出てきたのは、薄紅色の花の蕾だった。

「なんですか?」
「爪ね、これで染めるの」

 ラーニャが自分の爪に花を押し付けると、紅色が移った。

「リファちゃんの今日のお洋服の色。よかったら、やったげる」

 窓枠に並んで座った。ラーニャの手は温かかった。
 ほどなく紅色に染まった十本の指先を、リファリールは日に透かした。

「とってもきれい!」
「うふふ。これあげる。石鹸で落ちるから、その日だけのおしゃれだけど」

 リファリールは小瓶を大切に手のひらに包んだ。

「あの、ありがとうございます。せっかくのお休みの日にお願いしちゃったのに。お店とか、どれがいいかとか、教えてくれて、いっぱい褒めてくれて、色々、全部ありがとうございます」

 ラーニャは自分のものを買わなかった。
 リファリールとルクのことばかりだった。

「こちらこそ! 楽しかったわ。ユールくんの恋人だもの、わたし勝手にリファちゃんを妹みたいに思ってるの」

 風になびく横髪を押さえて、ラーニャは通りを眺める。

「イゴールはもういないんだから、そんなふうに思うのは、違うのかもしれないけど」

 ラーニャの夫の名前だ。ユールの一番上の兄で、ルクの父親だった。

「ユールさんは、ラーニャさんをお姉さんだと思ってます。きっと、これからもずーっと、変わらないです。そういうひとです」
「ありがとう。ユールくんに、リファちゃんがいてくれてよかった」

 ラーニャは親しげに身体を寄せてきた。
 リファリールの花が咲く右の耳元、羊の角のあたりに、ポンと置くようにキスをした。

「ギルドに行ったとき、迷ってたの。今さら会っていいのかなって思ったし……ユールくんが傭兵になったなんて信じられなかったし。でも、ユールくんはユールくんだった。あのとき、声をかけてくれてありがとう」
「……あの、聞いていいですか」
「なあに」
「お兄さん、どうして亡くなったんですか? なんで、ラーニャさんとユールさんは会わなくなっちゃってたの?」

 まだ若かったはずなのに。
 そして、リファリールより余程人のことを気遣える二人が、どうしてそんなときに距離を置いてしまったのだろう。

「……ユールくん話してないんだね」
「なんだか、聞けなくて」
「うん……待ってあげるほうがいいのかもしれないけど。でも、わたしの夫のことでもあるから、話すね」

 ラーニャは毛布を握って眠っているルクの背中を撫でた。

「三年前、ルクがお腹にいるときね。イゴールだけじゃないの。そのとき村を離れていたユールくんと、わたしと、ルク以外、誰も助からなかったんだ」
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