黒山羊と花の乙女

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20.どん底の記憶① ※

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 常に血の匂いがする場所だった。

 土竜族が密かに掘り広げた地下空間は、換気が悪く、一息ごとに身体が汚れていくような、濁った空気に満ちていた。
 それでも、客たちは夜な夜な集まった。


 そこは、非合法の賭け拳闘が行われる、闘技場だった。





 鉄線で四角く囲まれたリングは、目が眩むほど強い魔灯で照らされている。
 闇に溶けた客席は、これから始まる興行ショーへの期待で、異様な熱気を孕んでいる。

 極楽鳥が金属的な輝きの翼を広げて、対戦カードを謳い上げる。

「右コーナー、獣王、タレス!」

 右手から上がってきたのは、肉食獣の中でも最大種の、虎の獣人だ。
 余裕たっぷりに尾を揺らし、太い前腕を挙げると、客席から歓声が沸き起こった。

「左コーナー、『山羊角の悪魔バフォメット』!」

 少し遅れて、左手に対戦相手が姿を見せる。
 リングの一番上の鉄線を掴むと、くるりと身軽に回って中に飛び込んだ。

 虎の前に立てば、影に覆われてしまいそうなほど小柄な体躯の彼は、牧神型の、黒山羊族だ。

 角もまだ伸びきっていない、少年だった。





 仰々しい呼び方しやがって、ばかみてえと、彼は不機嫌に耳を振る。
 それでも、こんな場所で本当の名を呼ばれるよりマシだと、好きにさせていた。

 虎が面白くなさそうに鼻を鳴らす。

「山羊肉は臭えんだよなあ。半人型ハンパモンのガキが、場違いにでけえ顔しやがってよ」

 少年は怯む様子もない。

「喋んじゃねえよ。肉食の息は臭えから嫌いだ」

 金の瞳はどろりと翳って、目にするもの全てを呪っている。
 彼の内では、腹の底からふつふつと沸くやり場のない怒りが、どす黒い魔力に変わっていっている。

「気に食わねえもん同士じゃん。さっさと始めようぜ」
「てめえ、よっぽど死にてえらしいな」

 獲物の不遜な物言いに、虎は牙を剥いて笑った。





 ゴングが鳴る。
 上段から振り下ろされる爪をかいくぐって、少年は顎を狙う。
 突き上げる拳が入ったが、虎はにいっと口の端を釣り上げた。魔力持ちとの触れ込みだったが、所詮草食の力だ。軽い。

 ろくに攻撃が通っていないのがわかるのか、少年は地を蹴って距離を取ろうとする。
 虎はすかさず、その脚を掬い取った。

 観客席によく見えるように、逆さに高く釣り上げて、虎はゆっくりと口を開けた。
 脚が武器なら浮かせてしまえば終いだと、勝利を確信していた。
 長い牙が、魔灯に光った。

 少年は身体のバネだけで上体を起こし、虎の腹に手をついた。
 掴まれていなかった方の脚を、思いっきり振り抜く。蹄の足先が、刹那、鋭く加速した。

 折れた牙が、ブーメランのように弧を描いて飛んだ。
 咆哮が響く。
 投げ飛ばされた少年は、転がって起きた。
 口の中を切っていて、ぺっと吐いた唾に血が混じっていた。

「大口開けてっからだよ、ばーか」
「クソ餓鬼が!」

 虎は激昂して四つ足で飛びかかる。
 だが、少年は避けるどころか自分からも距離を詰めた。軽業師のように宙で前転し、回転の勢いのまま、虎の額に踵を振り下ろした。
 蹄が頭骨にめりこむ、鈍い感触があった。

 審判がダウンのカウントをとる。
 ビクビク痙攣している虎の巨体を前に、少年が脚を振ると、ピッと蹄から血が飛んだ。

「勝者、バフォメット!」

 客席からブーイングが起こる。賭け札が舞い、酒瓶がリングに投げ込まれて割れる。

「ざけんな金返せ、のびてんじゃねえぞタレス!」
「くそ死ね草食が!」

 少年は勝利を誇るでもなく、ぷいとそっぽを向いて、リングの鉄線を飛び越えていった。





 退場口の壁に、鼬族のクラインが寄りかかっていた。
 少年をこの世界に引き摺り込み、スポンサーとしてついている男は、朗らかに手を叩いてみせた。

「よーうお疲れちゃん、今日のショーもいい仕事だ」
「うるせえ死ねクソ野郎」

 視線をやることもなく言い捨てて、少年は通り過ぎようとする。
 クラインは気にする風もなくその横に並ぶ。

「かわいいかわいい、うちの息子もねえ、今そんなかんじ」
「気色悪い、一緒にすんじゃねえ」
「なーあ、お前手加減しねえでいいよ。最後のあれは踏み潰せたよな? 殺し有りなんだからもっと派手にやっちまってよ?」
「ダウンとりゃいいんだろ。てめえらと違えよ。食えもしねえのに殺してもしょーがねえ」
「草食は優しいもんだねえ。こないだのやつなんざ、山羊なんかにやられるたあ、いっそ殺せと男泣きよ?」
「知るか、んなもん」
「ま、次も頼むぜえ。色々オファーは来てるんだ、もっと楽しめるカード組んでやる。マジにやらねえと死ねるやつ」

 少年は苛立つ。
 リングの上で八つ当たりじみた暴力を振るい続けて、楽しいのはこのクソ鼬ばかりだ。

 言うだけ言ってクラインが去った入れ替わりに、先日少年の付き人になった青筋揚羽の虫人、ルミエールがヒラヒラとやってきた。

「やっほう! 今日も勝ったねおめでとう! カッコ良かったよ、ユール!」

 軽薄なまでに人懐こい彼は、枝のような四本の腕で抱きついてきた。
 本名を呼ばれて、少年はふと気が抜ける。
 ルミエールは虫人としてはかなり大型だが、獣族からすれば不安になるほど細い身体つきだ。振り払えば潰してしまいそうで、黙ってされるがままになっていた。





 与えられている部屋に戻って、手当をしてもらった。
 ルミエールは、虎の爪で穴が空いた足首に薄緑の軟膏をペタペタ塗って、包帯を巻く。

「これ、わざと掴ませたでしょ?」
「……ん」

 ユールが短く答えたのを肯定ととって、ルミエールは愉快そうに翅を揺らした。

「アッパーに魔力入れなかったのもだしさ。やらしい誘い方するよねえ」
「変な言い方すんなよ」
「えっへっへ、褒めてるんだよ。きみセンスいいよ、僕が保証してあげる。口の中も見せて」

 ルミエールが作る軟膏は苦くて、燻したような匂いで吐きそうになるのだが、よく効いた。

「よし、いいよ!」
「……ありがと」

 薬箱を閉じて、ルミエールはしみじみと言った。

「きみっていいやつだよねえ、そーやってお礼言ってくれるしさ。怒鳴らないし殴らない」

 ユールは、彼のハードルの低さに呆れた。

「んなもん、当たり前じゃん」
「それが当たり前じゃないんだよね、ここって。僕ら、爬虫系以外にはあんまり食べられないけど、よく叩き殺されるよ。虫なんかいくらでも替えがきくってさ」

 ヘラヘラ笑いながら言う内容ではなかった。ユールはつい訊いてしまう。

「あんた、なんでこんなとこいんの?」
「え、ママが借金のカタに僕を置いてったから。よくある話でしょ」
「ねえよ。まじでひでえなここ……」
「そう? ねえ、ユール、そんな怖い顔してないでさ、遊び行かない? 賞金、どっさりもらってるんだから」

 拳闘の勝利報酬は、ユールが以前していた仕事とは比べ物にならなかった。
 それでも、全く嬉しくなかった。
 初めて給料として貰った銀貨はピカピカ輝いて見えたのに、殺し合いで得た金貨は血がこびりついているようだった。
 見たくもなくて、今は全てルミエールに預けて、食べ物や薬を買ってもらい、手間賃は適当にとってくれと頼んでいた。

「こんな身体張って稼いでるんだから、好きな格好して、かわいい子抱きなよ。いいお店教えてあげるよ?」
「いかねえ」
「なに、何か欲しくて貯めてるとか?」
「……別に。本当はこんな金使いたくねえ」
「えー、もったいない! お金があったら自由だよ、なんでもできるのにさ!」

 そうでもないと、ユールは首を振った。

「……なあ、腹減ったんだけど」
「うんうん、用意してあるよ!」

 ルミエールは野菜の籠をいくつも運んできた。
 試合の後は、ユールは貪食の悪魔よろしくよく食べた。

 食べても別に美味いと思えるわけでなかった。ぽっかり空いた穴にひたすら何か放り込んでいるだけだった。そうして補充しておかなければ、次の試合で戦えない。

「やー、毎度その量、どこに入ってくのか不思議だね」

 ルミエールは優雅な手つきでコップをとり、自前のストローを伸ばして水を吸った。

「なんかさ、勝っても全然楽しそうじゃないし……ユールこそ、なんでこんなとこいんの?」
「……さあね。ごちそうさま」

 食べた後はひたすら眠い。
 ユールが藁の寝床に転がると、ルミエールが魔灯を消した。

 ルミエールの翅の青い筋だけが光っていたが、その彼もドアの向こうに消えると、地下室は真っ暗闇に包まれた。
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