黒山羊と花の乙女

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21.どん底の記憶② ※

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 ずぶずぶと泥に沈むような眠りの中で、自らに問う。
 なんでこんなところまで、堕ちたのだったか。




 ユールの家は東街道沿いの、小規模な農村の一つにあった。
 家族は、祖父母と、父母。一番上の兄はもう嫁を貰っていて、二番目の兄は水車小屋を立てて独立したところで、下には双子の弟と妹がいた。

 ユールは、家族の中で一人だけ、生まれつき魔力を備えていた。
 物心ついた頃から、その場で地を蹴って、宙で一回転して着地できるほど、身軽だった。
 天気の変化や、魔物の接近にも敏感だった。

 黒山羊族は、時たま、魔力持ちが生まれる種族だった。
 ただ、過去に黒魔術で悪名を馳せた例があったから、あまり喜ばれはしなかった。
 家族はむしろ、ユールがその力を悪用しないように、調子に乗らないようにと口を酸っぱくしていた。
 成長するごとに、それを煩わしく思うようになっていた。

 角が生えはじめるころには、畑を手伝えと言われるのに反発して、サボってばかりいるようになった。

「こんななんにもねえところで、毎日同じことやって、つまんねえ生き方したくねえよ」

 村を出てサーカスに入るか、冒険者になりたいと言うと、父親は額に青筋をたてた。

「ガキがうわっついたこと言ってんじゃねえ。何様のつもりだ」
「くそ、死にさらせ頑固親父! こんなところ大嫌いだ!」
「おう、言いやがったな。出てけ、怠けもん! 働かねえもんに食わせる飯はねえ、二度と帰ってくんな!」

 大喧嘩の挙句、取引先の野菜商、鹿族のディアンを頼って、家出同然で街に出てきた。
 ディアンは渋い顔をしていたが、間に入って話をしてくれた。

「まあ、三男坊だもんな。やりてえこと探してもいいだろ」

 とりあえずディアンに雇ってもらって、元手を貯めることにした。
 一緒に住むかとも誘われた。息子は宿舎つきの学校に入っていて、部屋が空いているという。
 それを断って、狭くてもいいからと店の上の一間を貸してもらった。ずっと家族に囲まれて育っていたから、一人暮らしに憧れていた。そんな我儘も苦笑いしながら、許してくれた。

 ディアンは面倒見がよくて、仕事は思いの外、楽しかった。金勘定が苦手でよく叱られもしたが、一日しっかり身体を使って働いて、好きな野菜をどっさり食べさせてもらって、気持ちよく眠った。
 そのころ、自分はなにか特別なものになれると思っていた。





 ユールがそうやって街にいた間に、村が魔物に襲われた。
 知らせを受けて、他の村人の身内と一緒に戻った。先についていた騎士団が、既に埋葬の準備をしていた。
 確認をするかどうか、聞かれた。
 無理をしなくていいとも、言われた。

 付き添ってくれたディアンが、見るなと押さえるのを振り払って、布をめくった。





 ユールは、いくつも深い穴を掘った。
 シャベルを握る手のひらがボロボロになって、爪が剥がれて、止められるまで。
 
 土を耕して、そこから生まれる植物を食べて生きた人たちが、これ以上、傷つけられないように。
 静かに、元の土に還れるように。

 ひどいことを言って飛び出した。
 でも、こんなことは、決して望まなかったのだ。
 平凡で退屈で、懐かしい家は、ずっとそこにあると思っていた。

 昔気質の口の荒い父ちゃん、さばさばした働き者の母ちゃん。
 木工職人のじいちゃん、腰が曲がっていつも編み物をしていたばあちゃん。
 父親そっくりの石頭で、でも嫁さんには滅法甘かった上兄。器用で口も上手くて、楽しかった下兄。

 兄ちゃん兄ちゃんといつも纏わりついてきた双子の弟と妹は、ユールが飛び出した日、泣きながら追ってきた。
 いらいらして下兄の水車小屋に押し付けたのが、生きて会った最後になった。

 夢の中で家族の叫びを聞いて、ごめん、ごめんと泣きながら跳ね起きるのを、繰り返した。





「ユール、お前の気持ちはなあ……簡単にわかるって言ってやれねえよ。辛えなあ……」

 閉じこもるユールを心配して、ディアンは毎日、ドアを叩いた。

「でも、いつまでもそうしてちゃいけねえよ。死んだもんの分まで、がんばって生きねえとな」

 ディアンは父親からだと、手紙を一通置いて行った。
 たどたどしい字で、面倒をかける、馬鹿な子供だがよろしく頼むと、書いてあった。

 学もない親父だと馬鹿にしていた。
 でも、子供は読み書きできるようにと高い教科書を買ってくれた。教師が回ってきたときは、いくら忙しくても畑仕事はいいと行かせてくれた。
 その勉強すら、自分は真面目にやらなかった。




 何も手につかない日が続いた。
 差し入れの食事を残すのも、働かずに店の上の部屋で寝転がっているのも、励まされるのも辛くて、遅くまで街を彷徨うようになった。
 賑やかな場所ほど虚しくて、入り組んだ裏通りに鼠のように潜り込んでいった。

 酒の入った肉食の獣人たちとすれ違って、肩がぶつかったかなんだか、因縁をつけられた。

「……すんません」
「アぁ? 聞こえねぇよ! 生意気に角なんか生やしやがって」

 ハイエナの獣人が、ユールの髪を掴んで、無理矢理頭を下げさせる。

「喰うぞ、コラ!」

 その一言で、無気力だった彼のなかに、どす黒い感情が噴出した。
 脳裏に閃いたのは、血飛沫と、食いちぎられた身体。いくら封じ込めようとしても、焼きついて離れない光景。
 少年は、吼えた。

「やってみやがれ、屍肉喰らいが!」

 目の前の男が、家族を殺して喰らった魔物に重なっていた。
 ハイエナが唸る。
 眼裏に火花が散った。顔面に膝が入っていた。

「あぁ、そうだ。てめえらなんざ餌なんだぜ?」

 ハイエナは鼻から血を流す山羊をせせら嗤う。
 しかし、バチッと鋭い衝撃を受けて、その髪を掴んでいた手を離していた。短い双角から、一瞬、雷撃のように魔力が走っていた。

 ユールは、身体を返して両手を地についた。感情の昂りのまま、思い切り脚を後ろに跳ね上げた。
 初めて、魔力を人に向けて放っていた。

 逆さの視界の中で、ハイエナが吹き飛んでいった。
 あまりの威力に自分で驚いて、姿勢に反して頭から血が下りていったが、もう遅かった。

 肉食の獣人が、草食の獣人に仲間の前でやられたまま、収まるはずがない。
 顔を掠める爪に、牙に、生臭い息に、恐怖した。
 手加減などできなかった。夢中で魔力を振るいつづけた。

「よーしよし! やめだ!」

 一人だけ、乱闘に加わらずに煙草を吸っていた黒服の鼬族が、気持ち悪いほど朗らかに宣言して、手を叩いた。
 その一声で、まだ立っていた相手も牙を収めたのが、不気味だった。
 鼬は、初めにユールに掴みかかったハイエナが地に伸びているのを、ステッキでつついた。

「んー、シェイド、起きられるかあ? うん、だめかあ。こりゃ参ったねえ」

 口元はニヤニヤしているが、目は全く笑っていなかった。

「坊主、強えなあ。魔力持ちか」

 今さら膝が震え始めている少年に、猫撫で声で言った。

「ま、今日はいいからおうち帰んな」

 急に怖くなって、ユールは駆け出した。

 見つけたその場で獲物をどうにかするのではなく、巣を確認して、逃げ道を塞ぐ。
 それが鼬のやり口だとは、気付けなかった。




 翌朝、浅い眠りは激しい物音で破られた。

「おーや、悪いねぇ。うちのもんはみんな、身体がでかくてさあ、こんな狭っ苦しい店じゃ、うっかりぶつかっちまうねえ」

 肉食の獣人を二人従えて、悪い夢から抜け出してきたような、黒服の鼬がいた。
 商品の木箱が倒れて、野菜が踏み潰されていた。

「筋もんに売るもんはねえ、帰れ」

 ディアンが低い声で言う。
 鼬は鼻で笑った。

「こんな生ゴミ誰が買うかっての。俺が用があんのは、黒山羊の坊主だよ。いるよなあ?」

 ユールは階段から顔を出した。

「おやっさん」
「ユール、出てくんな!」
「おっ、坊主! 会えて嬉しいぜえ!」

 鼬は親しげに手を広げる。

「昨日の礼をしたくってさあ。見事だったねえ、惚れ惚れしたよ。お前、こんなしけた店で働いてんのもったいねえ。もっといい仕事、紹介してやろうと思ってさあ」

 ねばっこく、絡め取ってくる。
 自分が関わってしまったもののタチの悪さに、ユールは気がついていた。
 ディアンは招かれざる客を睨みつけたまま、小声で指示した。

「……裏口から詰所行って、自警団呼んでこい。鼬のクラインって言やあ、伝わる」

 このままディアンの背に隠れて、やり過ごしてしまいたかった。でも、もうそれで済むわけがないとわかっていた。
 昨日、それだけの喧嘩を買っていた。

 ユールは心の中で謝った。
 おやっさん、ろくでもねえガキで、ごめん。




「……おやっさん、このひとたち、俺の知り合いっす」

 進み出てきた少年を前に、クラインはニンマリ笑った。

「そうそう、。俺とお前は、とっても仲良しだ」

 ディアンがユールの腕を、痛いほど強く掴んで引き戻そうとする。

「馬鹿いってんじゃねえ! お前、ふらふらしてると思ったら、こんなやつらと付き合うなんざ、親父さんに顔向けできると思ってんのか!」

 ユールは、その手を振り払った。

「うるせえよ。いちいち死んだもん引き合いに出しやがって、あんたの説教にゃいい加減うんざりだ。クラインさん、俺そっち行くよ。昨日のハイエナよりかは、使えると思うぜ」
「ユール!」
「出てってやんよ、無駄飯食らいが消えて、あんたもせいせいすんだろ!」

 そこまで言っても止めようとする。ユールは深く息を吸って、店の土壁を蹴り飛ばした。粘土でできていたかのように、簡単に大穴が開いた。
 ディアンが驚愕に目を見開いた。クラインがピューッと口笛を吹いた。





「さあて、坊主、いいのかあ? 鹿のおやっさん、可愛がってくれてたんじゃねえか、なあ?」

 両側を手下に挟まれて歩いた。
 わざとらしく言ってみせるクラインを、ユールは睨みつけた。

「……関係ねえよ。肉食にゃ用がねえ店だろ、二度と騒がせんな」
「こりゃ、孝行な話だねえ!」

 クラインは新しい手下に仕事の話を始めた。

「シェイドはなあ、デビュー戦控えてて、昨日は景気づけだったんだよな。それが肋骨全部砕けちまって、蛹みたく包帯ぐるぐる巻きでベッドに転がってるよ。ま、そこは気にしなくていい、負けるやつが悪いんだ。だが、満員御礼の興行ショーの対戦表に穴あけるわけにゃいかねえ」

 黒光りするステッキをくるりと回して、クラインはユールの鼻先を指した。

「だから坊主、お前が出ろ」





 連れて行かれた闘技場のリングで、兎族が食い殺されるのを見た。
 試合ではなかった。一方的な虐殺だった。

「表じゃそれなりの拳闘士ボクサーだって、鼻の穴膨らませて乗り込んできやがったんだけどなあ。牙も爪もねえやつが、裏じゃ通じるわけねえや。いい前座だ」

 淡々と評したクラインが、出番を控えたユールに目をやる。

「……武者震いってやつ?」

 せめて情けない姿を見せるかと、歯を食いしばって拳を結んだ。

「よくわかったよ、見せ物になって死ねってんだろ……!」
「いや? 俺はお前を買ってるよ?」

 そのときばかりは、クラインは笑わなかった。

「魔力があろうが、やれねえやつはいる。その点お前は違う、腹ん中に真っ黒なもん溜め込んでるよ。……好きに暴れな」

 血を洗われたリングはまだ濡れていた。
 強い魔灯に照らされて、八方向に薄い影が伸びる。
 対戦カードが謳いあげられる。
 向かいから、影が上がってくる。
 狼の獣人だった。表の掟を外れて、本能のままに力を振るわんとする、まさしく獣がそこにいた。

 歓声が頭に響く。
 ……歓声?
 ユールは耳を疑う。そして、一拍置いて、理解した。

 この場の全員、狂っているのだ。
 血みどろの惨たらしい死を、望んでいる。

 竦み、固まる。
 だが、恐怖が限界を突き抜けたとき。
 腹の中で、怒りが爆発して、身体が動いていた。

 




 大番狂わせに凄まじいブーイングが起こる中、クラインばかりが上機嫌だった。
 彼は、なにかにつけひとの希望を踏みつけにするのが愉しい類だった。

「いーい仕事だ! そうさなあ、うん、やっぱ『ユール』はねえな、田舎臭えよ」

 ひとり、うんうんと頷いて、暴発まがいの魔力を行使して、喘ぐように息をついている少年の肩を馴れ馴れしく叩いた。

「黒山羊の悪役ヒールっていやあ、やっぱりあれだ! 『山羊角の悪魔バフォメット』。お前なら名前負けでもねえさ、今日からこれでいこうぜ、坊主!」
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