26 / 52
21.どん底の記憶② ※
しおりを挟む
ずぶずぶと泥に沈むような眠りの中で、自らに問う。
なんでこんなところまで、堕ちたのだったか。
ユールの家は東街道沿いの、小規模な農村の一つにあった。
家族は、祖父母と、父母。一番上の兄はもう嫁を貰っていて、二番目の兄は水車小屋を立てて独立したところで、下には双子の弟と妹がいた。
ユールは、家族の中で一人だけ、生まれつき魔力を備えていた。
物心ついた頃から、その場で地を蹴って、宙で一回転して着地できるほど、身軽だった。
天気の変化や、魔物の接近にも敏感だった。
黒山羊族は、時たま、魔力持ちが生まれる種族だった。
ただ、過去に黒魔術で悪名を馳せた例があったから、あまり喜ばれはしなかった。
家族はむしろ、ユールがその力を悪用しないように、調子に乗らないようにと口を酸っぱくしていた。
成長するごとに、それを煩わしく思うようになっていた。
角が生えはじめるころには、畑を手伝えと言われるのに反発して、サボってばかりいるようになった。
「こんななんにもねえところで、毎日同じことやって、つまんねえ生き方したくねえよ」
村を出てサーカスに入るか、冒険者になりたいと言うと、父親は額に青筋をたてた。
「ガキがうわっついたこと言ってんじゃねえ。何様のつもりだ」
「くそ、死にさらせ頑固親父! こんなところ大嫌いだ!」
「おう、言いやがったな。出てけ、怠けもん! 働かねえもんに食わせる飯はねえ、二度と帰ってくんな!」
大喧嘩の挙句、取引先の野菜商、鹿族のディアンを頼って、家出同然で街に出てきた。
ディアンは渋い顔をしていたが、間に入って話をしてくれた。
「まあ、三男坊だもんな。やりてえこと探してもいいだろ」
とりあえずディアンに雇ってもらって、元手を貯めることにした。
一緒に住むかとも誘われた。息子は宿舎つきの学校に入っていて、部屋が空いているという。
それを断って、狭くてもいいからと店の上の一間を貸してもらった。ずっと家族に囲まれて育っていたから、一人暮らしに憧れていた。そんな我儘も苦笑いしながら、許してくれた。
ディアンは面倒見がよくて、仕事は思いの外、楽しかった。金勘定が苦手でよく叱られもしたが、一日しっかり身体を使って働いて、好きな野菜をどっさり食べさせてもらって、気持ちよく眠った。
そのころ、自分はなにか特別なものになれると思っていた。
ユールがそうやって街にいた間に、村が魔物に襲われた。
知らせを受けて、他の村人の身内と一緒に戻った。先についていた騎士団が、既に埋葬の準備をしていた。
確認をするかどうか、聞かれた。
無理をしなくていいとも、言われた。
付き添ってくれたディアンが、見るなと押さえるのを振り払って、布をめくった。
ユールは、いくつも深い穴を掘った。
シャベルを握る手のひらがボロボロになって、爪が剥がれて、止められるまで。
土を耕して、そこから生まれる植物を食べて生きた人たちが、これ以上、傷つけられないように。
静かに、元の土に還れるように。
ひどいことを言って飛び出した。
でも、こんなことは、決して望まなかったのだ。
平凡で退屈で、懐かしい家は、ずっとそこにあると思っていた。
昔気質の口の荒い父ちゃん、さばさばした働き者の母ちゃん。
木工職人のじいちゃん、腰が曲がっていつも編み物をしていたばあちゃん。
父親そっくりの石頭で、でも嫁さんには滅法甘かった上兄。器用で口も上手くて、楽しかった下兄。
兄ちゃん兄ちゃんといつも纏わりついてきた双子の弟と妹は、ユールが飛び出した日、泣きながら追ってきた。
いらいらして下兄の水車小屋に押し付けたのが、生きて会った最後になった。
夢の中で家族の叫びを聞いて、ごめん、ごめんと泣きながら跳ね起きるのを、繰り返した。
「ユール、お前の気持ちはなあ……簡単にわかるって言ってやれねえよ。辛えなあ……」
閉じこもるユールを心配して、ディアンは毎日、ドアを叩いた。
「でも、いつまでもそうしてちゃいけねえよ。死んだもんの分まで、がんばって生きねえとな」
ディアンは父親からだと、手紙を一通置いて行った。
たどたどしい字で、面倒をかける、馬鹿な子供だがよろしく頼むと、書いてあった。
学もない親父だと馬鹿にしていた。
でも、子供は読み書きできるようにと高い教科書を買ってくれた。教師が回ってきたときは、いくら忙しくても畑仕事はいいと行かせてくれた。
その勉強すら、自分は真面目にやらなかった。
何も手につかない日が続いた。
差し入れの食事を残すのも、働かずに店の上の部屋で寝転がっているのも、励まされるのも辛くて、遅くまで街を彷徨うようになった。
賑やかな場所ほど虚しくて、入り組んだ裏通りに鼠のように潜り込んでいった。
酒の入った肉食の獣人たちとすれ違って、肩がぶつかったかなんだか、因縁をつけられた。
「……すんません」
「アぁ? 聞こえねぇよ! 生意気に角なんか生やしやがって」
ハイエナの獣人が、ユールの髪を掴んで、無理矢理頭を下げさせる。
「喰うぞ、コラ!」
その一言で、無気力だった彼のなかに、どす黒い感情が噴出した。
脳裏に閃いたのは、血飛沫と、食いちぎられた身体。いくら封じ込めようとしても、焼きついて離れない光景。
少年は、吼えた。
「やってみやがれ、屍肉喰らいが!」
目の前の男が、家族を殺して喰らった魔物に重なっていた。
ハイエナが唸る。
眼裏に火花が散った。顔面に膝が入っていた。
「あぁ、そうだ。てめえらなんざ餌なんだぜ?」
ハイエナは鼻から血を流す山羊をせせら嗤う。
しかし、バチッと鋭い衝撃を受けて、その髪を掴んでいた手を離していた。短い双角から、一瞬、雷撃のように魔力が走っていた。
ユールは、身体を返して両手を地についた。感情の昂りのまま、思い切り脚を後ろに跳ね上げた。
初めて、魔力を人に向けて放っていた。
逆さの視界の中で、ハイエナが吹き飛んでいった。
あまりの威力に自分で驚いて、姿勢に反して頭から血が下りていったが、もう遅かった。
肉食の獣人が、草食の獣人に仲間の前でやられたまま、収まるはずがない。
顔を掠める爪に、牙に、生臭い息に、恐怖した。
手加減などできなかった。夢中で魔力を振るいつづけた。
「よーしよし! やめだ!」
一人だけ、乱闘に加わらずに煙草を吸っていた黒服の鼬族が、気持ち悪いほど朗らかに宣言して、手を叩いた。
その一声で、まだ立っていた相手も牙を収めたのが、不気味だった。
鼬は、初めにユールに掴みかかったハイエナが地に伸びているのを、ステッキでつついた。
「んー、シェイド、起きられるかあ? うん、だめかあ。こりゃ参ったねえ」
口元はニヤニヤしているが、目は全く笑っていなかった。
「坊主、強えなあ。魔力持ちか」
今さら膝が震え始めている少年に、猫撫で声で言った。
「ま、今日はいいからおうち帰んな」
急に怖くなって、ユールは駆け出した。
見つけたその場で獲物をどうにかするのではなく、巣を確認して、逃げ道を塞ぐ。
それが鼬のやり口だとは、気付けなかった。
翌朝、浅い眠りは激しい物音で破られた。
「おーや、悪いねぇ。うちのもんはみんな、身体がでかくてさあ、こんな狭っ苦しい店じゃ、うっかりぶつかっちまうねえ」
肉食の獣人を二人従えて、悪い夢から抜け出してきたような、黒服の鼬がいた。
商品の木箱が倒れて、野菜が踏み潰されていた。
「筋もんに売るもんはねえ、帰れ」
ディアンが低い声で言う。
鼬は鼻で笑った。
「こんな生ゴミ誰が買うかっての。俺が用があんのは、黒山羊の坊主だよ。いるよなあ?」
ユールは階段から顔を出した。
「おやっさん」
「ユール、出てくんな!」
「おっ、坊主! 会えて嬉しいぜえ!」
鼬は親しげに手を広げる。
「昨日の礼をしたくってさあ。見事だったねえ、惚れ惚れしたよ。お前、こんなしけた店で働いてんのもったいねえ。もっといい仕事、紹介してやろうと思ってさあ」
ねばっこく、絡め取ってくる。
自分が関わってしまったもののタチの悪さに、ユールは気がついていた。
ディアンは招かれざる客を睨みつけたまま、小声で指示した。
「……裏口から詰所行って、自警団呼んでこい。鼬のクラインって言やあ、伝わる」
このままディアンの背に隠れて、やり過ごしてしまいたかった。でも、もうそれで済むわけがないとわかっていた。
昨日、それだけの喧嘩を買っていた。
ユールは心の中で謝った。
おやっさん、ろくでもねえガキで、ごめん。
「……おやっさん、このひとたち、俺の知り合いっす」
進み出てきた少年を前に、クラインはニンマリ笑った。
「そうそう、ユール。俺とお前は、とっても仲良しだ」
ディアンがユールの腕を、痛いほど強く掴んで引き戻そうとする。
「馬鹿いってんじゃねえ! お前、ふらふらしてると思ったら、こんなやつらと付き合うなんざ、親父さんに顔向けできると思ってんのか!」
ユールは、その手を振り払った。
「うるせえよ。いちいち死んだもん引き合いに出しやがって、あんたの説教にゃいい加減うんざりだ。クラインさん、俺そっち行くよ。昨日のハイエナよりかは、使えると思うぜ」
「ユール!」
「出てってやんよ、無駄飯食らいが消えて、あんたもせいせいすんだろ!」
そこまで言っても止めようとする。ユールは深く息を吸って、店の土壁を蹴り飛ばした。粘土でできていたかのように、簡単に大穴が開いた。
ディアンが驚愕に目を見開いた。クラインがピューッと口笛を吹いた。
「さあて、坊主、いいのかあ? 鹿のおやっさん、可愛がってくれてたんじゃねえか、なあ?」
両側を手下に挟まれて歩いた。
わざとらしく言ってみせるクラインを、ユールは睨みつけた。
「……関係ねえよ。肉食にゃ用がねえ店だろ、二度と騒がせんな」
「こりゃ、孝行な話だねえ!」
クラインは新しい手下に仕事の話を始めた。
「シェイドはなあ、デビュー戦控えてて、昨日は景気づけだったんだよな。それが肋骨全部砕けちまって、蛹みたく包帯ぐるぐる巻きでベッドに転がってるよ。ま、そこは気にしなくていい、負けるやつが悪いんだ。だが、満員御礼の興行の対戦表に穴あけるわけにゃいかねえ」
黒光りするステッキをくるりと回して、クラインはユールの鼻先を指した。
「だから坊主、お前が出ろ」
連れて行かれた闘技場のリングで、兎族が食い殺されるのを見た。
試合ではなかった。一方的な虐殺だった。
「表じゃそれなりの拳闘士だって、鼻の穴膨らませて乗り込んできやがったんだけどなあ。牙も爪もねえやつが、裏じゃ通じるわけねえや。いい前座だ」
淡々と評したクラインが、出番を控えたユールに目をやる。
「……武者震いってやつ?」
せめて情けない姿を見せるかと、歯を食いしばって拳を結んだ。
「よくわかったよ、見せ物になって死ねってんだろ……!」
「いや? 俺はお前を買ってるよ?」
そのときばかりは、クラインは笑わなかった。
「魔力があろうが、やれねえやつはいる。その点お前は違う、腹ん中に真っ黒なもん溜め込んでるよ。……好きに暴れな」
血を洗われたリングはまだ濡れていた。
強い魔灯に照らされて、八方向に薄い影が伸びる。
対戦カードが謳いあげられる。
向かいから、影が上がってくる。
狼の獣人だった。表の掟を外れて、本能のままに力を振るわんとする、まさしく獣がそこにいた。
歓声が頭に響く。
……歓声?
ユールは耳を疑う。そして、一拍置いて、理解した。
この場の全員、狂っているのだ。
血みどろの惨たらしい死を、望んでいる。
竦み、固まる。
だが、恐怖が限界を突き抜けたとき。
腹の中で、怒りが爆発して、身体が動いていた。
喰われてやるかよ!
大番狂わせに凄まじいブーイングが起こる中、クラインばかりが上機嫌だった。
彼は、なにかにつけひとの希望を踏みつけにするのが愉しい類だった。
「いーい仕事だ! そうさなあ、うん、やっぱ『ユール』はねえな、田舎臭えよ」
ひとり、うんうんと頷いて、暴発まがいの魔力を行使して、喘ぐように息をついている少年の肩を馴れ馴れしく叩いた。
「黒山羊の悪役っていやあ、やっぱりあれだ! 『山羊角の悪魔』。お前なら名前負けでもねえさ、今日からこれでいこうぜ、坊主!」
なんでこんなところまで、堕ちたのだったか。
ユールの家は東街道沿いの、小規模な農村の一つにあった。
家族は、祖父母と、父母。一番上の兄はもう嫁を貰っていて、二番目の兄は水車小屋を立てて独立したところで、下には双子の弟と妹がいた。
ユールは、家族の中で一人だけ、生まれつき魔力を備えていた。
物心ついた頃から、その場で地を蹴って、宙で一回転して着地できるほど、身軽だった。
天気の変化や、魔物の接近にも敏感だった。
黒山羊族は、時たま、魔力持ちが生まれる種族だった。
ただ、過去に黒魔術で悪名を馳せた例があったから、あまり喜ばれはしなかった。
家族はむしろ、ユールがその力を悪用しないように、調子に乗らないようにと口を酸っぱくしていた。
成長するごとに、それを煩わしく思うようになっていた。
角が生えはじめるころには、畑を手伝えと言われるのに反発して、サボってばかりいるようになった。
「こんななんにもねえところで、毎日同じことやって、つまんねえ生き方したくねえよ」
村を出てサーカスに入るか、冒険者になりたいと言うと、父親は額に青筋をたてた。
「ガキがうわっついたこと言ってんじゃねえ。何様のつもりだ」
「くそ、死にさらせ頑固親父! こんなところ大嫌いだ!」
「おう、言いやがったな。出てけ、怠けもん! 働かねえもんに食わせる飯はねえ、二度と帰ってくんな!」
大喧嘩の挙句、取引先の野菜商、鹿族のディアンを頼って、家出同然で街に出てきた。
ディアンは渋い顔をしていたが、間に入って話をしてくれた。
「まあ、三男坊だもんな。やりてえこと探してもいいだろ」
とりあえずディアンに雇ってもらって、元手を貯めることにした。
一緒に住むかとも誘われた。息子は宿舎つきの学校に入っていて、部屋が空いているという。
それを断って、狭くてもいいからと店の上の一間を貸してもらった。ずっと家族に囲まれて育っていたから、一人暮らしに憧れていた。そんな我儘も苦笑いしながら、許してくれた。
ディアンは面倒見がよくて、仕事は思いの外、楽しかった。金勘定が苦手でよく叱られもしたが、一日しっかり身体を使って働いて、好きな野菜をどっさり食べさせてもらって、気持ちよく眠った。
そのころ、自分はなにか特別なものになれると思っていた。
ユールがそうやって街にいた間に、村が魔物に襲われた。
知らせを受けて、他の村人の身内と一緒に戻った。先についていた騎士団が、既に埋葬の準備をしていた。
確認をするかどうか、聞かれた。
無理をしなくていいとも、言われた。
付き添ってくれたディアンが、見るなと押さえるのを振り払って、布をめくった。
ユールは、いくつも深い穴を掘った。
シャベルを握る手のひらがボロボロになって、爪が剥がれて、止められるまで。
土を耕して、そこから生まれる植物を食べて生きた人たちが、これ以上、傷つけられないように。
静かに、元の土に還れるように。
ひどいことを言って飛び出した。
でも、こんなことは、決して望まなかったのだ。
平凡で退屈で、懐かしい家は、ずっとそこにあると思っていた。
昔気質の口の荒い父ちゃん、さばさばした働き者の母ちゃん。
木工職人のじいちゃん、腰が曲がっていつも編み物をしていたばあちゃん。
父親そっくりの石頭で、でも嫁さんには滅法甘かった上兄。器用で口も上手くて、楽しかった下兄。
兄ちゃん兄ちゃんといつも纏わりついてきた双子の弟と妹は、ユールが飛び出した日、泣きながら追ってきた。
いらいらして下兄の水車小屋に押し付けたのが、生きて会った最後になった。
夢の中で家族の叫びを聞いて、ごめん、ごめんと泣きながら跳ね起きるのを、繰り返した。
「ユール、お前の気持ちはなあ……簡単にわかるって言ってやれねえよ。辛えなあ……」
閉じこもるユールを心配して、ディアンは毎日、ドアを叩いた。
「でも、いつまでもそうしてちゃいけねえよ。死んだもんの分まで、がんばって生きねえとな」
ディアンは父親からだと、手紙を一通置いて行った。
たどたどしい字で、面倒をかける、馬鹿な子供だがよろしく頼むと、書いてあった。
学もない親父だと馬鹿にしていた。
でも、子供は読み書きできるようにと高い教科書を買ってくれた。教師が回ってきたときは、いくら忙しくても畑仕事はいいと行かせてくれた。
その勉強すら、自分は真面目にやらなかった。
何も手につかない日が続いた。
差し入れの食事を残すのも、働かずに店の上の部屋で寝転がっているのも、励まされるのも辛くて、遅くまで街を彷徨うようになった。
賑やかな場所ほど虚しくて、入り組んだ裏通りに鼠のように潜り込んでいった。
酒の入った肉食の獣人たちとすれ違って、肩がぶつかったかなんだか、因縁をつけられた。
「……すんません」
「アぁ? 聞こえねぇよ! 生意気に角なんか生やしやがって」
ハイエナの獣人が、ユールの髪を掴んで、無理矢理頭を下げさせる。
「喰うぞ、コラ!」
その一言で、無気力だった彼のなかに、どす黒い感情が噴出した。
脳裏に閃いたのは、血飛沫と、食いちぎられた身体。いくら封じ込めようとしても、焼きついて離れない光景。
少年は、吼えた。
「やってみやがれ、屍肉喰らいが!」
目の前の男が、家族を殺して喰らった魔物に重なっていた。
ハイエナが唸る。
眼裏に火花が散った。顔面に膝が入っていた。
「あぁ、そうだ。てめえらなんざ餌なんだぜ?」
ハイエナは鼻から血を流す山羊をせせら嗤う。
しかし、バチッと鋭い衝撃を受けて、その髪を掴んでいた手を離していた。短い双角から、一瞬、雷撃のように魔力が走っていた。
ユールは、身体を返して両手を地についた。感情の昂りのまま、思い切り脚を後ろに跳ね上げた。
初めて、魔力を人に向けて放っていた。
逆さの視界の中で、ハイエナが吹き飛んでいった。
あまりの威力に自分で驚いて、姿勢に反して頭から血が下りていったが、もう遅かった。
肉食の獣人が、草食の獣人に仲間の前でやられたまま、収まるはずがない。
顔を掠める爪に、牙に、生臭い息に、恐怖した。
手加減などできなかった。夢中で魔力を振るいつづけた。
「よーしよし! やめだ!」
一人だけ、乱闘に加わらずに煙草を吸っていた黒服の鼬族が、気持ち悪いほど朗らかに宣言して、手を叩いた。
その一声で、まだ立っていた相手も牙を収めたのが、不気味だった。
鼬は、初めにユールに掴みかかったハイエナが地に伸びているのを、ステッキでつついた。
「んー、シェイド、起きられるかあ? うん、だめかあ。こりゃ参ったねえ」
口元はニヤニヤしているが、目は全く笑っていなかった。
「坊主、強えなあ。魔力持ちか」
今さら膝が震え始めている少年に、猫撫で声で言った。
「ま、今日はいいからおうち帰んな」
急に怖くなって、ユールは駆け出した。
見つけたその場で獲物をどうにかするのではなく、巣を確認して、逃げ道を塞ぐ。
それが鼬のやり口だとは、気付けなかった。
翌朝、浅い眠りは激しい物音で破られた。
「おーや、悪いねぇ。うちのもんはみんな、身体がでかくてさあ、こんな狭っ苦しい店じゃ、うっかりぶつかっちまうねえ」
肉食の獣人を二人従えて、悪い夢から抜け出してきたような、黒服の鼬がいた。
商品の木箱が倒れて、野菜が踏み潰されていた。
「筋もんに売るもんはねえ、帰れ」
ディアンが低い声で言う。
鼬は鼻で笑った。
「こんな生ゴミ誰が買うかっての。俺が用があんのは、黒山羊の坊主だよ。いるよなあ?」
ユールは階段から顔を出した。
「おやっさん」
「ユール、出てくんな!」
「おっ、坊主! 会えて嬉しいぜえ!」
鼬は親しげに手を広げる。
「昨日の礼をしたくってさあ。見事だったねえ、惚れ惚れしたよ。お前、こんなしけた店で働いてんのもったいねえ。もっといい仕事、紹介してやろうと思ってさあ」
ねばっこく、絡め取ってくる。
自分が関わってしまったもののタチの悪さに、ユールは気がついていた。
ディアンは招かれざる客を睨みつけたまま、小声で指示した。
「……裏口から詰所行って、自警団呼んでこい。鼬のクラインって言やあ、伝わる」
このままディアンの背に隠れて、やり過ごしてしまいたかった。でも、もうそれで済むわけがないとわかっていた。
昨日、それだけの喧嘩を買っていた。
ユールは心の中で謝った。
おやっさん、ろくでもねえガキで、ごめん。
「……おやっさん、このひとたち、俺の知り合いっす」
進み出てきた少年を前に、クラインはニンマリ笑った。
「そうそう、ユール。俺とお前は、とっても仲良しだ」
ディアンがユールの腕を、痛いほど強く掴んで引き戻そうとする。
「馬鹿いってんじゃねえ! お前、ふらふらしてると思ったら、こんなやつらと付き合うなんざ、親父さんに顔向けできると思ってんのか!」
ユールは、その手を振り払った。
「うるせえよ。いちいち死んだもん引き合いに出しやがって、あんたの説教にゃいい加減うんざりだ。クラインさん、俺そっち行くよ。昨日のハイエナよりかは、使えると思うぜ」
「ユール!」
「出てってやんよ、無駄飯食らいが消えて、あんたもせいせいすんだろ!」
そこまで言っても止めようとする。ユールは深く息を吸って、店の土壁を蹴り飛ばした。粘土でできていたかのように、簡単に大穴が開いた。
ディアンが驚愕に目を見開いた。クラインがピューッと口笛を吹いた。
「さあて、坊主、いいのかあ? 鹿のおやっさん、可愛がってくれてたんじゃねえか、なあ?」
両側を手下に挟まれて歩いた。
わざとらしく言ってみせるクラインを、ユールは睨みつけた。
「……関係ねえよ。肉食にゃ用がねえ店だろ、二度と騒がせんな」
「こりゃ、孝行な話だねえ!」
クラインは新しい手下に仕事の話を始めた。
「シェイドはなあ、デビュー戦控えてて、昨日は景気づけだったんだよな。それが肋骨全部砕けちまって、蛹みたく包帯ぐるぐる巻きでベッドに転がってるよ。ま、そこは気にしなくていい、負けるやつが悪いんだ。だが、満員御礼の興行の対戦表に穴あけるわけにゃいかねえ」
黒光りするステッキをくるりと回して、クラインはユールの鼻先を指した。
「だから坊主、お前が出ろ」
連れて行かれた闘技場のリングで、兎族が食い殺されるのを見た。
試合ではなかった。一方的な虐殺だった。
「表じゃそれなりの拳闘士だって、鼻の穴膨らませて乗り込んできやがったんだけどなあ。牙も爪もねえやつが、裏じゃ通じるわけねえや。いい前座だ」
淡々と評したクラインが、出番を控えたユールに目をやる。
「……武者震いってやつ?」
せめて情けない姿を見せるかと、歯を食いしばって拳を結んだ。
「よくわかったよ、見せ物になって死ねってんだろ……!」
「いや? 俺はお前を買ってるよ?」
そのときばかりは、クラインは笑わなかった。
「魔力があろうが、やれねえやつはいる。その点お前は違う、腹ん中に真っ黒なもん溜め込んでるよ。……好きに暴れな」
血を洗われたリングはまだ濡れていた。
強い魔灯に照らされて、八方向に薄い影が伸びる。
対戦カードが謳いあげられる。
向かいから、影が上がってくる。
狼の獣人だった。表の掟を外れて、本能のままに力を振るわんとする、まさしく獣がそこにいた。
歓声が頭に響く。
……歓声?
ユールは耳を疑う。そして、一拍置いて、理解した。
この場の全員、狂っているのだ。
血みどろの惨たらしい死を、望んでいる。
竦み、固まる。
だが、恐怖が限界を突き抜けたとき。
腹の中で、怒りが爆発して、身体が動いていた。
喰われてやるかよ!
大番狂わせに凄まじいブーイングが起こる中、クラインばかりが上機嫌だった。
彼は、なにかにつけひとの希望を踏みつけにするのが愉しい類だった。
「いーい仕事だ! そうさなあ、うん、やっぱ『ユール』はねえな、田舎臭えよ」
ひとり、うんうんと頷いて、暴発まがいの魔力を行使して、喘ぐように息をついている少年の肩を馴れ馴れしく叩いた。
「黒山羊の悪役っていやあ、やっぱりあれだ! 『山羊角の悪魔』。お前なら名前負けでもねえさ、今日からこれでいこうぜ、坊主!」
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
狼隊長さんは、私のやわはだのトリコになりました。
汐瀬うに
恋愛
目が覚めたら、そこは獣人たちの国だった。
元看護師の百合は、この世界では珍しい“ヒト”として、狐の婆さんが仕切る風呂屋で働くことになる。
与えられた仕事は、獣人のお客を湯に通し、その体を洗ってもてなすこと。
本来ならこの先にあるはずの行為まで求められてもおかしくないのに、百合の素肌で背中を撫でられた獣人たちは、皆ふわふわの毛皮を揺らして眠りに落ちてしまうのだった。
人間の肌は、獣人にとって子犬の毛並みのようなもの――そう気づいた時には、百合は「眠りを売る“やわはだ嬢”」として静かな人気者になっていた。
そんな百合の元へある日、一つの依頼が舞い込む。
「眠れない狼隊長を、あんたの手で眠らせてやってほしい」
戦場の静けさに怯え、目を閉じれば仲間の最期がよみがえる狼隊長ライガ。
誰よりも強くあろうとする男の震えに触れた百合は、自分もまた失った人を忘れられずにいることを思い出す。
やわらかな人肌と、眠れない心。
静けさを怖がるふたりが、湯気の向こうで少しずつ寄り添っていく、獣人×ヒトの異世界恋愛譚。
[こちらは以前あげていた「やわはだの、お風呂やさん」の改稿ver.になります]
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる