黒山羊と花の乙女

NA

文字の大きさ
40 / 52

34.リスの話

しおりを挟む
 秋の深まりとともに木々の葉は鮮やかに色づき、やがて散っていく。
 傭兵ギルドの救護室の日の当たる窓辺では、リスが一匹、身体を丸めてまどろんでいた。
 リファリールは仕事の手を止めて、布を敷いた小ぶりなバスケットを置く。

「ネムさん、寒くないですか?」

 リスの目が、うっすら開いた。

(ん……)

 リファリールはネムを手のひらにすくいとって、バスケットの中に移した。触れて、悲しくなった。軽かった。毛皮は艶を失い、肉付きが明らかに薄くなっている。
 最近、彼は休んでいる時間が増えていた。
 命の流れが、弱まっている。病でも、怪我でもない。ただ炎が燃え尽きるように、草木が枯れるように、時がくれば迎える終焉が近いのだ。
 それをネム自身、悟っているようだった。

 リファリールは訊く。

「花の蜜、好きですか?」

 ネムは鼻先を動かした。

(……いい匂いだなあって、いつも思ってたよ。でも、俺はいいんだ)

――でも、わたしはいいんだよ。

 昔の誰かの言葉に重なって、胸がツキンと痛む。
 リファリールの顔が曇るのを慰めるように、ネムは明るくまぜっかえした。

(ユールがヤキモチ妬くからな!)

 不思議なリスだ。喋るだけではない。愛らしい見た目に反して、その言葉はざっくばらんでも、年長者らしい気遣いで満ちていた。

「……ネムさん……」
(そんな顔してくれるなよ、リファちゃん)

 リファリールの指先に、ちいさな手が添えられる。

(楽しかったよ。めいっぱい働いて、嫁も子供も孫も、うまいもんたらふく食わせてやれた。ギルドの仲間は、危なっかしいバカばっかりだが、いいやつらだ)
「はい。ネムさんは、とってもいいお父さんで、おじいさんで、先輩です」
(おう。……リファちゃん、ユールを頼むぜ)

 リファリールは頷いた。

(あいつ、リファちゃんのおかげで変わったよ。命、大事にするようになった)

 でもな、とリスは言う。

(どんなに強くたって、気をつけたって、傭兵は死ぬときがあるんだよ。みんなの盾になる仕事だから)

 このつぶらな黒い目は、きっとそんな悲しみも映してきた。考えれば苦しくて、でも、リファリールはそういう生き方をするひとたちを支えることを選んだのだ。

(それにあいつも俺も、リファちゃんよりずっと寿命が短い生き物だ)

 一匹のリスがまさに、その運命を身をもって知らしめる。

(でも、許してくれよな)

 俯く彼女に、彼は穏やかな声で頼んだ。

(俺たちなりに生き切ったときはさ、よく頑張ったって褒めて、休ませてくれよ)

 わかっていると答えてあげないといけないと思う。でも、いざそうなれば、心は揺らぐ。

「……そんなこと、言わないでください。さみしいです」
(ああ、たくさんさみしがって、悲しんで、泣いてくれ。……そんで、そのあと、楽しかったことは、それよりいっぱい、思い出せよ!)
「はい」

 ネムが拳を握るのに、リファリールもならう。あまりに大きさが違うけれど、そっとぶつけあった。

(リファちゃんの花嫁姿、見れそうにないのだけ、残念だよ)

 キキッと笑うように鳴いて、リスは再び丸くなった。




 何かが背中に触れる感触に、ネムは目覚めた。

「あ、まだ生きてたね」

 医者の、無精ひげの生えた大きな顔が近くにあった。

(勘弁しろよ、むさくるしい顔よせやがって)

 憎まれ口に憎まれ口で返すと、医者は肩をすくめた。
 窓の外はいつのまにか、橙色の夕焼けに染まっている。

(そろそろ身体がきかないから、引退するよ)
「そうかい」

 ネムがギルドで働き始めたのは、医者が仕掛けたネズミ捕りにひっかかったのがきっかけだった。ふざけるな、はやく出せと叫ぶリスに、彼は驚きつつも謝ったものだった。

「ずいぶん長くがんばったね。あのころ、スヴェンはまだ結婚してなかったよねえ」
(そうだったかな)

 若いリスが老体になるくらいの時間はたった。長寿で肉体の衰えが少ない蛇族のスヴェラードはともかく、人族らしい医者の外見が殆ど変化しないのは、不思議な気もする。同じ人族の団長など、ずいぶん皺も白髪も増えたというのに。
 窓辺にいるのは、黒い髪に切れ長の黒い目をした、くたびれた印象の男だ。

「さみしくなるよ。君リスだけど、たったひとり、僕の名前を覚えてくれたから」
(……シロタ。お前、嫌われすぎじゃないか?)

 シロタユズルという、この世界には類のない奇妙な名前の男は、苦笑いする。

「違うと思いたいなあ。僕はね、存在がこの世界からズレてるみたいだ。……たぶん、君もだよ」

 昼と夜のあわいの時間、彼は世界の深部に少しだけ触れる。

「ネム。ニンゲンだったころのことを、覚えていないかい」

 ニンゲン? ああ、
 変な言葉だが、ネムには覚えがある。

(そういや、若い頃は変な夢をよく見たね。それで言葉も覚えたんだ)
「君の中には、ちょっとだけ、僕が元いた世界から迷い込んだものが混ざってるんだよ、きっと」
(さて、世界とか言われてもよくわからんね。ただの喋れるリスだぜ)
「簡単に言うけどすごいんだよ」
(去年生まれた孫も喋る)
「まじかい」
 
 若ぶった言葉遣いで彼はおどけてみせる。実際のところ、ネムには彼が若いのか年老いているのか、よくわからない。彼もさみしいのだろうとは思う。だいたい、リスによしなしごとを話しかけるのは、心に隙間があるものたちだ。
 彼への餞別に、ネムは言ってやった。

(きっとそいつも、お前の名前をちゃんと覚えるよ。シロタユズル)
「そうだと嬉しいね」

 窓の外は、ゆっくりと藍に暮れていく。ネムはバスケットから這い出して、夜が訪れる前に南の森の巣に帰った。




 数日後、涼しい、よく晴れた秋の日。
 ネムは団長室にいた。フィミーの差し出した書類に、赤インクを塗った前足を押し付ける。
 ふたりに労われ、退職金(クルミ)の説明を受けて、部屋を出た。
 午前の訓練の時間中だというのに、廊下に待ち構えていた見知った面々に囲まれた。
 
「黙って行こうとするとかさあ、水臭いんだよ」
「フン! シミッタレタ顔サレンノ嫌デナ!」

 特にしけた顔をしているユールの肩によじ登ろうとして、滑った。床に落ちる前に、大きな両手に受け止められた。
 ユールは器型にした手のひらにネムを載せて、顔の前まで持ち上げた。

「……ありがと。俺がここにいんの、ネムのおかげだ」

 蜂蜜色の目を泣きそうに揺らしながらも、口だけ無理に笑ってみせる。
 とっくに成人したくせに、最後まで仕方のない子分だった。

「オウ、オ前モウ大丈夫ダナ! シッカリヤレヨ!」

 力強く激励して、黒い鼻先をぺしっと叩いてやった。



 ネム一族の森の巣には、餞別の食糧が山盛り届けられた。子供と孫たちが大騒ぎしながら仕分けして、冬に向けた貯蔵に勤しむのを、ネムは巣穴からのんびり見下ろしている。
 傍らには、長く連れ添った番のリスがいる。
 喋らない、ごく普通のリスだ。
 それでも、つまらないと思ったことはなかった。
 痩せた身体を寄せて、ほのかな温もりを分け合う。
 お互い冬を越して生きることはないだろう。けれど、自分たちの命を継いだものがこんなにも増えて、生を謳歌している。
 これほど幸せで、満足なことはなかった。




「なんか、物足りないね」

 更衣室で、ネムの使っていた棚の一角が空なのを見て、ラパンが呟く。

「リス一匹いないだけなんだがな」

 フロックが答えた。

「三羽烏ってもう言えないんだもんね……」

 耳を垂らすラパンの背を、ユールは軽く叩く。ネムに心配をかけないためにも、しっかりしないとと言おうとしたところで。

「オウ、ココハ俺様ノ出番ダナ!」

 独特の甲高い声がした。
 壁の穴から、リスが顔を出していた。一匹出てきたかと思えば、続いてゾロゾロと雪崩れ込んでくる。

「ネム!?」
「ネムだらけ!?」

 更衣室中駆け回るリスたちに、傭兵たちは騒然とした。
 一匹がユールの頭に素早く駆け上って、角の間に後足で立ってふんぞり返った。

「俺様、ちもしー!」
「ネムじゃねえの!?」
「ぴちぴちノ俺様トジイチャン、一緒ニスンナヨ!」
「わっかんねえよリスの年なんて!」

 ユールと言い合うチモシーを、フロックが金色の丸い目で見つめる。

「いやわかるよ俺は。お前のほうが美味そうだ」
「フロックやめてあげて、あんまり冗談に聞こえないよ」
「構ワネエゼ、ウサギ! オ前ガらぱんデ、笑エナイ冗談言ッテンノガふろっく! デ、黒山羊、オ前ガゆーるダナ! ジイチャンノ一ノ子分ダ!」
「ネムのやつ、孫にどういう話してんだよ」
「ぎるどハ全員手下ダロ? 人族ノ団長ハ飾リデ、ジイチャンガ裏ノ団長!」
「ふいてやがるなあ……あいつらしい」
「サア、オ飾リ団長ノトコロ連レテケ! 俺タチねむ軍団、コレカラモ力、貸シテヤルゼ!」

 チモシーが「整列!」と一声叫ぶと、リスたちが一斉に集まってピシッと並んだ。
 喋るのはチモシー一匹だが、血の繋がりか、何か別の仕組みがあるのか、異常に統率が取れている。
 彼らの要求は、森で入手できない食料を対価とした契約だった。ネムに育てられたせいで舌が肥えてしまったらしい。
 団長はチモシーを代表者として、リスたちを雇い入れることを即決した。

「ネムには世話になった。引き続き期待してるよ、チモシー」
「オウ、任セトケ!」

 声も拳を振り上げる仕草も、よくネムに似ている。案内をしたユールが不思議な気分で見ていると、契約を済ませたチモシーは、なにやら兄弟たちに運ばせてきた。

「ゆーる! コレ、ジイチャンカラダ!」

 紺の細いネクタイだった。はじめてリファリールを食事に誘ったとき、ネムが貸してくれたものだ。

「……ネム、元気?」
「……ン、死ンダヨ」
「そっか……」
「オイ、哀レンデンジャネエゾ! 子供ニ孫ニヒ孫、アトナンカイッパイ、一族総勢五百匹ニ囲マレテ大往生ダ! 真似デキルモンナラヤッテミロ!」

 力説されれば笑うしかない。確かにネムはよくやった。

「やべえねリスの繁殖力」

 ネクタイを受け取って、ユールはチモシーに拳を差し出した。

「もらう。これからよろしく、チモシー」

 キキッと鳴いて、チモシーはユールに拳を合わせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します

スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」 眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。 隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。 エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。 しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。 彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。 「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」 裏切りへのカウントダウンが今、始まる。 スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

処理中です...