黒山羊と花の乙女

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44.あなたと、未来を

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 光の気配に、リファリールは目を覚ました。
 ベッドから身体を起こして、そばの窓のカーテンを開く。早朝の通りは人気がない。
 目を上げれば東から太陽の光が広がって、薄紫の夜空と星々をしまいこんでいくところだった。
 青葉亭の一室で、ひとり、刻々と空が明るくなっていくのを、静かに見つめていた。

 ラーニャに結婚の準備の相談をしたときに、式の前日はユールと離れて一晩過ごすことを提案されていた。

「一応ね、お嫁入りって形にするんだったら。どうかしら」

 そのときは、あまり意味がわからなくて首を傾げた。ユールが「そーだね、けじめかなあ」と賛成するので、そういう習慣ならと従うことにした。

 当の今になってやっと、わかったような気がする。
 次に彼に会えるのは、誓いの祭壇の前、花婿と花嫁としてなのだと思うと、胸の中の鼓動がとくとくと早くなっていく。
 この高鳴りを受け取ってもらえる瞬間を、心の底から、待ち望んでいた。
 
 
 

「おはよう。よく眠れた?」

 着替えをして階下に降りていくと、ラーニャが弾んだ声で迎えてくれた。

「はい。お部屋とってもきれいで、気持ちよかったです」
「よかったわ。わたしなんて、興奮しちゃって寝付けなくって。リファちゃんのこと、妹って呼べるようになるんだもの!」

 ラーニャはリファリールをぎゅっと抱きしめて、巻角にキスをくれた。リファリールは笑い返して、額を合わせる。ルクが「かーちゃんずるい」とスカートを引っ張るので、しゃがんでルクとも額を合わせた。ルクが花を嗅ぐのを、ラーニャがあわてて止める。

「食べちゃダメよ! せっかくの晴れ舞台!」
「わかってるもん」

 ルクは尻尾を振り振り、口を尖らせた。

「りーちゃん大好き。いい匂い」
「ありがとう。わたしもルクちゃん大好き」

 忙しく立ち働いているラーニャのかわりに、ルクの朝食の付き添いをして、水を一杯飲んだ。
 食堂にはバターと小麦の香ばしい匂いが漂っている。今日の昼から明日の朝まで、青葉亭は結婚式のあとの祝宴で貸し切りだ。
 白山羊とアリエスは、キッチンで仕込みに精を出してくれている。
 皿を下げるときに、「今日はよろしくお願いします」とお辞儀をすると、白山羊は長い髭を撫でて目を細めた。

「長生きはするもんだねえ、楽しい仕事だよ」

 宿泊客のチェックアウトが済んだ後、白いシャツに青い吊りズボン、蝶ネクタイでおめかししたルクと、明るい緑のワンピースを着たラーニャと一緒に、青葉亭を出た。




 飛び跳ねるルクを間に、片方ずつ手を繋いで、教会のある中央広場に向かった。
 街中の魔灯のポールや店の軒先に、春の草花が巻きついて咲き乱れている。道ゆくひとびとが、そこかしこで立ち止まって見上げている。

「まあ、すごいわ! 昨日はなかったわよね? これ、もしかしてアメランさんがやってくれたの?」
「シェフィール様と、グリムフィルドさんからです。……アメランさんのおかげとも言えます」




 昨日の夕方、仕事を終えてユールに青葉亭へ送ってもらう最中、翅をバリバリ鳴らしてアメランが追いかけてきた。

「待ちなさい! あなたがた、止まりなさい!」
「自警団かよ。なんにも悪ぃことしてねえよ」

 文句を言いつつも、ユールは一応足を止めてやっていた。

「よく言いますよ! リファリール様と結婚なんて許しませんよ!」

 越冬して蜜の効果が切れたらしかった。別にアメランの許可をとろうとは思っていないが、邪魔をするなら話は別だ。
 リファリールは無言で髪の花に手をやった。

「あっリファリール様、花は結構です! 欲しいけど!」
「めちゃくちゃ素直だな! そーだよ、リファちゃん、式の前にちぎんのもったいねえって」

 ユールにまで止められたのでやめた。
 アメランは真ん中の腕で、箱をひとつ、抱えていた。

「どうせ私の話なんて聞いちゃくれませんからね、殿下とグリムフィルド様に手紙で言いつけました! こちらがお返事です!」

 箱の天辺には『注意。広いところで開けてください』と書かれている。ちいさな箱だが、相当な密度で魔力が満ちているのが感じられた。

「どうぞ! ピシャーンと天罰が下るはずです! 開けないなんて言わせませんよ、いくら無礼なあなたでも、あのお二方のご意向を無視なんてできないでしょう!」

 ユールはため息をついて、箱を受け取った。

「いーよ、そんで認めてもらえんなら、雷くらい撃たれてやんよ」

 アメランが巻き添えを避けてささっと後ずさる。

「リファちゃんも離れてて」
「そうですよリファリール様!」
「大丈夫です。ユールさんとわたしの結婚なんです。一緒に開けましょう。雷なんて、落ちません」

 リファリールは確信を持って言い切った。

「わかった」

 そう答えてくれたユールと一緒に、封を切った。
 果たして、夕闇に吹き上がったのは、花祭りの開会式と同じ、光の花びらだった。

――大変喜ばしい! 愛ほど尊いものはないのである!
――おめでとう! 幸せにね。

 光は街中に降り注ぎ、道の草花を急成長させていった。

 目を白黒させているアメランに、リファリールはにっこり笑いかけた。

「とっても素敵なお祝い。お礼のお手紙書かなくちゃ。アメランさん、あのお二方のご意向を、無視なんてできませんよね?」

 隣ではユールが頬をかいていた。

「いいカウンター決めんね、リファちゃん」




「というわけで! 渋々! 泣く泣くではありますが! リファリール様のたってのお望み、王女殿下、グリムフィルド様もお許しとあらば致し方なく! あなた、リファリール様に誠心誠意一生涯お仕え申し上げるように!」

 教会の右翼の控室へ、式の手順の説明に入った羊族の牧師は、黒山羊に大演説をしているカナブンに苦笑いした。
 どちらが新郎だか、アメランは気合の入った華やかな虹色の礼服で着飾っている。

「これは手強い舅殿がいらっしゃいますねえ」

 本物の新郎、黒山羊のユールは、銀の礼服の上着に揃いのベストを着て、立ち襟のシャツに細い紺のネクタイを締めていた。種族的に靴を履かないかわりに、脚の毛並みは綺麗に整えられて、蹄もきちんと磨いている。
 櫛を通してかきあげられた黒髪からは、成年の山羊らしい、立派な黒い角が覗いていた。
 いくぶん緊張した面持ちで椅子に座り、今日ばかりはということなのか、アメランの話を神妙に聞いている。

 ディアンが見かねて言った。

「そうは言うがねカナブン商会さん! リファリールさんはそりゃあ、可愛らしいできたお嬢さんだけど、身内贔屓と言われようが、ユールだってえれえもんなんだ。ひとのために身体張ってなあ、うちの倅だって、ユールのおかげで今もノホホンと生きてんだ」

 大樹のように枝分かれした角をもつ鹿族の大男に顔を近づけられて、アメランは腕を前に揃える。

「いえまあね、日頃の働きはね、知らないわけじゃないですよ? ひと攫い事件では、リファリール様だけでなく、マダム・オフィーリアをはじめとした方々も助けてもらいましたし。虫人の代替わりを狙うなんて言語道断! 許し難し! なので、その点に関しては、まあ……いつも、ありがとうございます」

 礼を言われて、ユールは目を丸くした。

「……どういたしまして」
「いや調子に乗るんじゃありませんよ!?」
「どっちだよ! いーっすよ、アメランさんが大人しいとやりにくいし。これからもリファちゃんの濃い目のファンでいてください」
「無論です!」

 ふんぞりかえったアメランを横目に、ディアンはユールの肩を叩いて励ました。

「ユール、俺がこんなに嬉しいんだ。親父さんもお袋さんもな、みんな、もっともっと喜んでる。堂々としてろ」
「ありがと、おやっさん」

 潜り込んできたチモシーが、ユールのネクタイを気にした。

「ヨク知ラナイケド、白トカ黒ジャナクテイイノカ?」
「特に決まっているわけではないのですよ。紺は良いですね、穏やかな包容の色です」

 牧師に言ってもらって、チモシーが誇らしげに胸を張った。

「ナライイ! サスガジイチャン!」
「ところであなたなんで喋れるんです?」
「サア?」

 牧師に質されても、無垢で無知なリスそのものといった顔をして、チモシーはしらばっくれた。




 教会の左翼の控室では、エルフのララと黒揚羽のオフィーリアの手によって、花嫁の支度が進められていた。
 新緑の髪はすっきりと結い上げられている。編み込みを入れてはいるものの、装飾品を使っていないのは、大輪の花が一番の飾りになるからだ。
 透明感のある薄緑の肌の身体は、流れるようなラインの白いドレスに足元まで包まれていた。
 ララがドレスの裾を整えて、言った。

「花祭りの日、思い出すね」
「ドレス、ララさんにまたお願いできて、嬉しいです」
「ララも嬉しいよー! スヴェンから、色々、聞いてるよ。リファちゃんもユールくんも、とってもがんばったね」
「……はい」

 リファリールは、ふと目を伏せた。美しい、楽しい記憶ばかりではない。けれど、ユールと手を取り合って乗り越えて、迎えた今日だ。

「リファちゃんは、初めて会ったときから、どんどん変わっていったね。心が強くなって、大人っぽいデザインが似合うようになってる」
「そうですか?」

 リファリールが目を上げると、宝石のように蒼い瞳のエルフは、朗らかに微笑んでいた。

「うん、だからね、これからもリファちゃんとユールくんは、大丈夫! しっかり支え合って、生きていけるよ!」

 異種を伴侶に選んだ彼女の言葉に勇気づけられて、深く頷いた。

 オフィーリアは小皿に紅を溶き、筆にとった。先の祭りの夜の記憶では、リファリールの唇は薄緑だった。今、筆を置こうとしている先は、既にうっすらと紅色だ。
 彼女は、獣族を愛したゆえにあり方を変えていっている。オフィーリアはもう、それを否定しなかった。

「ええ、お綺麗でございますわ」

 紅の小花になった唇が、綻んだ。

「ありがとうございます」
「リファリール様、どうかお幸せに。私は、あなた様と、あなた様がお選びになった方を、信じます」

 老年の羊族のシスターがやってきて、式の手順のおさらいをした。最後に、柔らかに語りかけてきた。

「御婚礼はどなたでもおめでたいものですが、今日は特に、心が浮き立ちますわね」

 彼女の伯父は、植物の研究者だったという。

「里を離れた山や森の中で長い時間を過ごす仕事で、生まれつき少し脚が悪かったこともあって、ずっと独り身でした。一族では変わりもの扱いでしたけど、穏やかで優しい伯父様でね。たまに帰ってくると、ちいさいころのわたしにね、お花の妖精のお話をしてくれたんですよ。本当にいるんだよ、でも、内緒だよって。……あなたを見ていると嬉しくなるんです。作り話じゃなかったんだって」

 リファリールは、ルルーシアが共有してくれた記憶のかけらを手繰り寄せる。温かで優しくて、でもどうしようもなく頑固な「あなた」。

「あのっ、伯父様のお名前、教えてくださいませんか」

 シスターが口にした名を、リファリールは覚える。共有で与えられたものではなく、自分で経験した記憶として。

――きっと、そうなのよね。ルルーシア。

 もう、リファリールの中に、彼女はいない。けれど、伝わるはずだ。
 彼女は今も霧の森の中、愛したひとを根に抱いて、やがて街に至る水のせせらぎを聴き、同じ大地を撫ぜる風に枝を揺らしているのだから。
 側で話を聞いていたララが、仕上げのベールを、シスターに渡した。

「あら、わたしでよろしいのでしょうか?」
「シスターさんが一番!」
「ララさんのおっしゃるとおりでございますわね」

 ララとオフィーリアが頷き合う。
 リファリールも、身を屈めて頼んだ。

「お願いします」
「それでは。リファリールさん、あなたと、あなたと伴侶となる方の行く先が、明るく照らされますように」

 羊族のシスターの手でかけられた、薄く透ける白のベールが、大輪の花と、羊の巻角と耳を包む。
 そうして、リファリールの最後の支度は整えられた。






 礼拝堂の白い祭壇の上の大きな窓には、硝子ではなく、磨きぬかれた光の魔力の結晶がはめられている。
 そこを潜った光は、虹の七色に分かれて、祭壇で祈りを捧げるものを染める。

 しんと静まり返った礼拝堂の中、リファリールは、参列者の着席する間を進む。

 祭壇の前、虹色の光を背に、ユールが立っている。
 胸の鼓動は強くなるばかりで、頭がぼうっとのぼせてきて、足がもつれてしまいそうだ。
 ベール越しの淡い視界の中で、ユールを見つめる。
 気遣わしげに、手を差し伸べようとしてくれている。




「リファちゃん、あのさ、よかったら」

 はじめて彼と食事をしたとき。
 店に向かう途中、雑踏の中で遅れるリファリールに気がついて、彼はシャツの裾で手を拭いて、おずおずと差し出した。

「?」

 なにかくれるのかと思ったが、その中にはなにもなくて。

「手、繋ごう。はぐれるといけねえから」

 あのころから、ずっと。
 彼は、見えない大切なものを差し出してくれている。

 その温かい手に、手を重ねる。
 花婿のユールは、リファリールの空想を遥かに超えて格好がよくて、そして、あのときと同じネクタイをしていた。
 ふたり、祭壇にひざまづいて、手を重ねて祈る。
 彼が用意してくれた指輪には、今包まれている虹色の源と同じ、光の魔力の結晶がついていた。
 指輪をお互いの指にはめたあと、ユールはリファリールのベールを上げる。
 少し緊張して、強張っている表情すら、素敵だと思った。
 目が潤んで、ぼやけてしまうのがもったいない。彼の手が肩に置かれて、真剣な色の瞳が、近づいてくる。

 彼は、リファリールが夢見たものを全て、叶えてくれた。




 退場した控室では、今度こそ一緒だ。

「ユールさん」

 名前を呼んだ後は、胸がいっぱいで言葉が続かなかった。
 鼻の周りを赤くした彼は、緊張の解けた様子で、笑い返してくれた。
 軽々とリファリールを横抱きに持ち上げて、歩き出す。その首に、しっかりと腕を回して、顔を寄せた。

 扉が開いて、真白い光が溢れる。
 眩しい、鮮やかなこの世界に、彼とある喜びが、身体中に満ちていく。

 虫人たちが空を飛び交って撒く花びらと、参列に来てくれたひとびとの祝福の言葉が、一緒になって降り注ぐ。

 ユールは、軽やかな足取りで進み、参列者の間を通り抜けたところで、リファリールをふわりと空に掲げた。

 晴れわたった空のように、笑っていた。翳りなく輝く蜂蜜色の瞳は、リファリールのお日様だ。
 リファリールが手を伸ばして、頬を包んでキスを贈ると、一際大きく、歓声が上がった。
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