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第六章 墓参り
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季節の花で彩られた敷地の一角を通り過ぎると、大木の並び立つ場所まで辿りつく。ちょうど日陰に石のベンチがあるのを見つけて、巽は僕を座らせた。
「どうぞ、飲んでください」
魔法瓶の中にはキンキンに冷えたお茶が用意されていて、僕は差し出されるままに一気に煽った。ああ、冷たくて気持ちいい、生き返る……
オーバーヒートを起こしそうだった身体も心も、洗われたようにスッキリしてきた。
「ありがとう、助かったよ」
「いえ」
巽は言葉少なに答えると、安堵したように小さく笑う。彼も喉が渇いていたようで、お茶を注ぐと一気に喉に流し込んだ。
ゴクリと動く男らしい喉仏がセクシーで、視線を奪われる。
さっきの告白は彼にとっても、きっと一世一代の告白だったに違いない。それなのに返事をろくにしない僕を気遣う余裕のある大人の男っぷりに、ドキドキと胸を高鳴らせた。
(……巽さんにだったら、言っても大丈夫かもしれない)
僕がどんな醜態や情けないところを見せたって、彼は笑って許してくれそうだ。僕は誰にも明かしたことのない心の傷を、彼に明け渡す覚悟を決めた。
ひぐらしが鳴きはじめた森の縁で、僕はゆっくりと言葉を声に乗せる。
「あのさ。巽さんの気持ちに返事をする前に、僕の話を聞いてもらってもいいかな」
「ええ、どうぞ」
ああ、巽の声は安心するなあ。温かで包み込むような声音に導かれて、僕はかつての記憶を掘り起こした。
「ちょうどこんな風に、夏の盛りの熱い日だった。夏葉が最近食欲がないし、身体のあちこちが痛むって言いだしてさ」
仕事がひと段落したら病院に行くって言ってて、僕は心配しながらも普通に過ごしていたんだ。そしたら、
「三週間後、近くの診療所にかかると大学病院を紹介されて。もう、転移していますって。信じられなかった」
それからの記憶は、ところどころ曖昧だ。仕事に支障を来たす程の衝撃に見舞われながらも夢中で和泉の世話をして、入院する妻の元に通った。
「できる限りの治療はしたけれど、だんだん、だんだん弱っていって。日に日にやつれて、家に帰れる日も少なくなっていって」
衰弱していく様を前にしながら何もできないというのは、こんなにも心が滅入ることだったんだと初めて知った。
「……亡くなった後も大変だったんだ。妻の親族が僕を罵って、二度と顔を見せるな、お前のせいで夏葉が死んだんだと言われて」
「郁巳さん、それは違います」
「わかってる、わかってるさ、でも」
膝の上に置いた手を思い切り握りしめる。
「それでも時々考えるんだ。あの時、仕事を休ませてでもすぐに検査を薦めていたら。その前から無理してるなってわかっていたのに、夏葉は大丈夫って明るく笑ってて。僕ときたら家事が下手すぎてろくに手伝えなくて」
「郁巳さん、郁巳!」
血が出るほどに爪を立てた手を、巽が引き剥がす。
「夏葉さんが亡くなったのは、貴方のせいじゃありません」
いつの間にか、目の上に水の膜が張っていた。表面張力で支えきれずに落ちた一雫が、巽の手の甲に落ちていく。
縋りつくように彼の腕に額を寄せて、泣き言を漏らした。
「こんな僕が、幸せになっちゃダメなんだよ……!」
涙が次から次へと溢れだして嗚咽へと変わる。なんて情けないんだろう、我ながらどうしようもない。泣くのを止めたいのに止められなくて、せめて嗚咽を堪えようと息を潜めようとする。
巽は僕が無理をしているのに気づいてか、宥めるように背中を撫でさすってくれた。
「郁巳さん……ずっと、誰にも言えずに辛い思いを抱え込んでいたんですね。いくらでも付き合いますから、気が済むまで泣いてください」
「う……あぁ」
ずるい、そんな風に優しくされたら、もう堕ちるしかないじゃないか。
「ああ……うわああぁ」
僕はついに、心の柔らかい部分を巽にさらけ出してしまった。こうなることがわかっていたから、好きになりたくなかったのに。
強引に心の中に入り込まれて、物理的に距離をとってもしつこく追いかけられて。
変わってしまった、変えられてしまった。彼に気持ちを打ち明けて、幸せになりたいと願ってしまった。
ごめん、夏葉。何度謝っても物足りない。君を置いて幸せになりたがる罪深い僕を、どうか許してくれないか。
『アンタの心のままに生きなよ。私のことなんていつまでも引きずらないでよね? 私はアンタと和泉が幸せなのが一番嬉しいから』
僕の背を押す優しげな声が頭の中で響く度に、僕は悔しくて涙を溢した。
長く伸びた影が二人分、電車の車内に影を落としている。影はいつだって僕を追ってくるんだ、どんなに惨めな気持ちの日にも。
それでも今日は一人きりじゃなかったから、なんとか気を保っていられた。泣き腫らした目を伏せて、巽の手の甲にさりげなく手を触れさせたまま電車に揺られている。
「今夜は私と一緒に過ごしましょう。いいですね?」
「……でも、和泉が」
「和泉くんには、墓参りの帰りにばったり私と会ったから、飲んで帰ると伝えましょう。こんなに弱った姿を和泉くんに見せたくないですよね」
もちろんそうだと力無く頷く。のそのそとスマホを取り出し、ロックを開いたままぼんやり画面を見つめた。
この状態では帰れないのはわかってる。和泉に心配をかけたくない。けれど、彼に夕飯代すら渡さず放置するような真似をするのは、親としてどうなんだろう……夜には帰るって言っちゃったし。
困って身動きが取れないでいると、巽がスマホを取り上げメッセージを送信してしまう。
「和泉くんなら大丈夫ですよ。念の為大吾にも和泉くんが家に一人だと伝えておきますから、何かあれば二人で解決するでしょう」
彼の強引な優しさが胸に染みて、また泣きそうになる。誤魔化しきれなくて声を震わせた。
「ごめん」
「いいんですよ。もっと私に甘えてください」
隣から伝わる体温に救われながら、黙って電車に揺られ続けた。最寄駅から三駅隣の駅で降りて、彼に促されるまま日の暮れた街並みを歩いていく。
「バーがいいですか、それか食べられそうなら食事を摂りますか」
「……」
食欲はないし、体質的に一杯程度しか飲めない酒で気持ちが紛れるとも思えない。チラリと巽の端正な横顔を見つめて、勇気をだして希望を伝えた。
「ホテルがいい」
巽が息を呑む気配がした。一瞬足を止めた彼は、僕の真意を探るように見下ろしながら耳元にささやく。
「いいんですか? 貴方のことを身体で慰めようとするかもしれませんよ」
それでもいい、むしろ望むところだと頷くと、スッと目を細められる。無言で僕の背を押し歩きだす彼についていった。
「どうぞ、飲んでください」
魔法瓶の中にはキンキンに冷えたお茶が用意されていて、僕は差し出されるままに一気に煽った。ああ、冷たくて気持ちいい、生き返る……
オーバーヒートを起こしそうだった身体も心も、洗われたようにスッキリしてきた。
「ありがとう、助かったよ」
「いえ」
巽は言葉少なに答えると、安堵したように小さく笑う。彼も喉が渇いていたようで、お茶を注ぐと一気に喉に流し込んだ。
ゴクリと動く男らしい喉仏がセクシーで、視線を奪われる。
さっきの告白は彼にとっても、きっと一世一代の告白だったに違いない。それなのに返事をろくにしない僕を気遣う余裕のある大人の男っぷりに、ドキドキと胸を高鳴らせた。
(……巽さんにだったら、言っても大丈夫かもしれない)
僕がどんな醜態や情けないところを見せたって、彼は笑って許してくれそうだ。僕は誰にも明かしたことのない心の傷を、彼に明け渡す覚悟を決めた。
ひぐらしが鳴きはじめた森の縁で、僕はゆっくりと言葉を声に乗せる。
「あのさ。巽さんの気持ちに返事をする前に、僕の話を聞いてもらってもいいかな」
「ええ、どうぞ」
ああ、巽の声は安心するなあ。温かで包み込むような声音に導かれて、僕はかつての記憶を掘り起こした。
「ちょうどこんな風に、夏の盛りの熱い日だった。夏葉が最近食欲がないし、身体のあちこちが痛むって言いだしてさ」
仕事がひと段落したら病院に行くって言ってて、僕は心配しながらも普通に過ごしていたんだ。そしたら、
「三週間後、近くの診療所にかかると大学病院を紹介されて。もう、転移していますって。信じられなかった」
それからの記憶は、ところどころ曖昧だ。仕事に支障を来たす程の衝撃に見舞われながらも夢中で和泉の世話をして、入院する妻の元に通った。
「できる限りの治療はしたけれど、だんだん、だんだん弱っていって。日に日にやつれて、家に帰れる日も少なくなっていって」
衰弱していく様を前にしながら何もできないというのは、こんなにも心が滅入ることだったんだと初めて知った。
「……亡くなった後も大変だったんだ。妻の親族が僕を罵って、二度と顔を見せるな、お前のせいで夏葉が死んだんだと言われて」
「郁巳さん、それは違います」
「わかってる、わかってるさ、でも」
膝の上に置いた手を思い切り握りしめる。
「それでも時々考えるんだ。あの時、仕事を休ませてでもすぐに検査を薦めていたら。その前から無理してるなってわかっていたのに、夏葉は大丈夫って明るく笑ってて。僕ときたら家事が下手すぎてろくに手伝えなくて」
「郁巳さん、郁巳!」
血が出るほどに爪を立てた手を、巽が引き剥がす。
「夏葉さんが亡くなったのは、貴方のせいじゃありません」
いつの間にか、目の上に水の膜が張っていた。表面張力で支えきれずに落ちた一雫が、巽の手の甲に落ちていく。
縋りつくように彼の腕に額を寄せて、泣き言を漏らした。
「こんな僕が、幸せになっちゃダメなんだよ……!」
涙が次から次へと溢れだして嗚咽へと変わる。なんて情けないんだろう、我ながらどうしようもない。泣くのを止めたいのに止められなくて、せめて嗚咽を堪えようと息を潜めようとする。
巽は僕が無理をしているのに気づいてか、宥めるように背中を撫でさすってくれた。
「郁巳さん……ずっと、誰にも言えずに辛い思いを抱え込んでいたんですね。いくらでも付き合いますから、気が済むまで泣いてください」
「う……あぁ」
ずるい、そんな風に優しくされたら、もう堕ちるしかないじゃないか。
「ああ……うわああぁ」
僕はついに、心の柔らかい部分を巽にさらけ出してしまった。こうなることがわかっていたから、好きになりたくなかったのに。
強引に心の中に入り込まれて、物理的に距離をとってもしつこく追いかけられて。
変わってしまった、変えられてしまった。彼に気持ちを打ち明けて、幸せになりたいと願ってしまった。
ごめん、夏葉。何度謝っても物足りない。君を置いて幸せになりたがる罪深い僕を、どうか許してくれないか。
『アンタの心のままに生きなよ。私のことなんていつまでも引きずらないでよね? 私はアンタと和泉が幸せなのが一番嬉しいから』
僕の背を押す優しげな声が頭の中で響く度に、僕は悔しくて涙を溢した。
長く伸びた影が二人分、電車の車内に影を落としている。影はいつだって僕を追ってくるんだ、どんなに惨めな気持ちの日にも。
それでも今日は一人きりじゃなかったから、なんとか気を保っていられた。泣き腫らした目を伏せて、巽の手の甲にさりげなく手を触れさせたまま電車に揺られている。
「今夜は私と一緒に過ごしましょう。いいですね?」
「……でも、和泉が」
「和泉くんには、墓参りの帰りにばったり私と会ったから、飲んで帰ると伝えましょう。こんなに弱った姿を和泉くんに見せたくないですよね」
もちろんそうだと力無く頷く。のそのそとスマホを取り出し、ロックを開いたままぼんやり画面を見つめた。
この状態では帰れないのはわかってる。和泉に心配をかけたくない。けれど、彼に夕飯代すら渡さず放置するような真似をするのは、親としてどうなんだろう……夜には帰るって言っちゃったし。
困って身動きが取れないでいると、巽がスマホを取り上げメッセージを送信してしまう。
「和泉くんなら大丈夫ですよ。念の為大吾にも和泉くんが家に一人だと伝えておきますから、何かあれば二人で解決するでしょう」
彼の強引な優しさが胸に染みて、また泣きそうになる。誤魔化しきれなくて声を震わせた。
「ごめん」
「いいんですよ。もっと私に甘えてください」
隣から伝わる体温に救われながら、黙って電車に揺られ続けた。最寄駅から三駅隣の駅で降りて、彼に促されるまま日の暮れた街並みを歩いていく。
「バーがいいですか、それか食べられそうなら食事を摂りますか」
「……」
食欲はないし、体質的に一杯程度しか飲めない酒で気持ちが紛れるとも思えない。チラリと巽の端正な横顔を見つめて、勇気をだして希望を伝えた。
「ホテルがいい」
巽が息を呑む気配がした。一瞬足を止めた彼は、僕の真意を探るように見下ろしながら耳元にささやく。
「いいんですか? 貴方のことを身体で慰めようとするかもしれませんよ」
それでもいい、むしろ望むところだと頷くと、スッと目を細められる。無言で僕の背を押し歩きだす彼についていった。
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