たとえこの恋が世界を滅ぼしても7(完結)

堂宮ツキ乃

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 戯人族ぎじんぞく

 学校を休んだ夜叉は阿修羅に肩を借り、母親に会いにきた。

 和馬が登校し、両親が不在の今しかチャンスはなかった。

『さくらちゃん、病院に行こう?』

『気持ち悪くて動けないからいい……』

『車でもしんどいか』

 あれからずっと原因不明の体調不良が続いていた。彦瀬や瑞恵たちクラスメイトから連絡がきているが、どれにも返事ができないでいる。

「やー様……」

 阿修羅の眉は八の字を描き、瞳は細められている。心なしかツインテールも元気なく垂れ下がっているようだ。

「ごめんね、阿修羅……」

「いえ、そうではなく。横抱きにしましょうか?」

「……横抱き?」

「いわゆるお姫様抱っこです」

「んーん、そこまでは」

 阿修羅の申し出を恐縮しながら断る。すると、目の前で衣擦れの音がした。

 燃えるような紅い髪を結い上げた着物美人。珊瑚色で男物の着物に深緑の帯を合わせている。

 彼女は夜叉たちに向かって静かに笑んだ。妖艶な美女だが笑った顔は優しい。淡い色の紅が弧を描く。

「まいかぁ……」

 産みの母親の顔を見たら力が抜けてしまった。夜叉がその場に膝をつくと、着物美人が静かに膝を折った。

「夜叉。随分顔色が悪うござんす。何かありんしたか」

「うん……」

 ひんやりとした手が頬をなでる。微熱続きの体に心地よい。そっと目をとじると吐き気も落ち着くようだった。

「やー様。横になられては? お疲れでしょう」

「そうさせてもらおうかな……」

「すー様のお部屋に布団が敷いてありんす。もう少し頑張りなんし」

 二人に両脇を支えられ、行き慣れた和室に訪れた。

 柔らかいお香が鼻腔をくすぐる。舞花が愛用しているものだ。

 最近は大好きな食べ物のにおいですら拒絶していたのに、この香りだけは平気なのが不思議だった。

 舞花に布団をかけてもらい、前髪をかきわけられた。

 体調が悪い時に彼女にふれられるのは初めてだった。ひんやりとした指先の気持ちよさと、母の優しさに泣きそうになる。

 夜叉はとじてしまいそうな瞼を必死に開ける。ここでしか、今しか見られない景色を目に焼き付けたかった。

「何か食べたいものはありんすか?」

「味がしないもの……。むしろ何も食べたくない……」

「それはいけない!」

 襖を勢いよく開ける音に、三人同時に驚いた。障子を破りそうな声にも。

「聞いておるぞ、夜叉。診察に来た」

 黒い髪をちょんまげのように結い上げ、白衣を着た大男。彼は障子の前で襟を正した。

 声とは対照的な静かなすり足だ。

玄武げんぶ様、どうか娘をお願いします」

「うむ。夜叉、失礼するぞ」

 玄武と呼ばれた大男は舞花の横で正座をした。

 夜叉は彼の姿を頭のてっぺんからじっくり見つめた。ワイシャツにスラックス、白衣。いかにもな姿だ。

「……本当にお医者さんなんですね」

「そうだ。ジムのトレーナーではないぞ!」

 いつか叩いた軽口を覚えていたらしい。玄武は白い歯を見せた。

「それで……心当たりはあるか? 急に気持ち悪くなったのか?」

「……たぶんですけど」

「どうした。話してみろ」

 夜叉は布団を顔まで持ち上げた。

 思い出すのは先週の日曜日。襟足が長い黒髪と、しなやかな筋肉質の身体。家族以外で男の人の肌を見た初めての日だった。

 彼は細い指先を額に当てると、後悔と照れが混ざった表情になった。

『君はどうして拒否しなかったんだ……』

 夜叉は無言で彼のことを抱きしめた。柔らかな肌が彼に吸い付く。身体が代わりに返事をしたようだった。

「夜叉? 話しづらいなら席を外すかえ」

 舞花の声に現実に引き戻された。甘い夢に浸っている場合ではなかった。

「ううん……。でも怒らないでほしい」

「どうなさったのですか? ここにはやー様の味方しかいません。何も気にすることは……」

「赤ちゃん……できたかもしんない」

「「「はぁ!?」」」

 三人分の素っ頓狂な声に耳をふさいだ。特に阿修羅はツインテールが天井を突き刺す勢いで上向いていた。

 身体測定で身長と体重の結果が前年と変わっていないことに気づいた日から分かっていた。自分の身体はもう、普通の人間ではないと。体調の変化にも敏感になった。身体のどこが悪いのかもすぐに分かる。集中して気を送り込めば直によくなる、という芸当も覚えた。

 未だ呆気に取られてる舞花たちの横で、玄武は大きな咳払いをした。

「……最後に月のものがあったのは」

「えと……ハロウィンくらい? です」

「夜叉、すぐに精密検査をするぞ。玄武族のに連れて行くがよいな?」

「じゃあ……朝来を呼んでいいですか」

「何!? いや……分かった。来てもらった方がいいな」










 カルラから逃げた日のこと。

 夜叉は朝来と人目につかないよう、新幹線のホームから跳び出た。文字通り。

「無賃乗車……」

「緊急事態だったから」

 そのまま朝来の家に訪れた。このままでは解散できない、と言われて。

 彼の家は驚くほど物が少なかった。必要最低限の家具、家電のみ。

「一人暮らしなの?」

「そうだよ」

「……寂しくないの?」

「一人には慣れてる」

 朝来は”ウチは食べ物がないから”と、近所の自販機で水を買って来た。

 本当に彼は人間とも夜叉たちとも違うのだと思い知らされる。

 彼に促されて、ベッドの端に二人で座った。

朱里しゅり朱雀すざくと一緒だったんでしょう……?」

「……思い出したのか」

「見えたというか……」

 自分が父親の妹の生まれ変わり、だなんて自覚したことはなかった。初めて朝来に会った時、彼にそうじゃないのかと言われたことはある。しかし、その時は夢にも思わなかった。

 だから朱里の自我が出てきた時、まるで違う人が身体に入っているようで恐ろしかった。彼女の記憶と思われる景色が見えたのもあって。

「……私は誰なんだろう」

「やー子?」

 ペットボトルを握ると小さく音が鳴った。頭の奥がうずき、眉根が寄る。

「夜叉として生きてきたこの17年間がハリボテみたいに思えて……。朱里や麒麟きりんとして生きた千年の記憶が重すぎる……え、ちょ」

 朝来は夜叉の衿に指を引っかけ、首に掛けられた革紐を引いた。ころん、と現れたのは黒の球体。表面には水面を泳ぐ桜の花弁。

 彼に贈られたネックレスだ。いつもお守りのように身につけている。

 彼はそれを服の中に戻すと、夜叉のことを腕の中に収めた。変な姿勢で彼に寄りかかったせいで二人してベッドの上に転がってしまった。

 朝来は夜叉の頭の下に腕を差し込んだ。

「言っただろう? 今の家族のことも、産みの母上や父上が見守っていることを君に覚えていてほしい……」

 朝来の顔が目の前に。肌の白さも相まって女に見える時がある。

 柔らかそうなまつ毛、スッと通った鼻筋、薄い唇。顔の綺麗さは彫刻以上だ。

 彼は黄金色の猫目をゆっくりと細めた。

「今は桜木夜叉だ。……でも、朱里や麒麟として生きた千年のことを忘れたらいいとか、なかったことにしてほしいとは言いたくないけど、とらわれる必要はない」










 乾いた激しい音が空気を波打った。

 ぶたれたことがあるのは小学生の時まで。夜叉はぎゅっと目を閉じた。

 しかし、衝撃でひっくり返ったのは朝来だった。夜叉が横たわるベッドから見えなくなった。

「何やってるのよ……! 鬼神きしんのことを忘れたとは言わせないわよ!!」

「……すまない」

 玄武族のにある医療施設。ここではケガをしたり病気にかかった戯人族ぎじんぞくの治療を行っている。夜叉が人間界で見るような病院と全く同じ造りだ。

 玄武の後ろでは白衣姿の少年少女が目を覆っていた。

 その前では金髪と白いワンピースの少女が朝来のことを見下ろしていた。碧眼は怒りで燃え、拳は震えている。

運命さだめちゃん、ごめんなさい……」

 黒い燕尾服姿の男が朝来に手を貸す。彼がゆっくりと立ち上がるのを見届け、夜叉は口を開いた。

 顔を上げた運命さだめの顔は強張っていた。開きかけた口をつぐみ、視線をそらす。ウェーブがかかった前髪で表情が読めなくなった。

「……夜叉は悪くないわ」

「でも、私だって記憶が……」

「お願い、これ以上話さないで頂戴。身ごもっているあなたに手を上げたくないの」

 怒りをこらえて絞り出した声は苦しそうで。夜叉はかける言葉に迷った。

(尻ぬぐいさせてごめんね……。あの時だって……)

 鬼神きしん。それは朝来と夜叉がかつてこの世に産み落とした赤子。

 悪鬼あっき戯人族ぎじんぞくの間に生まれた子が普通なわけがない。その名の通り、鬼神のごとき力を持ってしまった。

鬼神きしんは……死神さんたちにお願いし、できるだけ力を奪って人間として生かすことにした。でも、その頃を私は知らない……。私はどうやって死んだの……?)

 夜叉はベッドの上から天井を見つめた。










「止めても出て行った女の子がいるのよ」

「それが夜叉に宿ったコ?」

「えぇ、活発な女の子なの」

 運命さだめに似たウェーブがかかった長い茶髪、水色の瞳、真っ白なドレスを着た女性────ハルモニアは小さなカップを持ち上げた。

 そばには彼女の身長よりも長い木の枝。まるで森からそのまま刈り取ったように青い葉が残っている。小さな青いバラがいくつか咲いていた。

「止めた……って、今回はなぜです?」

 親の素性や性格によって、ハルモニアは子どもを天界に引き留めることがある。子どもの幸せを一番に考えているからだ。

 彼女はカップをソーサーに戻すと膝の上で拳を作った。

「その……夜叉ちゃん? があまりにも若いからよ……。相手だって」

「……悪鬼あっきね」

鬼神きしんのことは私もよく覚えている。彼は私の知らない間に朱里の元へ飛び立ってしまった。二度とあんなことを繰り返さない、と誓っていたのに……ごめんなさい」

 うつむいたハルモニアから雫がこぼれ落ちた。まるで朝日に照らされて輝く涙。こんなに美しい涙を運命さだめと死神は他に知らない。

 死神は優しい声音を一層深くし、ハルモニアの拳にそっと手を重ねた。

「あなたが謝ることではありませんよ。夜叉さんは戯人族ぎじんぞくと人間のハーフ、悪鬼あっきは今やほぼ人間のように暮らしている……。もしかしたら人間に近い子どもが生まれるかもしれません」

「それにあのコを思い出すようなコじゃない。無邪気そうで。死神の部屋に忍び込んで私の髪を盗んでいった……」

 運命さだめは左右で長さの違うサイドの髪をさわった。ウェーブのかかった金髪はそこだけ切れ端が一直線だ。
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