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第3章 デート

デート(1)

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「今、帰ったぞ」
 私は、喉仏を締め付けられた時のようなくぐもった低い声で言う。
「あら貴方お帰りなさい」
 対照的に隣から聞こえてきた声は高く、とても可愛らしい。
「今日もお仕事ご苦労様です」
 円卓の上に乗った水色のドレスを着た可愛らしいセルロイドの人形が腰部分に添えられた小さな手に操作されて身体ごとお辞儀する。
「ああっ出迎えありがとう」
 私も手に持ったクマのぬいぐるみの右手を人差し指で操作して持ち上げる。
「今日もお仕事大変でした?」
 声の主は笑いながら台詞を言い、セルロイドの人形を左右に揺らす。
 声の主は、四~五歳くらいの可愛らしい一重で黒髪の女の子だ。キッチン馬車の常連さんの娘で愛嬌のある笑顔が特徴的だ。
 今日も母子おやこ二人でやってきてデザートと飲み物を注文し、ほのぼのと楽しい時間を送っていた時に母親が急に激しい腹痛を訴え出した。私が声を掛けると「ごめんなさい、お薬が切れちゃって」と言う言葉を聞いて全てを察した。しかもうっかりと薬を忘れてきてしまったと言う。
 丁度、お客さんも少ない時間なので私は店長であるカゲロウと相談し、母親が薬を買って痛みが治まるまで面倒を見ることにした。
 そうしていたら女の子が小さなリュックからクマのぬいぐるみとお人形を取り出し「おままごとしよう」と誘われ、現在いまに至る。
 正直、物心ついた時には人形の変わりに模擬剣を握っていた記憶しかないのでおままごとなんてやったことがなかったのたのだが・・。
 正直・・・楽しい。
 私は、女の子に負けないくらいぱたぱたと踊るようにクマのぬいぐるみを動かす。
「ああっ今日は山の向こうに潜んだ斥候達を探すのに苦労したよ。奴ら隠れるのが上手い」
 私は、声をなるべく低くして夫を演じる。
「セッコウ?」
 女の子と人形が同時に首を傾げる。
 どうやら小さな子に斥候と言う言葉は理解出来ないようだ。
「うーんっ隠れるのが上手い人のことだよ」
「あーっかくれんぼ」
 女の子は、嬉しそうに言う。
「貴方、かくれんぼの鬼さんしてたのね。私もやりたいわあ」
 人形が楽しそうに両足で円卓を叩く。
「ああっ今度一緒に行こう」
 私もクマのぬいぐるみを立たせて踊らせる。
 キッチン馬車の中からカゲロウが不安そうにこちらを見ている気がする。
「それじゃあ貴方、ご飯になさいます?お風呂になさいます?それともあ・た・し?」
 最後の部分をもったいつけるように言う。
 今度は、私が意味が分からず眉を顰める。
 女の子もそんな空気を察したのか、私の顔を見上げる。
「よくママがね、パパに言ってるの。そう言うとパパが嬉しそうに笑うの」
 なるほど。
 夫婦特有の会話と言うことか。
 今度、マダムに聞いてみよう。
 キッチン馬車からカゲロウがさらに不安そうにこちらを見ている。
「そうだな。今日は敵を倒して服も汚れたしお風呂にしようかな。石鹸は匂いが取れる強いものを頼む」
 クマのぬいぐるみの両手を人差し指と中指で操作しながら言うと女の子がまた顔を曇らせる。
「うちのママ、匂いが強いのダメだから無香料しかないよ。どんなのがいいの?」
「そうなんだ・・・とりあえず生臭いのが取れれば何でもいいんだけど・・・」
 私は、悩んで空を見上げる。
「ママが夜寝る時使うお香じゃダメ?寝る時に気分が高まるんだって」
 カゲロウが大きく咳き込む。
「別に気分を高めたい訳じゃないのだけど・・それでもいいかな」
 所詮、おままごとの設定だし、そこまで深く悩む必要はない。
 女の子は、嬉しそうに笑う。
「それじゃ貴方、お風呂に一緒に入ってご飯食べたら一緒に寝ましょう?」
 人形を大きく振り回して言う。
 私は、大きく目を開く。
「一緒に入るのか?」
 私は、クマのぬいぐるみを操作しながら動揺する。
 頬が自然と熱くなる。
「そうよ。夫婦は一緒に入って一緒に寝るのよ」
 女の子は、人形の声真似をしながら無邪気に言う。
 私は、ショックを受ける。
 夫婦というのは一緒に風呂に入って一緒に寝るものなのか。
 私はさらに頬が熱くなるのを感じる。
「それでね。夜中に2人で抱き合いっこして寝るんだよ」
 抱き合いっこ?
「寝づらそうね?」
「うーんっ分からないけど二人とも楽しそうに抱っこしあってるよ」
 そういうものか・・・。
 こんな小さい女の子に教わるなんてまだまだ知らないことが多いと恥ずかしくなる。
「それじゃあしょうがない」
 私は、ぬいぐるみを操作し、女の子の動かす人形に近寄る。
「今日は一緒にねよ・・・」
「そこまで!」
 カゲロウが大声を張り上げ、私と女の子の前に飲み物を叩きつける。
 私も女の子も驚いて目を丸くする。
 鳥の巣のような髪に覆われて目こそ見えないが興奮しててるのか?頬に少し赤い。
「なんだその卑猥と残虐が混じり合ったようなおままごとは!」
 カゲロウは、怒鳴るが私も女の子も何で怒られているのか分からず顔を顰める。
 卑猥と残虐?
 どこが卑猥でどこが残虐と言うのだろう?
 カゲロウは、私を見る。
「お前、そういうのどこまで知ってる?」
 そういうの?
 私は、意味が分からずさらに首を傾げる。
 私の態度でカゲロウは、何かを察したようで「分かった。もういい」と言葉を切る。
 なんか馬鹿にされた気がしてむかっとする。
 カゲロウは、女の子の方を見る。
「お嬢ちゃん、もうちょっと子どもらしいおままごとをしようか?そうじゃないとママが2度とお店に来れなくなるから」
 女の子もカゲロウの言葉の意味が分からず首を傾げる。
「とりあえず・・飲みなさい」
 そう言って円卓の上に置いた飲み物を指す。
 女の子にはオレンジジュース、私にはカモミールティー。
 落ち着けとでも言いたいのかな?
 私は、釈然としないままカモミールを口に付ける。
 ・・・美味しい。
 その後、母親が戻って来て、女の子は一緒に帰っていった。また、おままごとしようねと約束するとカゲロウが渋面する。母親も娘と遊んでもらってありがとうございますと感謝していた。
 それと入れ替わるように学生四人組がやってくる。
 彼女達は「今日はお小遣い前だから」と飲み物と四人でシェア出来るフライドポテトを注文する。
 私は、注文を伝えるとカゲロウは飲み物の準備をしながら「客も少ないからちょっと話してきてもいいぞ」と言われる。
「え・・、っ」
 私は、思わず戸惑いの声を上げてしまう。
 話しきて良いと言われても特に話すことなんてない。
 カゲロウは、何か勘違いしてるけど彼女達は年が同じと言うだけで生まれも育ちも住む世界すら違ったのだ。
 それなのに話してきてもいいなんて簡単に言わないで欲しい、と私はむくれてしまうが、カゲロウは気にも止めずに飲み物を銀色のトレイに載せ、フライドポテト用のじゃが芋の皮をスライサーで剥いていく。
 私は、むすっとしながら彼女達の方に行くと私が話さなくても彼女達が勝手に話してくる。
 今日の学校の授業の話し。
 流行りの服の話し。
 同級生の男子たちがウザいと言う話し。
 そして何の脈絡もない笑い話し。
 次から次へと手品のハンカチのように色の違う話しが飛び出してくる。
 正直、内容にはまるで付いていけない。
 学校の話しも流行りの服の話しも何も分からない。
 振られても戸惑いながら相槌を打つだけで意見を返すことも出来ない。
 だけど彼女達はそんな私にがっかりするどころか嬉しそうに笑いかけ、次々と話題を振ってくる。
 面白い、と思ってしまった。
 自分が歩んできた世界と違う話しを聞くのがこんなにも興味深いものなのだと初めて知った。
 もっと聞きたい。もっと教えて欲しい、そう思ってしまう自分に驚いた。
 カゲロウがフライドポテトが上がったことを大声で教えてくれる。
 私は、早く話しが聞きたいからいそいそとフライドポテトを取りにいき、彼女達の元に戻っていく。そんな私の背中をカゲロウが口元を釣り上げてじっと見ている。
 フライドポテトを円卓の真ん中に置くと彼女達は目を輝かせて熱々のポテトに自家製ケチャップを付けて食べ始める。猫舌のチャコ以外は至福の顔を浮かべて頬張る。
「エガオちゃんも食べて」
 サヤが私に勧めてくる。
「いや、私は・・・」
 店員が客の物を食べる訳にはいかない。私は謹んで辞退すると、全員が不服そうに唇を尖らせる。
「えー食べようにゃ」
「アツアツで美味しいよ」
「私のポテトが食べれないっていうのかい?」
 四人から来る圧に気圧されそうになる。
 私は、困ってカゲロウの方を向くと、察したのかカゲロウは小さく頷いた。
「それじゃあ一つだけ」
 私は、小さなフライドポテトを取り、ケチャップを付けて口に運ぶ。
 カラッと揚がってるが中はとてもしっとりとして上品だ、塩味とケチャップの味も程よく混じり合い、何度も口に運びたくなる。
 私は、無意識に手を伸ばしかけ、慌てて止めた。
 そんな姿を四人は可笑しそうに笑う。
 私は、意地汚いと思われたのだと恥ずかしくなる。
「エガオちゃん変わったね」
 サヤが笑いながら言う。
「えっ?」
 私は、意味が分からず思わず声を出す。
 私が変わった?
「どこも変わってないと思いますが・・・」
 しかし、四人が四人とも同じように首を横に振る。
「表情がとても穏やかになった」
 ディナが三白眼を細めて言う。
「仕草も柔らかくなったし」
 蛸の足のように口に咥えたポテトを動かしながらイリーナは言う。
「可愛さ倍増にゃ」
 チャコがニタっと笑う。
 四人の言葉に私は何度も瞬きする。
 私は、私が変わったなんてまるで思えない。
 むしろこの新しい人生を送るようになってからいかに自分が世間知らずか、物を知らない、経験がないことを知って恥ずかしさに穴があったら入りたくなる日々だ。
「初めて会った時のエガオちゃんってまったく心開いてなかったよね?」
 サヤが苦笑する。
「でも今は違うよね。私達のお馬鹿な話しをそんなに楽しそうに聞いてくれてるんだもの」
 確かに四人の話しは面白い。しかし、楽しんでるのかというと言うと・・・。
「楽しいです」
 私の口が勝手に言葉を紡ぎ、私は思わず口を押さえる。
 四人は、目と口を丸くして驚く。
 私は、首を傾げる。
「わ・・・」
 イリーナが声を震わせる。
「笑った・・・」
 ディナが三白眼を大きく剥き出す。
「エガオちゃんが・・・」
 サヤが歓喜に目と口を震わせる。
「笑ったああ」
 チャコが茶色い毛に覆われた両手を大きく上げて喜ぶ。
 私は、目を瞬かせて顔に触る。
 笑ったの・・・私?
 そんな自覚まるでない。
 しかし、四人はそんなことなどお構いなしに身を乗り出して私を見る。
「ねえ、もう一回笑って!」
「ニコニコって」
「チョー可愛かっ大丈夫にゃ!」
「頭に記憶して絵に残して飾りたい!」
 私は、四人のあまりの圧にタジタジになる。
 笑顔・・・笑顔・・・どうやればいいの?
 混乱パニックした私は、思わず両手で自分の頬を摘んでぐいっと左右に引っ張った。
 四人は、目を丸くして驚く。
 私は、冷や水を浴びたような冷静になると同時に羞恥が襲ってくる。
 またやっちゃった・・・。
 頬なんて引っ張ったって笑顔にならないのに・・・。
 しかし,四人は、目を輝かせて歓喜の声を上げる。
「「「「可愛い!!」」」」
 私は、全身を真っ赤にして恥ずかしさのあまり身を縮めてしまう。
 キッチン馬車の中でカゲロウが流石に騒がしいと感じたのか、顎に皺を寄せてこちらに何か言おうとしている。
 しかし、私の耳に入ってきたのは別の声だった。
「エガオ」
 それは低くよく通る、聞き覚えのある声だった。
 私は、その声の方に振り返る。
 そこに立っていたのは根元に黒い部分が少し残った白髪の硬そうな髭を生やし、青磁色の騎士鎧ナイトメイルを纏った壮年の男性であった。
「グリフィン卿」
 私は、男性の名前をぼそっと呟く。
 グリフィン卿は、口元に小さな笑みを浮かべた。
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