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第2章 悪魔の手で踊れ
2-3.決断はいつだって身勝手で
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一度目を伏せてから、ゆっくり顔を上げた。
じっとペン先を見つめるエリヤの蒼い瞳は、こちらを見ていないのに……意識はすべてウィリアムへ向けられている。それを感じながら、ウィリアムは嘘を吐かないで済む方法を探す自分を嘲笑した。
「……隠し事、ねぇ」
思い当たる節がないと惚けて済む状況でないのを承知の上で、ウィリアムはそれでも考え込む素振りを見せた。
言外に『言いたくない』と示してみるが、楽しそうに口元を歪めたエリヤが答えを待つ。
灌漑工事に関する重要な決裁書類を敷いた机に、肘をついて顎を乗せた行儀悪い姿勢で、国王は執政の紡ぐ言葉を聞き逃すまいと目を細めた。
「……心当たりがないのか?」
「いや、あり過ぎて……どれかな? って悩んでるとこ」
くつくつ喉を鳴らして笑う男へ、優雅な仕草で手を差し伸べる。
受けたウィリアムが唇を寄せれば、触れる直前でエリヤは手のひらを返した。
手の甲へのキスは忠誠の証、手のひらへのキスは―――愛情。戸惑いなく唇を押し当て、微笑んだ。どちらでも同じだ。
「まぁ、ミシャ公爵が口出ししたとしたら……ひとつだろうけど」
接吻けた手に指を絡めて、しっかりと握り締める。ぎゅっと力を込めたエリヤの仕草に、青紫の瞳が優しく和んだ。
「政治関係、おそらくは先日のクーデターの件……違う?」
「そうだ」
ふ~ん、笑みを深めたウィリアムの背で長い髪が揺れる。肩を滑り落ちた一房を、テラスからの風が宙に舞い上げた。
先日の謀反は、没落した貴族を中心としたクーデターだった。
国王エリヤが宮殿を出て参加する宗教行事の往路を狙って仕掛けられた襲撃は、事前に情報を得たウィリアムの指揮する軍が鎮圧している。
予想より小規模な部隊ではあったが、意外な貴族が混じっていた。ミシャ公爵家の縁戚が娘を嫁がせた子爵、首謀者と見做された男だ。
そしてウィリアムが気にしている部分は、もうひとつある。
規模は小さかったが、大半が傭兵によって構成されていた。これが指し示すのは、潤沢な資金があったという隠された事実だった。
貴族としての体面を保てなくなるほど没落していた彼らが、どうやって資金を調達したのか。
傭兵はあくまでも前金で動く。成功報酬を後払いで追加することはあっても、前金なしで命を懸ける筈がなかった。
だとしたら……どこから金が出た?
奥深い謀略を感じて、ウィリアムはエリヤに内密に調査を継続していた。
ミシャ公爵家の周辺にも調査の手は及んだだろう。
その直後のエリヤへの働きかけ……出不精のミシャ公爵自身が動いたのなら、彼らが裏で手を引いていたと考えるのが当然だ。
「もしかして、子爵の助命嘆願……」
「否、違う。お前がミシャを疑うことが怖いのだろう」
「なるほど」
聡い子供の、年齢不相応の判断に苦笑する。
逸らそうと話を別の方向へ誘導しても、鋭いエリヤは誤魔化されてくれない。その能力が国を治める彼を助けているのは事実だが、同時にエリヤから子供らしさや愛らしい表情を奪っているのも現実だった。
血腥い謀略や泥臭い奸計になど、関わって欲しくないのに。
少年らしくいればいい。嫌でも大人になる時が来るのだから、それまで子供らしく振舞う時間を与えたかった。しかし遠ざけても彼は自ら真理に近づいてしまう。
「それで?」
「ん? 何のこと??」
惚けたウィリアムへ、物騒な輝きを宿した蒼瞳が向けられる。
真実を隠すことを許さないエリヤの眼差しに、降参と両手を上げて見せた青年は深い溜め息を吐いた。
「まだ調査中だけど、クーデターの親玉はミシャ公爵で間違いない。さすがに、証拠を残すほど愚かじゃない。おかげで苦戦してるよ」
ウィリアムの囁きを耳元で受けながら、机の上に放り出していた羽根ペンを手に取った。
思い出したのは、昨日の中庭でのウィリアムの行動だ。
お茶の為に下りた午後の中庭まで追ってくる書類など、心当たりがなかった。
よほど緊急の書類なのか、しかしウィリアムは押印もしている。つまり印を持ってきた事実から、書類が届くのを予想していたという意味になる。
「中庭でのサイン、あれは……」
唇をウィリアムの指が塞ぐ。人差し指で赤い唇を押さえ、シーッと小さく呟いて声を殺した。
「知らない方がいいと思うよ」
不満を顔に出して睨む恋人に、ウィリアムはくしゃりと前髪を握った。
迷っているのか視線を泳がせるが、すぐに真っ直ぐ蒼い瞳を覗き込む。
「教えろ、ウィリアム」
きっちり名を呼んで立場を示す。
暗闇から自分を救い上げてくれる至高の眼差し――空とも、海とも違う。
王冠に飾られた宝石サファイアより鮮やかで、美しい瞳に囚われて酔い痴れる。息を呑んだウィリアムが、ごくりと喉を鳴らした。
「今回はミシャ公爵自身には手が届かないが、オレはエリヤを傷つける者を許す寛大さなんて持ち合わせてない。子爵とそれに連なる一族の処刑、リアン伯爵の爵位剥奪を命じた」
物騒な発言に、今度はエリヤが息を呑む番だった。
じっとペン先を見つめるエリヤの蒼い瞳は、こちらを見ていないのに……意識はすべてウィリアムへ向けられている。それを感じながら、ウィリアムは嘘を吐かないで済む方法を探す自分を嘲笑した。
「……隠し事、ねぇ」
思い当たる節がないと惚けて済む状況でないのを承知の上で、ウィリアムはそれでも考え込む素振りを見せた。
言外に『言いたくない』と示してみるが、楽しそうに口元を歪めたエリヤが答えを待つ。
灌漑工事に関する重要な決裁書類を敷いた机に、肘をついて顎を乗せた行儀悪い姿勢で、国王は執政の紡ぐ言葉を聞き逃すまいと目を細めた。
「……心当たりがないのか?」
「いや、あり過ぎて……どれかな? って悩んでるとこ」
くつくつ喉を鳴らして笑う男へ、優雅な仕草で手を差し伸べる。
受けたウィリアムが唇を寄せれば、触れる直前でエリヤは手のひらを返した。
手の甲へのキスは忠誠の証、手のひらへのキスは―――愛情。戸惑いなく唇を押し当て、微笑んだ。どちらでも同じだ。
「まぁ、ミシャ公爵が口出ししたとしたら……ひとつだろうけど」
接吻けた手に指を絡めて、しっかりと握り締める。ぎゅっと力を込めたエリヤの仕草に、青紫の瞳が優しく和んだ。
「政治関係、おそらくは先日のクーデターの件……違う?」
「そうだ」
ふ~ん、笑みを深めたウィリアムの背で長い髪が揺れる。肩を滑り落ちた一房を、テラスからの風が宙に舞い上げた。
先日の謀反は、没落した貴族を中心としたクーデターだった。
国王エリヤが宮殿を出て参加する宗教行事の往路を狙って仕掛けられた襲撃は、事前に情報を得たウィリアムの指揮する軍が鎮圧している。
予想より小規模な部隊ではあったが、意外な貴族が混じっていた。ミシャ公爵家の縁戚が娘を嫁がせた子爵、首謀者と見做された男だ。
そしてウィリアムが気にしている部分は、もうひとつある。
規模は小さかったが、大半が傭兵によって構成されていた。これが指し示すのは、潤沢な資金があったという隠された事実だった。
貴族としての体面を保てなくなるほど没落していた彼らが、どうやって資金を調達したのか。
傭兵はあくまでも前金で動く。成功報酬を後払いで追加することはあっても、前金なしで命を懸ける筈がなかった。
だとしたら……どこから金が出た?
奥深い謀略を感じて、ウィリアムはエリヤに内密に調査を継続していた。
ミシャ公爵家の周辺にも調査の手は及んだだろう。
その直後のエリヤへの働きかけ……出不精のミシャ公爵自身が動いたのなら、彼らが裏で手を引いていたと考えるのが当然だ。
「もしかして、子爵の助命嘆願……」
「否、違う。お前がミシャを疑うことが怖いのだろう」
「なるほど」
聡い子供の、年齢不相応の判断に苦笑する。
逸らそうと話を別の方向へ誘導しても、鋭いエリヤは誤魔化されてくれない。その能力が国を治める彼を助けているのは事実だが、同時にエリヤから子供らしさや愛らしい表情を奪っているのも現実だった。
血腥い謀略や泥臭い奸計になど、関わって欲しくないのに。
少年らしくいればいい。嫌でも大人になる時が来るのだから、それまで子供らしく振舞う時間を与えたかった。しかし遠ざけても彼は自ら真理に近づいてしまう。
「それで?」
「ん? 何のこと??」
惚けたウィリアムへ、物騒な輝きを宿した蒼瞳が向けられる。
真実を隠すことを許さないエリヤの眼差しに、降参と両手を上げて見せた青年は深い溜め息を吐いた。
「まだ調査中だけど、クーデターの親玉はミシャ公爵で間違いない。さすがに、証拠を残すほど愚かじゃない。おかげで苦戦してるよ」
ウィリアムの囁きを耳元で受けながら、机の上に放り出していた羽根ペンを手に取った。
思い出したのは、昨日の中庭でのウィリアムの行動だ。
お茶の為に下りた午後の中庭まで追ってくる書類など、心当たりがなかった。
よほど緊急の書類なのか、しかしウィリアムは押印もしている。つまり印を持ってきた事実から、書類が届くのを予想していたという意味になる。
「中庭でのサイン、あれは……」
唇をウィリアムの指が塞ぐ。人差し指で赤い唇を押さえ、シーッと小さく呟いて声を殺した。
「知らない方がいいと思うよ」
不満を顔に出して睨む恋人に、ウィリアムはくしゃりと前髪を握った。
迷っているのか視線を泳がせるが、すぐに真っ直ぐ蒼い瞳を覗き込む。
「教えろ、ウィリアム」
きっちり名を呼んで立場を示す。
暗闇から自分を救い上げてくれる至高の眼差し――空とも、海とも違う。
王冠に飾られた宝石サファイアより鮮やかで、美しい瞳に囚われて酔い痴れる。息を呑んだウィリアムが、ごくりと喉を鳴らした。
「今回はミシャ公爵自身には手が届かないが、オレはエリヤを傷つける者を許す寛大さなんて持ち合わせてない。子爵とそれに連なる一族の処刑、リアン伯爵の爵位剥奪を命じた」
物騒な発言に、今度はエリヤが息を呑む番だった。
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