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第3章 白薔薇を赤く染めて
3-8.王宮の華は鉄さびた味
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見つかった死体を責める気はないが、さすがに気が滅入る。王宮近くに侯爵家が所有する別宅の庭で殺された当主の葬儀をよそに、ウィリアムは淡々と仕事をこなしていた。
先日の負ったケガによる微熱と慢性的な怠さ、貧血が酷い。こうして仕事をしても効率が悪いだけなのだが、さすがに国の一大事とあれば寝ている訳にいかなかった。
―――戦争が始まる。
まだ宣戦布告はないが、ミシャを殺した経緯を考えてもほぼ間違いはなかった。
本来なら傀儡として彼を利用する気だった筈、それを殺したのなら「必要ない」という意思表示だ。オズボーンに残された手段は、戦争による略奪と蹂躙だけ。
戦争になった場合に必要となる食料や被害規模の計算をしながら、あまりに膨大な被害予想に唇を噛んだ。先日、エリヤが署名した書類で助かる孤児を数十倍規模で上回る死者の予測数は、数字として以上の衝撃を与える。
「参ったな……」
どうにか戦争を回避する手立てを考えなくては……だが、こちらからオズボーンへ譲歩することは出来ない。それは国としての存続を危うくする。ならば……。
物騒な考えに目を細めたウィリアムの耳に、ノックもなしで開くドアの音が飛び込んだ。
ばっと顔を上げれば、黒いドレスを纏った美女が優雅に礼をする。背中を覆う長い金髪がさらりと肩を滑り、艶やかな微笑みで他者を魅了する彼女が室内へ足を進めた。
「お久しぶり、ウィリアム」
本来なら執政たるウィリアムを呼び捨てに出来るのは、国王であり主であるエリヤのみ。しかしウィリアムは咎める様子なく、頬を笑み崩した。
ただしエリヤへ向ける笑みと違い、作り物めいた印象を与える表情で。
勝手に入ってきた彼女の無礼を咎めないウィリアムは、しかし仕返しのように立ち上がらない。レディに挨拶の為の手を差し伸べず、椅子に座ったまま背凭れに寄りかかった。
サインしていた書類から目を上げ、ペンを机の上に放り出す。
「ドロシアか、よく来たな。ノックをしないあたりがおまえらしいよ」
以前から何度も注意しているのだが、彼女はまったく頓着しない。相手がリリーアリスならば敬意を表して傅き、ノックもするのだろうが……他の誰にも従わない姿勢は一貫していて、いっそ清清しいほどだった。
「戦争が始まるのね」
嬉しそうに語るドロシアのスミレ色の瞳が輝く。昔から戦いを賛美する発言の多い彼女は、どうやらウィリアムの思考を一部読み取ったらしい。
「まだだ」
「でも避けられないと考えているのでしょう?」
「……何とかする」
「あら、暗殺で?」
そこまで読まれたのかと目を瞠ったウィリアムが、続く声に慌てて椅子を立った。
「暗殺とは物騒だな」
国王エリヤの声は、どこか弾んでいる。ミシャ侯爵の死を悲しんでいないのは確かで、ウィリアムを傷つけた男が殺された事実を当然の報いと受け止めたのだろう。
「エリヤ……どうしてここへ」
普段ウィリアムを呼ぶことはあっても、執政の執務室に顔を出すことはないエリヤの突然の訪問に、何かあったのかと駆け寄る。
権威を示す為だか知らないが、無駄に広い室内を横断して膝をついた。幼い主が差し伸べた手の甲へ敬愛のキスを贈る。
「姉上とお茶でも……と思ったので、誘いに来た」
ドロシアもこちらにいると聞いたからな。ちらりと視線を向けた先で、ドロシアが会釈を寄越す。彼女なりに主人の弟へ礼を尽くしたのだろう。
「行くぞ」
踵を返す主に従うウィリアムへ、興味深そうに見つめるドロシアの視線が突き刺さる。無遠慮に観察した彼女が、口元を手で押さえて笑った。
「本当に、変われば変わるものね。あなたが誰かに傅くなんて……」
「その言葉、そっくり返すぜ。ドロシア」
仲がいいのか悪いのか。
神殿へ『魔女』として捧げられたドロシアと、国王の為にすべてを滅ぼす騎士として『死神』呼ばわりされるウィリアムの寒い会話を、きょとんと小首を傾げたエリヤが見つめる。
「……仲がいいんだな」
空気を読まないエリヤの発言に、顔を見合わせた2人は心底嫌そうに首を横に振った。
幸せそうに微笑むエリヤが、久しぶりに顔を合わせたリリーアリスへ薔薇を手渡す。
彼女の為に選んだ薔薇は、淡いピンク色の花弁を揺らして煌く。その輝かしい光景に、ウィリアムは知らず表情を和らげた。
「まだ痛むのでしょう?」
リリーアリスの微笑に目を細めた魔女の指摘に、正直に頷いた。
ドロシアに隠し事は出来ない。それは能力的な問題もあるが、彼女は基本的に嘘を吐かないことも理由だ。敵であるときは容赦なく、また味方であれば頼もしい存在だった。
「随分、手酷くやらせたもんだ」
意味深な言葉を吐き、視線をエリヤに固定したまま紅茶を一口飲む。薔薇の香りがする砂糖を入れて口元に運んだドロシアは、口をつける直前で動きを止めた。
「あら、気づいていたのね」
「バカにするなよ。オレだって安穏と生きてるわけじゃない」
青紫の瞳が眇められて、鋭い視線が斜め前で紅茶を飲むドロシアへ向けられる。突き刺すような眼差しを平然と受け止め、美女は紅茶を飲み干してカップを置いた。
「確かにミシャを殺させたのは、私よ。でもスタンリーを野放しにして煽ったあなたより、マシだと思うの……」
「どっちもどっちさ」
切り捨てて、ウィリアムが顔を伏せる。互いの主から見えない角度で、片唇を引き上げて自嘲を浮かべた。
策略こそ王宮の華――それは誰が否定しても覆らない、古からの慣習だ。
王族である以上、エリヤもリリーアリスも承知しているだろう。だが、彼と彼女の手を汚す気はウィリアムになかった。
最愛のエリヤはもちろん、ウィリアムはリリーアリスの理想論や穏やかさを認めている。自分では不可能なことを、彼女なら成すと信じられた。
目障りなオズボーンの間者や逆らう貴族共を排除する為、野心家のスタンリー伯爵を影から扇動して支援する。その愚かな計画に参加するバカを一掃する計画だった。
だから、肩のケガは自業自得――元から覚悟の上だ。もっともここまで重傷になるとは、さすがのウィリアムも予定外だったが……。
「ミシャの件は礼を言おう。優秀な駒がいるらしい」
探るウィリアムへ満面の笑みを返し、魔女らしく嫣然と微笑む。
「ええ、とても優秀よ。私が手ずから選んだ相手ですもの」
あなたに教える気はないわ。そう切り替えしたドロシアの強かさを、好ましく思うのはウィリアムの性格故だろう。
過激で冷酷、心に住まわせる者以外をあっさり排除する癖に、基本的に人という愚かな生き物を嫌いになれない。
逆に言うなら、だから『優秀な執政官』足り得るのだ。
「オズボーンが手を引くよう、適当なところで切り上げる必要がある……」
「私が手配しましょうか?」
「買って出るなんて珍しいな」
戦いが始まることを喜んでいるだろうと思いきや、正反対の提案をするドロシアへウィリアムが顔を向ける。手元のポットから新たな紅茶を彼女のカップへ注いだ。
優雅な仕草で、彼女の細い指が薔薇の砂糖へ伸ばされる。小粒のそれを拾い上げ、そっと琥珀色のアッサムへ滑らせた。
ゆっくり溶ける砂糖を見つめるドロシアは、スミレ色の瞳を瞬いてウィリアムへ向ける。
「その傷のお詫び、ということに……」
真の理由は隠されてしまった。
「……本当に仲がいいんだな」
拗ねた口調が飛び込んできて、慌てたウィリアムが椅子から立ち上がる。テラスの手摺に寄り掛かったエリヤが唇を尖らせているのを、笑顔で引き寄せた。
おとなしく腕の中に納まるエリヤが、気遣う視線を向ける。
「大丈夫、そんなに痛くないよ」
痛くないわけがない。そう断言できるのに、エリヤは小さく頷いてウィリアムの胸に顔を埋めた。
「あらあら、エリヤが甘える姿なんて珍しいわ」
嬉しそうなリリーアリスの声に、ドロシアの笑い声が重なる。
「……別にそんなんじゃ…」
もごもごと言い訳するエリヤの頬が仄かに赤い。
策略に溺れる2人にとって実りの多かったお茶会は、その後も時間が許す限り、笑い声の絶えない和やかな雰囲気で続けられた。
先日の負ったケガによる微熱と慢性的な怠さ、貧血が酷い。こうして仕事をしても効率が悪いだけなのだが、さすがに国の一大事とあれば寝ている訳にいかなかった。
―――戦争が始まる。
まだ宣戦布告はないが、ミシャを殺した経緯を考えてもほぼ間違いはなかった。
本来なら傀儡として彼を利用する気だった筈、それを殺したのなら「必要ない」という意思表示だ。オズボーンに残された手段は、戦争による略奪と蹂躙だけ。
戦争になった場合に必要となる食料や被害規模の計算をしながら、あまりに膨大な被害予想に唇を噛んだ。先日、エリヤが署名した書類で助かる孤児を数十倍規模で上回る死者の予測数は、数字として以上の衝撃を与える。
「参ったな……」
どうにか戦争を回避する手立てを考えなくては……だが、こちらからオズボーンへ譲歩することは出来ない。それは国としての存続を危うくする。ならば……。
物騒な考えに目を細めたウィリアムの耳に、ノックもなしで開くドアの音が飛び込んだ。
ばっと顔を上げれば、黒いドレスを纏った美女が優雅に礼をする。背中を覆う長い金髪がさらりと肩を滑り、艶やかな微笑みで他者を魅了する彼女が室内へ足を進めた。
「お久しぶり、ウィリアム」
本来なら執政たるウィリアムを呼び捨てに出来るのは、国王であり主であるエリヤのみ。しかしウィリアムは咎める様子なく、頬を笑み崩した。
ただしエリヤへ向ける笑みと違い、作り物めいた印象を与える表情で。
勝手に入ってきた彼女の無礼を咎めないウィリアムは、しかし仕返しのように立ち上がらない。レディに挨拶の為の手を差し伸べず、椅子に座ったまま背凭れに寄りかかった。
サインしていた書類から目を上げ、ペンを机の上に放り出す。
「ドロシアか、よく来たな。ノックをしないあたりがおまえらしいよ」
以前から何度も注意しているのだが、彼女はまったく頓着しない。相手がリリーアリスならば敬意を表して傅き、ノックもするのだろうが……他の誰にも従わない姿勢は一貫していて、いっそ清清しいほどだった。
「戦争が始まるのね」
嬉しそうに語るドロシアのスミレ色の瞳が輝く。昔から戦いを賛美する発言の多い彼女は、どうやらウィリアムの思考を一部読み取ったらしい。
「まだだ」
「でも避けられないと考えているのでしょう?」
「……何とかする」
「あら、暗殺で?」
そこまで読まれたのかと目を瞠ったウィリアムが、続く声に慌てて椅子を立った。
「暗殺とは物騒だな」
国王エリヤの声は、どこか弾んでいる。ミシャ侯爵の死を悲しんでいないのは確かで、ウィリアムを傷つけた男が殺された事実を当然の報いと受け止めたのだろう。
「エリヤ……どうしてここへ」
普段ウィリアムを呼ぶことはあっても、執政の執務室に顔を出すことはないエリヤの突然の訪問に、何かあったのかと駆け寄る。
権威を示す為だか知らないが、無駄に広い室内を横断して膝をついた。幼い主が差し伸べた手の甲へ敬愛のキスを贈る。
「姉上とお茶でも……と思ったので、誘いに来た」
ドロシアもこちらにいると聞いたからな。ちらりと視線を向けた先で、ドロシアが会釈を寄越す。彼女なりに主人の弟へ礼を尽くしたのだろう。
「行くぞ」
踵を返す主に従うウィリアムへ、興味深そうに見つめるドロシアの視線が突き刺さる。無遠慮に観察した彼女が、口元を手で押さえて笑った。
「本当に、変われば変わるものね。あなたが誰かに傅くなんて……」
「その言葉、そっくり返すぜ。ドロシア」
仲がいいのか悪いのか。
神殿へ『魔女』として捧げられたドロシアと、国王の為にすべてを滅ぼす騎士として『死神』呼ばわりされるウィリアムの寒い会話を、きょとんと小首を傾げたエリヤが見つめる。
「……仲がいいんだな」
空気を読まないエリヤの発言に、顔を見合わせた2人は心底嫌そうに首を横に振った。
幸せそうに微笑むエリヤが、久しぶりに顔を合わせたリリーアリスへ薔薇を手渡す。
彼女の為に選んだ薔薇は、淡いピンク色の花弁を揺らして煌く。その輝かしい光景に、ウィリアムは知らず表情を和らげた。
「まだ痛むのでしょう?」
リリーアリスの微笑に目を細めた魔女の指摘に、正直に頷いた。
ドロシアに隠し事は出来ない。それは能力的な問題もあるが、彼女は基本的に嘘を吐かないことも理由だ。敵であるときは容赦なく、また味方であれば頼もしい存在だった。
「随分、手酷くやらせたもんだ」
意味深な言葉を吐き、視線をエリヤに固定したまま紅茶を一口飲む。薔薇の香りがする砂糖を入れて口元に運んだドロシアは、口をつける直前で動きを止めた。
「あら、気づいていたのね」
「バカにするなよ。オレだって安穏と生きてるわけじゃない」
青紫の瞳が眇められて、鋭い視線が斜め前で紅茶を飲むドロシアへ向けられる。突き刺すような眼差しを平然と受け止め、美女は紅茶を飲み干してカップを置いた。
「確かにミシャを殺させたのは、私よ。でもスタンリーを野放しにして煽ったあなたより、マシだと思うの……」
「どっちもどっちさ」
切り捨てて、ウィリアムが顔を伏せる。互いの主から見えない角度で、片唇を引き上げて自嘲を浮かべた。
策略こそ王宮の華――それは誰が否定しても覆らない、古からの慣習だ。
王族である以上、エリヤもリリーアリスも承知しているだろう。だが、彼と彼女の手を汚す気はウィリアムになかった。
最愛のエリヤはもちろん、ウィリアムはリリーアリスの理想論や穏やかさを認めている。自分では不可能なことを、彼女なら成すと信じられた。
目障りなオズボーンの間者や逆らう貴族共を排除する為、野心家のスタンリー伯爵を影から扇動して支援する。その愚かな計画に参加するバカを一掃する計画だった。
だから、肩のケガは自業自得――元から覚悟の上だ。もっともここまで重傷になるとは、さすがのウィリアムも予定外だったが……。
「ミシャの件は礼を言おう。優秀な駒がいるらしい」
探るウィリアムへ満面の笑みを返し、魔女らしく嫣然と微笑む。
「ええ、とても優秀よ。私が手ずから選んだ相手ですもの」
あなたに教える気はないわ。そう切り替えしたドロシアの強かさを、好ましく思うのはウィリアムの性格故だろう。
過激で冷酷、心に住まわせる者以外をあっさり排除する癖に、基本的に人という愚かな生き物を嫌いになれない。
逆に言うなら、だから『優秀な執政官』足り得るのだ。
「オズボーンが手を引くよう、適当なところで切り上げる必要がある……」
「私が手配しましょうか?」
「買って出るなんて珍しいな」
戦いが始まることを喜んでいるだろうと思いきや、正反対の提案をするドロシアへウィリアムが顔を向ける。手元のポットから新たな紅茶を彼女のカップへ注いだ。
優雅な仕草で、彼女の細い指が薔薇の砂糖へ伸ばされる。小粒のそれを拾い上げ、そっと琥珀色のアッサムへ滑らせた。
ゆっくり溶ける砂糖を見つめるドロシアは、スミレ色の瞳を瞬いてウィリアムへ向ける。
「その傷のお詫び、ということに……」
真の理由は隠されてしまった。
「……本当に仲がいいんだな」
拗ねた口調が飛び込んできて、慌てたウィリアムが椅子から立ち上がる。テラスの手摺に寄り掛かったエリヤが唇を尖らせているのを、笑顔で引き寄せた。
おとなしく腕の中に納まるエリヤが、気遣う視線を向ける。
「大丈夫、そんなに痛くないよ」
痛くないわけがない。そう断言できるのに、エリヤは小さく頷いてウィリアムの胸に顔を埋めた。
「あらあら、エリヤが甘える姿なんて珍しいわ」
嬉しそうなリリーアリスの声に、ドロシアの笑い声が重なる。
「……別にそんなんじゃ…」
もごもごと言い訳するエリヤの頬が仄かに赤い。
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