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第4章 愚かな策に散る花を
4-7.塔からの脱出は赤く染まる
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なぜあの時、己の直感を信じなかった! 砦の中で奇妙な視線を感じたのに、どうして気の所為と片付けたのか。まだ間に合ったのに。戦場を駆ける騎士の直感をないがしろにしたツケだ。
幼い主を腕に抱き寄せ、ウィリアムは激しい後悔に胸を焼いた。国王へ宛がう客室は塔の上にあり、手前の階段はひとつしかない。警護が容易になる反面、襲撃されたら逃げ道がなかった。
そして今、逃げ場のない上階に追い詰められている。飛び降りられる高さを超えた塔から見る景色は綺麗だが、鳥ならぬ人の身で助かる術はない。
「ウィル」
不安とは違う声が名を呼ぶ。腕の中でしっかりしがみ付く少年は、ウィリアムにとって至高の主であり最愛の人だった。絶対に死なせてはならない。
もし飛び降りたとして、彼を腕の中に包んで助けることが出来るなら……迷いなく飛び降りただろう。だが落ちた先に味方がない状況で、エリヤ一人を残す手段は選べない。儀礼用の剣しか使わない白い手が、敵を屠るために剣を振るうなどぞっとした。
実力がある、ない、という問題じゃない。単にエリヤの手を血で染めたくないだけ。身勝手な感傷が、少年王から剣を遠ざける理由だった。
「怖いですか?」
執政の言葉に首を横に振る。エリヤは死を恐れない。人々の上に立って導き、身も心も犠牲にしてなお、彼は高潔だった。多くを助けるために少数を切り捨てる決断を下す立場にありながら、神職者のように人々を救い上げる。
エリヤが怖がるのは、一人にされること。
己の半身たるウィリアムを傷つけ、奪われること。
「お前がいるのに、怖がる必要はない」
だから、いつも通りに振舞う。傲慢な王族の顔を崩さず、震えぬ声で淡々と告げた。まだあどけなさが残る顔に笑みを浮かべて、少年王はウィリアムの髪を引き寄せた。
晩餐を終えて戻った部屋で、湯浴みを済ませたエリヤが最初に気付いた。ユリシュアン王家出身の者は直感が鋭い。それは違和感を見抜く能力であり、予知に近い精度を誇った。
胸のざわつきをウィリアムに伝える最中、部屋の外が騒がしくなった。親衛隊の隊員が叫ぶ声に危険を知り、奥の続き部屋へエリヤを避難させる。この判断が間違いだったのか、最初の段階で敵を斬り伏せて血路を開くべきだったかも知れない。
狭い通路で戦っていた親衛隊が押され、気付けば部屋の中で乱闘になっていた。近づく敵を斬りながら、エリヤを胸元に抱き締めて返り血から庇う。左手が使えないことで、徐々に壁際に追い詰められたウィリアムは決断を迫られていた。
血路を開くか――死を覚悟して飛び降りるか。
「ウィル、俺はお前の判断に従う」
放棄したのではなく、任せる。その深い信頼にウィリアムは覚悟を決めた。
「陛下、私と踊っていただけますか?」
「ああ、リードしろ」
蒼い瞳が細められ、ウィリアムは誘われるように伏せた瞼にキスを落とした。触れるキスの直後、剣を床に突き立てる。今まで剣を握っていた右手でエリヤの腰を抱き寄せた。
「では、参りましょう」
床から引き抜いた剣を左手に――普段は使わない利き手に剣を握る。その意味を知る親衛隊はごくりと喉を鳴らして覚悟を決めた。
少年王の剣であり盾である死神は――血路を開く。その露払いは親衛隊の役目だった。今まで防御に回っていた彼らの剣は、一気に鋭さを増す。
主を守るために振るっていた剣は、敵を屠る剣に変わった。敵を退ける一撃が重くなり、徐々に形勢が変化する。踏み込みが変われば、剣の重さも鋭さも違う。
飛び掛る敵を斬り、右手でエリヤを導いて進んだ。踊るように、踏み込んでは下がるウィリアムに身を任せ、エリヤは優雅にステップを踏む。
「ウィル、右後ろだ」
「承知」
一歩引いてエリヤをくるりと回す。左手の剣を水平に突き、腹部を貫いた。呻いた敵を足蹴にして剣を引き抜く。左から斬りかかる男の首を下から上へ振るう刃で裂いた。
吹き出す血を自ら浴びて、左半身が赤く染まる。己を盾として血から守った主は、怖がる様子もなく楽しそうだった。
「あと少し」
王の唇が、予言を吐き出す。塔の階段を駆け下りながら、見つけた敵を容赦なく蹴り落として貫いた。
塔の出口まで、あと少し。
幼い主を腕に抱き寄せ、ウィリアムは激しい後悔に胸を焼いた。国王へ宛がう客室は塔の上にあり、手前の階段はひとつしかない。警護が容易になる反面、襲撃されたら逃げ道がなかった。
そして今、逃げ場のない上階に追い詰められている。飛び降りられる高さを超えた塔から見る景色は綺麗だが、鳥ならぬ人の身で助かる術はない。
「ウィル」
不安とは違う声が名を呼ぶ。腕の中でしっかりしがみ付く少年は、ウィリアムにとって至高の主であり最愛の人だった。絶対に死なせてはならない。
もし飛び降りたとして、彼を腕の中に包んで助けることが出来るなら……迷いなく飛び降りただろう。だが落ちた先に味方がない状況で、エリヤ一人を残す手段は選べない。儀礼用の剣しか使わない白い手が、敵を屠るために剣を振るうなどぞっとした。
実力がある、ない、という問題じゃない。単にエリヤの手を血で染めたくないだけ。身勝手な感傷が、少年王から剣を遠ざける理由だった。
「怖いですか?」
執政の言葉に首を横に振る。エリヤは死を恐れない。人々の上に立って導き、身も心も犠牲にしてなお、彼は高潔だった。多くを助けるために少数を切り捨てる決断を下す立場にありながら、神職者のように人々を救い上げる。
エリヤが怖がるのは、一人にされること。
己の半身たるウィリアムを傷つけ、奪われること。
「お前がいるのに、怖がる必要はない」
だから、いつも通りに振舞う。傲慢な王族の顔を崩さず、震えぬ声で淡々と告げた。まだあどけなさが残る顔に笑みを浮かべて、少年王はウィリアムの髪を引き寄せた。
晩餐を終えて戻った部屋で、湯浴みを済ませたエリヤが最初に気付いた。ユリシュアン王家出身の者は直感が鋭い。それは違和感を見抜く能力であり、予知に近い精度を誇った。
胸のざわつきをウィリアムに伝える最中、部屋の外が騒がしくなった。親衛隊の隊員が叫ぶ声に危険を知り、奥の続き部屋へエリヤを避難させる。この判断が間違いだったのか、最初の段階で敵を斬り伏せて血路を開くべきだったかも知れない。
狭い通路で戦っていた親衛隊が押され、気付けば部屋の中で乱闘になっていた。近づく敵を斬りながら、エリヤを胸元に抱き締めて返り血から庇う。左手が使えないことで、徐々に壁際に追い詰められたウィリアムは決断を迫られていた。
血路を開くか――死を覚悟して飛び降りるか。
「ウィル、俺はお前の判断に従う」
放棄したのではなく、任せる。その深い信頼にウィリアムは覚悟を決めた。
「陛下、私と踊っていただけますか?」
「ああ、リードしろ」
蒼い瞳が細められ、ウィリアムは誘われるように伏せた瞼にキスを落とした。触れるキスの直後、剣を床に突き立てる。今まで剣を握っていた右手でエリヤの腰を抱き寄せた。
「では、参りましょう」
床から引き抜いた剣を左手に――普段は使わない利き手に剣を握る。その意味を知る親衛隊はごくりと喉を鳴らして覚悟を決めた。
少年王の剣であり盾である死神は――血路を開く。その露払いは親衛隊の役目だった。今まで防御に回っていた彼らの剣は、一気に鋭さを増す。
主を守るために振るっていた剣は、敵を屠る剣に変わった。敵を退ける一撃が重くなり、徐々に形勢が変化する。踏み込みが変われば、剣の重さも鋭さも違う。
飛び掛る敵を斬り、右手でエリヤを導いて進んだ。踊るように、踏み込んでは下がるウィリアムに身を任せ、エリヤは優雅にステップを踏む。
「ウィル、右後ろだ」
「承知」
一歩引いてエリヤをくるりと回す。左手の剣を水平に突き、腹部を貫いた。呻いた敵を足蹴にして剣を引き抜く。左から斬りかかる男の首を下から上へ振るう刃で裂いた。
吹き出す血を自ら浴びて、左半身が赤く染まる。己を盾として血から守った主は、怖がる様子もなく楽しそうだった。
「あと少し」
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塔の出口まで、あと少し。
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