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第6章 寝返りは青薔薇の香り
6-4.助けを待つのはガラじゃない
振り下ろされた剣の軌道を読んで、わずかに身体をずらす。手首を掠めながら椅子を叩いた剣の先が折れた。その欠片が床に落ちて鈍い音を響かせる頃、切り裂かれたロープから自由になったウィリアムの手が、ユストゥスの剣を奪う。
甘い握りを手刀で叩き、緩んだところを捻って引き抜いた。右手の血で柄が滑る。
持ち主の手から離れた剣は、美しかった姿を台無しにしていた。多少の刃毀れと先端の欠けが痛々しい。技量のない使い手による無残な結果に、ウィリアムは気の毒そうに剣を見やった。
「さて形勢逆転だ。どうする?」
折れた剣の先を突きつける。椅子の後ろに立つ拷問係は、それでも動かなかった。名目としては命令がない。本音はこのヒキガエルに仕えて一生を棒に振る気はない。どちらにしろ動く気はなく、冷めた目で2人のやり取りを見ていた。
「た……戦え! ファング、この男を殺せ!!」
叫ぶ王太子に、拷問係ファングは嫌味なほど丁寧に礼をした。これが別れの挨拶だ。頭を下げて、忠犬らしく振舞ってやろう。相手がこれから地獄へ堕ちる存在だとしても。
「残念だが、王太子殿。負け戦に加担する気はない」
きっぱり断って顔を上げると、真っ赤な顔が怒りの形相で歪んでいた。元から整った顔ではないが、その醜く欲にただれた姿は見るに堪えない。
ぽたりと赤い血が垂れる。ウィリアムの手首についた傷から垂れた血が、剣を伝って剣先から落ちていた。予定より深い傷口は、王太子ユストゥスの腕前ではなく剣の切れ味の鋭さが原因らしい。仮にも王太子たる存在に与えられた武器だ。アスター国王も奮発したのだろう。
剣を左手に持ち替え、右手の傷に唇を押し当てる。傷口に残る雑菌を吸い出して吐き、血に濡れた唇で微笑んだ。相手に自分の容貌がどんな影響を与えるか、外交を担当するこの男が知らないはずもない。発達した犬歯を見せつけながら、人外のように振る舞った。
「ひっ……ば、ばけもの……っ」
「化け物という呼び名は初めてだ。この目のせいで」
わざと言葉を切って、青紫の瞳を見せつける。アスター国もシュミレ国と同じ教会の教えをもつため『紫眼は神か悪魔に魅入られた証』として伝わっていた。
「死神と呼ばれてきたが……無理やりさらったくせに、随分と気の小さい男だぜ。いや失礼、器が小さいんだったな」
くすくす笑って、剣の零れた刃でユストゥスの頬を撫でる。すっと1本の細い切り傷がつく程度の動きだが、己の身を割られた剣の報復のように、ざっくりと傷が開いた。溢れる血を両手で覆いながら、ユストゥスが悲鳴を上げて気絶する。
「ったく、城の侍女だってもっとしっかりしてるぞ」
半年ほど前にシュミレ国の城は背後から侵入され、謁見の間で敵国の兵を退けた。その際に貴族出身の侍女の一部は槍や弓を手に戦ったほど、シュミレの女性は芯が強い。こんなみっともない悲鳴を上げてひっくり返る王太子では、今回の策略がうまくいったとしても、アスター国の命運はいずれ尽きただろう。
「かなり派手に切れた」
「腕は悪いが、剣は上物だ。後で研ぎに出してやらないとな」
愛用の黒い剣ではないが、これから逃げる間の相棒だ。シュミレ国に戻ったら、それなりの礼をすると言いながら、血に濡れた剣の表面に唇を押し当てた。剣を労わるウィリアムが、剣の根元に刻まれた一文に気づいて目を細める。
「ふーん、親ってのも大変だ」
ぼそっと呟き、剣を一振りして血を払った。倒れたユストゥスの腰帯から鞘を奪う。剣を納めたウィリアムを、ファングは興味深そうに眺めた。
「おれを信じるのか」
背後にいる敵だった拷問係を、信じるほど甘い男だと思わない。だが平然と剣を鞘に納める所作に迷いはなかった。不思議な奴だと感じたファングの疑問に、ウィリアムはにやりと笑った。
甘い握りを手刀で叩き、緩んだところを捻って引き抜いた。右手の血で柄が滑る。
持ち主の手から離れた剣は、美しかった姿を台無しにしていた。多少の刃毀れと先端の欠けが痛々しい。技量のない使い手による無残な結果に、ウィリアムは気の毒そうに剣を見やった。
「さて形勢逆転だ。どうする?」
折れた剣の先を突きつける。椅子の後ろに立つ拷問係は、それでも動かなかった。名目としては命令がない。本音はこのヒキガエルに仕えて一生を棒に振る気はない。どちらにしろ動く気はなく、冷めた目で2人のやり取りを見ていた。
「た……戦え! ファング、この男を殺せ!!」
叫ぶ王太子に、拷問係ファングは嫌味なほど丁寧に礼をした。これが別れの挨拶だ。頭を下げて、忠犬らしく振舞ってやろう。相手がこれから地獄へ堕ちる存在だとしても。
「残念だが、王太子殿。負け戦に加担する気はない」
きっぱり断って顔を上げると、真っ赤な顔が怒りの形相で歪んでいた。元から整った顔ではないが、その醜く欲にただれた姿は見るに堪えない。
ぽたりと赤い血が垂れる。ウィリアムの手首についた傷から垂れた血が、剣を伝って剣先から落ちていた。予定より深い傷口は、王太子ユストゥスの腕前ではなく剣の切れ味の鋭さが原因らしい。仮にも王太子たる存在に与えられた武器だ。アスター国王も奮発したのだろう。
剣を左手に持ち替え、右手の傷に唇を押し当てる。傷口に残る雑菌を吸い出して吐き、血に濡れた唇で微笑んだ。相手に自分の容貌がどんな影響を与えるか、外交を担当するこの男が知らないはずもない。発達した犬歯を見せつけながら、人外のように振る舞った。
「ひっ……ば、ばけもの……っ」
「化け物という呼び名は初めてだ。この目のせいで」
わざと言葉を切って、青紫の瞳を見せつける。アスター国もシュミレ国と同じ教会の教えをもつため『紫眼は神か悪魔に魅入られた証』として伝わっていた。
「死神と呼ばれてきたが……無理やりさらったくせに、随分と気の小さい男だぜ。いや失礼、器が小さいんだったな」
くすくす笑って、剣の零れた刃でユストゥスの頬を撫でる。すっと1本の細い切り傷がつく程度の動きだが、己の身を割られた剣の報復のように、ざっくりと傷が開いた。溢れる血を両手で覆いながら、ユストゥスが悲鳴を上げて気絶する。
「ったく、城の侍女だってもっとしっかりしてるぞ」
半年ほど前にシュミレ国の城は背後から侵入され、謁見の間で敵国の兵を退けた。その際に貴族出身の侍女の一部は槍や弓を手に戦ったほど、シュミレの女性は芯が強い。こんなみっともない悲鳴を上げてひっくり返る王太子では、今回の策略がうまくいったとしても、アスター国の命運はいずれ尽きただろう。
「かなり派手に切れた」
「腕は悪いが、剣は上物だ。後で研ぎに出してやらないとな」
愛用の黒い剣ではないが、これから逃げる間の相棒だ。シュミレ国に戻ったら、それなりの礼をすると言いながら、血に濡れた剣の表面に唇を押し当てた。剣を労わるウィリアムが、剣の根元に刻まれた一文に気づいて目を細める。
「ふーん、親ってのも大変だ」
ぼそっと呟き、剣を一振りして血を払った。倒れたユストゥスの腰帯から鞘を奪う。剣を納めたウィリアムを、ファングは興味深そうに眺めた。
「おれを信じるのか」
背後にいる敵だった拷問係を、信じるほど甘い男だと思わない。だが平然と剣を鞘に納める所作に迷いはなかった。不思議な奴だと感じたファングの疑問に、ウィリアムはにやりと笑った。
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