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第6章 寝返りは青薔薇の香り

6-7.互いに互いを気遣うあまり

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 身なりを整えてすぐ向かったのは、国王の執務室だった。体中がぎしぎし痛むのを無視して、開かれた扉の向こうに踏み込む。執務机に座る黒髪のショーンを無視して、左側のソファに沈むエリヤへ歩み寄った。

「……っ、ウィル」

「ただいま帰りました、ごめんな」

 合いたかった人の頬に手を滑らせ、床に膝をつく。ソファから身を起こそうとするエリヤを抑え、彼の胸元に頭を預けた。ぺたりとくっついた2人の姿に、やれやれと肩を竦めたショーンは書類の処理に戻る。同様に呆れ顔のエイデンも押印を手伝った。

「エリヤ、少し痩せたね」

「お前もやつれた」

 溜め息をつかれて、そんなに違うかと自分の手足を確認してしまう。わずか数日ではあるが拘束され、食事を抜いた身体は怠い。こけた頬に手を這わせるエリヤが苦笑いした。

「今夜は一緒に食事を摂ろう」

「わかった」

「いちゃついてるとこ悪いけど、2人ともこれから昼寝ね」

 エイデンの宣言に眉をひそめて外を見ると、まだ陽が陰りだしたばかり。夕暮れにも早い。顔を見合わせる少年王と執政を、ショーンが追い出した。

「仕事の邪魔だ。互いの顔をよく見ろ」

 隈がくっきり浮かんだエリヤの目元に指先を這わせたウィリアムだが、その手を掴んだエイデンが顔をしかめる。宮廷医師として活躍する彼の目から見ても、その損傷具合は激しかった。

 指先の爪はほとんど剥れかけているし、数本の指は折れた痕跡がある。腫れが収まっているものの、左手の中指は骨の位置がおかしい。おそらく本人が隠しているだけで、全身酷い状態だろう。よくこんな有様で歩き回っているものだ。

「まずは食事、それから治療、最後に睡眠にしましょうか」

 頷くエリヤが「命令だぞ、ウィル」と念押しした。命令しないと無茶をする男だから、きっちり言い聞かせる。逃げる余地はないと知り、ウィリアムは「承知しました」と頷いた。

 どうしても世話を焼きたいウィリアムが、痣だらけの手でスープを差し出す。大人しく隣で口を開けるエリヤが食べると、嬉しそうに笑った。逆にエリヤが差し出したスプーンを、ウィリアムが口に含む。事情を知らなければ甘い睦み合いの一環にしか見えない。

「……治療しますよ」

「わかった」
 
 平然と答えるが、机の下に隠した左手の傷は酷い。折れた指に添え木をしながら、力をかけて骨の位置を直した。テーブルクロスの下で激痛が走る治療を行いながら、ウィリアムは顔をしかめる所作もなく、ただ少し息を詰まらせる。

「ウィル、痛いのか?」

 心配そうにエリヤが覗き込もうとするのを右手で押しとどめ、「あーん」と次のスプーンを差し出す。ぱくりとリゾットを飲み込み、苦笑いして同じリゾットを彼の口に運んだ。ウィリアムが隠したいと願うのは、俺が気にするからだろう。そう気づいたら、もう何も言えない。

 我慢せず「痛い」と言えばいいのに……そう思う反面、意地を張らないウィリアムが想像できなかった。いつだって痛みや苦しみを隠してしまうから、その強すぎる心が砕けないよう、ただ手を添えて見守るだけ。

「食べたら休もう」

「うん」

 包帯だらけになった左手を机の上に置いたウィリアムが「大げさだ」と笑う。その笑顔に嘘はなくて、素直に頷くだけに留めた。







「……ふむ、生きているとは」

 意外だったと呟く男は窓の外に目を向ける。夕暮れの暗い空は雲もなく、遠くにひときわ明るい星が見えた。隣に控える青年を指先で呼び、次の命令を下す。

「片付けろ」

 無言で頷いた青年が部屋を出る音を背で聞きながら、彼は口元を緩めた。
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