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第6章 寝返りは青薔薇の香り
6-28.黒い影は夜闇に紛れる
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ずっと背中を叩いて落ち着かせてくれた恋人の顔を見上げる。まだ傷つけられた痕が残る額や首筋が痛々しい男の、長い茶色の髪を引っ張った。いつでもエリヤを庇って傷を負う男は首をかしげる。
「ん?」
「……あいつはどうした?」
ウィリアムの脳裏に浮かんだのは3人だった。エリヤ質問は、アスター国の王太子の消息に関するもの。連想する形で浮かんだのは、裏切り寝返り忙しいアスター国の宰相。そして最後に浮かんだのは、穏やかな笑みを浮かべる――もっとも危険な存在だった。
「アスター国の現状を伝えたけど、信じなくてね。あの国から連れてきた拷問係が、オレの代わりに働いてるよ」
ユストゥス王太子が雇った拷問係ファング。ウィリアムの子飼いにも同様の仕事を好む男はいるが、彼は拷問が終わっても対象が壊れるまで遊ぶ悪い癖があった。シークと名乗る彼はラユダと同郷だったか。砂漠の民の復讐に関する考え方は、この国と大きく違っていた。
相手を確実に死まで追い詰める。途中で裏切り、寝返ったフリをしようと構わない。それにより誇り高い彼らのプライドは傷つかないのだ。最後に敵を仕留めることが出来れば、すべての名誉は回復されるという考え方が浸透していた。
「お前の子飼いは使わないのか?」
「……そういう物騒な話を、エリヤの口から語られるのは辛いな。オレが悪い遊びを教えたみたいじゃないか」
溜め息をつきながら嘆いてみせるが、興味深そうな顔で首をかしげる少年王に両手を上げて降参した。誤魔化そうとしたウィリアムへの対応は慣れている。エリヤがそのまま待てば、寄り掛かった男は耳元に口を近づけた。
「ちょっと気になる事情があってね。シークは使えない」
不思議そうに問い返そうとした口を、指で押さえられた。冷たい風が庭の薔薇の香りを運んでくる。その風にウィリアムは眉をひそめた。
「詳細がわかったらすぐに教えるから。今は我慢してくれ」
不満はあるが引き下がる。ウィリアムは息をするように嘘をつける男だ。しかしエリヤに対して嘘は言わない。多少誤魔化すのがせいぜいだった。それも完璧に隠さずに、わずかに手がかりを滲ませるくらい、エリヤに対して誠実だ。
その男が言えないと口にするなら、本当に曖昧なカンに近い情報なのだろう。相手へのわずかな態度の違いが命取りになるほど、ぼんやりとした疑惑なのだ。冤罪だったり、逃げられる可能性を考慮して口を噤む男に、問いただす必要はなかった。
「わかった」
あっさり引き下がるエリヤの肩を抱き寄せて、ウィリアムは「ごめんね」と小さく謝った。触れた肩が冷えていることに気づき、自分のジャケットを脱いで羽織らせる。
「では国王陛下、そろそろ部屋にお戻りいただけますか?」
気取った口調でお道化る執政に、少年王はくすくす笑いながら手を差し出す。慣れた所作で受けたウィリアムが立ち上がり、直後に胸元の短剣を引き抜いた。すらりと露わになった銀の刃を逆手に構え、エリヤを後ろに庇う。
「……誰だ?」
さきほどアスター国の公爵令嬢を侵入させた奴が、他に刺客でも放っていたか。油断したつもりはないが、エリヤの望むまま漆黒の愛剣を置いてきたことが悔やまれた。東屋を囲む薔薇園に似合わぬ、ミント系の香りが風に乗って届く。
さきほど気のせいかと流したが、やはり異物が侵入していた。舌打ちしてわずかに左足を引く。姿勢を低くしたウィリアムの前に……黒い影が飛び出した。
「ん?」
「……あいつはどうした?」
ウィリアムの脳裏に浮かんだのは3人だった。エリヤ質問は、アスター国の王太子の消息に関するもの。連想する形で浮かんだのは、裏切り寝返り忙しいアスター国の宰相。そして最後に浮かんだのは、穏やかな笑みを浮かべる――もっとも危険な存在だった。
「アスター国の現状を伝えたけど、信じなくてね。あの国から連れてきた拷問係が、オレの代わりに働いてるよ」
ユストゥス王太子が雇った拷問係ファング。ウィリアムの子飼いにも同様の仕事を好む男はいるが、彼は拷問が終わっても対象が壊れるまで遊ぶ悪い癖があった。シークと名乗る彼はラユダと同郷だったか。砂漠の民の復讐に関する考え方は、この国と大きく違っていた。
相手を確実に死まで追い詰める。途中で裏切り、寝返ったフリをしようと構わない。それにより誇り高い彼らのプライドは傷つかないのだ。最後に敵を仕留めることが出来れば、すべての名誉は回復されるという考え方が浸透していた。
「お前の子飼いは使わないのか?」
「……そういう物騒な話を、エリヤの口から語られるのは辛いな。オレが悪い遊びを教えたみたいじゃないか」
溜め息をつきながら嘆いてみせるが、興味深そうな顔で首をかしげる少年王に両手を上げて降参した。誤魔化そうとしたウィリアムへの対応は慣れている。エリヤがそのまま待てば、寄り掛かった男は耳元に口を近づけた。
「ちょっと気になる事情があってね。シークは使えない」
不思議そうに問い返そうとした口を、指で押さえられた。冷たい風が庭の薔薇の香りを運んでくる。その風にウィリアムは眉をひそめた。
「詳細がわかったらすぐに教えるから。今は我慢してくれ」
不満はあるが引き下がる。ウィリアムは息をするように嘘をつける男だ。しかしエリヤに対して嘘は言わない。多少誤魔化すのがせいぜいだった。それも完璧に隠さずに、わずかに手がかりを滲ませるくらい、エリヤに対して誠実だ。
その男が言えないと口にするなら、本当に曖昧なカンに近い情報なのだろう。相手へのわずかな態度の違いが命取りになるほど、ぼんやりとした疑惑なのだ。冤罪だったり、逃げられる可能性を考慮して口を噤む男に、問いただす必要はなかった。
「わかった」
あっさり引き下がるエリヤの肩を抱き寄せて、ウィリアムは「ごめんね」と小さく謝った。触れた肩が冷えていることに気づき、自分のジャケットを脱いで羽織らせる。
「では国王陛下、そろそろ部屋にお戻りいただけますか?」
気取った口調でお道化る執政に、少年王はくすくす笑いながら手を差し出す。慣れた所作で受けたウィリアムが立ち上がり、直後に胸元の短剣を引き抜いた。すらりと露わになった銀の刃を逆手に構え、エリヤを後ろに庇う。
「……誰だ?」
さきほどアスター国の公爵令嬢を侵入させた奴が、他に刺客でも放っていたか。油断したつもりはないが、エリヤの望むまま漆黒の愛剣を置いてきたことが悔やまれた。東屋を囲む薔薇園に似合わぬ、ミント系の香りが風に乗って届く。
さきほど気のせいかと流したが、やはり異物が侵入していた。舌打ちしてわずかに左足を引く。姿勢を低くしたウィリアムの前に……黒い影が飛び出した。
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