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第6章 取捨選択は強者の権利だ

133.まだ罰は足りぬが、死なせる気もない

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 夜闇に覆われた川は黒く、不気味な音を立てて流れる。川の水音は人々の安らぎとはならず、難民は怯えながら森に向かい火を焚いた。夜営をする際は、出来るだけ集団が大きい方が襲われにくい。見知らぬ者同士が肩を寄せ合い、川沿いの開けた土地を見つけて集まった。

 昼間に上空を飛ぶドラゴンの通り道らしく、川沿いは魔物の被害が少ない。森の中を歩く者達も、徐々に川へと逃げてきた。

「バシレイア国は、我々を受け入れてくれるのか」

 不安そうに呟く壮年の男に、妻らしき女性が苦笑いして肩を叩く。

「聖女様のお国だよ。きっと大丈夫」

 居酒屋の女将をしている女性は明るくよく通る声で言い切った。しかし彼女も知っている。自分たちの上に立つ王族が、聖女の国を攻めて負けたことを――その報復に魔王が祖国を滅ぼした事実も。それでも他に逃げ込める場所がなかった。

 他の国へ向かうには、水のない砂漠を歩くか。高い山を越えなくてはならない。馬車や荷物がない難民に、それは無理だった。本当に何も持たずに逃げ出したのだ。近所の子供を助けることも出来ず、壁に隠れて震えていた。

 外で聞こえた魔狼の唸り声や遠吠えに怯えながら、隙を見て川を遡る道へ駆け込んだ。自分が助かるために、他者を切り捨てた記憶は後味が悪い。

 食べ物がないため、夜は大量の水を飲んで眠るだけだ。森は魔物が棲む危険な場所であり、果実や動物を探しに入ろうにも武器のひとつもなかった。川の魚を得ようとしても、道具がなければ難しい。空腹を抱えて、薄汚れた臭う身体を摺り寄せて暖を取るのが手一杯だった。

「お腹、すいた」

 子供の声に母親が宥める声が聞こえる。誰もが今日を生き延びることに必死だった。毎朝、そのまま目が覚めない者が出る。死体を埋める余裕もなく置き去りにすることで、魔物に襲われる確率を減らすこともできた。

 人としての尊厳をすり減らしながら、彼らは救いを求めてひたすら足を進める。その先に待つ土地が地獄であっても……自業自得なのだろう。建国30年の若い国が生き残るために、他国を侵略し続けた。農民でありながら農耕具を手にするより、武器を手に他国の人間を襲い、奪い、脅した。

 今の状況は、悪行の報いなのだ。途中で国を離れるなり、王侯貴族の横暴に逆らうことができなかった彼らは、厳しい現実に文句を言う資格もない。

 項垂れて寒い夜を過ごし、朝目が覚めることを祈る。もしかしたら明日の朝、動けなくなり置いて行かれるのは自分かも知れないのだから。





 マルコシアスはひとつ欠伸をして、前足を重ねた上に顎を乗せる。見守る先に人間が身を寄せ合って眠っていた。魔狼が群れでうろつくことで、人間の臭いにつられた魔物を排除することが出来る。動けなくなった者を置いていくが、魔狼達はそれを食べることはなかった。

 他に美味しい餌を捕まえることが可能な魔狼にとって、人間の硬い肉など興味はない。真ん中に守られた幼い肉なら柔らかいだろうが……主人である異世界の魔王が禁じた肉を齧るほど飢えていなかった。群れの雌や子供の食料は、黒いドラゴンが確保してくれる。

 雄が山を離れても安心していられる状況で、退屈を持て余していた。

「交代する」

 最近やっと言葉を話せるようになったマーナガルムが近づき、彼が隣に座った。交代時間は食事や休憩に充てられる。一緒に見張っていた仲間を集め、マルコシアスは森の中の兎を狩りに走った。群れで囲み数匹の兎を仕留めた彼らの前に、突然魔法陣が浮かぶ。

「マルコシアス。ご苦労」

 見慣れた光景に、齧っていた兎を置いて座った大きな灰色狼は尻尾を振る。黒い革製のぴたりとした服を纏う主人は、白い手で血まみれの毛皮を撫でた。

「不自由はないか」

 多少の我慢は必要だが、苦労や心配はない。その旨を伝えると、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。人間を守るように告げてから毎夜顔を見せる主人に、それくらいならば連れて行った方が楽ではないのかと尋ねたのは数日前だ。

 答えはシンプルだが、魔狼には不思議なものだった。――まだ許したわけではない、罰が足りぬ。簡単なルールで生きる魔物である魔狼にとって、理解しがたい言葉だ。しかしマルコシアスは服従を示した。部下が主人の考えをすべて理解する必要はないのだから。

 助ける気はないが、無駄に死なせる気もない。生き残って幸せになれるのか……それすらわからぬ道を歩く人間を守りながら、マルコシアスは恵まれた現状に感謝した。
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