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抱きしめる

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 この日のために魔術師たちが浮かべた光の球体がいくつも空中に浮かび、アーチ型の天井に嵌め込まれたステンドグラスの美しさを浮き立たせている。

 卒業パーティーの今日、私の手をとるのは正装のアロイス様だ。
 黒い魔石の髪留めをつけたアロイス様のかんばせは、今日もホールのステンドグラスの輝きに負けないほど美しい。

 それを言うと、真面目な表情で「ニコのほうが綺麗だ」と返ってきたので思わずうめいてしまった。

 こういう返しは生粋の貴族ゆえなのか、それともアロイス様の性質なのか。

 王城の温室でお互いの気持ちと事情を吐露しあってから、アロイス様は私への言葉をてらいなく言うようになった。

 アロイス様いわく、こういうことができるようになったのも私から〝美しさ〟や〝かわいさ〟〝愛おしさ〟を学んだからだそうだ。

 太陽と月と星、それから神に王冠を授けられる勇者を表したステンドグラスのホールは王城にあり、この卒業パーティーでしか見られない。
 貴族にとってその下で踊ることは一生に一度の誉れであり、名を呼ばれた卒業生たちは返事をしたあと、美しいステンドグラスを目に焼き付けようと天井に顔を向けて目を輝かせた。

 それを見守る保護者たちは、立派に卒業を迎えた娘や息子が社交界デビューの第一歩を踏み出すべくホールで踊り始めるのを、今か今かと待っている。

 そのなかにローデンヴァルト夫妻を見つけ、私は嬉しいのに恥ずかしいという奇妙な感覚を覚えて少しだけ目をそらしてしまった。

 授業参観にも運動会にも実の親は来ることがなかったから、学びの成果を保護者に見られるという初めての感覚にとまどってしまう。そうか、これが面映ゆいという感覚か。

 そして思わずそらしてしまった視線の先に、結界修復を終えたあとの凱旋パレードのときよりも素敵な笑顔を浮かべる聖女様を見つけて、私は思わず目をむいた。

 「どうした?」

 息を飲んで固まった私を心配して、アロイス様がこそっと私の顔をのぞき込んでくる。

 「いえあの、聖月みづきさんが……」

 私を見つけてぶんぶん手を振る聖月さんを見ても、アロイス様は動揺することなく至極真面目な顔で聖月さんに会釈をしただけだった。

 「王太子殿下から聖月さんは忙しいから卒業パーティーには出席できない、と恐れ多くも直々に聖女様欠席の謝罪をいただいたのですが」

 「ああ……。昨日、仕事で殿下にお会いしたが……」

 固まる私の手を優しく引っ張り、ホールの中央へとエスコートしながらアロイス様が苦笑交じりに続けた。

 「聖女様になぎ倒された、と」

 「……なぎ倒された」

 「ニコちゃんの卒業式にあたしが行かなくてどうするの! と、文字通りなぎ倒されたそうだ」

 巨大になった聖月さんがゴジラのように王城ごと王太子殿下をなぎ倒す姿を想像してしまい、私はちょっと笑ってしまった。

 「ニコの一生に一度の大舞台だ、いらっしゃらないはずがない」

 アロイス様のちょっと苦いものが混じったような声に、魔蝶が飛び回る美しい温室でアロイス様と話をしたその次の日のことを思い出して笑ってしまった。

 「私は幸せ者です」

 「俺のほうが幸せ者だと思う」

 そう言ってから、アロイス様はちょっと黙って保護者たちがいるほうに視線をやる。

 そしてにこにこしながらこちらに手を振ってくる聖月さんを見て、「……ライバルが聖女様っていうのはちょっと分が悪い」と苦笑した。

 「この幸せが続くように努力する」

 オーケストラがワルツを奏で、卒業生たちがホールの真ん中でリズムに合わせてくるりと回る。

 すれ違ったのは、弟のマヌエル様と出席することになったマルガレータ嬢だ。

 ローデンヴァルト侯爵家と聖月さん聖女様と王太子殿下、という国中見回しても勝てる人が見つからない方たちに特大の釘を刺されたバッヘム伯爵家は、マリアンネ嬢を修道院へと入れることで事態の収束を図った。

 これ以上長女の好きにさせると嫡男と次女のお相手が見つからなくなるどころか、伯爵家自体が消滅しかねない。
 はたから見ていてそう思えるような追い込みかたをされていたので、私はちょっと震えた。怖かった。

 それでも今日のマルガレータ嬢の表情は晴れやかで、授業でいつも褒められていたワルツのターンにもキレがある。

 アロイス様のリードで私も踊る。
 緊張で手が震えたけれど、アロイス様と目が合うとそれも自然と治まった。

 この卒業パーティーが終ったら、学生だった私たちは大人の仲間入りを果たす。

 私は卒業後、王城の医薬品研究開発課に就職が決まり、20歳になったらアロイス様と結婚することになった。

 ローデンヴァルト夫妻からは泣いて喜ばれたし、ご当主様には顔をくしゃくしゃにしながら「どうか、孫を頼む」と頭を下げられてしまった。

 大人になって結婚や婚約で家と家の縁を繋ぎ、就職して社会を支える一部となる。
 それは一人ではできないことだ。誰かに必要とされて、誰かと一緒に支え合って成立する。

 仲間の一員として受け入れられること、家族として喜んで迎え入れられることに慣れていない私は本当に自分でいいのかとこれからもきっと悩むと思う。

 だけどそれが好きな人、人として尊敬できる人と一緒なら、その悩みすら私にとってはとてつもなく贅沢で得難いものだと思った。

 手を取り合って踊るアロイス様の緑色の目のなかに、見たことがないくらいに楽しそうに笑う私の顔がある。

 一瞬前には緊張していたのに、と思うとまた笑えて、くるりとターンをして二人でくすくすと笑いあう。
 マルガレータ嬢のターンのキレには及ばないながらも、そこそこうまく踊れているのはアロイス様のリードが的確だからだろう。

 宙に浮かぶ魔法でできた光がふわふわと卒業生たち頭上に集まり、踊る私たちにスポットライトのように光が降り注ぐ。

 同時に天井から下がるシャンデリアの蝋燭にパッと灯がともり、橙色の炎がステンドグラスの柄を炙るように揺らめかせた。

 さらに保護者たちのいる場所から粉雪のように小さくて細かい魔方陣が吹き出して、卒業生たちが動くたびに光を弾いてキラキラと私たちに降り注ぐ。満面の笑みを浮かべた聖女様の仕業だった。

 まるでダイヤモンドダストのような聖女様の祝福の光に、卒業生だけでなく保護者たちからも感嘆のため息が漏れる。

 私にはそのキラキラした光が、あの日に温室で見た魔蝶の鱗粉のようにみえた。

 アロイス様の肩越しに見た、闇の中で自ら発光し、辺りを明るく照らしながら飛ぶ魔蝶。
 夢みたいに綺麗だったあの光景。

 魔法の光とシャンデリアと聖女様の祝福の光で、ダンスホールは光で満ちあふれている。
 今日のこの光景は、あの日の温室の光と同じくらい美しい。

 あの温室の風景や出来事が自然と思い出のひとつになっていることに気がついて、それが少し寂しいような、贅沢さを知ってしまってきまりが悪いような、そんなふわふわした心持ちで最後のターンを決めた。

 音楽が止み、ホール内に静けさが満ちる一瞬。

 真正面には緑の瞳を細めて私を見つめるアロイス様がいる。

 この世界にしかない光景を、この世界に来なければ出会わなかった人と一緒に見られる幸せを噛みしめて、万雷の拍手のなか、私は思わず腕をめいっぱい伸ばしてアロイス様を抱きしめた。

 
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